護国寺「桂昌院」
徳川5代将軍綱吉は母親・桂昌院の要望に応えて、江戸に護国寺の建立を命じた。と伝えられています。
護国寺の本堂から少し離れたところに「桂昌院」があります。この建物は葬儀会場として使用されることが多くあります。
躰道仲間のロック歌手・尾崎豊氏が亡くなった時もこの「桂昌院」で音楽葬として葬儀が行われて参列していました。躰道創始者・祝嶺正献最高師範も参列していました。その他芸能関係者も多数参加されていました。その日は雨が降っている日でした。護国寺の周りには葬儀会場に入れない尾崎豊ファンの多数の若者たちが集まり別れを惜しんでおりました。護国寺付近の音羽通りと不忍通りは大渋滞で混乱しておりました。
大学の同期生である大久保由起子さんが嫁いだ先の大久保家の義父である大久保利康氏が亡くなった時も、この桂昌院で神道として葬儀が行われました。大久保利康氏は、明治維新の政治家であった大久保利通の孫にあたる人です。
大久保家のクリスマスパーティーに招かれた時には、大久保利康氏が参加者を温かく迎えてくれて楽しいひとときを過ごしたことが記憶にあります。
護国寺の桂昌院を通ると思い出します。
(5月24日記)