萩本欽一と小林信彦の対談をまとめた「ふたりの笑タイム」(集英社)にこんなくだりがある。
小林:あの人(井原高忠)は慶應大学時代、ワゴン・マスターズというバンドのリーダーでね、メンバーに堀プロダクション(現・ホリプロ)を創立した堀威夫さんもいた。堀さんが卒業するとき、井原さんは日テレに入れようとしたんですよ。だけど堀さんは、そのときもう芸能プロダクションをつくることを決めていたので、自分の代わりに高校時代の友人を井原さんに紹介した。それで日テレに入社したのが秋元近史さん(「シャボン玉ホリデー」の伝説の演出家。のちに自殺)。
萩本:ぼくはものすごくアガリ症だし、怒られると怯えがでちゃって言葉がしゃべれなくなっちゃう。だから、「(井原に)また怒られながらやるのはつらいので、ぼくはやりたくない」って言ったら、「じゃあ、欽ちゃんのことは怒らない」って言ってくれたんで、「あっ、怒んないならぜんぜんオッケー」って引き受けたんですけど(「スター誕生」)、でも、小林さんはちょうどそのとき、テレビの作家をやめちゃったんですね。
小林:うん。でもあの『ゲバゲバ』っていうタイトルはぼくが考えたの。
萩本:そうだったんだ。あの番組は大橋巨泉さん、前田武彦さんという両巨頭をふたりまとめてメインに据えたところがすごかったですね。
小林:井原さんは両方と友だちだったからね。でも一緒に出演してもらうためにはね、やっぱり作戦があったの。井原さんはあの番組が始まる前に結婚したんだけど、自分の結婚披露の宴でふたりに声をかけたんですよ。
萩本:な~るほど。そんなめでたい席で頼まれれば……。
小林:そう、巨泉さんでも前武さんでも断れないからね。
……真の意味でのプロデューサーがここにいたことがわかる。ナベプロとケンカし、24時間テレビを発案し(地方局との連携強化が当初の目的だった)、数多くの作家を育て、そして50才を期にリタイアしてハワイへ移住。理想のテレビ人の、理想の職業人の姿が彼に凝縮されている。
新聞の記事はとおりいっぺんの話しかないし(だから「11PM」と「ゲバゲバ90分」でしか語れていない)、テレビという存在が、当初どのようなものだったかを知るに、彼ほどぴったりの人間はいない。ディープな評伝の登場を願う。できれば、テレビ人の手によるものを。
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