お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

夫と同じお墓に入りたくない

2024年11月22日 | 仏教



 写真は20日夜明け(6時55分)前、6時25分頃。放射冷却で冷えました。
 何も予定がない時は、経年劣化の自身のメインテナンス。
 20日、某クリニックの待合室で、NHK「あさイチ」を見ていたら、
「夫や義父母のお墓に入りたくない。実家のお墓に入りたい」と言うのがありました。
 あらら、亡くなってからも、今生(今生きている時)の意識のままでお墓に入るおつもりなのか?
 往生、成仏なさらず・・・
 亡くなってからも、永遠に「私のまま」で・・・
 それはキツい!

 私は仏教徒・真宗の御教えをいただく者なので、今生の命終えたら、好き嫌いも、憎しみも、自己中心の思いも、消滅し、覚りの仏に成らせていただきます。
 仏だから、清浄で、今生の全ての煩悩がありません。
 例え、今生で憎い人であっても、お互い許し合い尊び合う美しい仏です。
 仏に成ると言っても、
自分では到底、覚りの仏になど成れるわけがありません、全て阿弥陀さまのお力(本願)によります。
 
 こんな自己中心、自己顕示欲のカタマリ・煩悩だらけの私が仏に成らせていただくなんて、あり得ない有り難さです。
 
 よって、自分の遺骨がどこに埋葬されるか、私はどうでもいいです。
 お墓に生前の意識をもって、じっといるわけではないので。
 また、埋葬は私の問題ではないから。←自分で、自分の葬式も埋葬もできませんから、
埋葬してくれる人の都合だと思うので。
 
 だけど、もし、できるなら、私の往生成仏(仏の覚り・浄土に生まれ、仏に成る)を縁に、後の人が、阿弥陀さまに手を合わせ、心を合わせて、仏法を聴聞し、本当のことに気づかせてもらい、
ままならない人生を心豊かに(ジタバタしつつも、愚痴だけで終わらないで)明るく生きてくれること願っています。
 今、阿弥陀さまの本願力により、仏に成られた故人が、私を願ってくださっているように。
 
 
 
 
 


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