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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

こだわり

2008年08月20日 | 雑感
 人それぞれ、自分の思い こだわり が あり・・・

 案外、どうでもいいことに こだわって ケンカになったり、
 
 でも、こだわりが、その人の個性であったり、魅力であったりする

 自分のこだわりばかり主張するのでなく、相手のこだわりを認めてあげたいが・・・

 これが、こだわりがあるために、なかなか難しい

 こだわりって、面白くもあり、厄介だと思う。

  
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3 コメント

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こだわりと救い・・・? (くれまちす)
2008-08-21 07:22:00
大峯顯、池田晶子の対談集『君自身に還れ』では、
~仏イコール枠組みのない大きな心。個人性や我性の枠がない心。そういう宇宙大の心に自分が包まれるということが阿弥陀に救われるということだ~
と書かれてますが・・
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こだわり~ (維真尽(^.^))
2008-08-21 08:22:53
持ちたいものですね
それだけ~思い入れがあるという事ですから

深いというか~自分自身をかたちづくっているものに関しては
なかなか 難しいとは思いますが

けんかは案外
どうでもいいことだったり
しますが
宗教対立も意外とそうした事だったり
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無我 (法専寺)
2008-08-21 15:56:54
くれまちすさん、

そうです。
我執=「こだわり」・執着を離れるところに悟り(「枠組みのない大きな心」)があります。
でも・・・わかっちゃいるけど、なかなか執着心(こだわり)を捨てられないのが凡夫(私)でもあります。
こんな私だからこそ、阿弥陀仏がおられるのですよ。悟りに遠~い私を「何とか悟らせてやりたい」と願い、私の心にはたらいて、導いてくださる仏さま。

真理などわからない幼子(私)に寄り添っているお母さんのような仏さま。





維真尽さん、

「こだわり」にも、いろいろありますので、素敵なよい「こだわり」もあるでしょうが、

自己執着=自分の思いを正当化・常識と思いこむ凝り固まった「こだわり」は、仏さまに、マッサージを受けて、もみほぐしていただいたほうがいいようです。

私の場合、つまらない、どうでもいい自己執着の「こだわり」しか持ってないので、できれば捨てたいです。←でも、これができない

仏の真理(自分の思いにこだわらないこと)に気がつかされて「私はこだわりすぎて生きていたなあ~」と、頭が下がり・・・

だけど仏さまは「こだわりを完全に捨てよ」とは仰らない。そうできないことを先刻ご承知だから。

それで、仏さまは「私がいつもそばにいるよ。私にまかせて、安心して生きなさい」
「あなたは、あなたのままでいいよ。あなたの人生を精一杯生きなさい」
と、私に願ってくださっている と味わっております。

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