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フェートン号事件

2020年10月11日 | 佐賀ネタ
 佐賀に嫁に来るまで、いや来てからも佐賀城本丸歴史館を訪れるまで知らなかった佐賀の歴史。
 江戸時代の佐賀藩大事件。
 フェートン号事件
文化5年1808年、西洋諸国の中で唯一、オランダと長崎出島にて交易があった江戸時代の鎖国中のこと。
 オランダの国旗を掲げたイギリス軍艦フェートン号が侵入。
 当然、オランダ船と思い、慣例により出迎えで乗り込もうとしたオランダ商館員2名が拉致され、燃料や食料を要求された事件です。
 当時、長崎警備を担当していた佐賀藩(福岡藩と交代で長崎警備に当たっていた)は太平に慣れ、兵力を削減。守備兵が手薄だったため、イギリス軍艦の要求をのむしかなかった。
 人質の商館員は無事返され、人的被害は何もなかったが、事件の責任をとり、長崎奉行の松平康平、佐賀藩家老らが切腹。佐賀藩主鍋島斉直は100日間の閉門となった事件です。
 当時、オランダはナポレオン戦争でフランスに占領されていたため、その隙にイギリスが、日本に寄港したようです。
 この後、幕末(嘉永6年1853年の黒船来航より始まる)に向けて、佐賀藩が危機感を持って、いち早く最新軍備を含め、西洋知識の習得を進めたのは納得です。
 
 ↑ 某所の勉強会で歴史背景を教えていただいたことをご紹介させていただきました。

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