つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

全国高校ラグビー桐蔭学園が連覇

2025年01月09日 | スポーツ
 (写真はスポーツ報知より)
 全国高校ラグビー決勝戦が花園ラグビー場で開催され、桐蔭学園(神奈川)が東海大大阪仰星(大阪第2)に40対17で勝利して2大会連続5度目の優勝を果たしました。決勝戦はテレビ中継がありましたので家で観戦しておりました。

 桐蔭学園のラグビー部の石﨑悠生選手(3年WTB)は、妹の孫になりますので身内としてずっと応援をしておりました。1回戦から出場して活躍をしていました。しかし準決勝戦で国学院栃木の選手とぶつかり負傷し、決勝戦は西本友哉選手(2年WTB)が石﨑選手に代わって初先発しました。
 
 西本選手は石﨑選手の短パン姿でグランドに立ち2トライ挙げて勝利に貢献しました。 西本選手は「石﨑先輩に優勝を、と思って戦いました」と先輩思いの優しいコメントをしていました。石﨑悠生選手は負傷しながらも、決勝戦にはウォーター係として出場選手の補佐としてグランドに入りました。優勝記念写真にも一緒に入り、高校最後の試合まで頑張っていました。

 石﨑悠生選手は大学へ進学してもラグビーは継続すると話しておりました。これからのラグビーでの活躍にも期待しているところです。

    
優勝した桐蔭学園チームの集合写真       石﨑悠生選手について
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うなぎ専門店「駒形前川本店」

2025年01月08日 | 飲食店
前川のうな重

    隅田川の駒形橋のそばに創業200年の歴史のあるうなぎ専門店「前川」があります。店員のすみずみまでわたるおもてなしが気持ちをよくします。

    3階の和室に案内をされました。隅田川を望む部屋から、屋形船を眺めながら幻想的な情景の中で200年の歴史を持つ天然うなぎ料理を味わいました。とても美味しく頂きました。

    前川のうなぎを食べれば病みつきになります。養殖にはない香りが天然の魅力です。うなぎの養殖がはじまったのは明治12年とのこと。以降、天然うなぎの漁穫量は減少を続け、今ではめったにお目にかかれません。天然うなぎの美味しさを堪能しました。


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松尾芭蕉、矢立初めの地

2025年01月07日 | 池さんぽ

 松尾芭蕉の矢立の記念像

 南千住の駅前の広場に、松尾芭蕉のモニュメントがあります。奥の細道に出発した時のものです。

 元禄2年(1689年)3月27日、松尾芭蕉 は、千住の地から奥の細道の旅へと出立しました。この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉 の姿を表現したものです。

 千じゅというふ所にて船をあがれば、前途3千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。

 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪


 是を矢立の初として、行く道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげみゆる迄はと、見送なるべし 
 「おくのほそ道」より


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「氣賀康夫の奇術」本

2025年01月06日 | TAMC
 TAMCの顧問であります氣賀康夫氏の本「氣賀康夫の奇術」が完成しました。新年会の席上で紹介され参加者に贈呈をされました。

 この本を作成する経緯はTAMC22代土屋理義会長の発案でありました。20代氣賀康夫会長は会の研修会等により多くの功績を残されると共に奇術界全体へも多大な貢献をされて来られた同氏の業績を纏めて編集するように主幹役に石崎健治氏に依頼したものです。

 石崎健治氏は、氣賀康夫氏から提供された資料とアドバイスにより、半年ほどで編集計画を立案して、研究・研修委員会の協力で編集作業がスタートし、1年後に完成しました。

 「氣賀康夫の奇術」の目次は、1.経歴 2.奇術研究家としての足跡を自らが語る 3.奇術家による「氣賀マジック」についてのご寄稿 4.TAMC会員による「私が見た氣賀マジックの特色」 5.本(著書) 6.奇術雑誌への寄稿 7.作品集 8.最新の書き下ろし技法解説 9.マジックラビリンスへの寄稿 10.TAMC内部での講習録等 11.奇術概論と作品リスト(秘蔵文献) 12。後記 等内容が細かく多岐に亘っているのでマジック愛好者には貴重な本であることでしょう。とても参考になります。

  
氣賀康夫氏より本の解説がありました      本の一部「七福神」など


本の編集主幹・石崎健治氏
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TAMCの新年会

2025年01月05日 | TAMC
 2025年(令和7年)TAMC新年会がアルカディア市ヶ谷で開催されました。司会進行はお馴染みの牧原俊幸さんです。

 年頭のご挨拶は八田進二新会長よりありました。会員歴表彰では40年となる土屋理義さん、松岡尚登さん。特別功労賞には石崎健治さん、田澤利明さん。例会皆勤、精勤と研修会皆勤者には記念品が授与されました。
 幹事長の梶田明宏氏からは新年度の役員及び各委員会所属委員の発表と新年度スケジュールの発表がありました。

 その後、TAMCで制作された「氣賀康夫の奇術」完成の祝賀があり、土屋理義前会長から祝辞、石崎健治氏から編集経過の説明、氣賀康夫氏から内容の説明が披露されました。出席者全員に「氣賀康夫の奇術」本が贈呈されました。

 祝宴は、村上日出夫副会長の乾杯の発声によりスタートされ懇談のひとときとなりました。犬竹一浩氏が恒例の年頭話題作の披露がありました。今年はヘビ年なので駄洒落を入れたもので皆さん爆笑をしておりました。いつも面白いテーマを考えると感心をしてしまいます。

 後半は、恒例のオークション&入札タイムです。山崎孝一さんと牧原俊幸さんの巧みな話術で会員の提出したマジック用品オークションの価格が上がっていきます。希望者の駆け引きがありますので観ている方も面白くなってきます。最終的には総合金額は高額になったようです。

 中締めは山崎孝一副会長が行い、その後、参加者全員の集合記念写真を撮影して、新年会はお開きとなりました。

  
司会進行の牧原俊幸さん      会員歴40年表彰の土屋理義さん(右)

  
研修会皆勤賞の皆さん              「氣賀康夫の奇術」本 


新年会集合写真(アルカディア市ヶ谷)
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箱根駅伝

2025年01月04日 | スポーツ
 第101回東京箱根間往復大学駅伝競走は青山学院大学の大会新記録で連覇優勝でした。やはり選手の質が高いようで走法の安定感が見られました。
 
 箱根駅伝にはドラマがあります。
 最終10区。東洋大、帝京大、順天堂大、東京国際大の4校がけん制しあい終盤まで来て、22キロ過ぎに東京国際大の大村良紀選手(3年)が飛び出して8位でゴールを駆け抜けた。9位の東洋大とは1秒差、10位の帝京大とは3秒差でした。7秒遅れの順天堂大学は惜しくも11位となりシード権を逃した。
 
 東京国際大学は10月の予選会から出場して8位で本戦出場が叶いました。その時、横溝三郎監督は予選会場で 箱根駅伝の出場をとても喜んでおりましたが、その後11月14日に肝臓ガンのために84歳で亡くなりました。東京国際大学の選手たちはユニフォームに喪章をつけて走っていました。中村監督代行は横溝監督の写真を持って監督の運営管理車に乗り込んで選手と共に同走しておりました。
 
 また横溝三郎監督は中央大学の箱根駅伝6連覇のときの最初の4年間を選手として出場しており素晴らしい成績を残しておりました。今回往路の2区では先頭が中央大学であり、2位は東京国際大学のエティーリ選手でした。両校の活躍を喜んでいる天国の横溝監督が見えるようでした。

 今回、8位でシード権を獲得した東京国際大学は、今年の出雲駅伝の出場権を得ました。2年前の出雲駅伝で初出場で初優勝のした時のように健闘を期待するところです。
 箱根駅伝では多くの東京国際大学の関係者、現役生、卒業生が沿道応援に駆け付けました。テレビからは紺色の東京国際大学の幟旗がたくさん見られました。

  
横溝三郎東京国際大学監督            東京国際大学の幟旗
 

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鳩山会館

2025年01月03日 | 名所
 鳩山会館は、内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の邸宅を記念館として一般に公開したものであります。東京都文京区音羽にあることから音羽御殿の通称で知られています。音羽通りに面した正門から入ると長い坂道となっていて高台にある玄関まではそれなりの距離があります。建物には鳩の彫刻が貼り付けてあり建物は重厚な造りとなっています。都心とは思えない心地よい空気が流れています。

 鳩山会館は、鳩山一郎と薫の住居として、1924年(大正13年)に完成。洋館を飾るステンドグラスは法隆寺五重塔と飛翔する鳩が描かれております。建物を本格的に修復した平成8年に記念館を兼ねて一般に開放公開しました。往時の応接室や居間、鳩山家歴代の愛用品、記念品等を見学することができます。大正ロマンを感じさせる庭園は四季折々の庭木が楽しめます。

 応接室には鳩山家の活動を記録した映像で紹介しております。鳩山一郎が座っていた椅子などが展示されていて、ここでいろいろと日本のことを語り合った戦後政治史の舞台があったことが垣間見られます。大広間は、懇親会、会食、披露宴、研究会、展示会等に活用できます。また、映画、TVドラマ、CMなどの撮影にも利用されています。少し豪華な雰囲気が味わえるところです。
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初夢枕札

2025年01月02日 | 日記
 「初夢枕札」とはご存じ宝船に七福神が金銀財宝と共に乗る目出度い帆掛け船の絵に「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ歌)を書き添えたものです。

 正月の二日の夜にこの回文の歌を三度読んでから枕の下に入れて寝ると良い初夢を見ることが出来るとされています。
 江戸時代の元旦は街中が静まり返る一日で次の二日の朝からの「お宝!お宝!今夜の初夢」と言ってこの札を売り歩く宝船売りが江戸の正月の風物詩でした。

 我が国には初夢で一年の吉凶を占うと言う風習がありますが、一体いつ見るのが初夢なのか諸説があります。元々大晦日(年越しの夜)は寝ない習慣があったため天明時代(1781~1789)頃は元旦から二日にかけての夢が初夢でした。その後これに変わり「事始め」の二日の夜の夢を初夢ととする事が一般的になりました。

 初夢の中身で吉兆を示す有名な言葉に「一富士、二鷹、三茄子」がありますが、富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は「成す」に掛けられた言葉だそうです。この続きもあり「四扇=扇は末広がり」「五煙草=煙が上に登る」「六座頭=怪我がない)からだとか。日本人は古来より駄洒落が好きだったのです。

 なお、万が一悪い夢を見た時は初夢枕札を川に流すことで邪気を払い、水に流したそうです。

 (芝大門更科布屋店主の独り言、電巧社の皆で吉初夢プロジェクトを参考にしました)
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年末ご挨拶

2024年12月31日 | 日記
 令和6年(2024年)の大晦日となりました。
 今年も多くの方と交流が出来、いろいろとお世話になりました。
 感謝申し上げます。

 躰道では、第50回東北地区躰道優勝記念大会が9月に宮城県気仙沼市で開催されたので臨席してきました。この大会が第1回を開催することになった経緯について開会式でお話をする機会がありました。1月には全国範士等競技大会、8月には全国社会人躰道優勝大会で若き躰士たちの活躍状況を観戦できました。
 来年は昭和100年、そして躰道創始者である祝嶺正献最高師範の生誕100年となる記念年です。今年も11月26日の命日に伊東のお墓に報告を兼ねてお参りすることが出来ました。

 マジックでは、池袋マジック教室を毎月開催することが出来ました。TAMCでは毎月の実例会と研修会に参加することができ、メンバーとの楽しい交流も出来ました。マジックの出演依頼も多くなってきました。

 健康面では、体力維持として毎朝のウォーキングと大塚トランパル広場で行われているラジオ体操に参加してから体重も減量できて喜んでいるところです。都内の散策もいろいろと季節の行事に合わせて実施してまいりました。

 来年も皆様方との交流が出来ることを願っております。
 良い新年をお迎えください。
 
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一言地蔵(護国寺)

2024年12月30日 | 名所

 一言地蔵尊

 護国寺の長い階段を登り正門をくぐると右側に六地蔵が並んでおります。その六地蔵の前の小道を更に進むと太子堂があり、その横に小さな祠に入った「一言地蔵」が設置されています。

 ここのお地蔵さんは、多くのことは聴かないが「一言だけの願いは聴いてくれる」とのことで、お賽銭を投入してろうそくに火を灯してから願い事をするようです。

 水掛地蔵ともなっていて、お地蔵さんに水を掛けるための水と柄杓は用意してありますが、その横に「お地蔵さまは寒がりです。足元だけに水を掛けてください」と注意書きがしてあります。


 昔から信仰されている「一言地蔵」のお参りに来る人が後を絶たないようです。


 

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懐かしの映画看板

2024年12月29日 | 芸能

 映画「キューポラのある街」

 青梅には懐かしい映画文化が残っております。その一つが映画看板です。昔の映画館は映画のタイトルに合わせた看板を手書きで描いており掲げておりました。

 吉永小百合の「キューポロのある街」、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」、月形龍之介の「水戸黄門」、片岡千恵蔵の「大菩薩峠」、三船敏郎の「用心棒」など往年のスターたち。

 その他にも「月光仮面」、「赤銅鈴之助」など子供のころに馴染みのあったもの。現代劇の「東京物語」、「新しき土」、「旅路」など・・・。映画ファンにとっては昔の映画を懐かしく思い出します。

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豪徳寺

2024年12月28日 | 名所
 豪徳寺の招き猫

 世田谷区の豪徳寺は「招き猫発祥の地」といわれ、物凄い数の招き猫が並ぶ圧巻の光景を見ることができます。この寺には彦根藩主の井伊家の関係者の墓が沢山設置されております。安政の大獄を起こして桜田門外で水戸浪士に暗殺された井伊直弼大老の墓もあります。

 鷹狩の帰りに通りかかった彦根藩主井伊直孝に対して寺の飼い猫が手招きをしたため、直孝はここで一休みすることにしました。そして寺の住職からお茶の接待を受けている最中に空模様が悪くなり雷雨になってしまったのです。「猫が招いてくれたおかげでずぶ濡れにならずに済んだ。これは縁起がいい」と直孝は喜びました。これが縁でこの寺が井伊家の菩提寺となり、直孝が没すると、直孝の院号「久昌院殿豪徳天英居士」にちなみ寺の名前を「豪徳寺」と改めました。

 豪徳寺は小田急線の駅名となっており、駅前には招き猫の置物が設置されています。招き猫にちなんだ和菓子を販売しているお店もあります。



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「国宝犬山城」を見学

2024年12月27日 | 名所
 国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537年)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。
 周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。
 戦国時代には織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などが奪い合い、歴史の荒波を生き残った国宝犬山城です。

 日本で国宝に指定されている城は5つあります。犬山城、姫路城、松本城、彦根城、松江城です。犬山城の天守閣は500年ほど前に建設され現存するもので、中に入ると古を感じます。各層に昇る階段がとても急勾配になっており、手すりを利用しないと昇っていけません。天守閣から見える景観はとても素晴らしいものです。木曽川と接する山の上に築城されているので攻めることは困難であっただろう。

 小牧長久手合戦の際には豊臣秀吉は大軍を率いて犬山城に入り、小牧山に陣を張っていた徳川家康と戦いました。江戸時代になり成瀬正成が城主となってからは成瀬家が代々受け継いできました。国宝には昭和10年(1935年)に指定されています。

 東京国際大学の同期生で同じゼミの成瀬智仁君は犬山城の城主成瀬家の末裔に当たると話しておりました。


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神楽坂界隈

2024年12月26日 | 池さんぽ

 神楽坂・毘沙門天

 神楽坂は、大久保通りの神楽坂上から外堀通りの神楽坂下までの早稲田通りの坂道を表しております。

 神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)であるが、午後は「坂下→坂上」となります。

 飯田橋駅から神楽坂の坂を登っていくと、ユニークなお店に出会います。
日本でただ一ヵ所のペコちゃん焼き、鳥すきの鳥茶屋、肉まんの五十番、毘沙せんべいなど老舗のお店が多い。

 明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住み、尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡になっています。また、坂の周辺には毘沙門天をはじめ、若宮八幡や赤城神社など多くの寺社が散在しています。


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幸崎智行さんと望年懇親会

2024年12月25日 | 友人
 浅草公会堂の前にはスターの広場があります。大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績をたたえ、その業績を後世に伝えるために昭和54年より手形とサインを「スターの広場」に設置したものです。
 令和5年度の手形被顕彰者の三代目林家正楽師匠(紙切り)まで348名となっています。新国劇の島田正吾・辰巳柳太郎、緒形拳のもあります。

 そのスターの広場で幸崎智行さんと待ち合わせをして、浅草公会堂で開催されている「浅草大宴会」公演を観劇しました。大川良太郎主催による大衆演劇の光り輝く9人の星達によるスペシャル舞台です。観客の95%が女性客で大衆演劇の常連客です。前半は殺陣の立ち回りもあるスペクタル芝居です。後半は踊りのステージでカラフルな衣装でダイナミックにダンスをする者や女形の着物姿での踊りは色気をたっぷりと出して観客を魅了させていました。踊りが終わると観客たちがステージに寄り付き万札を扇形にして役者の襟や胸元にピンで挟み込んでいきます。次々に何人もいるので何十万円ものご祝儀となっています。大衆演劇ならではの醍醐味を魅せております。

 終演後、幸崎智行さんと浅草仲見世を通り、浅草寺本堂でお参りをしてから六区の方へ行きました。外国人観光客の多いことは東京を代表する観光地が浅草であると実感できます。

 洋食レストラン「ヨシカミ」に入り、食事をしながら懇談のひとときを過ごしました。やはり不弁会会長の森陽一郎先生の様子が話の中心となりました。二人が共通しているグループ仲間なので盛り上がりました。幸崎智行さんはTAMCのマジック発表会には毎回観覧しています。たくさんの観客を集めることができるTAMCは大会の運営も素晴らしく、クラブの歴史も91年続いていて長いこともあり、メンバーも優秀な人たちが多くいると語っておりました。

 いつも親しくしている幸崎智行さんとの望年会はとても楽しいものでした。

   
スターの広場                  紙切りの林家正楽師匠

  
大衆演劇「浅草大宴会」            洋食レストラン「ヨシカミ」
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