草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

自由な論争が許されない社会は牢獄だ

2025年03月07日 | 思想家
 ロシアボリシェヴィキの歴史的な実験が失敗したのは、レーニンやトロッキーが自由な論争を許さなかったからである。このことに断固反対したのはローザ・ルクセンブルクであった。僕がマルクス主義の信奉者にならなかったのは、革命後のロシアが牢獄と化し、言論の自由をロシアボリシェヴィキが踏みにじったからにほかならない。
 マルクス主義者でもあった彼女は、公然とレーニンとトロッキーを批判し「普通選挙、無制限な出版・集会の自由、自由な論争がなければ、あらゆる公的な制度の中の生活は萎(な)え凋(しぼ)み、偽りの生活になり、そこには官僚制だけが唯一の活動的な要素として残ることになろう。公共の生活は次第に眠り込み、無限のエネルギーと限りない理想主義をもった数十人の党指導者が指令し、統治し、現実にはその中の十人くらいの傑出した首脳たちが指導し、労働者のエリートたちが指導者たちの演説に拍手を送り、提出された決議案を満場一致で承認するために、時折会議に招集される、ということになろう」(『ロシア革命のために』伊藤成彦・丸山敬一訳)と書いたのである。
 ローザはプロレタリア独裁の本当の意味を理解していないことに、苛立ちを覚えたのだった。「この独裁は階級の仕事であって、階級の名の下に少数の指導者が行うべきものではない。つまり、それは大衆の積極的な参加から一歩一歩生まれ、大衆の直接的な影響下にあり、全講習の統制をうけ、人民大衆の政治的習練のたかまりの中から生まれてくるものでなければならない」(「同」)と断じたのである。
  だからこそ僕は、右左を問わずあらゆる言論弾圧に反対し「普通選挙、無制限な出版・集会の自由、自由な論争」を守り抜こうとする気持ちは、誰にも引けを取らない。どんな人間も絶対ではない。絶えず真理の途上にある。他者との自由な討論を通じて、それを追い求めねばならないのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ネット言論を正常化するため... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思想家」カテゴリの最新記事