つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

(思い出)三和会懇談会

2025年02月07日 | 友人
 秋本和治氏、池内和彦、高橋和夫氏(季膳房にて)

 武蔵野第三中学校時代の親しい仲間が久し振りに集まって懇談の場を設けた。秋本和治さん(通称秋さん)、高橋和夫さん(旧姓・川辺。通称なべさん)、池内和彦(通称池さん)。3人とも名前に「和」があるので、「三和会」と命名した。

 秋さんの住所が途中から分からなくなって音信が途絶えていた。先日、高橋和夫さんのところを尋ねて、秋さんの住所を知り得ることとなった。3人で会おうよ、と秋さんへ手紙を出したらすぐケータイに連絡があった。

 新宿駅西口交番前で待ち合わせ、予約してあった三井新宿ビル内の「季膳房」に到着。雪山店長は奥の展望の良い席を用意してくれていた。

 まずは互いの現在の活動状況について報告がされた。それからは中学時代のこと、教師や同期生のことの情報交換。あっという間に中学時代の仲間に戻っていた。3人とも元気に生活できているので今回一堂に会することが出来た。
これからは定期的に会って懇談の場を重ねて情報を交換していこうとなった。
雰囲気の良いお店で、店長の対応も良く、楽しいひとときを過ごすことが出来た。(2009年4月2日)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すしの美登利」

2025年02月06日 | 飲食店

 美登利の寿司

 「すしの美登利」(本店・梅ヶ丘)が渋谷のマークシティーに出店しております。いつも長い行列が出来ています。店前に人数を入力すると整理番号付きの予約券が発券する機械があります。外国人などは戸惑っておりお店の人にやり方を教えてもらっております。

   この日は午後4時頃であまり並んでなく発券すると3番目となっていました。カウンター席に座りましたが両脇とも外国人で注文はメニューを指さしておりました。

 握り寿司とホヤ酢を注文しました。とても美味しく食べました。カウンター席の良いことは中で調理している人の動作がよく見えることです。寿司を握る動作やメニューの食品を手際よく作ることと料理をした後の片付ける仕草が日本の食文化の高さを表していることです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和歌謡を楽しむ会

2025年02月05日 | 芸能
 昭和100年を祝して「昭和歌謡を楽しむ会」(主催:東京ラジオ歌謡を歌う会)を北とぴあホールで観覧しました。

 友人の白鳥智佐子さんが出演をしております。
 白鳥智佐子さんは、和服姿で①「忘れちゃいやヨ」(昭和11年 最上洋作詞 細田義勝作曲 渡辺はまこ歌手)と洋装姿では②「鐘の鳴る丘」(昭和24年 菊田一夫作詞 小関裕而作曲 松田敏子歌手)の二曲を歌っていました。
 とても落ち着いた様子で歌うことを楽しんでいるようでした。毎年出演していることもあり、とても上手に歌を披露しておりました。

 特別ゲストは、プロ歌手の出雲光一さん(徳間ジャパン)で、NHKのど自慢チャンピオン大会でグランドチャンピオンを受賞したことで、プロの道に進んで活躍中です。
 今回4曲披露してくれました。①「イヨマンテの夜」(昭和25年 菊田一夫作詞 小関裕而作曲 伊藤久男歌手)、②「出雲の女よ」(平成26年 冬木夏樹作詞 弦哲也作曲 出雲光一歌手のオリジナル曲)、③「激唱~青函トンネル」(昭和60年 星野哲郎作詞 船村徹作曲 北島三郎歌手)、④「俵星玄蕃(元禄名槍譜)」(昭和39年 北村桃児作詞 長野義司作曲 三波春夫歌手」
 最後の「俵星玄蕃」の歌は、歌謡あり、浪曲あり、台詞ありでとても長い唄を素晴らしい歌唱で観客を魅了しておりました。

 今年は昭和100年となります。平成を通り令和の時代となっても自分たちの世代には昭和歌謡がとても馴染みがあり合っているように感じました。

 
「鐘の鳴る丘」を歌う白鳥智佐子さん      「昭和歌謡を楽しむ会」

 
ゲストは出雲光一プロ(徳間ジャパン)     出雲光一氏プロフィール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真性寺の地蔵尊

2025年02月04日 | 名所

  真性寺の地蔵尊

 巣鴨のとげぬき地蔵通りの入り口のところに真性寺があります。

 境内には大きな「地蔵尊」が設置されています。

 正徳年(1714年)に造られた、江戸六地蔵の3番目。
 頭部は前後に、体部は15個の部材に分けて鋳造し、鋳掛けや鋲止めなどで接合しています。
 別々に鋳造した部材同士を組み上げる技法は、江戸時代の大型像によく見られ、像の制作や運搬の労力を減らすことが出来る合理的で優れた技法であります

 毎年6月24日には、江戸六地蔵の供養のために「百万遍大数珠供養」が行われています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

区民ひろば仰高「節分まつり」

2025年02月03日 | TAMC
 豊島区民ひろば仰高の「節分まつり」でマジックを披露してきました。
 観客は総勢47名(大人32名、子供15名)で応募してきた人たちです。
  
 TAMCの古賀輝行会員と二人で30分間のマジック演技です。
 前半は自分が担当して、白いハンカチから赤いシルクが出現してまた消えるサムチップ、宝くじが百万円に変身、空の袋からフラワーボックスが3箱出現、巳年にちなみヘビが一匹から六匹まで増加、12匹の動物から子供さんが選んだ動物当て、三枚カード、文字を半分隠して「何って読む」、二本のロープに赤、黄色、青色のシルクを結び付けてロープを引っ張るとシルク3枚が上方へ飛び跳ねる神田祭を行いました。動物当ては5歳の女の子が出演をしてくれて会場内とても盛り上がりました。

 古賀輝行氏は、鳩に関する演目で鳩シルク、鳩サブレの出現、回転消失箱から白い鳩が出現するなど、話術巧みに演じておりました。一枚のボードにオレンジジュースの絵が描かれてあるものを身体の後に回して元に戻ると「別のジュース」に次々に変わっていく変化ボード、黒いレコード盤にカラーシルクを通すとその色のレコードに変化するシルクセレナーデ、紙テープが次々に出てくる出現ものはダイナミックでした。

 マジック演技の後は、赤鬼と青鬼が会場内に入り込んできて子供たちは豆の代わりにプラボールを投げつけて鬼を追い出していました。子供たちがいると会場内がとても賑やかで明かるくなるので楽しい「節分まつり」でした。


  
フラワーボックスの出現               節分まつりの案内

  
シルクセレナーデ              赤鬼と青鬼を皆で追い出す
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マジック教室(2月)

2025年02月02日 | マジック
 2月のマジック教室は5名が参加しました。

 初めに参加者がどのような社会活動をしているか、マジックに興味を持ったかについて話をしてもらいました。

 研修は「指」をテーマに行いました。
 ①左手を開いて、親指に右手の人差し指を当て、一つずつ5つ動きます。左右どちらに動いても構わない。それから自分の名前を動かす事を二回行い、最後に小指の方へ2つ動かすと必ず薬指に到達する。
 ②左手の薬指を関節から曲げて他の指はテーブルにしっかりと押し付ける。小指、中指、人差し指、親指を順番に持ち上げてテーブルから引き離す。これは全部できる。次に中指を関節から曲げて他の指をテーブルにしっかりと押し付ける。今度は小指、人差し指、親指はテーブルから引き離すことができるが、薬指だけはテーブルから離すことができない。
 ③左手の人差し指と中指にゴムバンド1本を掛ける。さらに別のもう1本のゴムバンドを4本の指の先の関節あたりに最初のゴムバンドがはずれないための柵を作る。手を握りふたたび開くとゴムバンドは薬指と小指に移動している。
 ④最後は右手を利用して3枚の同じ数字カードを4枚に見せる。裏返しにしても3枚の同じ色のカードを4枚に数えてみせる。さらにカードを一枚入れ替えると別の数字カードと裏の異なった色でも4枚に数えてみせる。指先のテクニックで面白い現象が表現できる。
 手の指だけでいろいろの動作が出来るので不思議さが表出されます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

源覚寺のこんにゃく閻魔

2025年02月01日 | 名所
 こんにゃく閻魔の源覚寺本堂

 東京メトロ丸の内線の後楽園駅から徒歩5分のところに源覚寺があります。
 この寺にはこんにゃく閻魔が奉られております。

 源覚寺の閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。それにはこんな言い伝えがあります。
 宝暦年代のころ(1751年~1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に閻魔大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴女に差し上げよう」と言われたそうです。満願の日に、老婆の目は治りました。

 以来、大王の右目は盲目となりました。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。
 
 このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンシャインシティのスペイン階段

2025年01月31日 | 豊島区
 サンシャインシティのスペイン階段

 池袋のサンシャインシティにあるスペイン階段のスペースがユニークに飾られていて面白いです。
 おとぎの国や牧場などのミニチュアが設置されています。
 階段のスロープの空間を活用しているので見ながらゆっくりと昇っていけます。
 「池さんぽ」の楽しみが増えております。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たいめいけんの「オムライス」

2025年01月30日 | 飲食店

 洋食レストラン「たいめいけんのオムライス」

 日本橋の洋食レストラン「たいめいけん」は昭和6年に創業されました。現在3代目の茂出木浩司氏が経営しております。


 ランチは午前11時開店。1階は女性客が多く、2階はサラリーマンや男性のグループが多いようです。店内はとてもレトロでモダンな落ち着いた雰囲気でゆったりと寛げるスペース空間です。
 

 たいめいけんの名物である「オムライス」をオーダーしました。シックな皿に盛られて上手に玉子で包まれたオムライスに特製のケチャップをかけると黄色のうえに赤く映えて食欲が増してきます。料理を創った人の様子が伺われるようです。とても美味しくいただきました。

 お店を出る時には入店を待つ人の列が長く並んでいました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音羽界隈を散策

2025年01月29日 | 池さんぽ

 音羽界隈を散策しました。
 護国寺の観音堂(本堂)は、元禄10年(1697)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が挙げられた。
 また元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一のものと賞され、しかも震災・戦災と二度の大災害にも襲われながら姿も変えず、江戸の面影を今に伝えており安らぎの場として親しまれているところです。境内の松の木の枝がきれいに裁断されています。鐘楼もあります。大仏もあります。富士塚もあり登ってきました。

 桂昌殿は、葬儀等で使用されることが多いです。躰道仲間のロック歌手の尾崎豊さんが亡くなった時もこの桂昌殿で通夜、葬儀告別式が行われ参列しました。その日は雨が降っており護国寺の周りには多くの若者たちが集まり尾崎豊との別れを悲しんでいる姿を思い出します。

 音羽通りには、出版社の講談社があります。その前には豆大福で有名な和菓子の群林堂があります。江戸川橋の方へ向かうと鳩山会館が高台にあり、門のところからスロープに登っていく道があります。別称として鳩山御殿の呼ばれております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関口フランスパン

2025年01月28日 | 店舗

 関口フランスパン

 音羽通りの目白新坂下交叉点から目白通りを入り、首都高速道路の下を通過すると左側に「関口パン」のお店が見えてきます。日本における本格派フランスパンの誕生として話題のところです。
 関口フランスパンは、明治の中期フランス人宣教師際によって製パン技術を伝えられて以来の変わらない製法と独自の風味を関口、目白台、音羽に住む高級住宅地の人たちに好まれて発展をしてきました。
 フランスパンは、生地を低温冷蔵長時間醗酵させることにより風味が一層引き立ちます。


 店内には喫茶コーナーもあり、そこで人気なものがビーフカレードーナツです。贅沢なスパイス香る本格ビーフカレーをたっぷりと包み込んだ奥深い味わいがあります。
 

 珈琲とカレードーナツを美味しく味わい、本格フランスパンを購入してお店を後にしました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治座新春・純烈公演

2025年01月27日 | 芸能
 明治座の新春「純烈公演」を友人の幸崎智行さんと一緒に観覧しました。

 第1部は芝居「俺たちはダディじゃねえ!」 1950年代のアメリカが舞台。
 ポールはパイロット。リッキーはコメディ俳優。ロックは大リーガー選手。 
 3人の前にウォルターという男が現れた。ルーシーという若い女は、ポップスの大スターアマンダの娘だという。「君たち3人のうち誰かがルーシーの父親に間違いないんだ!」と話す。3人は身に覚えのあるような、ないような・・・。 コメディタッチの面白い芝居となっていました。歌も入りミュージカルな場面も多くあり楽しめました。アマンダ役の小林綾子は流石うまい女優であります。歌も踊りも上手にこなして貫禄があります。

 第2部は純烈コンサート2025「BIG♨LOVE」の歌謡ショーです。
 台湾の盛り場の夜景が舞台全体に設置された迫力のある豪華なステージの中で、 純烈のおなじみのヒット曲から最新曲までたっぷりと魅力を発揮していました。圧倒的な女性観客のペンライトが純烈の歌にあわせて左右に揺れ動いています。客席に降りて歌う時のみ写真撮影が出来るので、盛り上がっています。歌いながら来場者に握手をして回るので皆さん喜んでおりました。
 純烈ファンの女性たちが大勢来場していて、歌謡に魅されて歓声を上げておりました。
 
 純烈は、スーパー温泉のステージから出発して、苦労しながらも精進を重ねて、今では明治座の新春公演を行うところまできました。基礎がしっかりしていて歌も上手なところがあり、多くのファンから応援をされていることは素晴らしいことです。

 幕間に食べた「純烈おせち弁当」がとても美味しかったです。

  
スクリーンも活用豪華なステージ     観客と握手をする岩永浩昭

  
豪華な「純烈おせち弁当」            純烈おせちの案内

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本有三記念館

2025年01月26日 | 文化
山本有三記念館への地図

 私の好きな小説家に山本有三がいる。中学校の時に図書館から山本有三の本を借りて読んだ。「波」「女の一生」「真実一路」そして「路傍の石」等々。
 特に「路傍の石」は映画でも鑑賞した。呉服商にでっち奉公に出ていたときの模様を小説にしている。逆境に耐えて光明を求め成長する人間をよく描いた。山本有三は、栃木県栃木市で生まれた。小江戸と呼ばれる栃木市に山本有三記念館がある。

 「山本有三記念館」が三鷹市にも存在する。私は武蔵野市吉祥寺で育ったので、旧山本有三邸は知っていた。井の頭自然文化園とは玉川上水を挟んで反対側に位置する広大な敷地に大正末期の本格的な欧風の建築で洋館を代表する豪華な建物である。この地区を散策するときにはちょっと寄ってみたらいいと思う。大正ロマンの文化の香りが体中に沁みこんでくる。

 山本有三は東京大学に入学しドイツ文学を専攻する。戦後は、参議院議員となり国立国語研究所の設立、満年齢の採用、文化財保護法など文化政策の推進に力を注ぎ大きな功績を残した。昭和40年には文化勲章を受章している。

 山本有三のことを知っている人が少なくなったといわれる。子供達に文学に親しみを持ってほしいとのことで自宅を山本有三青少年文庫として開放していた。今は山本有三記念館として運営されている。山本有三の原稿や著書、遺品や写真などをもとに生涯をたどり、有三の書いた雑誌、作った雑誌なども展示されて、山本有三の文筆活動を知ることが出来る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石窯パン工房「グーテ・ルブレ」

2025年01月25日 | 飲食店

 石窯パン工房「グーテ・ルブレ」

 勝どき付近を散歩していたら、石窯パン工房グーテ・ルブレの看板が目に入りました。美味しいパンを求めてお店に入りました。

 グーテ・ルブレ(GOUTER LE BLE)という店名はフランス語で、「Gouter=遊ぶ、戯れる」・「Le Ble=小麦」 小麦と遊ぶようにいろいろなパンを作り上げていくというような意味になります。パンの材料では欠かせない、小麦と仲良くなりおいしいパンを作りたいという気持ちから命名されました。

 パン職人の楽しみながら「おいしくなあれ」という気持ちを込めて作っており、それが味・形にも影響すると考えているからです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(記録)第1回全日本躰道選手権大会プログラム

2025年01月24日 | 躰道

 第1回全日本躰道選手権大会のプログラム

 この写真は、第1回全日本躰道選手権大会のプログラムの表紙を飾ったものです。


 東京国際大学躰道部の創設者である第一期生同期の原透氏と演武をした時のものです。大学3年の時、祝嶺正献最高師範が大学に直接指導に来られた時に、最高師範自らカメラを取り出して写真を撮影したものです。
 
 上空に飛び上がり運体飛燕蹴り突きの技を演じているところの写真であります。シャッターチャンスもよく、この写真は祝嶺正献最高師範も大変気に入って、第1回全日本躰道選手権大会のプログラムの表紙と大会ポスターに掲載されたものです。
 
 昭和42年(1967年)11月19日(日)は、町田市民体育会館で第1回全日本躰道選手権大会が開催されました。当日は冷たい雨が降っていました。


 プログラムの中の特別演武では、作家の川内康範氏が躰道の攻防演武を披露していました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする