保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

3連休が終了!これから保津川は花の季節!

2005-03-21 18:28:42 | 船頭
今春のシーズン最初の3連休が、今日終りました。

最近、真冬のように寒い日や雨の日が続いていましたが、
この3連休の間は天気にも恵まれ、保津川下りに
とっては本当にいい条件で仕事をすることが出来ました。

連休最終日の今日も、保津川は快晴!
お客さんの出足も朝から好調で、今シーズンも
順調なスタートがきれたと喜んでいるところです。

今年の桜は少し遅れているのか、今の保津川渓谷からは
まだ桜の便りを送ることはできませんが、
梅の花やつばきの花がまだ咲いており
澄み渡った空にはえて綺麗です。

川の水量も、先日の雨に山奥の雪解け水が
合わさって安定しており、スリルのある
川下りを演出してくれています。

4月になれば保津川には山桜のほかに
ユキヤナギの花も咲き始めます。

ユキヤナギは保津峡の川岸の岩の割れ目から
枝を出し、白く小さな雪のような花を咲かします。
本当に素朴な花で、桜やもみじの様な派手さはないですが、
心和むやさしい花だと感じています。

桜やユキヤナギに限らず、保津川に生育する木々の
多くは、川が増水して木全体が川の激しい流れに洗われる
という厳しい自然環境に晒されながらも
毎年、本当に美しい花を咲かすのです。

京都には人の手により、丁寧に慈しみながら
育てられた花が各所で美しい花を咲かし、
人の心を和ましてくれています。

これらの花は本当に綺麗です。

でも水害という厳しいありのままの
自然環境の中で、非常に強い抵抗力をもって
逆境を生き抜いてきた保津川の花々。

この強い生命力が輝く美しさをもつ
保津川の花々に、一時、心を寄せてみるのもいいものです。



愛・地球博!思いは大きくグローバルに!

2005-03-20 22:18:41 | 船頭
今日は3連休のなか日、思ったよりいい天気では
なかったものの、連休の力か?保津川には
今シーズンでも最高の人出があり、盛況でした。

川の水位も昨日同様、たっぷり満ちており
激しくスリルのある川下りを楽しいで
頂いたのではないでしょうか?

それはそうと、今年の日本で最大のイベントである
「愛・地球博(愛知万博)」の内覧会が18日から
始まりましたね。

昨日はマスコミ、企業関係者と地元住民の約5万3000人が
会場に詰めかけ、目玉の一つ「リニア・モーターカー」が
重量オーバーで故障、一部のパビリオンが満員で閉鎖するなど、
内覧会ながら凄い盛況だったそうです。

さすが!万博!内覧会から予想をはるかに上回る
人気で、これが一般に開幕した時を想像すると、
一体どの様な状態になるのか?全く恐ろしいイベントです。

愛知は関西からも日帰りできる距離ということも
あり、各旅行業者のチケット販売状態も好調とのことです。

京都の観光業者たちの間には、この愛知万博が
前期の京都観光にどの様な影響を及ぼすか?
戦々恐々として情勢を見守っているところとか。

確かに今までも国内に大きな博覧会イベントが
ある年は、観光客の流れがイベントに流れ
苦戦するということが多々あったことから
観光で生きる者として、この心配も
充分理解できるところです。

しかし、今度の愛知万博はその企画や規模からして、
今までのそれとははるかに異なり、大阪万博以来の
世界規模での万国博覧会です。
その波及効果は愛知という一つの県に留まらず
日本という国全体を観光という観点でアピールできる
最大のチャンスであり、業界全てを巻き込む一大ブームメント
を起こせるチャンスでもあると思います。

欧米諸国はもとより、観光ビザが免除される台湾をはじめ、
アジア諸国からの観光客の予約も好調らしく、総理さんの掲げる
「観光立国・日本」実働の年にしていきたいものです。

元々、観光色の薄かった愛知県、名古屋市あたりには
観光施設や宿泊施設も比較的少なく、東京や関西、京都を
セットにした観光コースの企画も十分考えられることから
私達京都の者は大きな波及効果をぜひとも期待したいところです。

この世界中から多くの方が日本に訪れるであろう
「愛・地球博」が開催されるこの旬に是非とも肖りたいです。

そして、日本でも最も名所・古刹が多い京都に、
有史以来の雄大な原風景を残す保津川渓谷と
その深い渓谷を流れて行く和風船(保津川下り)の
存在を今こそ、内外にアピールする絶好の機会が
到来したと、胸躍るはっちんなのです。




今日から3連休ですね。

2005-03-19 20:58:52 | 船頭
3月もいよいよ後半に入り、学生の人などは
もう、春休みに入られているのではないでしょうか?

明日から保津川も、今シーズンが始まって最初の連休です。
人によっては今日から3連休の方も多いのではないでしょか?

天気予報によると明日以降もよい天気に
恵まれるとのことで、連休を控えよい
条件で仕事が出来ることは喜ばしい限りです。

今日の保津川も久しぶりの快晴に恵まれ
春先の気持ちの良い風を感じながら、増水した
スリルのある川下りを楽しみました。

先日からの雨で川の水量が上がっている保津川は、
波と波が激しくぶつかり、岩を噛み、岸を洗う
吸い込まれそうな激しい川に姿を変えています。
この様な時の保津川はまさに大きな生きた白竜の
如くです。

その激流の中、高波を割り、激しいしぶきを
上げながら押し下っていく保津川の船。

この醍醐味こそが日本一の川下りといわれる
保津川下りの真骨頂です。

増水時だけ、味わえる面白さ。
明日も恐らく水量は多い状態だと思います。

こんな、激しい保津川下り、
是非、体験してみてはいかがですか?






3月、別れの季節ですね。

2005-03-18 19:17:30 | 船頭の目・・・雑感・雑記
一期一会’という言葉があるように
人の出会いと別れほど不思議で
人の心に深く刻まれる出来事はないですね。

そういえば3月は卒業の季節、別れの季節ですね。
街にもそれと分かる姿をした若者を多く見かけます。

春になればまた新しい出会いが待っていると
分かっていても、この季節だけはセンチな気分に
浸っていたいものですね。

私事になりますが、我がはっちん家でも
今日、娘が幼稚園を卒園しました。

船の方は昼からの仕事になることもあり、
はっちんも子供の卒園式に出席する事ができました。

元気よくお別れの歌を歌う我が子を見てると
いつの間にこんなに大きくなったかな~と
親ながら不思議な感覚に囚われます。

この幼い子供達を見て、ふと、考えました。

そういえば、自分はもう卒業という感情を
なくして久しいという事、そしてこのようなセレモニーが
もう人生上、恐らくないという事実についてです。

学生の頃は小学校、中学校、高校、大学と
一定の期間に同じ環境の中で過ごす、多くの仲間
との出会いと別れがあります。

しかし、社会人となり、決まった範囲で
仕事と日常生活を営む中では、もう
環境が一変するような体験はなくなるものです。

だからこそ人は、この若く変化にとんだ
この時期を‘青春’と呼び、何歳になっても
その人の心をとらえてはなさないのでしょう。

改めてその事に思いをはせると、歳を
とった自分を少し寂しく思いはしますが・・・


しかし、その点では私達船頭はかなり恵まれて
いるのでは?ということも思います。

私達、保津川下りの船頭をしていると
約2時間という本当に僅かの時間ですが、
毎日、多くの出会いと別れが繰り返されています。

これは観光業に携わる者だけに与えられた
とても素敵な特権だと、今日の卒園式をみて
改めて気が付かせて頂きました。

日本中いや世界中からお越しになる多くの人々と
何か不思議な縁で、私の船に乗り合わせ、そして
僅かな時間をともにして、別れていきます。

一体、私達船頭は生涯でどれくらいの人と出会い
別れていくのだろうか?

このように考えてみると
「この仕事って、まんざら悪くはないな~」と
改めて自分の携わる仕事の魅力を
再発見させてもらったはっちんなのです。

*写真は我が娘とお世話になった先生方です。
 2年間本当に娘がお世話になりありがとうございました。

いかりや長助さん1周忌。

2005-03-17 10:00:25 | マスコミ出演
先日、昨年お亡くなりなった、いかりや長助さん1周忌
を迎え、特別番組が放映されていました。

いかりやさんといえば、「8時だよ!全員集合!」
「ドリフの大爆笑」などで長年にわたりお茶間に
笑いとで元気を届けて頂いた日本喜劇界の大御所であり
また、最近では「踊る大捜査線」で味のある老刑事役で
俳優としても新天地を開花され、これからの活躍を
嘱望されていた方としてみなさまご存知のことと思います。

このいかりやさんと私はっちんの接点はただ1度だけ、
TV朝日系毎週土曜日18時より放映されている
「人生の楽園」という番組で、はっちん達家族を
ナレーターとして紹介されて頂いた縁です。

今は西田敏行さんに代わりましたが、当時は
いかりやさんと伊藤蘭さんにのお二人が
ナレーションを担当して、番組を進めておられました。

この番組では、いかりやさんが台本や構成といった
制作段階から勢力的に拘っておられ、はっちん家族にも
いろいろ厳しい注文がいくつも求められました。

放映時間30分の撮影は、約1週間ぶっとうしで
行われ、朝から晩まで職場と我が家に撮影スタッフが
密着取材で張り付かれます。
テープも30分テープが40本以上使われます。

その中で、各カットをスタッフが30分に編集し、
約3種類ほどのデモテープを制作し、プロデューサー
いかりやさん出席のもと、プレゼンテーションにかけられ
細部に渡りチェックを入れられます。

選ばれた作品にいかりやさんは「もう少し、肉づけがほしい」と
再度、スタッフが東京よりお越しになり、足りないシーンの
撮り増しをするほどの力の入れようでした。

番組作りには、決して小さな妥協も許されなかった
といわれるいかりやさんの、仕事に対する厳しい姿勢を
垣間見せる一コマでした。

こうして出来上がったはっちんの番組は、後の視聴率調査で
あの時間帯では異例の10%を越え、放映当時でも
番組史上3位を記録したそうです。

去年の3月20日、東京青山霊園で行われた
葬儀にも行かせてもらいました。

後でスタッフの方から「いかりやさんがはっちんさんの
生き方に共感とエールを送ってられましたよ」と
教えていただき、家族一同でいかりやさんを強く偲びました。

これからまだまだ日本の芸能シーンでご活躍される
ものと思っておりましたので、早すぎる死は
残念でなりません。

はっちんはこれからもいかりやさんがくれた
笑いと元気、そして信条でもあった
我慢と粘り、諦めない心を胸に人生を歩んで
行きたいと思うのでした。

*写真は撮影の風景です。



カナダ人家族にみたマナー

2005-03-16 23:24:59 | 船頭
今日の保津川は久しぶりに春を思わせる
暖かい天気に恵まれました。

ここ数日、真冬のような天気が続き
川下りとしては最も厳しい条件での
運航となっていたので、今日は
とても気持ちよく仕事ができた感じがします。


このように川下り日和の天候ではあったものの、
今日は嵯峨野観光鉄道・トロッコ列車が
運休日ということもあり、比較的
のんびりした営業日となり、
はっちんは最終船まで、出航できなかったのですが・・・

その最終船ではっちんが感心する出来事が
あったのです。

それはカナダから来られた家族連れの
行動にありました。

そのご家族は幼児さんくらいの男の子と
小学生低学年くらいの男の子をつれた
おかあさんと友達らしき女性、日本人の男の人
の5人グループで乗船されました。

子供を除き、みんな片言の日本語が分かる様子で
こちらの説明も比較的理解して頂いたようです。

船が下っている間、お子様たちは本当に
行儀よく、静かに母親の話を聞いているようでした。

そして、船が嵐山に着き、降りられる時です。
自分達の座っていた席の下に、本当に小さな
紙くずが落ちていました。
うっかりすると、見逃してしまいそうな本当に
小さなごみです。

そのごみを見つけた母親が、もうすでに
降りている子供達になにやら小声で話し掛けています。

すると子供達はすばやく船の中に戻り、そのごみを
拾いに行ったのです。

はっちんは「もう、いいですよ。ほっといて下さい」
と話し掛けましたが、子供達は丁寧にその他の席の
ごみまで、拾っていました。

「わざわざ、すいません」というはっちんに、
お連れの日本人男性がこう仰いました。
「いえいえ、お礼には及びません、自分が遊んだ
後のごみや、自分が出したごみはどの様な場所でも
拾って持ち帰るのはカナダでは当然のことですから」と
はっきりした口調で話されたのです。

はっちん、本当に感心しました。
カナダでは、子供に公共の場での
マナーを、親がしっかり躾けされているのですね。

それはそれだけカナダの大人達が子供の見本となる
公共のマナーを身に付けているということの
表れでもあると思います。

国際社会で生きる為には、必ず必要な
マナーを、子供の時から植え付けることは
親として当たり前の教育であるという、
彼らの言葉は、はっちんも耳が痛い思いです。

本当に些細な彼らの行動でしたが、はっちんには
多くを勉強させられた出来事でした。

一昔前は「世界で最も礼節を重んじる民族」と
欧米諸国の人達に絶賛された日本も、今では
どうでしょうか?
世界が狭くなるこれからの時代には、
世界共通の最低限のマナーは必ず、
身に付ける必要性があると確信した一日でした。




嵯峨清涼寺のお松明に行って来ました!

2005-03-15 23:39:21 | シリーズ・京都を歩く
京都・嵯峨野に春を告げる嵯峨清涼寺の
「涅槃会お松明式」に行って来ました。

はっちんは黄金の輝く釈迦堂に同化するように
M-HEROの西陣織ハンティング帽子を
被り、行ってまいりました。

五山の送り火、鞍馬の火祭りと並び、京都の
三大火祭りに数えられる清涼寺のお松明は、
釈迦が入滅し、荼毘に付されたときの模様を
再現して行われる伝統儀式で、午後8時
から儀式がスタートしました。

儀式はまず、僧侶や檀家衆、町内会関係者が
拍子木を打ちながら長い竹棹に差したちょうちんを持って
境内中央に設置されたお松明・3基の周りを
3週します。
その間にお松明の横に造られた大きな護摩台に
火が灯されます。
この護摩焚きの火がお松明の火種になるのです。

僧侶のお経が流れる中、護摩焚きの火も勢いよく
燃え出し、いよいよ、お松明本体に火が点火されます。

点火は、護摩焚きの炎の中から火種となる護摩木を
取り出し、約7m以上はある長い竹棹で
お松明の上から、すべり落とします。

お松明の底に落ちた火種は最初、小さくくすぶったかと
思うと、みるみるうちに激しく燃え上がり
大きな炎の火柱を上げ出します。

勢いよく燃え上がる3基のお松明の炎が
暗い闇夜を赤々と染め出し、夜空を焦がし始めると
周囲で見物する人達から「おお~」という
大きな歓声が沸き起こりました。

しかし、ここで思わぬハプニングが!

赤々と大きな火柱を上げていたお松明の1基が
なんと!見物人目がけて倒れたのです。

その瞬間「キャー」「おお~!」という歓声とも悲鳴とも
とれる大きな声が見物客から沸き起こりました。
幸い見物客には火傷や怪我は無かったようですが
こんな事は滅多にあることではないので、
みんなビックリです。

また、勢いよく燃えていたと思っていた
お松明の1基が、中だけを燃やしただけで
焼け残ってしまいました。

この嵯峨清涼寺のお松明は、その年の
稲の豊凶を占う意味もある儀式であること
を考えると、お松明3基の内、1基は倒れ
もう1基は燃え残ったというのは
どう判断したらいいのでしょう?

今年も去年の様な、いや~な天候になるのでしょうか?
それだけはお許し頂きたいものです。

清涼寺では、今日だけ特別に本堂の無料拝観されていましたので
生身の釈迦といわれる釈迦如来像に参拝してきました。

しばらくすると江戸時代に書かれたという
釈迦入滅の姿「寝釈迦図」の前で
住職さんによる説法があり、拝聴してきました。

住職のお話の中で「釈迦の入滅される最期の教えは
『他者の羨んではならない』という事。自分の人生はただ
一つ一度しかないかけがえのないもの。他者と比較して
ならない」という教えが胸に染みました。

また、歌手の槙原敬之さんは大麻に手を出した後、
釈迦に帰依する事で立ち直れたという
エピソードも教えて頂き、その教えをもとに
書かれたヒット曲「世界でひとつだけの花」を
フルコーラスでお歌いなられたのにはビックリ!
でも毎日お経をあげられているだけあって
いい声でした。

お松明の燃え具合はいまいちでしたが、
何か心が洗われたさわやかな気持ちで
家路に着けた今年のお松明でした。

明日は嵯峨清涼寺でお松明(おたいまつ)です。

2005-03-14 23:34:34 | 京都情報
京都・嵯峨野に春をつげる嵯峨清涼寺の
涅槃会お松明式が明日3月15日に行われます。

地元では嵯峨釈迦堂と呼ばれ親しまれる清涼寺の
お松明は、入滅されたお釈迦さんを荼毘に付した
様子を再現したものといわれ、大文字、鞍馬の火祭り
とともに京都の三大火祭と呼ばれています。

本堂の前に高さ7mの逆円錐形をした大きな松明を
3基立てて、護摩木を投げ込んで点火します。

芝木と藤蔓で組み立て、中に松葉を詰めたお松明の
炎は次第に大きな火柱となって春の夜空を焦がす
壮大な火祭りです。

昔から嵯峨周辺では、このお松明の燃え具合によって、
今年の、京都の農作物の豊凶を占う儀式でもあり、
お松明式には地元の人をはじめ多くの見物客に賑わい
参道や境内には夜店も多く並びます。

清涼寺には、奈良・東大寺の学僧だった然(ちょうねん)が、
宋へ渡り密教を学んでいる際に、持ち帰った「生身の釈迦像」
が安置されています。然(ちょうねん)は
印度の優填王(うでんおう)が造ったという
釈迦の生前の姿を再現した像と出会い感動。
早速、日本に持ち帰るために同じ釈迦像を造らせた像で
国宝・釈迦如来像として今なお篤い信仰が脈々と続いています。

然は帰国後の永延元年(987)、愛宕山麓に中国五台山を再現して
清涼寺を建立することを進めますが、志半ばで没してしまいます。

その思いは弟子の盛算が引継ぎ、天慶8年(945)、既に
愛宕山麓に存在した棲霞寺の釈迦堂に、然の釈迦像を安置して
清涼寺を建立しました。

この国宝・釈迦如来像が、生身の釈迦を再現したものであること、
また昭和28年の修理の際に、仏像の胎内から衣を縫い合わせた
実物にかなり近い五臓六腑が出てきたことから
「生身の釈迦」といわれているのです。


清涼寺には、釈迦堂(本堂)の他に阿弥陀堂、
聖徳太子殿、多宝塔や4月に行われる念仏狂言の
狂言台も建ち並んでいます。

また、古くは源氏物語の主人公・源融(みなもとのとおる)が
別荘として住まいをしていた場所ともいわれることから
源融とその子昇の墓も建っているのです。

*写真は清涼寺の仁王門です。両側には十六羅漢像と金剛力士像が
 睨みを利かし、幼い頃のはっちんは恐ろしくて、この門を
 くぐれなかった思い出があります。

嵯峨清涼寺 京都市右京区嵯峨釈迦堂町藤ノ木町46
電 話:075-861-0343
バス停:嵯峨釈迦堂前
涅槃会お松明式は午後8時30分頃に点火します。
見学無料です。

雪にも負ケズ・・・保津川下り!

2005-03-13 19:34:36 | 船頭
昨日は冷たい風が吹き荒れた保津川でしたが、
今日は打って変わり、朝からすっきり晴れわたったいい天気!

しかし、これは昼過ぎまでの話でした。

昼を少し過ぎた頃からです。北の空がねずみ色に変わり
いや~な予感がする空模様になってきました。

しばらくするとその予感を確実のものとする、
冷たい風が吹き始め、遠くの山波が白く変わって
行く姿が現れ出したのです。

船の順番を待っていたはっちんは「今日もまたか!」
と思わず舌打ち。
今日中に出航できるかは微妙な順番だったのです。

その白い風景は段々、私達が待つ乗船場の方へ
じわじわと確実に近づいてきました。

空と山の一面を埋め尽くしたその白い風景に
乗船場全体が覆われ始めた時、激しい雪が
私達の頭上に降り始めたのです。

辺りの気温も一気に低下し、まさに真冬を思わせるような
天気に急展開してしまいました。

待合室でもある売店で、出航を待っていた
お客さんの表情も明らかに暗くなっているのが
分かりました。

急きょ、屋根を組み立てますが、気温の寒さは
どうしようもありません。
「さっきまでいい天気だったのに~」とお客さんの声。

ハナミズキさんが今日のコメントに書かれていた
通り、3月の中旬なのにこんなに寒い日が続くなんて
私達には残念でなりません。

でも皆様がお帰りになることなくご乗船して
下さったことは、本当に感謝いたします。

結局、雪は最終船まで降り続けました。

また、最終船には京都ニューハーフ界の老舗
梶子ママ率いる「カルシウムハウス」の方達も
団体でお乗り下さいました。

今日、ご乗船頂いた皆様、寒い中での保津川下り
ご乗船、ありがとうございました。

そして、はっちんは今日の仕事に
ありつけることができませんでした・・・







風にも負けズ、雨にも負けズ、寒さにも負けない保津川下り!

2005-03-12 19:29:55 | 船頭
10日の保津川下り春の開幕に続き、
昨日から東山界隈の街道を灯す‘花灯路’も
始まり京都の観光は春の装いを見せて
いますが、今日はどうしたことか、
真冬を思わせるさむ~い天気に!

しかも小雨と粉雪混りの冷たい雨が、
強風にあおられ吹雪くという最悪の気候に
なりました。

私達、保津川下りの乗船場にも朝から
強風にのって冷たい雨が降っていました。

開幕から以降は屋根を外した「オープン船」を
使用しているので、この寒さはこたえます。

オープン船では、雨が降るとビニール製の屋根を
組み立てお客さんに掛からないようにするのですが、
、側面はオープンなので、今日の様な横殴りの
雨はオープン保津川には大敵なのです。

でもありがたい事に、こんな悪天候にも拘らず、
20隻以上の船が流れるほどのお客さんが
来て頂きました。本当に感謝しております。

こんな日は私達船頭も、お乗り頂いたお客さんに
出来るだけ寒さを感じさせないように、
色んなお話をさせていただきます。

時には歴史を語り、時にはお笑い芸人に
なったつもりでトークを練ります。

沈黙と退屈感が一番寒さを引き立てるのを知っているので
ネタを切らさず披露して、笑ってもらい心だけでも
暖かくなってもらいたいという気持ちで接しています。

だから船が嵐山の着船場に着き
お帰り頂く時に「楽しかったです!」と
笑顔で一言頂くとほっとするとともに
本当に嬉しい気分になります。

生の自然環境には色々な日があり、
色んな姿を現します。
それらを全て受け入れ、生の自然を体感する
のが私達の保津川下りです。

こんな体験的な観光業ですが
これからもよろしくお願いします。

*写真は今日の保津川下り・雨用スタイルです。