保津川下り・乗船所を出発して約15分、亀岡盆地をのんびり下っていくと
両側を大きな山々が囲む保津峡の入口が見えてきます。
その渓谷入口左岸上に保津川の氏神であり守り神でもある
‘請田神社’が見えてきます。
「請田神社・保津の火祭り」という大きな看板が
JR山陰線からも見る事が出来る、古刹感漂う神社。
実はこの神社ほど保津川の成り立ちに重要な関わりがある
神社は無いといってもいいでしょう。
和銅二年(709)、時の丹波国守・朝臣狛呂(あそんこままろ)が
創建したと伝わる古い社には、祭神として保津峡の開削を請け負われた
‘大山咋命’(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのかみ)
のニ柱が祀られています。
京都の歴史に少しでも興味のある方ならもう、お気付きだと思います。
この二柱の神様は保津峡の下流少し下ったところにある
酒の神様で有名な‘松尾大社’と同じ神様をお祀りしているのです。
亀岡に伝わる太古の神話によると、今の亀岡盆地が昔、巨大な湖だった頃、
この国を治めていた出雲の神・大国主命(オオクニヌシ)が
湖水を山背の国(やましろ・今の京都)に流すことで、
ここに肥沃な田地を創造することを計画。
国の東南部にある明神岳の頂に多くの神々を集められ、
保津峡を切り開く相談がもたれたそうです。
その時、開削一切の費用を請け負われたと云われるのが、
この社の祭神・大山咋命だったのです。
開削一切を‘請けた’→‘請田’になったとも、また湖水が流れた後、
田地が浮き出た様を見て‘浮いた’→‘請田’になったとも伝えられています。
これは神話だけの話では無く、亀岡盆地は100万年前、
巨大な湖であった事は現代地質学でも証明されています。
湖水の水が今の保津川から山背に流れたことでこの地に田地が
開けたというのはどうやら事実のようです。
実際の話はこうです。
太古の湖は、上流から流れてきた巨大な流木などが引っかかり
出口を塞いだ形で出来たもので、自然の井堰と化していました。
これを昔の統治者が、火を放って、巨大な堰を焼き払い、
湖水を山背に流した事業が、神話として伝わっと云われています。
この丹波の湖を切り開く方法として用いられた‘松明’は
今の保津の祭り「保津の火祭り」として残り、
毎年10月20日に豪快な炎を舞い上げています。
請田神社が鎮座する保津峡の入口を、保津川の船で
下られる際は是非「このあたりに巨大な流木の堰があった」
ということを想像しながら下って下さい。
太古が身近に感じることが出来き、一段と趣き深い船旅になることでしょう。
長い歴史と神話を今に演出している保津川渓谷の自然は
触れる者を太古に誘い、歴史的好奇心をくすぐります。
まさにロマンの世界が展開している、それが保津川なのです。
両側を大きな山々が囲む保津峡の入口が見えてきます。
その渓谷入口左岸上に保津川の氏神であり守り神でもある
‘請田神社’が見えてきます。
「請田神社・保津の火祭り」という大きな看板が
JR山陰線からも見る事が出来る、古刹感漂う神社。
実はこの神社ほど保津川の成り立ちに重要な関わりがある
神社は無いといってもいいでしょう。
和銅二年(709)、時の丹波国守・朝臣狛呂(あそんこままろ)が
創建したと伝わる古い社には、祭神として保津峡の開削を請け負われた
‘大山咋命’(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのかみ)
のニ柱が祀られています。
京都の歴史に少しでも興味のある方ならもう、お気付きだと思います。
この二柱の神様は保津峡の下流少し下ったところにある
酒の神様で有名な‘松尾大社’と同じ神様をお祀りしているのです。
亀岡に伝わる太古の神話によると、今の亀岡盆地が昔、巨大な湖だった頃、
この国を治めていた出雲の神・大国主命(オオクニヌシ)が
湖水を山背の国(やましろ・今の京都)に流すことで、
ここに肥沃な田地を創造することを計画。
国の東南部にある明神岳の頂に多くの神々を集められ、
保津峡を切り開く相談がもたれたそうです。
その時、開削一切の費用を請け負われたと云われるのが、
この社の祭神・大山咋命だったのです。
開削一切を‘請けた’→‘請田’になったとも、また湖水が流れた後、
田地が浮き出た様を見て‘浮いた’→‘請田’になったとも伝えられています。
これは神話だけの話では無く、亀岡盆地は100万年前、
巨大な湖であった事は現代地質学でも証明されています。
湖水の水が今の保津川から山背に流れたことでこの地に田地が
開けたというのはどうやら事実のようです。
実際の話はこうです。
太古の湖は、上流から流れてきた巨大な流木などが引っかかり
出口を塞いだ形で出来たもので、自然の井堰と化していました。
これを昔の統治者が、火を放って、巨大な堰を焼き払い、
湖水を山背に流した事業が、神話として伝わっと云われています。
この丹波の湖を切り開く方法として用いられた‘松明’は
今の保津の祭り「保津の火祭り」として残り、
毎年10月20日に豪快な炎を舞い上げています。
請田神社が鎮座する保津峡の入口を、保津川の船で
下られる際は是非「このあたりに巨大な流木の堰があった」
ということを想像しながら下って下さい。
太古が身近に感じることが出来き、一段と趣き深い船旅になることでしょう。
長い歴史と神話を今に演出している保津川渓谷の自然は
触れる者を太古に誘い、歴史的好奇心をくすぐります。
まさにロマンの世界が展開している、それが保津川なのです。