先日、本願寺佐賀会館で行われた「ビハーラ基本学習会」での「ルーシーダットン」(ヨガ)の講習会。勉強になりました。楽しかったですよ~
若い美人ご講師お二人・・・なんと、お二人とも本山の職員、兼、インストラクターなのでありました。
やわらかい京都なまりでのご指導。
講師のお一人は、大谷本廟にお勤めで、彼女が「佐賀へ指導で行く」ことを聞いた大谷本廟局長 藤岡崇信師が、「ようこそ大谷本廟へ」の文章数枚と、毎月の掲示版の言葉と解説の文章をレジュメに加えてくださっていました。
七月の掲示は、「亡き人に 我背押されし 墓参り」
こう解説されています。
上掲の句の作者は不明ですが、お盆や正月、春秋の彼岸会などの時期に全国各地で見られる墓参りを題材にした句であります。
しかし、墓参りを単なる風物詩としてとらえられたものではなく、お参りする人の心の内面、或いはその背後にあるはたらきを深く見つめて詠まれた句であります。(中略)
「お墓参りは、たまにはお参りしなくては、という単純なことではなく、亡き方に願われてお参りし、そしてこの私自身の生と死を考える機会をいただいているのですね」という作者自身の深いこころが込められているように思います。
ちなみに、大谷本廟 毎月の掲示の言葉は、ヨガ講師の彼女が筆書きされておられるそうです。
若い美人ご講師お二人・・・なんと、お二人とも本山の職員、兼、インストラクターなのでありました。
やわらかい京都なまりでのご指導。
講師のお一人は、大谷本廟にお勤めで、彼女が「佐賀へ指導で行く」ことを聞いた大谷本廟局長 藤岡崇信師が、「ようこそ大谷本廟へ」の文章数枚と、毎月の掲示版の言葉と解説の文章をレジュメに加えてくださっていました。
七月の掲示は、「亡き人に 我背押されし 墓参り」
こう解説されています。
上掲の句の作者は不明ですが、お盆や正月、春秋の彼岸会などの時期に全国各地で見られる墓参りを題材にした句であります。
しかし、墓参りを単なる風物詩としてとらえられたものではなく、お参りする人の心の内面、或いはその背後にあるはたらきを深く見つめて詠まれた句であります。(中略)
「お墓参りは、たまにはお参りしなくては、という単純なことではなく、亡き方に願われてお参りし、そしてこの私自身の生と死を考える機会をいただいているのですね」という作者自身の深いこころが込められているように思います。
ちなみに、大谷本廟 毎月の掲示の言葉は、ヨガ講師の彼女が筆書きされておられるそうです。