平生業成(へいぜいごうじょう)とは
生きている平生(死を待たないで、今、生活している時)に、本願を聞いて、おまかせする(信)をいただくところに、
往生(覚り・仏の世界である浄土に往って生まれる)が決まった身に成らせていただく(往生の業因が成就する)ことです。
3日早朝、午前6時を待ったように電話が鳴りました。
だいたいこの時間の電話は、間違い無く訃報です。
M・Tさん(83才)の訃報でした。
Mさんは、お元気な間、欠かさず法座にお参りくださり、お聴聞重ねられた方でした。
晩年は、身体も思うようにならず、お寺参りは、かないませんでしたが、
「平生業成」
どんな死に方をしようと、臨終は何も問題ない
安心して、生きさせていだだける・・・有難いこと
と、Mさんのご往生に際して、あらためて感じたことでした。
南無阿弥陀仏
生きている平生(死を待たないで、今、生活している時)に、本願を聞いて、おまかせする(信)をいただくところに、
往生(覚り・仏の世界である浄土に往って生まれる)が決まった身に成らせていただく(往生の業因が成就する)ことです。
3日早朝、午前6時を待ったように電話が鳴りました。
だいたいこの時間の電話は、間違い無く訃報です。
M・Tさん(83才)の訃報でした。
Mさんは、お元気な間、欠かさず法座にお参りくださり、お聴聞重ねられた方でした。
晩年は、身体も思うようにならず、お寺参りは、かないませんでしたが、
「平生業成」
どんな死に方をしようと、臨終は何も問題ない
安心して、生きさせていだだける・・・有難いこと
と、Mさんのご往生に際して、あらためて感じたことでした。
南無阿弥陀仏
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます