お寺のオバサンのひとりごと

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いずれの行も及び難し

2007年02月23日 | 仏教
 一般の仏教と親鸞聖人の仏教の違いは

 一般の仏教では、仏に成るための行(ぎょう)が重んじられる のに対し、親鸞聖人の仏教は「いずれの行も完遂できない」」というのが根本の立場です。

 仏教ですから、わたしが「仏」を目指すのは、一般の仏教と同じですが、行を大切にするか、行を捨て去るか、の大きな相違があります。

 もちろん、お釈迦様のたくさんの教典の中から、阿弥陀仏の救済を説かれた浄土三部経を選びとり、勧めてくださったのは、法然上人です。

 比叡山で智慧第一と言われるほど仏教学問を極められた法然上人が、我々一般人が救われるのは、阿弥陀仏にお任せするしかない。そのためには「努めて念仏を称えなさい」と説かれた。

 その弟子が親鸞聖人なんですが、同一の立場でありながら、微妙に違うんですね。

 法然上人の念仏は、他力(仏さまのはたらき)7割、自分の行として称えるのが3割・・・と、ある勧学さんの講義で聞きました。 

 親鸞聖人の念仏は、100%他力。念仏を称えることにすら執着しないんです。
 自分の「行」は徹底的に排除。 無行に徹するところが、親鸞聖人の仏教です。

 「いずれの行も及び難き身なれば・・・」

 だから、浄土真宗の念仏は、ただ、ただ感謝の念仏であります。

 私みたいなゴーマン・テキトーなのが僧侶に成らせていただけたのも、この教えのお陰・・・ 南無阿弥陀仏
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2 コメント

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Unknown (維真尽)
2007-02-23 22:16:03
そうなんです~~か
修行をしない ということも ありなんですね~~

お坊さんには 修行がつきものとばっかり
思ってました。
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Unknown (法専寺)
2007-02-24 10:33:38
 はい、修行じゃなくて、ただ、ただ仏法を聞く。
浄土真宗では、仏法を聞くこと(聴聞)を大切にします。それだけです。
仏法を聞いていく中で、自分を知る、阿弥陀仏という仏さまが私に何を願われているのかを知る・・・

僧侶になる研修(得度習礼)では、「修行」ではありませんが、もちろんきちんと作法指導・試験があり、時々、指導官の罵声が飛びます。

しいて言えば、声明作法をきちんとこなすことと、長時間の正座の足の痛みに耐えるのが修行のようなものでしょうか。
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