天岸浄圓師のお言葉(行信学報平成30年11月発行より)
「宗教は教えを聞くことによって回心、信心が成立し、それによって回心以前と以後における信者の価値観、目標に変化が生じ、それによって行動にも変化が生ずるものである。それであってこそ宗教が宗教として正しく機能しているといえる。しかしながら、信が成立していると思いながら、行動の上に変化が生じない状況がまま見られる。それは、本人は信が成立していると思い込みながらも実は成立しておらず、単に宗教的知識を得たことをもって、信心獲得と錯覚しているに過ぎないといわねばならない。」
本当にそうですね。
「阿弥陀如来におまかせ」と聞くと、自分は何1つ変わらず、我欲のまま生活しても、「どうせ阿弥陀さんが救けてくださるもんね〜」という開き直りと申しますか、慚愧の心がない状況に陥りがちかもしれません。
また、天岸先生はこう書かれています。
「南無阿弥陀仏の薬は必ず無明の酔いを醒まし「三毒」を好まぬように、信者の行儀を改善してゆくはたらきを備えている」
覚りには程遠く、改善が難しい私ですが、仏教に出遇えたことは、有り難いことだったと思います。有り難いと思わせていただく身に多くのご縁によって育てていただいたのだと手を合わせています。