つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

(想い出)天野修一さんについて

2022年09月02日 | 躰道
 2010年4月5日の読売新聞朝刊に掲載された記事を紹介いたします。

 「道程」の教え 夢の支えに 山崎さん宇宙へ
 恩師の遺族 墓前に成功祈願

 4月5日午後7時21分、山崎直子さんがスペースシャトル「ディスカバリー」でケネディー宇宙センターを出発しました。山崎直子さんが、宇宙への夢を貫き通したのは、中学時代(松戸第一中学校)の亡き恩師から贈られた高村光太郎の詩「道程」を心の支えにしていたからでした。その恩師は山崎直子さんの2年~3年の担任であった天野修一教諭であります。

 天野修一氏は躰道5段教士の指導者として後進の育成に活躍しておりました。私が東海大学躰道部の監督に就任していた時の躰道部主将としてクラブをまとめておりました。天野修一氏は、東海大学を卒業後、教員の道を歩み、中学校の生徒の中に山崎直子さんがいました。

 山崎直子さんが、1999年2月宇宙飛行士の候補に選ばれたときに、新聞の記事を見ながら、天野修一先生は奥さんに対して「この子は教え子。頭も性格も運動神経も良くて、こんなに三拍子そろった子がいるんだと思っていた」と自慢げに話していたようです。

 一ヵ月後、当時、がんと闘っていた天野教諭の元に山崎直子さんから手紙が届きました。病床の天野修一恩師への励まし、宇宙飛行士の訓練に挑む決意。そして「宇宙へ行く際には、ぜひフロリダの射場までいらしてください」と綴られていました。天野修一氏はそれから数日後、息を引き取ったのです。45歳でした。

 その励ましの手紙を、天野夫人の君枝さんは今も大切に保管している。君枝さんは山崎直子さんへ電話をして「無事、ミッションが成功することを陰ながら応援しています」と激励していました。このエピソードは、NHKテレビ「ニュースウオッチ9」でも、“シャトルで宇宙へ山崎直子さん11年間の夢"として詳しく報道されておりました。
 
 アメリカのアトランタ在住の躰道指導者の内田光信氏からもNHK衛星放送で天野修一さんの報道のニュースを観ていて、ヌンチャクの技が上手い彼のことを思い出した。とメールでコメントを頂きました。

 私にとって天野修一さんの想い出はたくさんあります。自宅の千葉県松戸市から神奈川県の東海大学までの通学時間は片道3時間を要しておりました。それでも、勉学と躰道のクラブ活動は毎日休むことなくこなしておりました。転技を得意として躰道の全日本大会では実戦競技、法形競技での優勝経験もたくさんありました。

 天野修一さんの葬儀に参列しましたが、棺の中には躰道着がかぶせてありました。躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、「躰道は社会還元のできる武道である」と諭されておりましたが、天野修一さんはその教えを実践してくれました。



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躰道「尾崎豊について」

2022年08月26日 | 躰道

 「尾崎豊と躰道のエピソード」(尾崎健一氏・記)

 豊が歌手デビュー後結婚して、男の子供ができたとき、子供にも是非躰道を教えようと思ったようです。忙しいツアーの間をぬって、新目白通りの円形のガスタンクの隣にある練馬体育館に時々顔を出してどなたかにご指導を受けたこともあるらしい。

 『久しぶりに(躰道を)やったので、今日は体の節々が痛くてしょうがないヨ』などとツアーの合間に、事務所を守っていた私と母の傍らにきて、満更でもない顔をして話していった記憶が残っています。また、どうせ一人の子供に教える位なら道場を持とうという考えに到達した豊は、少しばかり資金もできたせいで、早々とその実現を思い描くようになったようです。ツアーの合間に、事務所へ戻る度に、私にむかって『よい道場みつけといてくれた?』と、本気に聞く有様です。

 こちらは当面の彼のツアー完走のみが素人経営者の私にとっては目前の大問題で、それどころではない切迫した気分でしたが、豊の気持も察して『あちこち当っている最中』と答えておりました。豊がもう少し存命したならば、必ずどこかに道場をもったことは間違いなかったと思います。

 豊の思い描く道場は、大きな二階建で下が「躰道の道場」、上は「学習塾」でこちらの方は兄の康に任せる、とかなり具体性を帯びていました。当時兄の方はかなり大きな学習塾の理事候補で、塾講師を兼務しておりました。

 彼の夢の原型になったモデル校が今も朝霞にあります。下が剣道道場で上は学習塾となっております。ちなみに、彼の死後、豊のこうした意志をきかれた躰道創始者・祝嶺正献最高師範から『躰道五段・教士』の免状と『黒帯』を贈って頂きました。今は大切に私が保管し、やがて豊の遺児裕哉(ひろや)が青年になった時、こうした父・豊の志を告げてこれを渡そうと思っております。

 更にデビュー後の豊に躰道が益したのは、躰道の技――身のこなし――の美しさです。ロックアーチストというのは、すべてが自作自演の世界のようです。作詞、作曲、歌唱までの自作自演は誰も知るところですが、舞台でのフリまですべて自前です。『廻し蹴り』は豊の得意技で、時々舞台ではマイクを相手に披露していました。マイクすれすれのケリは中々難しかろうと、私は若干ハラハラし乍ら観ていたものです。

 その頃、他のアーチストの中でも次第にそのフリをまねる者が出てきて『あいつ、俺のマネをしている』などとテレビを見ながらつぶやいているのを覚えています。ただ私が見ると、空手の心得のない人の廻しゲリは、実にサマになっていないものが多かったのですが、最近は皆がうまくなったような気がします。当時豊が、深夜、創作の合い間に、自分の部屋に立てかけた大鏡にむかって、ギターを抱えたり、持たなかったりし乍ら、懸命にフリの研究をしていた姿を思い出します。

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中野哲爾師範について

2022年08月14日 | 躰道
 船橋市の整骨院「日月」(中野哲爾院長)で硬くなった身体をほぐしてもらいました。柔道整復師による一時間の施術でとても柔らかく軽くなって良かったです。

 拓殖大学に在学中から筑波大学でコーチ学を学び、指導中に教え子たちがケガなどをした時にすぐ対応できるように柔道整復師の資格も取得して整骨院を経営しています。

 中野哲爾師範は躰道6段教士の資格を取得している指導者であります。現在船橋市で躰道の己錬館道場で多くの会員の指導をしています。また千葉大学躰道部の創部以来、監督として学生たちの指導も担当しています。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の正統な理念と実技を伝承する素晴らしき指導者です。多くの後輩や学生たちからも慕われております。

 個人でも躰道の全日本躰道選手権大会や各種全国優勝大会にも出場して多くの優勝実績を重ねております。また4年ごとに開催される世界躰道選手権大会では個人法形競技で4連覇という偉業を成し遂げております。

 躰道の指導方法について懇談をしました。指導をするポイントとして躰道の審査項目に基づいて徹底的に基本技を習得するようにしているとのこと。

 中野哲爾師範は武道番組「黒帯ワールド」に出演をして躰道の演技を解説するなど躰道の広報に尽力されています。躰道の普及発展に貢献をしている中野哲爾師範の期待は大きいです。(2018.3.9)

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奥山安雪師範について

2022年08月13日 | 躰道
 躰道の仲間で奥山安雪さんがいます。奥山安雪さんは躰道八段範士として指導をしております。躰道の法形を一番よく知っている指導者として認識させています。

 法形演武においても、全国範士等競技大会でも入賞実績も数多くあります。躰道の法形については、すべての法形の内容を理解している数少ない指導者のうちの一人です。躰道の練習もとても熱心に稽古もするし、人の意見も素直に聞くことの出来る人であり、指導者としても多くの会員から慕われています。

 インターネットで奥山安雪師範の法形演武が動画で見ることが出来ます。
YouTubeで、Taido - Veteran hokei (kata - form)と検索すると「活命の法形」を演武している奥山安雪師範が写ります。(2009.12.7)


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谷口興一先生について

2022年07月27日 | 躰道
 谷口興一先生は、熊本県出身であり、東京医科歯科大学医学部の卒業生です。大学在学中に玄制流空手道の祝嶺正献最高師範と出会う機会に恵まれました。祝嶺正献最高師範からは、空手の指導と人生論を学んでいました。また医学的な面からは谷口先生が知識をサポートしていました。
 その後空手を進化させた新武道の理論と実技を祝嶺正献最高師範とともに考案していき、“21世紀への武道・躰道”として昭和40年に創始して日本躰道協会を設立しました。現在ある「躰道」の基礎を祝嶺正献最高師範と形成したのが谷口興一先生であります。

 谷口先生は、競技大会における審判講習に力を入れて審判員の育成に力を注いでいきました。その研修には、映像をふんだんに用いるなど科学的方法を使用して画期的な指導をとってきました。躰道の全日本選手権大会の実戦競技の決勝戦での主審審判員を担当した時の谷口先生の所作が鮮明に脳裏に浮かんできます。相対して隙あれば攻撃に出ようとする両選手が運足で移動する。選手が互いに動き始めて接近した瞬間に主審である谷口先生の右手が挙がったが、それは正に旋状蹴りの技が決まった瞬間であった。場内の観客は一瞬谷口先生の右手に注目が集まり、判定結果に納得しての万雷の拍手が次に沸き起こったのであります。審判は競技の演出者であることを実証した名審判のメモリアルシーンでありました。

 谷口先生は、祝嶺正献最高師範が逝去された後は、躰道本院最高会議議長として正統なる躰道理念を伝承していこうと尽力されておりました。その指導力は卓越したものがあります。人の意見はよく聞いてバランス感覚よく的確にまとめていきます。その根本的な思想のなかに祝嶺正献最高師範の唱えていた躰道の理念が活かされております。一回りも二回りもスケールの大きな人で、私が最も尊敬する人物の一人であります。会議などで会った時には優しく声をかけてくれますし、食事をしながら哲学を含んだ人生論なども話してくれる素晴らしい人です。それが谷口興一先生であります。

 躰道の創始者である祝嶺正献最高師範の理念を最も理解して、後進に伝承していきながら指導をしている人が、谷口興一先生であります。
(2007年9月3日)


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ラースさんと懇談

2022年07月07日 | 躰道
 スウェーデンから来日しているラースラルムさんと懇談のひとときを過ごしました。

 ラースさんは東京大学大学院で言語学を研修しております。日本の歴史や言語学を学ぶことがとても楽しいと語っております。

 一方、躰道6段位を取得している指導者です。英国のオックスフォード大学に在学中も学生に躰道を指導しておりました。

 母国のスウェーデンでも躰道を多くの会員達に指導して実績を重ねております。

 躰道について研鑽をしていることなどで、資料を沢山贈呈をしました。資料を受け取り「躰道の研究が進みます」と喜んでおりました。

 流石、学者の道を邁進している方なので、話す内容の理解力も素晴らしいです。

 躰道の稽古を一緒にしていた仲間なので、共通する話題が多くあり話に盛り上がりました。
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躰道の護身術

2022年06月01日 | 躰道
 護身術で男性を倒す女性

 躰道セミナーは谷鉄太郎先生による女性のための護身術を実施しました。           

 男性から両手を掴まれた女性は指の付け根に力を入れて手を返すと相手は力を入れてくるので反対の手を上方へ返すといとも簡単に男性をひっくり返すことが出来る。はじめは半信半疑であった女性達は、指導されるとおりに所作を行なうと力の強い男性をたたみの上に転がして護身術を体感していました。何回か試みるとすぐに慣れてきます。

 今回のセミナーに参加した人達は、体の柔軟性の大切さと護身術の醍醐味を味わって、とても参考になったと感想を述べていました。


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森田旭師範の想い出

2022年05月08日 | 躰道
 躰道の先輩である森田旭師範

 躰道の先輩でありよく指導を受けた森田旭師範の訃報が届きました。享年81歳。また親しい人が天国に逝ってしまいました。

(森田 旭師範の想い出)
 森田旭師範は、昭和41年当時、躰道の指導部長を担当していました。毎月第一、第三日曜日は、練馬で指導者研修会を開催していました。新設大学の国際商科大学(現東京国際大学)躰道部には、先輩もいなくて、指導者もいませんでした。そこで上級生たちは、この研修会に出席して新しい実技を習得していきました。大学の部活では、習ってきた躰道の実技を後輩たちに指導していました。毎回、この指導者研修会に参加することがとても楽しかったものです。

 その大きな要因は、森田旭指導部長の人柄でありました。稽古のときは厳しく、練習が終了すると優しく対応してくれる。更に尊敬をするようになったのは、第一回全日本躰道選手権大会は、昭和42年11月19日、町田市立体育会館にて開催された時です。森田旭選手は、法形競技の部に出場して優勝の栄冠に輝き、躰道界のトップに立ちその後の競技の歴史を飾りました。とても華麗にそして力強く演ずる森田旭選手の法形は、今でも目に焼きついています。

 その後、森田旭師範の法形演武を目標に私は躰道の修練に励んできました。
今でも継続して躰道の稽古ができるのも、その原点に森田旭師範がいたからと考えています。

 森田旭師範は、「祝嶺の型研究会」において、祝嶺正献最高師範の創作した法形を再度研修しています。ケータイに保存してある法形演武の動画を見せてもらいました。力は衰えていない素晴らしい演技に感心するばかりです。祝嶺正献先生が亡くなった後、いまや伝説となった「祝嶺正献の型」を自ら修練して、記録に残していこうとする森田旭師範の活動に敬服しております。

 久し振りにお会いした時、温厚な笑顔は変わらず、若々しい姿を保っている状況を確認したときに、祝嶺正献最高師範の理念と実技は永遠に継続していくことを確信しました。益々、精進されて一緒に演武をできることを楽しみにしたいと思っております。(2008年7月25日)


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坂本巧師範について

2022年03月16日 | 躰道
 坂本巧4段練士は、9才の時から板山昌司先生に弟子入りして躰道を修練してきました。その後、帝京第三高校の躰道部で実技を磨き、大学は東京国際大学に入学すると同時に躰道部(38期生)に所属して精進をしてきました。大学卒業後は、教員資格を得て、現在は川口市の小学校教諭として活躍をしております。大学の躰道部で同期であった田村郁恵さんと結婚して、二人は躰道の指導者として活動をしております。また、全日本選手権大会にも選手として出場をしています。

 2021年の4月から戸田市スポーツセンターの武道場を拠点として子供たちに躰道を指導しております。「陽進会」として活動をしております。その稽古場へ見学に行ってきました。子供会員は6歳から小学6年生まで元気よく練習をしておりました。感心したことには、会員たちが道場に入るときや指導者に対する礼儀作法がきっちりしていることです。指導者の眼を見ながら大きな声で挨拶をしている姿を見てとても微笑ましく感じました。
 稽古は、準備運動、指導者への挨拶から始まり、基礎体力運動から躰道の実技へと進んでおります。坂本巧先生のユニークな稽古風景を見ました。それは躰道には相手の攻撃を躱す訓練があるので、帯にタオルを巻き付けものを上下左右に回していくことに対して子供たちは身を躱しながら、指導者の腰につけてあるタグを取りに行く訓練です(タオルハンマー)。躰道の極技を想定したもので子供たちは一生懸命に気合を入れてタグを取りにいくことを楽しんでいるようでした。
 坂本巧先生は、子供たちが短時間に稽古に集中できるように適宜休憩を入れ水分補給の時間を採り入れております。日頃から学校の児童と接しているので子供たちの心理もよく把握しています。将来の目標を聴いてみると「全国大会で優勝する選手を育てたい」とのことでした。この日の指導には、奥さんである郁恵さん、城西大学躰道部OBの渡辺さんもサポートをしておりました。自分の修練をしてきた躰道を若者たちに指導する稽古場を見学出来て良かったです。益々のご活躍を祈念申し上げます。(2021.8.23)

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アルヴァル ヒューゴソンさんについて

2022年02月09日 | 躰道
 アルヴァル ヒューゴソンさんとは親しい躰道仲間です。躰道は七段教士を取得しており、日本躰道協会の国際局長、審判局長の要職に就いて活動しています。全日本躰道選手権大会の会場では真っ先に挨拶に来てくれる方です。

 スウェーデン出身で青森県の弘前大学を卒業していてとても日本文化と歴史に精通した人です。弘前をこよなく愛しています。せきばクリニックのクリスマスパーティーに参加していましたので久し振りにゆっくりとお話ができました。

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範の指導された理念を学習することの意義について熱く語っておりました。今後も情報を交換しながら若い躰道指導者たちに伝承していくことを誓い合いました。
(2016年12月20日記)






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日本躰道協会設立記念日

2022年01月23日 | 躰道
 1月23日は日本躰道協会の設立記念日です。

 躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範が「躰道」を21世紀への武道として社会へ公表をして旗揚げをしましたのが昭和40年(1965年)1月23日です。もう58年が経過しております。 

 当初は祝嶺正献最高師範が印可した師範資格者で組織する師範協議会がありました。組織の普及、指導者の育成、全日本大会開催等は師範協議会の協力のもとに運営されておりました。

 全日本大会の前日には全国から集まった師範の人たちの師範総会が開催されており、躰道の理念の徹底と師範達の親睦が図られて盛り上がっていました。
 大会当日は師範達が率先して呼び掛けた多くの知人や友人たちが大会会場に来場して全日本躰道選手権大会を観覧しておりました。会場の東京体育館(千駄ヶ谷駅前)には7千人の観客が集めたこともありました。

 祝嶺正献最高師範は大会開催の意義として「一般の人たちに会場に来てもらい、躰道の競技を観覧してもらうことが一番躰道の広報になり最も大切なことです」と常日頃話していました。師範の資格のある人達は観客動員に奔走しておりました。

 大会のプログラムは早くから準備をして広報活動の一環として躰道の説明が網羅された資料を持って関係者に配布して観覧を呼び掛けておりました。  
 報道関係者やマスコミにも案内をしておりましたので、大会当日の取材も多く各紙に全日本躰道選手権大会の模様が掲載されていました。

 祝嶺正献最高師範が亡くなって20年が経過しております。
 現在、若い指導者の中にも積極的に躰道を広報している方もおります。素晴らしいことです。
 躰道をもっと社会に認知されるには、観客の集まる大会運営の方策も考慮していく必要があります。そうでないと競技進行だけの大会となってしまいます。

 躰道五条訓による理念の基に、出場する選手たちのためにも観覧する人たちのためにも躰道の資料は必要でしょう。
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スウェーデンからのチョコレート

2022年01月22日 | 躰道
 郵便屋さんが届けてくれた郵送品はスウェーデンからのものでした。以前、日本で躰道を修練しながら日本の文化についての研究をしていたラースラルムさん(躰道5段教士)と奥様の菊子さんから、新年の挨拶はがきと美味しいチョコレートでした。

 HAPPY NEW YEARと記された手紙には、「池内先生 明けましておめでとうございます。お元気でいらっしゃいますか? コロナ禍が収まって、またお会い出来る日が来ることを楽しみにしております。またいつか躰道について語り合いたいですね。その日を楽しみにしております。少しですが私たちのお気に入りのチョコレートを同封します。 Lars & 菊子」

 なんと有難いことかとても嬉しくなりました。躰道を修練した時にはよく懇談をして交流を深めていました。以前、池袋でお二人に遭遇した時の模様を記したブログ「つれづれなるままに」を添付してお礼のメールを送付しました。年月も経過して遠くの国へ行かれたラースラルムさんの便りには本当に感謝しました。
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(思い出)藤丸英雄師範のこと

2022年01月14日 | 躰道
 藤丸英雄師範

 1月23日は、躰道の創設記念日であります。1965年(昭和40年)1月23日に躰道は誕生しました。その中に私が尊敬している躰道の指導者であります藤丸英雄師範がおります。祝嶺正献最高師範の直径のお弟子さんとなります。私にも優しく指導をしてくれました。

 私が20歳の成人式の当日は、躰道の合同練習日でした。豊島区の成人式記念式典に出席することもなく、千鳥ヶ淵で開催された躰道の合同練習に参加しました。堤の坂を利用しての腹筋運動を基礎体力の練習としてスタートしてから4時間に亘る充実した練習でした。

 祝嶺正献最高師範からは、躰道を指導するときの心構えと術技訓練を受けました。藤丸英雄師範からは、四方鍛錬、七段変化攻防の指導を受けたことを覚えております。綺麗な和服姿に着飾った成人式を迎えた女性が堤の下の道路を歩いていく姿が見えます。

 藤丸英雄師範は、早稲田大学の英文学部の出身で、学生当時から祝嶺正献最高師範から直接指導を受けておりました。その後、英語力を生かしてワシントンハイツで外国人の指導を試みたり、中野道場や二松学舎大学躰道部の初代監督として尽力させた功績は多大であります。故郷である愛知県小牧市に帰郷すると地元で躰道の道場を開設して多くの会員を育成してきました。

いつも明るく対応してくれる藤丸英雄師範。全国範士大会の会場で再会して、楽しく歓談をしました。(2008年1月23日記)


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八木政明師範について

2022年01月05日 | 躰道
八木政明師範

 北海道札幌市在住の躰道の八木政明師範が上京した折、久し振りにお会いして親交を深めました。八木師範(躰道6段教士)は、全日本躰道選手権大会に北海道(北海道大学躰道部員)の選手が多数出場するので応援に駆けつけたものです。前日に開催された日本躰道協会理事会にも北海道選出の理事として参加しました。会議終了後、築地の宿泊ホテルの近くのすし屋で深夜になるまで懇談しました。

 八木政明師範は、沖縄県出身で躰道の創始者の祝嶺正献最高師範とは親戚関係にある人です。東京医科歯科大学で歯学部に入学したときに躰道部の前身である玄制流空手道部に入部して鍛錬に励んでいました。八木師範は、空手の型が得意で競技大会では、いつも優勝および入賞していました。大学の合同合宿では直接玄制流の型を指導して貰ったことがあります。

 大学卒業後、北海道大学歯学部の教員となって教鞭に務めました。北海道大学の躰道部設立には越川博師範(東京医科歯科大卒)とともに尽力していました。北海道大学躰道部の監督から部長職を担当して学生たちを指導してクラブを大きくしてきました。札幌市内で歯科医院を開業しています。

 とてもカメラを愛用する方で、いつもかばんの中に入れて行動しております。上京して祝嶺正献最高師範と会うときは、必ず一緒の写真を撮っておりました。写真の整理をすることが得意な人です。趣味として海中ダイビングにトライしています。故郷の沖縄の海にもぐり、海がめと遭遇してその神秘さに感動したようです。また人の話の内容を真剣に聞く素晴らしい紳士であります。

 札幌を訪問した時にも、忙しい時でも必ず時間を取って会ってくれ情報交換をするなど交流を深めました。北海道大学に躰道の指導に出向いた時や、北海道躰道優勝大会の審判で訪問した時にも、その後の懇親会で楽しい話題に盛り上がったことを思い出します。 センチュリーロイヤルホテルの回転展望サロンで語り合ったことは良き思い出となっております。

 全日本躰道選手権大会では、北海道大学の選手に熱い声援を送っている姿がとても印象に残ります。隣席で一日中試合を観戦して楽しいひとときを八木政明師範と過ごすことができました。(2008年12月11日記)


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躰道創始者・祝嶺正献最高師範のお墓参り

2021年11月27日 | 躰道
 躰道創始者である祝嶺正献最高師範の命日(11月26日)にお墓参りに行ってきました。伊東駅には長女の齋藤育代さんが出迎えてくれました。お墓の右には戦時中海軍に所属した時の「死生観」(辞世の句)、左には「躰道五条訓」が掲示されています。

    祝嶺正献先生は20年前に76歳の時に亡くなりました。その2日前には東京武道館で開催された「全日本躰道選手権大会」の開会式では、全国から参加した選手たちに対して力強く温かさに溢れるメッセージを発しておりました。

     1965年(昭和40年)1月23日、21世紀への三次元の武道「躰道」を創始して社会に発表してから36年目のことでした。2001年には出身地の沖縄県で「世界躰道選手権大会 」と「国際躰道親善優勝大会」を 開催出来た時はとても喜んでおりました。

   今では、祝嶺正献先生から直接指導を受けた会員も数少なくなっております。毎年、命日にお墓参りをして、躰道の現況を報告できることは弟子として当然であると思い、参拝の為に伊東へ行っております。

    高台にあるお墓から見える伊東の港と相模湾の展望が快晴の天気に映えてとても素晴らしかったです。
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