護身術の指導
志木市スポーツフェスティバルの躰道セミナーは、谷鐡太郎先生によるストレッチ講習でした。
セミナーの最後に女性のための護身術を実施しました。男性から両手を掴まれた女性は指の付け根に力を入れて手を返すと相手は力を入れてくるので反対の手を上方へ返すといとも簡単に男性をひっくり返すことが出来ます。
はじめは半信半疑であった女性達は、指導されるとおりに所作を行なうと力の強い男性をたたみの上に転がして護身術を体感していました。何回か試みるとすぐに慣れていました。
今回のセミナーに参加した人達は、体の柔軟性の大切さと護身術の醍醐味を味わって、とても参考になったと感想を述べていました。
音楽家の山田竜也先生と池袋でお会いして懇親のひとときを過ごしました。ランチは中華料理店の天府酒家で、多田廣士さん(躰道指導者)も同席しました。
山田竜也先生は、躰道に関する音楽を沢山作曲してくれた方です。「躰道ひとすじ」、「躰道賛歌」、「躰道行進曲」、「勢命の法形の曲」など素晴らしい音楽を提供してくれました。
躰道創始者・祝嶺正献最高師範との親しい交流のなか音楽が作曲されました。第10回全日本躰道選手権大会(昭和51年)でのエピソード。
東京体育館で実施され観客は3階席まで満席となり、7400名の人が試合を見守っておりました。
開会式の入場行進は、山田竜也先生の指揮するオーケストラによる「躰道行進曲」です。全国から選出された選手たちは威風堂々入場してきて、開会式に臨みました。
来賓席には全国から集まった各躰道協会会長や躰道師範ら150名が臨席しておりました。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の力強いスピーチが今でも甦ります。
躰道の良き時代を山田竜也先生と一緒に懐古した一日でありました。
(2015年3月15日)
躰道の指導者たちの演武披露であり、全国から26名が参加していました。
中野哲爾6段「変体の法形」が最優秀賞、金子智一6段「運体の法形」で優秀賞を獲得しました。二人は拓殖大学躰道部の出身であり、現在は中野哲爾教士は船橋己錬館道場、千葉大学監督として、金子智一教士は多摩東村山道場、拓殖大学監督として指導をしております。二人とも躰道の正統な理念と実技を指導しており実績を残しております。
創作演武の部に出場した萩原利克6段は「勢命の法形」を披露して、最後に躰道の指導者は90歳になってもこの大会に出場してほしいと熱いメッセージを送っておりました。
範士特別演武の部では、奥山安雪8段は「仁制の法形」を披露しました。いつもながら素晴らしい演武でした。
田中勇悦8段は「創作指導法」を説明して、大学の躰道部員たちによる団体運足の操法を披露して発表をしておりました。
祝嶺正献最高師範の写真と道着及び躰道の紋章も飾られており、審査員には宮城県で活動をしている志摩制基師範もおりました。

祝嶺正献最高師範と道着と躰道紋章

志摩制基範士は審査を担当

田中通悦8段範士による「創作指導法」
拓殖大学に在学中から筑波大学でコーチ学を学び、指導中に教え子たちがケガなどをした時にすぐ対応できるように柔道整復師の資格も取得して整骨院を開業しています。
指導をするポイントとして躰道の審査項目に基づいて徹底的に基本技を習得するようにしている。これからも日本躰道協会の指導担当として躰道の普及発展に尽力をしていくようであり、大いに期待されております。(2018年3月9日記)

躰道範士大会で優勝した中野哲爾師範

千葉大学躰道部の中野哲爾監督
大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)
1933年(昭和8年)、9歳のときに佐渡山安恒氏に初めて空手を学ぶ
1937年(昭和12年)、岸本祖孝氏に師事する
1953年(昭和28年)、玄制流空手道を創始する
1964年(昭和39年)、「新空手道教範」上梓

恩師・佐渡山安恒師範と再会(昭和48年4月4日)

瓦34枚割り
自分が昭和45年からショーボンド建設仙台支店に赴任していたときには、東北大学と東北学院大学に躰道部を創部して学生たちを指導していました。そして毎週土曜日には、仙台から石巻まで車で行って、石巻道場で躰道を指導していました。その道場は、石巻出身の境一成先生が後進のために建設した道場でありました。当時、三浦照雄さんや和田さんなどが指導者として活躍をしていました。自分が石巻道場に行くようになり、志摩さんと出会いました。当時は茶帯の2級位でありました。
猪苗代で行われていた東京国際大学(当時は国際商科大学)躰道部の合宿に志摩さんが参加したときは、一日のうち半分は練習時間という厳しい合宿であったが、根を上げることもなく合宿練習についてきました。その後一週間は汗が出なかったほど体を絞っていた。とのエピソードがあります。
祝嶺正献先生は、次代の指導者として認証したものであります。躰道に関しても自分の利益のためにするのではなく、会員や社会やそして世のためになる姿勢で進んでいる姿は多くの人から尊敬されています。躰道についても理念的にも創始者である祝嶺正献先生の考えをよく理解しているトップの第一人者であります。
現在は、宮城県や東北地区を実技の普及と組織の発展に尽力して活躍をしています。日本躰道協会の発展にも貢献をしております。今では、祝嶺正献最高師範の考えを実践している最もトップにいる人と言って間違いない素晴らしい人その人が志摩制基さんであります。

志摩制基さん(石巻市の日和山にて)
特急踊り子号で伊東駅に着くと長女である齋藤育代さんが出迎えてくれておりました。お墓は伊東市の高台にあり相模湾や伊東市街が眼下に見渡せます。
お墓を清掃して、花を手向けてから祝嶺正献最高師範に対して近況を報告しました。亡くなってもう22年が経過しておりますが墓前に立つと生前の想い出が次々に甦ってきます。生前親しく交流をしていて今も尊敬をしていると語る不弁会会長の森陽一郎先生についての報告もしておきました。
祝嶺家のお墓には、祝嶺正献最高師範の「死生観」及び「躰道五条訓」が掲示されております。とても立派なお墓です。
お墓参りをした後には手打ちそばの美味しいお店「手打庵」で食事をしながら躰道のことについていろいろとお話が出来ました。
伊東の松川の散歩道から海に出て初島や船を眺めながら伊東駅まで散策をしました。帰路は特急サフィール踊り子号に乗車し、快適なひとときを過ごしました。

祝嶺正献最高師範の立派なお墓


躰道五条訓 祝嶺正献最高師範の「死生観」

おそば処「手打庵」の鴨せいろ
総合優勝は東京大学(山際真穂監督)で15連覇を達成しました。創部23年となり、現在躰道部員数は66名おり、団体競技の部には男女ともすべての種目に出場して、優勝と第2位を全種目で入賞をしました。
総合2位となったのでは創部6年目の慶應義塾大学(良本真基監督)です。部員数は68名で奮闘しました。団体競技では東京大学とは接戦でしたが、個人競技で入賞できなかったことが、東京大学に引き離されてしまいました。来年の大会では総合優勝も目標に精進してくることでしょう。
3位は北海道大学(湊宏司監督)、4位は千葉大学(中野哲爾監督)でした。
孤軍奮闘していたのは、新潟医療福祉大学(涌井貴志監督)の二選手です。男子個人実戦競技で優勝・岩橋翔馬選手、準優勝・杉山優二郎選手となり、仲間同士が決勝戦で対戦するというドラマを魅せてくれました。
女子では、村上海月選手(倉敷芸術科学大学)です。女子個人法形競技で第2位、女子個人実戦競技では第3位という立派な成績でした。躰道は福山市で北村幸三師範の指導を受けて15年精進してきました。今後の活躍が期待される選手です。
大会が終了すると、各大学は集合記念写真を撮っていました。
昼の休憩時間には、facebookで交流のある千葉大学、拓殖大学、北里大学十和田の選手たちのいる席に行って交歓をしてきました。皆さんとても明るく元気に応対してくれました。
若い選手たちが溌剌と競技に臨んでいる姿を観ているととても頼もしさを感じてきます。

東京大学の15連覇達成集合記念写真

個人実戦、優勝・2位の新潟医療福祉大学の二人

祝嶺正献最高師範と躰道紋章

東京武道館(足立区・綾瀬)
全国社会人躰道優勝大会では、「最高師範杯」という名誉な賞があります。
これは躰道創始者・祝嶺正献最高師範が創設した賞であります。
躰道を修行している社会人は、実技はもとより躰道の理念を理解して人格的にも優れた人に与えらえるとの趣旨のもと毎大会ごとに選手の中から一人選出されるものです。
躰道創始者・祝嶺正献最高師範の生前中は、最高師範自らが選考をしておりました。
自分も全国社会人優勝大会には、第1回大会から第5回大会まで選手として出場をしておりました。この「最高師範杯」を、第1回大会、第2回大会、第3回大会、第5回大会と4回受賞しました。誠に栄誉なことであります。
大会当日、会場には「最高師範杯カップ」展示されておりました。
歴代受賞者のリボンがカップに吊るされておりました。
私の名前が記されていたリボンが4本吊るされてありました。
土井慈功さんとお会いしました。土井さんは建設省在勤中に躰道を修練しておりました。一緒に躰道を修練したことで、今でも親しく交流しています。
現在は億萬山妙知庵の住職として元気に活動しております。
お話は躰道創始者である「祝嶺正献最高師範」について多く語っておりました。またその思い出についても文書に綴って頂きました。
現在、躰道創始者・祝嶺正献最高師範についてのエピソード等は編纂しているのでとても参考になっております。
(5)学生時代から修練していた「躰道」について社会人となっても継続しています。
大学在学中に修練をしていた「躰道」も、卒業後も継続して鍛錬するとともに指導を担当しておりました。 そして、躰道の大会には機会あるごとに選手として出場をしていきました。
全日本選手権大会では連続して優勝をしました。全国社会人大会では東京国際大学のゼッケンを背中につけて出場し、優勝とともに栄誉ある「最高師範杯」を何回も獲得しました。全国の躰道指導者が集まる全国範士競技会でも個人の部、団体の部で優勝を果たしました。日米親善大会では選手を代表して宣誓を担当したこともありました。
海外で活躍をしている同窓生として、躰道部出身の内田光信氏(商学部4期卒)がおります。卒業後、アメリカに渡り、ネブラスカ州の大学を卒業すると、ジョージア州アトランタで「NAC」という会社を創り、日本とアメリカの企業のコンサルタントをしており、多くの政財界の人たちと交流を広げました。
東京国際大学の理念に基づいて、世界に羽ばたいて活躍している同窓生の内田光信氏です。また、内田光信氏はアメリカ躰道協会会長として数千人の会員に躰道の理念と実技を指導しております。
私もアトランタには、アメリカ躰道大会と世界親善躰道大会の時の二回訪れて選手として出場をしております。(完)

内田光信氏(アメリカ躰道協会会長)と
正田千鶴モダンダンススタジオの25名の生徒たちが中野体育館の武道場に集合しました。躰道を知っているものは2名しかいませんでした。ほとんどの人がが始めて聞いて、初めて躰道に接しました。
礼法・構え、基本五技、旋陰の法形までを指導しました。皆さんの覚えが早いので、よく観察しているとダンスで振り付けをいつも学んでいる習性があることに気がつきました。
小学校5年生から60歳までのメンバーが一生懸命に習っていました。真剣な眼差しで指導を受けています。基本に基づいて二人一組で攻防の稽古をしたときはさらに興味が増したようです。法形の順序も素早く習得して本日の研修は終了しました。
宮本奈緒美先生が躰道に関わっていた関係で、今回指導者として招聘されました。モダンダンスと躰道の融合が大きな飛躍のポイントになればいいと考えております。躰道は、各分野と共有することの出来る理念を持っています。(2007年10月7日)
アルヴァル ヒューゴソンさんと懇談(オークレール)
弘前に行った時に躰道の指導者でありますアルヴァル ヒューゴソンさんとお会いしました。
ヒューゴソンさんは弘前大学で英語の講師をされています。躰道では日本躰道協会の役員として活躍しています。地元の弘前市では躰道の指導をして多くの会員たちを育成している素晴らしい指導者です。
弘前アートホテルのティーラウンジ「オークレール」にて、懇談のひとときを過ごしました。やはり話題は躰道についてのこととなります。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の想い出、日本躰道協会の運営、各種大会の運営などについて話題となりました。
大会運営については、競技運営は若い人たちが率先して尽力しています。大会運営となると観客動員やOB師範への呼びかけ、大会終了後の報告と挨拶などを考慮してみると、祝嶺正献最高師範が生前話していたこと「躰道の競技大会を開催するのであれば多くの人に会場へ来てもらう方策を考えること。それが躰道を多く広報に繋がることで会員増強の目標となる」との理念に近づけることを再考する必要があるようです。
全日本躰道選手権大会で昭和51年に千駄ヶ谷駅前の東京体育館で開催された時には、観客が3階席まで埋まり体育館事務局の人は「本日は7400名の入場者で、日本躰道協会は良く多くの人を集めましたね」と話していたことが思い出されました。
その時、本部席とその後方の来賓席には150名の各躰道協会会長役員や師範たちで埋め尽くされていました。選手の入場行進は山田よしはる先生作曲による「躰道行進曲」がオーケストラの生演奏で会場内に響き渡りました。競技場は高台を設置して選手が見やすいように設営をされていました。
そのようなことをヒューゴソンさんと話して、今後もこのような大会運営が出来ることを祈念している。となりました。(2018.7.2)
(追伸)
アルヴァル ヒューゴソンさんは、テレビ東京系列の1時間番組に出演をしました。
「ワタシが日本に住む理由」というテーマで、経歴、躰道との出会い、祝嶺正献最高師範の理念、関場家のホームステイ、家族、料理つくり、行きつけのお店など詳しく紹介されていました。最後に日本人に要望することとして「もっと躰道を知ってほしい」とコメントをしていました。
小関迪筑波記念病院院長(医療法人社団 筑波記念会会長)
(訃報)
尊敬する小関迪先生の訃報が届きました。
令和4年12月29日に永眠されました。
「お別れの会」が3月18日(土)12時半 ホテルグランド東雲(つくば市小野崎488-1)で執り行われます。
以前、小関迪先生について綴ったものがありますので、掲載いたします。
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筑波記念病院院長である小関迪先生は躰道の大先輩であり学生時代から指導をして頂いた先生です。
日本躰道協会会長の要職も経験している人です。
筑波記念病院はつくば市で最初の救急急性期病院として1982年発足し、地域の中核病院として医療を提供することを目標に携わっています。
予防医療にも非常に力を入れ、急性期、慢性期、在宅医療までの完結型医療を行い、骨髄移植、脳外科手術、心臓手術などの高機能医療を提供しています。
2001年病院機能評価認定、2002年臨床研修病院指定を受けています。現在は600床のベッドで対応できる設備があります。
小関迪先生が一代で築いた筑波記念病院であります。