お笑いのCOWCOWの「あたりまえ体操」
「
右足出して、左足出すと・・・歩ける
」
う~ん、健常者が観たら、面白くて笑える
けど・・・笑えない人も多いと思う。
「いや、それは決して当たり前じゃないんだよ
」って。
井村和清氏の著書「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」
の文章です。
あたりまえ
こんな素晴らしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせば何でもとれる
音が聞こえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいに吸える
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走り回れる
みんなあたりまえのこと
このすばらしいことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
「あたりまえ体操」でなく、「よろこぼう
体操」なんだと、思います。
私は、仏教に出遇って、当たり前と思っていたことが、当たり前でなかったことに気づかされました。
「


う~ん、健常者が観たら、面白くて笑える


「いや、それは決して当たり前じゃないんだよ

井村和清氏の著書「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」
の文章です。

こんな素晴らしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせば何でもとれる
音が聞こえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいに吸える
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走り回れる
みんなあたりまえのこと
このすばらしいことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

「あたりまえ体操」でなく、「よろこぼう

私は、仏教に出遇って、当たり前と思っていたことが、当たり前でなかったことに気づかされました。