監督:マキノ雅彦 脚本:大森寿美男 出演:中井貴一 鈴木京香 笹野高史 岸部一徳 大友康平 佐藤浩市
困ったなあ、と上映中に下を向いたりしていた。どこに視線をやればいいのかとまどうばかりだったのだ。画面では役者たちがそれぞれ思い入れたっぷりの愁嘆場を(全員が!)演じており、それなりに気持ちよさそうだ。しかし観客の方はそうもいかない。ドラマとして有機的につながっていないので、呆然とその力演を眺めるしかないのだった。役者が撮った作品らしい、と結論づけては失礼にあたるのだろうか。マキノ雅彦の演出は「寝ずの番」の好調が嘘のように弛緩している。
たとえばこんな場面。
“男を上げる”ために祝言の場から修行の旅に出た次郎長(中井貴一)が、久しぶりに清水に帰ってくる。見つけた女房のお蝶は砂浜を駆けていく……ここで演じる鈴木京香をスローモーションでとらえたショットが入る。唖然。今どきやらないだろカラオケビデオじゃあるまいし。
つづいてこんな場面。
木村佳乃演ずるあだっぽいお姉さんが、家の前の権現様にお参りをする。亭主がいかにバカで、しかしどんなに自分が惚れているかをつぶやきながら。でもこの時点ではお姉さんがいったい誰の女房なのかも説明されていないので、どうにも唐突。いかに木村佳乃を美しく撮るかに腐心したことはうかがえるが……
そしてこんな場面。
伝法で口の悪い女房を演じるのは真由子。マキノの娘である。こんなことを言うのも失礼だけれど、きらめくオールスターのなかでは彼女はどうみても数段落ちる存在だ。彼女を泣かせのキーとなる役に起用したのは親バカと言われても……。ウチの奥さんは真由子が好きみたいだけどね。
実はいままでの次郎長映画では、次郎長本人がさほど光り輝いていないとマキノ本人も語っている。その分、森繁久弥の森の石松や、大政小政などの脇役がもりあげたわけ。今作の子分たちは、ひとり北村一輝(小政)だけがいつもの調子で自然にいいが、他の役者たちは大仰な演技がすぎて魅力を打ち消しあっている。しかしその分、次郎長を演じる中井貴一だけが「スターらしさ」を見せてさん然と輝く皮肉な結果となった。
烏丸せつこ、荻野目慶子、高岡早紀など、スキャンダル女優を積極的に起用したり、兄、妻、娘を出演させるなど「日本映画界の人脈ど真ん中」にいる強みをいかんなく発揮したマキノは、しかしその昔気質によって作品の印象を古びたものにしてしまった。観客のお年寄りたちは、はたしてこの映画を楽しんだのだろうか……
でもねー(以下自粛)