つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

社会貢献活動見本市

2025年02月23日 | 豊島区
 第19回社会貢献活動見本市(主催:NPO法人としまNPO推進協議会・柳田好史代表)が豊島区役所1階のとしまセンタースクエアーで「つながる力で描く未来、みんなで創る魅力的なまち“としま”」のテーマで、社会貢献活動に関わる48団体が参加して盛大に開催されました。

 オープニングは東京音楽大学ACTプロジェクトによるファンファーレ演奏から始まり柳田好史代表の開会宣言、藤田力豊島区民部長の開会挨拶からスタートしました。

 各出展グループは、A~Fまでの6つのブースに分かれて活動内容を広報をしています。どこの団体も来場者に対して積極的に呼び掛け活動内容を説明をしております。展示スペースには、各団体の活動状況のパネルが趣向を凝らして展示してありました。

 この社会貢献活動見本市は、毎回柳田好史代表が中心となって企画運営をして実行されており、豊島区の活性化と発展の為に尽力している姿がよく理解できます。参加団体は各自の活動をPRする良い機会であると喜んでおりました。 会場には、豊島区の社会活動に多大なる貢献している城所信英さんと知久晴美さんも来場しておりました。

 第二部は、豊島区あるあるクイズが行われました。回答者は高際みゆき豊島区長、河村賢治立教大学教授、落語家の春風亭昇羊の3名が出演しました。
◎問題「次の4つの飲食店で豊島区が発祥でないところはどこ?」
高際区長(ときわ食堂)、河村教授(大戸屋)、春風亭昇羊(タカセ)と回答したが、正解は大勝軒(中野区が発祥)でした。3名とも不正解でした。
 その後東京音楽大学ミニコンサート、交流会、パネル展示優秀団体表彰などが行われ、柳田好史代表の中締め挨拶で成功裡に終了しました。

  
社会貢献活動見本市             知久晴美さんと城所信英さん

  
立教セカンドステージ大学             大正大学鴨台盆踊り

        
        豊島区あるあるクイズ
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茶室「清月庵」の由来

2025年02月22日 | 名所
 池上梅園の中にある茶室「清月庵」は伊東深水のアトリエを設計した数寄屋建築の設計家、川尻善治氏が自宅に建てた離れ家でした。
 川尻家は、大正の一時期、池上門前で温室園芸と料理屋を営み、その一角にこの離れ家を建てました。

 その後、マンション建設が計画され、保存運動が起こり、保存に尽力された大田区在住の華道・茶道家、中島恭名氏が買い取り大田区へ寄付されました。   
 大田区は、伊東深水・川尻善治の両氏とゆかりの深い池上梅園に再建して「清月庵」と命名し、平成元年から茶室として公開しています。

 また庭園内には、和室もあり池と竹林に囲まれており、静かな催し物には利用することができます。


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茶室「聴雨庵」の由来

2025年02月21日 | 名所
 池上庭園内には、茶室「聴雨庵」があります。
 政治家の藤山愛一郎氏所有の茶室でしたが、昭和58年に藤友倶楽部から大田区に寄贈されました。
 
 藤山愛一郎の芝白金の自宅には三棟の茶室があり、海外の来賓を招くなど民間外交の実をあげた所でもあります。
 
 戦時中の昭和19年には、東条内閣打倒密議が岡田啓介・米内光政・末次信正らを集めて聴雨庵の中で行われました。
 聴雨庵の名前の由来は、藤山雷太翁の号を「雨田」と称したところからとも言われています 。

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「左利き」の漫才

2025年02月20日 | 演芸

 「左利き」の漫才

 漫才の「左利き」が東京コミック寄席に出演するとのことなので観覧に行きました。会場は健康プラザとしま7Fの上池袋コミュニティセンター和室です。
 この日は18組の演芸人がお笑いを披露してくれました。浅草の東洋館にも出場しているぼっけもん、きんぷらも参加しておりました。

 左利きの二人は漫才協会に所属しており、浅草の東洋館を主に出演をしている常連です。その他にも豊島区民ひろば駒込や上池袋コミュニティセンターなど豊島区やその他の地域での出演も多くなっております。
 左利きの二人はネタの数も多くなってきており漫才界でも中堅の位置におりベテランの兄弟子「宮田陽・昇」の背中を追っている状況です。

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「海老民」の天せいろ

2025年02月19日 | 飲食店

  海老民の「天せいろ」

 目黒不動尊参りをした後、不動門前通りのそば店「海老民」に入りました。
「海老民」は昭和3年創業の老舗の蕎麦店。テレビ番組の「アド街ック!天国」でも採りあげられたそば店です。

 かつてエビの卸問屋だった頃の屋号をそのまま受け継いでいる。蕎麦は長野県飯島町の契約農家から直送。玄蕎麦の状態で仕入れ、毎日、自家製粉している。一番人気は、車エビの一本揚げがのった天ぷらそば。

 この日は「天せいろ」を注文。流石に海老の天ぷらは大きくて美味しかったです。そば好きの者にとってはたまらないです。
 お店の入口も風情があってとても良いお店です。

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川越「時の鐘」

2025年02月18日 | 名所

 川越へ行くと必ず立ち寄るのが「時の鐘」です。
 川越のシンボル「時の鐘」は情緒あふれる蔵造りの町並みにひときわ高くそびえています。蔵造りの町並みと同様に、城下の頃の面影を残す建造物で、江戸時代初頭から城下の町に時を告げ、庶民に親しまれてきた鐘つき堂です。

 今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝によって創建されたといわれる。以来度重なる火災で鐘楼や銅鐘が焼失したが江戸時代を通じて度々建て替えられた。現在建っているのは4代目に当たり、明治26年に起きた川越大火直後に再建されたもの。 町の3分の1が焼失した中で、暮らしに欠かせない「時」を告げる時計台は、いち早く建て直された。

 時代が変わり鐘つきの方法が鐘つき守りから機械仕掛けへと変化しても、昔と変わらず今も蔵造りの町並みに時を告げている。また、その響きの良い音色は平成 8年、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定された。

 木造で3層のやぐらで高さは約16メートル。
 午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴る鐘の音は、小江戸川越の情緒をたっぷりと味合わせてくれます。

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磯崎式子・富山恵美子二人展

2025年02月17日 | 芸術
 横浜本牧絵画館は閑静な住宅街にあります。とても素晴らしい環境で落ち着いて鑑賞の出来る施設です。そこで開催されていた「磯崎式子・富山恵美子二人展」(女子美術大学卒業)を鑑賞してきました。テーマは「Drawing-その先へー」です。

 「ドローイングとは何か」について富山恵美子先生が説明をしてくれました。11年に亘るスペインに滞在中に、鉛筆や木炭、墨などほとんど色みのない作品の存在を知り衝撃を受けました。Dibujoと呼ばれる濃厚なドローイング作品は表現の密度が高く、油彩や水彩の作品と同列に並んでいました。紙と鉛筆さえあれば、静謐と躍動を同時に、そして軽やかで素直に表現できるのが鉛筆ドローイングの醍醐味だと思います。

 絵画館には、富山恵美子作品が13点、磯崎式子作品が10点展示されていました。制作中に使用した鉛筆の多くが飾られていました。作品を完成するまでの熱量さが伝わってきます。

 今回の二人展は、横浜本牧絵画館第6回作家・研究者支援プログラムに入選した展示会となっており2年前に企画されたものの本開催となったものです。
 どの作品もダイナミックで素晴らしいもので感動しました。

 
富山恵美子先生の作品              磯崎式子先生の作品

 
作品制作に使用した鉛筆            富山恵美子先生「Babel」

 
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マジック教室(2月その2)

2025年02月16日 | マジック
 2月第二回目のマジック教室は4名が参加しました。

 研修は前回に続いて「指」のマジックを行いました。
 ①左手を開いて5つ動いてから自分の名前分を2回動かし最後に小指の方へ2つ移動させると必ず薬指を指している。薬指は心臓に繋がっている大切な指であります。指輪をするときに薬指にすることの意義について説明がありました。
 ②指のドッグを研修しました。指がテーブルから離れれば異常なしの健診結果です。両足、両目、両耳、鼻、頭と順番に診ていきます。薬指を曲げてテーブルに接着した時には、他の指はすべて離れることができます。今度は中指を曲げて他の指先をテーブルに接着した時には、頭の診断をする薬指だけがテーブルから離れません。頭が異常ですね。とユーモラスに話す。
 ③左手の中指と人差し指にゴムバンドを掛ける。他のゴムバンドは4本の指に絡めて柵を作る。手を握り再びに開くとゴムバンドは薬指と小指に移動している。
 ④輪ゴムを2本利用して4段の列を作る。一番上の輪ゴムに紙を引っ掛ける。両手を開きながら人差し指から輪ゴムを外すと紙は2段目に移動、中指を外すと3段目に、薬指を外すと4段目の一番下まで移動している。
 ⑤3枚の同じカードを4枚に見せる指先のテクニックを用いたトランプマジックを学ぶ。

 最後に、トランプカードマジックで「4枚のエース」を研修しました。これはなかなか面白い演出がありますので継続して研修をしていきます。
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すがも鴨台観音堂

2025年02月15日 | 名所
 すがも鴨台観音堂

 豊島区西巣鴨の大正大学のキャンパス内に「すがも鴨台観音堂」があります。旧中仙道に面しています。
  平成25年5月18日に完成した「すがも鴨台観音堂(おうだいかんのんどう)」は八角・三匝(さんそう)の階堂で、堂内の回廊は往路と復路が交わることのない二重螺旋構造になっています。その構造を巻き貝のサザエ(栄螺)に例えて「鴨台さざえ堂」とも称します。

 一階に不動明王(ふどうみょうおう)の従者である制吒迦童子(せいたかどうじ)を祀り、頂上階にご本尊である聖観自在菩薩(しょうかんじざいぼさつ)=鴨台観音を安置しています。観音堂の螺旋構造は、仏さまの眉間にある白い毛=白毫(びゃくごう)の象徴です。
 仏さまは白毫から智慧と慈悲による救いの光明を放つことから、これを大正大学の建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に重ねて具象化したものでもあります。

 また、「いのり」と「希望」の街「巣鴨」にふさわしい仏教文化施設として、地域の方や参拝に来た方々が仏教精神に気軽に触れてもらう地域交流の場となることを目的としています。


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関口芭蕉庵

2025年02月14日 | 日記
 関口芭蕉庵

 文京区関口の胸突坂の横に「芭蕉庵」の入り口があります。


 江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだと言われております。
 

 芭蕉は「奥の細道」へ出かける前には、神田上水の改修工事の現場管理人として従事しており、水番屋に住んだといわれる。後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の芭蕉庵につながる。その後焼失し、現在のものは第2次世界大戦後の建築であります。 
 

 芭蕉庵の池泉は湧水により作られたもので、隣接する「椿山荘」の庭園の水源もこの芭蕉庵の湧水から流れ込んでいたという。
 

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添好運(ティム・ホー・ワン)の点心

2025年02月13日 | 飲食店

 「添好運」の点心各種

 いつも長い行列ができている人気のお店「添好運(ティム・ホーワン)日比谷店」に行くと行列もなくすぐにお店に入れました。

 添好運は香港でミシュラン一つ星に輝く香港点心専門店です。4年連続でミシュラン3つ星を獲得したフォーシーズンズホテル香港の広東料理店「龍景軒」の点心師を務めたMak Kwai Pui シェフが、パートナーのLeung Fai Keung シェフと共に「よりカジュアルに、日常的に本物の味を」という想いから独立してオープンしたお店です。

 日常的な料金で一流ホテルの味を楽しむ事ができるレストランとして評判を呼び、2010年にはミシュラン一つ星を獲得。今では香港を訪れる外国人観光客も詰めかける世界的有名店となっています。

 日比谷の店内は女性客がほとんど占めており、なかには中国の家族連れもいました。海老の蒸し餃子、海老とニラの蒸し餃子、海老の湯葉春巻などを注文。とても美味しく食べられました。

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(想い出)西村京太郎氏の講座

2025年02月12日 | 文化
 (想い出)西村京太郎氏の講座 
 著作本にサインをする西村京太郎氏(NHK文化センター)

 トラベルミステリー作家として人気のある西村京太郎氏の特別一日講座に参加しました。テーマは「トラベルミステリーの巨匠・西村京太郎の素顔と作品に迫る」
 講師の西村京太郎氏にインタビューをして素顔と作品について展開させていく方式がとられた。インタビュアーはトラベルキャスターの津田令子さん。

 西村京太郎さんは、1930年生まれで今年80歳となった。480冊出版して、2億冊を販売しているトップ作家である。29歳までは役人であった。サラリーマンは嫌だった。人付き合いが苦手で人と話さなくていい作家の道に進む。しかし生活は苦しく作家として自立するまでは、私立探偵、パン屋の運転手、生命保険の勧誘員、競馬場の警備員などを体験して生活費を稼いでいた。

 年を重ねるごとに出筆の量が多くなった。書き過ぎであると思っている。ものを書くのは夜中に集中する。朝になって朝刊を読んでから寝るようにしている。今では毎月に一冊のペースで書いている。もうすぐ500冊を達成する。今は湯河原に住んでいるが、家からは東海道新幹線と在来線が見える。作品に出てくる十津川警部は奈良県の十津川村が好きであったから、今では十津川村の観光大使となっている。

 作品を書くために取材旅行をする。西村作品の原点である。列車に乗車して考えることは、犯人をどのように脱出させるか。荷物を置く場所は蓋付きとなっているか。ニュースなどの電光掲示板に注意する。時刻表にも気を配る。平日と日曜では時間が異なることがある。その時間差が作品のポイントになりヒントになることがある。駅のホームにある売店のキオスクの終了時間も列車の上りと下りでは異なるので作品のヒントになる。など旅をテーマにミステリーの作品を次々に誕生させる裏の話を聞くことが出来たが、インタビュアーの津田令子さんが上手く話を引き出していた。

 質疑の時間には、質問のため手を挙げた。
 京都に行くときに西村京太郎さんと山村美紗さんの家が隣同士であるのでよく立ち寄っていたこともあり、「隣同士でトンネルでつながっていたのですか?」との質問に、西村京太郎さんは「トンネルではなく連絡通路はあった。山村さんが女性であったので、山村さんの側からのみ我が家に入れるようになっていた」との応答であった。

 2時間近くの講座であったが、内容が面白かったのであっという間であった。講座終了後は、著作本にサインをしたあと、ファンの人たちと気軽に握手をしていました。(2010年11月2日)


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旧芝離宮庭園

2025年02月11日 | 名所

 旧芝離宮庭園は国指定の名勝で大名庭園です。
 典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割りと石組は秀逸です。
 

 中島は、園景の要となるところで池の中央にあります。仙人が住み不老不死といわれる霊山を模した蓬莱石組となっています。
 

 大泉水は、昔は海水を引き入れた潮入りの池でしたが、現在は淡水の池となっています。池には中島と浮島を配して海と湖を形どり、一面には小さな州浜が設けられています。
 

 名勝の庭園ですが、来場者はほとんどいなくて、ゆっくりと散策が出来ました。

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(想い出)天野修一さんについて

2025年02月10日 | 躰道
 2010年4月5日の読売新聞朝刊に掲載された記事を紹介いたします。

 「道程」の教え 夢の支えに 山崎さん宇宙へ
 恩師の遺族 墓前に成功祈願

 4月5日午後7時21分、山崎直子さんがスペースシャトル「ディスカバリー」でケネディー宇宙センターを出発しました。山崎直子さんが、宇宙への夢を貫き通したのは、中学時代(松戸第一中学校)の亡き恩師から贈られた高村光太郎の詩「道程」を心の支えにしていたからでした。その恩師は山崎直子さんの2年~3年の担任であった天野修一教諭であります。

 天野修一氏は躰道5段教士の指導者として後進の育成に活躍しておりました。私が東海大学躰道部の監督に就任していた時の躰道部主将としてクラブをまとめておりました。天野修一氏は、東海大学を卒業後、教員の道を歩み、中学校の生徒の中に山崎直子さんがいました。

 山崎直子さんが、1999年2月宇宙飛行士の候補に選ばれたときに、新聞の記事を見ながら、天野修一先生は奥さんに対して「この子は教え子。頭も性格も運動神経も良くて、こんなに三拍子そろった子がいるんだと思っていた」と自慢げに話していたようです。

 一ヵ月後、当時、がんと闘っていた天野教諭の元に山崎直子さんから手紙が届きました。病床の天野修一恩師への励まし、宇宙飛行士の訓練に挑む決意。そして「宇宙へ行く際には、ぜひフロリダの射場までいらしてください」と綴られていました。天野修一氏はそれから数日後、息を引き取ったのです。45歳でした。

 その励ましの手紙を、天野夫人の君枝さんは今も大切に保管している。君枝さんは山崎直子さんへ電話をして「無事、ミッションが成功することを陰ながら応援しています」と激励していました。このエピソードは、NHKテレビ「ニュースウオッチ9」でも、“シャトルで宇宙へ山崎直子さん11年間の夢"として詳しく報道されておりました。
 
 アメリカのアトランタ在住の躰道指導者の内田光信氏からもNHK衛星放送で天野修一さんの報道のニュースを観ていて、ヌンチャクの技が上手い彼のことを思い出した。とメールでコメントを頂きました。

 私にとって天野修一さんの想い出はたくさんあります。自宅の千葉県松戸市から神奈川県の東海大学までの通学時間は片道3時間を要しておりました。それでも、勉学と躰道のクラブ活動は毎日休むことなくこなしておりました。転技を得意として躰道の全日本大会では実戦競技、法形競技での優勝経験もたくさんありました。

 天野修一さんの葬儀に参列しましたが、棺の中には躰道着がかぶせてありました。躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、「躰道は社会還元のできる武道である」と諭されておりましたが、天野修一さんはその教えを実践してくれました。



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池袋の地名の由来

2025年02月09日 | 豊島区

  池袋の地名の由来についてはいろいろとあるようです。

 現在の池袋駅西口にかつて存在した「袋型の池」を由来とする説。
 袋池(丸池)と呼ばれたその池の名前が地名の由来となったと言われています。袋池はかつて農業用水だった「弦巻川」の水源であり、1970年代中頃まで現在のホテルメトロポリタン所在地の北側にあったといわれています。
 
 また、昔の池袋にはふくろうがたくさんいたようです。
 それが池袋とふくろうと関連性を結び付けて、池袋地区には多くの場所にふくろうの像やモニュメントが設置されています。
 ふくろう巡りの散策も良いですね。

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