攻めてくる国があるのに目そむけ
安倍さんをけなすだけで対案なし
独裁の国(中共)にペコペコマスコミは
血を流す覚悟がなくて人頼み
団塊のドグマが消えずば国滅ぶ
ウイグルやチベットを見ず能天気
殴られて頬出す勇気ないくせに
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攻めてくる国があるのに目そむけ
安倍さんをけなすだけで対案なし
独裁の国(中共)にペコペコマスコミは
血を流す覚悟がなくて人頼み
団塊のドグマが消えずば国滅ぶ
ウイグルやチベットを見ず能天気
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柳田國男を理解する上には橋川文三、鶴見俊輔、花田清輝らの文章が手がかりを与えてくれるが、最近では宇野邦一の『反歴史論』が大いに参考になった。柳田の民俗学の特徴を「王者の伝記や戦記からなる強い歴史に対して、彼は、出来事には乏しく、無名なものが綿々と織りつづける弱い歴史に注目するのだ(たとえば彼は『明治大正史 世相篇』を、一つも固有名詞をあげることなく書こうとした)。英雄や戦争や占領や略奪をめぐる男性の歴史ではなく、むしろ平和の中でのさまざまな生活の知恵について、衣服や農耕や祭りや葬式について、とりわけ女性がしめる領域についての歴史を書こうとする」。さらに、柳田の特異な文体についても触れている。「無数の資料と口碑の間をさまよいながら、決して構造主義のような図式によって民俗を分析するのではなく、膨大な文献と口承の記憶を勘で結びつつ、因果の糸を描きだしていく。それがほとんど職人芸のような柳田独自の物語の技術(文体)でしるされて」。宇野がすごいのは「物語を収集しつつ、もう一度語りなおす反復そのものによって実践されなければならなかった」に点にも目を向けたことである。柳田民俗学を解読することを通して、日本人の物語の本質が見えてくるからである。、私たちの保守主義は民衆レベルでの日本人の物語の復権であり、そのエッセンスは柳田民俗学なのである。その中心のテーマは日本人の土俗的な信仰心であり、魂の行方であることはいうまでもないが。
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