今香港で起きている革命は指導者のいない革命である。だからこそ、習近平の中共指導部であっても、簡単に叩き潰すことはできないのである。2014年の雨傘革命の指導者であったアグネス・チョウの指示で動いているのではない。SNSを通じての自然発生的なデモが中心なのである▼アグネス・チョウが山本太郎と交流があるからという理由で、日本の保守派の一部には、香港の民衆を色眼鏡で見る人たちがいる。しかし、彼女の影響力は限られており、民衆は先に先にへと突き進んでいるのである。1989年に自由を取り戻した東ヨーロッパもそうであった。当初はポーランドの連帯のように、新しい社会主義を目指す運動であったが、民衆がそれを乗り越え共産主義独裁体制を倒したのである▼吉本隆明は『擬制の終焉』において「安保闘争のなかでもっとも貴重だったのはいかなる既成の指導部をものりこえてしまい、いかなる指導部をも波濤のなかに埋めてしまうような学生と大衆との自然成長的な大衆行動の渦であった」と書いている。私たち日本人は「香港に栄光あれ」の歌で自らを励ましている人たちの後ろ盾にならなくてはならない。香港の民衆がアメリカ領事館の前で星条旗を掲げてデモをしたのは、それだけ追い詰められているからである。どこに助けを求めるべきかを分かっているのだ。香港が共産主義者の手に落ちれば次は台湾であり、我が国も対岸の火事ではいられないのである。
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例えば、「一人の王妃が死んだことについて、服喪を一年間にするか、三年間にするか、天下国家を論ずる大儒・名儒といった儒学者の重鎮が、飽きもせずに延々と十数年の歳月をかけ、こうすべきであるとか、ああすべきであるとかを命をかけて闘い、最終的には、国王の鶴の一声で決着すると、敗者に待っていたものは、刑場行きと流刑ばかりであった。たとえば、東人党首、李潑は、捕らえられ拷問死の後、弟と老母、息子たちは杖死、婿、孫たちは圧死、奴婢(奴隷)全員が厳罰に処せられた」(同書)のである。
それだけではない。「一旦悪人と断罪されれば死んだ後でも、非難を免れることを許さない。全ての人間の善悪を明確にし、当人だけでなく、子孫にも永遠にその結果を及ぼすのが中国・朝鮮のような本場の儒教の考え方である。それと同時に、『水に落ちた犬を叩く』という言葉が示すように、一旦権力の座から落ちたものは、過去の罪が容赦なく暴かれ、とことん弾劾されるのが朝鮮の伝統でもある。(引用者注:だから「戦犯日本は永遠に謝罪せよ」となる)
最近の例で言えば、韓国併合時に日本政府に協力した李完用は戦後、親日反民族の元凶としてやり玉に挙がっただけでなく、死亡後80年たった2005年に親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法で、子孫の土地が国家に没収された。」(『本当に悲惨な朝鮮史』)
「韓国の憲法第13条は、次のように規定しています。
1.すべての国民は、行為時の法律により犯罪を構成しない行為により訴追されず、同一犯罪に対して重ねて処罰されない。
2.すべての国民は、遡及立法により参政権の制限を受け、又は財産権を剥奪されない。
3.すべての国民は、自己の行為ではない親族の行為により、不利益な処遇を受けない。
ところが、憲法裁判所はこの憲法の規定に反して作られた『新日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法』を合憲とする決定(2011年3月31日)を出しています。」
「つまり韓国には、『国法』に優先する“国民情緒法”と称すべき超越的な法が事実上存在するということです。(中略)これは簡単に言えば、『国民情緒に合致するものなら、司法はあらゆる実定法に拘束されない判断を下せる』という、民主国家にあるまじき超越的な法規の考えが、韓国には厳然たる不文律としてあるのです。(中略)韓国の歴代民主政権は、明らかに『国民主権』の意味をはき違えているのです。」(『北朝鮮化する韓国』)