「ふたたび寅さん」はこちら。
山田洋次のたくらみとはこういうこと。およそ手あかのついたような手法を、あの人はわざと使う。
「三丁目の夕日」そのままに吉岡秀隆を作家に設定するなど序の口であり、その彼が伯父さんについて書きだすシーンは、露骨に「スタンド・バイ・ミー」のリチャード・ドレイファスだろう(ちなみに、あの映画ではワードプロセッサーのデータを保存もせずに電源を落としたのでみんなに心配されていました)。
その「スタンド・バイ・ミー」の設定は「アメリカン・グラフィティ」の東部に向かった青年を引用しているに違いなく、これはもう娯楽映画の王道の手法だ。
だから前衛的な描写など、寅さんの客にはじゃまなだけなのを彼はよく知っている。
そのむかし、興行成績は「銀座、新宿、上野」の映画館の週末動員数で発表されていた。寅さんの場合は上野の動員が多いと語られていて、なるほどお盆やお正月に北に帰省する人たちが、列車の時間待ちに映画館に入っていたのかもしれない。そんな光景がよく似合うような気がするし。
考えてみよう。いつも日本のどこかを旅している寅さんだが、映画で描かれる中心は葛飾柴又だ。スクリーンに映る渥美清も、帰省しているのだ。そんな彼を、とらやの住人とともに観客も「お帰り、寅さん」と迎えるというのは、やはり日本の美風というものだろう。
最初のテレビドラマ版では、車寅次郎がハブに噛まれて死んだというエンディングに批判が殺到し、劇場版がつくられたことを思い起こせば、この新作で、寅さんがなぜいないのかに一切言及されないわけも理解できる。
彼がいつの日にか、風に向かって彼の名を呼べば、またスクリーンに、葛飾柴又に帰ってくることを期待させる余地を残してくれたのだろう。年に二作も寅さんをつくることに疲弊していた山田洋次が、初めてつくりたいと思った寅さんだったからこそのサービスか。
映画が終わったとき、観客席から拍手が起こった。こんなことは久しぶりだ。実はね、わたしもしたかったんだけどどうにも恥ずかしくて。ほら、なんせまだ若いから(笑)。
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