お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

遺言

2010年04月15日 | 雑感
 今年から、月に1回の「聖典を学ぶ集い」に参加、お世話になっています。
 A・J先生が、「仏説阿弥陀経」について、ご講義くださっているのですが、
私にもわかるように、かみ砕いてお話くださるので、毎回、実に楽しく、興味深く拝聴しております。

 「仏説阿弥陀経」は、
 お釈迦様が、誰かの問いに答えた説法ではなく、
自ら、「これだけは、伝えておかねば・・・」と、説いてくださった教えであり、
言わば、お釈迦様のご遺言のようなお説法である

ということから、世間の話となり、

 「遺言」とは、
 本当は、 遺産の配分を言い残すことではなく、
 
「これだけは、伝えておきたい
という、大切な思い(言葉)のこと。

 
 ここからは、私の感想ですが、

 「佐賀のがばいばあちゃん」のように、財産は残されなくとも

 すばらしい言葉を たくさん残しておられる。

 いや、特別、「いい言葉」を残さなくても、

その方の「生き方そのもの」が、後の者への「遺言」なのだ 

 そう、しみじみ思ったのでありました。

 

 
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他宗のお葬式

2010年04月13日 | 雑感
 浄土真宗本願寺派寺院に身を置いていると、
当然ながら、葬儀は、浄土真宗本願寺派の葬儀が圧倒的に多く、他宗の葬儀に参列させていただくことが少ない。
 
 つい、先日、ご近所のお葬式で、日蓮宗のご葬儀のご縁にあいました。
これは、昨年、曹洞宗のご葬儀の縁にあった時も感じたことですが

 私、他宗のお葬式に興味津々。
 ご導師の作法を注視し、
「へ~、あのフサフサしたハタキのような法具(「払子」ほっす)で、円月殺法のように円を描くのは、どういう意味なんだろう
(私が聞いたところによると、火葬の時に火をつける儀式からきている とか、煩悩を払うため とか)
 木魚 と キン(鐘)と シンバルのような法具(「ティンシャ」っていうのですか?) の見事なパーカッションに感心したり・・・(すみません、不謹慎で)

 唱えられる経文を聞かせていただきながら、自分が知っている単語、フレーズが出てくると、「ああ、同じだ~」と単純に喜んだりしています。
 
 曹洞宗、日蓮宗、いずれも従来の漢文の経文だけでなく、現代語訳の経文を中に取り混ぜておられるように聞かせていただきました。

 
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祥月命日

2010年04月12日 | 雑感
 4月10日は、前坊守の祥月命日(しょうつきめいにち)。

 10日は、家族がそろわなかったので、翌日、家族一同でおつとめしました。

 仏事の後の食事は、私が用意した精進料理で・・・

 頂いた たけのこ と ふき を煮て、
 しいたけ、れんこん、ごぼう、にんじんも煮物にして
 おから(今回は、しいたけ、たまねぎ、にんじん、塩昆布、かぼちゃが具材)
 揚げだし豆腐 など
 
 精進料理は、低カロリー、低コスト。

 故人の祥月命日を縁として、あらためて、家族が皆そろい、おつとめ(勤行)できたことをうれしく有り難く思いました。
 
 

 

 

 
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有田町

2010年04月09日 | 佐賀ネタ
 佐賀県有田町と言えば、「有田焼」で有名な町。
 平成18年に有田町+西有田町 が合併して、現・有田町になっています。

 昨日は、旧・西有田町のJ寺さんの巡番報恩講にお参りへ。
J寺現ご住職は、私の実家がお世話になっている直方のE寺ご住職の弟君。
そして、今回の巡番報恩講のご講師が、その実兄E寺ご住職とあっては、失礼するわけにはいきません。
 
 ウチから高速:長崎自動車道~西九州自動車道(佐世保方面)走って、1時間10分くらい。
 西有田町は、佐賀県の西端ですから、道路を走っていると、長崎県になったり、佐賀県になったりします。

 晴天のドライブ。J寺さん報恩講にて、おいしいお斎をいただき、親鸞聖人が比叡山で修行をされておられた当時のお話をくわしく聞かせていただき、仕合せなひとときでした。

 J寺皆さま、お世話になりました。ありがとうございました。

 さて、有田町では、毎年ゴールデンウィークに「有田陶器市」が開催されています。
 伝統ある焼き物の町、有田。
 どうぞ、お出かけください

 

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花まつり

2010年04月08日 | 仏教
 4月8日は、お釈迦様の誕生日 「花まつり」

 写真は、本願寺から子ども向きに出ている しおり

 クリスマスは賑やかですが、

 花まつり を知っている若い方は、
ごく少数なんでしょうね~ 

 きょうは、佐賀市の小学校入学式。
 昨日は、今春開校した「早稲田佐賀中学・高校」(佐賀出身の大隈重信の故郷、佐賀県に新設された中高一貫校・早稲田大学に相当数 進学できるらしく、大人気。全国から生徒が集まった)の1期生入学式でした。

 入学のお祝いと共に、
自分の実力だけで生きているのではない、
「大きなおかげさま」の「はたらき」の中に
生かされ生きていることを謙虚に味わい、

お釈迦様のお誕生日も喜びたい と思います。
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お坊さん革命

2010年04月07日 | 本紹介
 松本圭介師「東大卒僧侶のお坊さん革命」講談社新書

 松本圭介師は、1979年生まれの若い浄土真宗の僧侶。

 お寺の跡取り息子ではなく、浄土真宗のお坊さんになった方。
つまり、イヤイヤお寺の跡取りになったのではないので、お若くとも、最初から僧侶としての意欲が違う。

 お寺の世界の既成概念(先代がしたようにする)にしばられず、熱心に活動しておられる方です。

 帯にも紹介されていますが

 「寺は気軽な場! 葬式だけじゃもったいない」

 今でこそ、私のようなオバサンまでブログをしていますが、
 いち早く、仏教のブログを始められた方で、宗派を超えたインターネット寺院「彼岸寺」を立ち上げたり、都会の神谷町にお寺カフェ(神谷町オープンテラス)を開設したり、お寺でライブをしたり・・・
 熱心に、若い方々に仏教を発信されておられます。

 
 
 
 
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新年度

2010年04月05日 | 雑感
 新年度に入って、早5日。
 桜は散り始め、境内はチューリップの花が、
「咲いた、咲いた、チューリップの花が、並んだ、並んだ、赤、白、黄色、どの花見てもきれいだな」

 「仏説阿弥陀経」(阿弥陀如来の極楽浄土について説かれたお経)の中に

 「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、微妙香潔」(しょうしきしょうこう、おうしきおうこう、しゃくしきしゃっこう、びゃくしきびゃっこう、みみょうこうけつ)と、いう経文があります。

 どういう意味かと申しますと、
 「青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかである」 浄土三部経(現代語版)本願寺より引用

 入園、入学、進級、入社、転勤、転職、退職・・・の新年度ですが
 
 子ども も 大人も、
 若者も年寄りも
 みんな、みんな、
それぞれが、それぞれの色に光り輝いて
精一杯生きて欲しい 

 それが仏さまが私たちに願われておられることだと、

庭の色鮮やかなチューリップをながめつつ、あらためて思ったことでした。

 

 
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荘厳

2010年04月03日 | 仏教
 荘厳は、「しょうごん」と読みます。

 仏間、仏壇のお飾り(仏具、ろうそく、お花、香など・・・全てのお飾り)のことです。

 写真は、巡番報恩講中の報恩寺さんの見事なお荘厳。

 各ご家庭のお仏壇も、本堂の縮小版ですので、お荘厳の仕方は、同じです。

 お仏壇の場合も
 
 普段は、三具足(向かって左から花立て、真ん中に香炉、右にろうそく立ての3つ)ですが、法要の折は、打敷(うちしき:前卓に敷く逆三角形の金襴の織物)を敷いて

 五具足(外側に花立て1対、その内側に、ろうそく立て1対、真ん中に香炉の5つ)のお飾りをするのが正式です。

 写真中央寄りに白く見えるのは、お華束(けそく:小餅を飾ったもの)

 各ご家庭のお仏壇でも、スペースに応じてですが、

 上卓の真ん中に、お仏飯(仏飯器に盛ったごはん)

 お仏飯の両サイドに、小さな花立てに、シキミなどの青物の葉を1対(ここにもお花をさしておられるお宅が時々ありますが、上卓の花立てに、お花はさしません)

 あとは、ご本尊が隠れない程度に、菓子、果物などをお供えします。

 お仏壇のお荘厳がよくわからない時は、お参りに来た僧侶にお尋ねください。

 

 

 

 
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節談説教

2010年04月01日 | 仏教
 「節談(ふしだん)説教」とは、特に浄土真宗で長年、伝承されてきた布教で

 言葉に節をつけ、語る(謡う)説法のことです。

 戦前は、布教使さん(お坊さん)が、「高座」(高さ1m以上ある台の上に畳を敷いたもの)に、正座され、お説法されていた。
 それが戦後は、布教作法も西洋式になり、黒板を背にして、演台に立って法話する、今の形になったため、高座での節談説教が急速に少なくなり、伝統的な節談説教を伝承される布教使さんがごく少数になられてしまった。

 現代、節談説教を見直して、きちんと伝承しようとする取り組みがあるそうです。

 「高座」と聞けば、演芸を思い出しますが
高座の節談説教から「浄瑠璃」「浪曲」
高座の節談説教の 面白おかしい 話術 の部分が、「落語」になったらしい。

 法専寺にも私が嫁に来た当初は、本堂隅に「高座」が据えてありました。(私が嫁に来た29年前、すでに「高座」で布教される僧侶方はおられず、「高座」は、子どもが登っては飛び降りる遊び場になっていた。

 さて、「節談説教」

 組内の巡番報恩講が報恩寺さんを会所として、きょうから(5日まで)始まりましたが、
ご講師のT先生が、前座(前半の法座)では、通常通り、黒板を使って、演台でご法話され、
後座にて、高座に座って、節談説教をしてくださいました。

 ご講師のT先生が仰っていましたが、節談説教は、情にうったえる説法。

 節談説法の間に、「受け念仏」(説法のありがたい処で、合いの手のように、聞き手が一斉に念仏を称える)が湧きおこるのも、伝承。

 今、笑い話で、おもしろく笑うことを「受ける~」と、言いますが

 仏さまのお話を聞いて、「ありがたいなあ~」と受ける「受け念仏」が言葉の始まりだとしたら、

たまには、「お笑い」に「手をたたいて、受けて、笑う」代わりに、
ご法話聞いて、「阿弥陀さま」に「手をあわせて、受けて、念仏する」

こともオススメいたします。

 

 

 
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