保津川下りの船頭さん

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生ましめんかな・・‘いのち’について。

2005-03-07 23:55:27 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨日の夜、一人の詩人がお亡くなりになった。

名は栗原貞子さん、自らが広島で原爆により
被爆、戦争の悲惨さを生涯をかけて訴え続けた
女性詩人であります。

1946年に代表作「生ましめんかな」を含む
「黒い卵」を発表し、原爆の恐ろしさ、戦争の
非人間性を詩により表現され、反戦反核運動の
先頭にも立たれていた方なのです。

私がこの詩と栗原さんを初めて知ったのは、
平成12年の7月12日に放送されたNHKテレビでした。

そのテレビでは、女優の吉永小百合さんがアメリカで
「生ましめんかな」という原爆詩を朗読されていました。
長い間、アメリカでは原爆の詩は翻訳の許可すら
許されなかったらしいのですが、その時は
吉永小百合さんが英語に翻訳された詩を静かに
朗読されていたのです。

この詩の朗読を聞いた時、私の心を鋭い刃物が突き刺さった
ような、苦しく痛い感情と魂を揺さぶられる
ほどの感動を覚え涙を禁じえませんでした。

「生ましめんかな」という詩は、原爆が投下された
翌日未明のこと、旧広島貯金支局の地下室で実際に
あった話をもとに書かれたものです。

原爆の被害者達であふれ返る、ローソク一つない
暗い地下室はまさにこの世にあらわれた地獄絵図。
このような所でそれは起こりました。
一人の若い女性が産気づいていると
一人の助産婦が「私が生まれさしましょう」
と名乗り出てて、極限の地獄絵図の中で
新しい命を生まれ出させるという内容の詩です。

この名乗り出た助産婦も地下室の大勢の人と
同じくさっきまでうめき苦しんでいた重傷者で、
新たな命を生まれ出した後、夜明けを待たず
血まみれのまま死んでいくのです。

私は政治思想というよりは、この詩に
こめられた人間の生と死の表現に
心うたれました。

極限の苦痛で自らの命すら知れぬ身体の者が
新たに生まれようとする命の為に、わが身を
忘れて手助けをする、そして新たな命の誕生を
看取って、死んでゆく。
人はここまで、気高い尊厳をもつことできるのです。

人は新たな生命の為に、自らの命を差し出すことが
出来る存在なのです。極限状態の中でも、新しい
生命の誕生に、人は言い知れぬいとおしさを
覚えることが出来ることを教えてくれます。

私達は日頃生きていることを至極当たり前のこととして
その事実に深い目を向けることを怠りがてですが、
この地球上に生きるものの命を支えているのは
紛れもなく他の命の死なのでしょう。
私がそしてあなたが今、存在する為に、どれだけの多くの
命の生と死があったことか。

一切の命は私達に無縁に存在しているわけではなく
多くの命が死に、今、一瞬も私を支えています。
私の生は多くの死んでいった命の集積が姿を変えて
生きているという証拠とも考えられます。

死は、いのちの終局を意味しない。生まれ変わり出変わりして
この世界に永遠にいき続けるもの。
この詩を読んで、生と死、そして‘いのち’について
考えました。

最後にこの詩の最後の言葉を紹介します。

生ましめんかな  生ましめんかな

己が命捨つとも