現憲法を改正することなくして、本当の意味での日本の戦後は終わらない。今日は憲法記念日であるが、まずは現憲法の成り立ちを理解しなくてはならない。それを教えてくれるのは、葦津珍彦の『近代民主主義の復活』である。大東亜戦争で日本が敗れ、ポツダム宣言を受諾した。そこには「日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし」と明記されていた。日本側はそれを甘く考えていた。明治の民権運動や大正デモクラシーの再評価ですむと思っていた。しかし、アメリカは日本の国体を否定するために、昭和20年8月15日の敗戦の二ヶ月後には憲法改正を指示してきたのである。当時の日本の憲法学者のほとんどは異議を唱えた。天皇機関説で槍玉にあがった美濃部達吉ですら、解釈と運用によって「民主主義の復活強化は可能」との見解であった。宮沢俊義なども同じ意見であった。宮沢の変節はあくまでも占領軍に媚びた結果なのである。アメリカは征服者として日本の解体を目論んだのである。それに先立って100万人もの人間が公職から追放された。新たな憲法を定着させるために「旧敵国日本国に忠誠なるものを一掃し、ともかくも連合国に従順をつかうもののみで、あらゆる機構を独占させることにした」のであった。葦津は「この連合国による日本社会の人的構造の変革は、世の並みの革命に劣らないほどの急激さと、スケールの大きさを示した」と書いている。戦後言論とはそれがベースになっているのであり、そうした「さかしらなマスコミ」とネットが立ち向かうようになったのは、日本人が日本人としての歴史と誇りを取り戻しつつあるからなのである。
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