先日のこと。某ご門徒さん(仮にAさんとします)宅にお参りへ。
私が得度(とくど:僧侶になること)以来、ご両親の祥月命日には、私をご指名くださり、お参りに行くこと、20年以上。
ここ10年くらいは、老ご夫妻だけで、穏やかに、あたたかく私をお迎えくださって、一緒にお勤めしていましたが、数年前、ご主人がご往生され、Aさん、お一人での仏事に・・・
それが、今回、子どもさんご夫妻もお参りしてくださっていて、とても、うれしく思いました。
いつものように、勤行、法話もどきをさせていただき、仏事を終えたところで、Aさんの養子息子さんが、猛然と、
「仏教にしろ、他の宗教にしろ、まやかしだ

。真実なんて、あるわけない

」
と、批判を始められました。
ご自身は、いろいろ経典も勉強したと仰りながら、私を叩きのめしたいかのように、次々仰る宗教批判は、仏教の教えとは正反対の
「自分教」に聞こえました。
養子息子さんが、無宗教でいらっしゃるのか、というと、そうではありませんでした。
驚いたのは
「(阿弥陀仏は)病気すら治せないくせに

」
と、仰ったのです。
ええっ、経典を学ばれたと仰りながら、仏教は、自分に好都合な現世利益なんて、何も説いてないのですが・・・
これだけは、声を大にして私も言いました。
「(信心したら)病気が治るなんていう宗教こそ、まやかしで、嘘ですよ

」
Aさんの子どもさん夫妻は、唖然とする私を置いて、先にお帰りになられました。後に残ったAさんと私。
ご高齢のAさんは耳が遠くなっておられ、私たちのやりとりはお分かりにならなかったのが幸いでした。
お仏壇の仏前での会話でした。何だか悲しくなりました。
驚きましたが、勉強になり、反省させられました。
私の法話がエラそうで、腹が立たれたのでしょうか

それとも、私が女だったから、普段思っておられることが口に出しやすかったのでしょうか
いずれにしても、ご門徒さんの本音が聞けてラッキーでした。
たぶん、住職の法話を静かに聞いておられる方の中には、このAさんの息子さんのように、義理でイヤイヤ出席し
「ふん、なにが『浄土』だ『念仏』だ、バカバカしい・・・」
と、思っておられる方が、多々いらっしゃるのでありましょう。
あらためて、法話の難しさに気づかされた、有り難いご縁でした。