美登利の寿司
「すしの美登利」(本店・梅ヶ丘)が渋谷のマークシティーに出店しております。いつも長い行列が出来ています。店前に人数を入力すると整理番号付きの予約券が発券する機械があります。外国人などは戸惑っておりお店の人にやり方を教えてもらっております。
この日は午後4時頃であまり並んでなく発券すると3番目となっていました。カウンター席に座りましたが両脇とも外国人で注文はメニューを指さしておりました。
握り寿司とホヤ酢を注文しました。とても美味しく食べました。カウンター席の良いことは中で調理している人の動作がよく見えることです。寿司を握る動作やメニューの食品を手際よく作ることと料理をした後の片付ける仕草が日本の食文化の高さを表していることです。
友人の白鳥智佐子さんが出演をしております。
白鳥智佐子さんは、和服姿で①「忘れちゃいやヨ」(昭和11年 最上洋作詞 細田義勝作曲 渡辺はまこ歌手)と洋装姿では②「鐘の鳴る丘」(昭和24年 菊田一夫作詞 小関裕而作曲 松田敏子歌手)の二曲を歌っていました。
とても落ち着いた様子で歌うことを楽しんでいるようでした。毎年出演していることもあり、とても上手に歌を披露しておりました。
特別ゲストは、プロ歌手の出雲光一さん(徳間ジャパン)で、NHKのど自慢チャンピオン大会でグランドチャンピオンを受賞したことで、プロの道に進んで活躍中です。
今回4曲披露してくれました。①「イヨマンテの夜」(昭和25年 菊田一夫作詞 小関裕而作曲 伊藤久男歌手)、②「出雲の女よ」(平成26年 冬木夏樹作詞 弦哲也作曲 出雲光一歌手のオリジナル曲)、③「激唱~青函トンネル」(昭和60年 星野哲郎作詞 船村徹作曲 北島三郎歌手)、④「俵星玄蕃(元禄名槍譜)」(昭和39年 北村桃児作詞 長野義司作曲 三波春夫歌手」
最後の「俵星玄蕃」の歌は、歌謡あり、浪曲あり、台詞ありでとても長い唄を素晴らしい歌唱で観客を魅了しておりました。
今年は昭和100年となります。平成を通り令和の時代となっても自分たちの世代には昭和歌謡がとても馴染みがあり合っているように感じました。
「鐘の鳴る丘」を歌う白鳥智佐子さん 「昭和歌謡を楽しむ会」
ゲストは出雲光一プロ(徳間ジャパン) 出雲光一氏プロフィール
観客は総勢47名(大人32名、子供15名)で応募してきた人たちです。
前半は自分が担当して、白いハンカチから赤いシルクが出現してまた消えるサムチップ、宝くじが百万円に変身、空の袋からフラワーボックスが3箱出現、巳年にちなみヘビが一匹から六匹まで増加、12匹の動物から子供さんが選んだ動物当て、三枚カード、文字を半分隠して「何って読む」、二本のロープに赤、黄色、青色のシルクを結び付けてロープを引っ張るとシルク3枚が上方へ飛び跳ねる神田祭を行いました。動物当ては5歳の女の子が出演をしてくれて会場内とても盛り上がりました。
古賀輝行氏は、鳩に関する演目で鳩シルク、鳩サブレの出現、回転消失箱から白い鳩が出現するなど、話術巧みに演じておりました。一枚のボードにオレンジジュースの絵が描かれてあるものを身体の後に回して元に戻ると「別のジュース」に次々に変わっていく変化ボード、黒いレコード盤にカラーシルクを通すとその色のレコードに変化するシルクセレナーデ、紙テープが次々に出てくる出現ものはダイナミックでした。
マジック演技の後は、赤鬼と青鬼が会場内に入り込んできて子供たちは豆の代わりにプラボールを投げつけて鬼を追い出していました。子供たちがいると会場内がとても賑やかで明かるくなるので楽しい「節分まつり」でした。
フラワーボックスの出現 節分まつりの案内
シルクセレナーデ 赤鬼と青鬼を皆で追い出す
初めに参加者がどのような社会活動をしているか、マジックに興味を持ったかについて話をしてもらいました。
研修は「指」をテーマに行いました。
①左手を開いて、親指に右手の人差し指を当て、一つずつ5つ動きます。左右どちらに動いても構わない。それから自分の名前を動かす事を二回行い、最後に小指の方へ2つ動かすと必ず薬指に到達する。
②左手の薬指を関節から曲げて他の指はテーブルにしっかりと押し付ける。小指、中指、人差し指、親指を順番に持ち上げてテーブルから引き離す。これは全部できる。次に中指を関節から曲げて他の指をテーブルにしっかりと押し付ける。今度は小指、人差し指、親指はテーブルから引き離すことができるが、薬指だけはテーブルから離すことができない。
③左手の人差し指と中指にゴムバンド1本を掛ける。さらに別のもう1本のゴムバンドを4本の指の先の関節あたりに最初のゴムバンドがはずれないための柵を作る。手を握りふたたび開くとゴムバンドは薬指と小指に移動している。
手の指だけでいろいろの動作が出来るので不思議さが表出されます。
宝暦年代のころ(1751年~1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に閻魔大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴女に差し上げよう」と言われたそうです。満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。
このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。
おとぎの国や牧場などのミニチュアが設置されています。
階段のスロープの空間を活用しているので見ながらゆっくりと昇っていけます。
「池さんぽ」の楽しみが増えております。
洋食レストラン「たいめいけんのオムライス」
日本橋の洋食レストラン「たいめいけん」は昭和6年に創業されました。現在3代目の茂出木浩司氏が経営しております。
ランチは午前11時開店。1階は女性客が多く、2階はサラリーマンや男性のグループが多いようです。店内はとてもレトロでモダンな落ち着いた雰囲気でゆったりと寛げるスペース空間です。
たいめいけんの名物である「オムライス」をオーダーしました。シックな皿に盛られて上手に玉子で包まれたオムライスに特製のケチャップをかけると黄色のうえに赤く映えて食欲が増してきます。料理を創った人の様子が伺われるようです。とても美味しくいただきました。
お店を出る時には入店を待つ人の列が長く並んでいました。
音羽界隈を散策しました。
護国寺の観音堂(本堂)は、元禄10年(1697)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が挙げられた。
また元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一のものと賞され、しかも震災・戦災と二度の大災害にも襲われながら姿も変えず、江戸の面影を今に伝えており安らぎの場として親しまれているところです。境内の松の木の枝がきれいに裁断されています。鐘楼もあります。大仏もあります。富士塚もあり登ってきました。
桂昌殿は、葬儀等で使用されることが多いです。躰道仲間のロック歌手の尾崎豊さんが亡くなった時もこの桂昌殿で通夜、葬儀告別式が行われ参列しました。その日は雨が降っており護国寺の周りには多くの若者たちが集まり尾崎豊との別れを悲しんでいる姿を思い出します。
音羽通りには、出版社の講談社があります。その前には豆大福で有名な和菓子の群林堂があります。江戸川橋の方へ向かうと鳩山会館が高台にあり、門のところからスロープに登っていく道があります。別称として鳩山御殿の呼ばれております。
関口フランスパン
音羽通りの目白新坂下交叉点から目白通りを入り、首都高速道路の下を通過すると左側に「関口パン」のお店が見えてきます。日本における本格派フランスパンの誕生として話題のところです。
関口フランスパンは、明治の中期フランス人宣教師際によって製パン技術を伝えられて以来の変わらない製法と独自の風味を関口、目白台、音羽に住む高級住宅地の人たちに好まれて発展をしてきました。
フランスパンは、生地を低温冷蔵長時間醗酵させることにより風味が一層引き立ちます。
店内には喫茶コーナーもあり、そこで人気なものがビーフカレードーナツです。贅沢なスパイス香る本格ビーフカレーをたっぷりと包み込んだ奥深い味わいがあります。
珈琲とカレードーナツを美味しく味わい、本格フランスパンを購入してお店を後にしました。
第1部は芝居「俺たちはダディじゃねえ!」 1950年代のアメリカが舞台。
ポールはパイロット。リッキーはコメディ俳優。ロックは大リーガー選手。
3人の前にウォルターという男が現れた。ルーシーという若い女は、ポップスの大スターアマンダの娘だという。「君たち3人のうち誰かがルーシーの父親に間違いないんだ!」と話す。3人は身に覚えのあるような、ないような・・・。 コメディタッチの面白い芝居となっていました。歌も入りミュージカルな場面も多くあり楽しめました。アマンダ役の小林綾子は流石うまい女優であります。歌も踊りも上手にこなして貫禄があります。
第2部は純烈コンサート2025「BIG♨LOVE」の歌謡ショーです。
台湾の盛り場の夜景が舞台全体に設置された迫力のある豪華なステージの中で、 純烈のおなじみのヒット曲から最新曲までたっぷりと魅力を発揮していました。圧倒的な女性観客のペンライトが純烈の歌にあわせて左右に揺れ動いています。客席に降りて歌う時のみ写真撮影が出来るので、盛り上がっています。歌いながら来場者に握手をして回るので皆さん喜んでおりました。
純烈ファンの女性たちが大勢来場していて、歌謡に魅されて歓声を上げておりました。
純烈は、スーパー温泉のステージから出発して、苦労しながらも精進を重ねて、今では明治座の新春公演を行うところまできました。基礎がしっかりしていて歌も上手なところがあり、多くのファンから応援をされていることは素晴らしいことです。
幕間に食べた「純烈おせち弁当」がとても美味しかったです。
スクリーンも活用豪華なステージ 観客と握手をする岩永浩昭
豪華な「純烈おせち弁当」 純烈おせちの案内
石窯パン工房「グーテ・ルブレ」
勝どき付近を散歩していたら、石窯パン工房グーテ・ルブレの看板が目に入りました。美味しいパンを求めてお店に入りました。
グーテ・ルブレ(GOUTER LE BLE)という店名はフランス語で、「Gouter=遊ぶ、戯れる」・「Le Ble=小麦」 小麦と遊ぶようにいろいろなパンを作り上げていくというような意味になります。パンの材料では欠かせない、小麦と仲良くなりおいしいパンを作りたいという気持ちから命名されました。
パン職人の楽しみながら「おいしくなあれ」という気持ちを込めて作っており、それが味・形にも影響すると考えているからです。
第1回全日本躰道選手権大会のプログラム
この写真は、第1回全日本躰道選手権大会のプログラムの表紙を飾ったものです。
東京国際大学躰道部の創設者である第一期生同期の原透氏と演武をした時のものです。大学3年の時、祝嶺正献最高師範が大学に直接指導に来られた時に、最高師範自らカメラを取り出して写真を撮影したものです。
上空に飛び上がり運体飛燕蹴り突きの技を演じているところの写真であります。シャッターチャンスもよく、この写真は祝嶺正献最高師範も大変気に入って、第1回全日本躰道選手権大会のプログラムの表紙と大会ポスターに掲載されたものです。
昭和42年(1967年)11月19日(日)は、町田市民体育会館で第1回全日本躰道選手権大会が開催されました。当日は冷たい雨が降っていました。
プログラムの中の特別演武では、作家の川内康範氏が躰道の攻防演武を披露していました。