つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

「南風カオルの会」に参列

2011年02月23日 | 演芸
                    「南風カオルの会」で講演する女優の北林早苗さん

ヨリザワ企画主催による「南風カオルの会」に参加した。
吉澤信子社長からの案内で浅草仲見世の飯田屋へ行く。

南風カオル師匠は、昭和6年生まれ。中野弘子一座で育ち、5歳で「チンピラ劇」の座長として一世を風靡。昭和30年「南風カオル劇団」を旗揚げ。解散後、大衆演劇から商業演劇等、多様な舞台に出演。その後、至芸とも言うべき「一人芝居」で全国を巡演。芸能生活75周年を前に平成21年4月15日逝去(享年78歳)。

この日は、師匠と縁のある方に集まっていただき南風カオル師匠の舞台人生を振り返って語り合う会となった。
女優の北林早苗さんが、南風カオル師匠と「一本刀土俵入」で共演したときの話を中心に講演をした。取的・茂兵衛とあびこ屋の酌婦お蔦の出会いの場を再現して披露してくれた。
また、芸能界の裏話も話してくれた。芸能界用語というものがある。「笑う」とはそこのものをどける。との意味。
唐沢寿明がまだエキストラとして名も無い役で出演をしていたときに、監督から「そこのエキストラは笑いだ」と指示したところ、唐沢寿明はその場を立ち去らないで、大きな声で笑うことを何回も演じていて、助監督から注意を受けていたエピソード。
せっしゅう」とは、背の低い人が大きい人と並ぶ演技の時には足の下に台を置いて高さを調節するというもの。日本人ではじめての国際俳優となった早川雪洲が背の高い外国俳優と共演をするときに、踏み台を置いてその上に立って演技をしたところから「せっしゅう」という言葉が通例となった。
北林早苗さんの場合、鶴田浩二と共演をしたときに歯の高い下駄を履かされて演じたとエピソードを明かしていた。

その後、ビデオ映像で南風カオル師匠の「一本刀土俵入」公演を観賞した。
北林早苗さんのお話の後であったので、その場面の印象を強く見入っていた。
参列者の中には、北海道や京都から出席してきた人もいた。一人ずつ、人間味に溢れる南風カオル師匠との思い出を語って披露していた。

(2月23日記)

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