今日は憂国忌である。三島由紀夫と森田必勝の義挙など、知らない人たちが大半ではないだろうか。三島と森田が市ヶ谷で死んで見せたのは、不甲斐ない戦後日本を許せなかったからである。文学者として行動ではなく、已むにやまれぬ日本人として立ち上がったのである。
東アジアで戦争の危機が高まっている。そこで問題になってくるのは、自衛隊は誰の指揮で動くかである。三島が憲法改正を訴えたのは、自衛隊がアメリカの傭兵となることを恐れたからだ。
三島は「自衛隊の最終指揮権がどこにあるのか、いま左右両翼とも心配している。総理大臣なのか、それともアメリカなのか‥‥‥。六〇年安保のとき、岸首相の出動要請に自衛隊はオイソレと乗らなかったんだよ。いったい最終的には誰の命令によって動くのかわからない。(形式的には首相だが)そこが一番、国民にとって自衛隊にとっても損なところだ」(『若きサムライのために』)と書いたのだった。
苦肉の策として三島は、自衛隊は国土防衛軍と国連警察予備軍の二つにすることを主張した。前者は「われわれを守りために作る軍隊だ。アメリカのための軍隊じゃない」と位置付けた。
我が国が危機に直面しつつあるのは、そうした大事なことが先送りされてきたからだ。三島を「狂人」と罵った者たちは、何らの責任も果たさず、今日の事態を招いてしまったのである。