「道程」の教え 夢の支えに 山崎さん宇宙へ
恩師の遺族 墓前に成功祈願
4月5日午後7時21分、山崎直子さんがスペースシャトル「ディスカバリー」でケネディー宇宙センターを出発しました。山崎直子さんが、宇宙への夢を貫き通したのは、中学時代(松戸第一中学校)の亡き恩師から贈られた高村光太郎の詩「道程」を心の支えにしていたからでした。その恩師は山崎直子さんの2年~3年の担任であった天野修一教諭であります。
天野修一氏は躰道5段教士の指導者として後進の育成に活躍しておりました。私が東海大学躰道部の監督に就任していた時の躰道部主将としてクラブをまとめておりました。天野修一氏は、東海大学を卒業後、教員の道を歩み、中学校の生徒の中に山崎直子さんがいました。
山崎直子さんが、1999年2月宇宙飛行士の候補に選ばれたときに、新聞の記事を見ながら、天野修一先生は奥さんに対して「この子は教え子。頭も性格も運動神経も良くて、こんなに三拍子そろった子がいるんだと思っていた」と自慢げに話していたようです。
一ヵ月後、当時、がんと闘っていた天野教諭の元に山崎直子さんから手紙が届きました。病床の天野修一恩師への励まし、宇宙飛行士の訓練に挑む決意。そして「宇宙へ行く際には、ぜひフロリダの射場までいらしてください」と綴られていました。天野修一氏はそれから数日後、息を引き取ったのです。45歳でした。
その励ましの手紙を、天野夫人の君枝さんは今も大切に保管している。君枝さんは山崎直子さんへ電話をして「無事、ミッションが成功することを陰ながら応援しています」と激励していました。このエピソードは、NHKテレビ「ニュースウオッチ9」でも、“シャトルで宇宙へ山崎直子さん11年間の夢"として詳しく報道されておりました。
アメリカのアトランタ在住の躰道指導者の内田光信氏からもNHK衛星放送で天野修一さんの報道のニュースを観ていて、ヌンチャクの技が上手い彼のことを思い出した。とメールでコメントを頂きました。
私にとって天野修一さんの想い出はたくさんあります。自宅の千葉県松戸市から神奈川県の東海大学までの通学時間は片道3時間を要しておりました。それでも、勉学と躰道のクラブ活動は毎日休むことなくこなしておりました。転技を得意として躰道の全日本大会では実戦競技、法形競技での優勝経験もたくさんありました。
天野修一さんの葬儀に参列しましたが、棺の中には躰道着がかぶせてありました。躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、「躰道は社会還元のできる武道である」と諭されておりましたが、天野修一さんはその教えを実践してくれました。