ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.1.6 書くことの難しさ

2011-01-06 22:13:30 | 日記
 新年からコメントをお受けするようになって、もうすぐ1週間が経つ。おかげさまでPC上での新しい出会いに心をときめかせ、そして新たな力を頂いている。が、書くことって本当に難しい、と今更のように実感しているのも確かだ。

 自分は全くそういうつもりで書いていなくとも、読み手の方たちがどのように解釈されるか、受け取り方によっては全く意味が変わってくるようなもの、読み手の方の読み方によっては上から目線に感じ、ひいては嫌な気持ちにさせてしまうようなものは、ブログ管理者として絶対書いていけないのだな、と自戒している。これは第一読者である夫からのサジェスチョンもある。

 お目にかかったことのない(もしかしたらどこかでお会いしている方もいらっしゃるのでしょうか。)、けれど私のブログにコメントを寄せてくださる方たち、このブログの大切な訪問者の方たちである。私も数名の方の闘病記ブログを「お気に入り」に登録して拝読しているけれど、「コメントを書く」ということは読ませて頂くだけよりもハードルが高いと思う。そんなわけで、私がこれまでにコメントを寄せたのはお二人だけ。本当に数えるほどだ。もちろん、わざわざコメントを寄せるわけだから、限られた字数の中で相手の気持ちを慮り、自分のことをうまく伝え、紹介しながら、気を使って書かなければならない。とすれば、このブログにコメントを寄せてくださる方たちも同じように書いてくださっているのだろう、と推測する。
 同じように厳しい闘病中である身であれば、あまりにそっけないコメントは書きたくない。かといってお目にかかったこともない方に対していきなりタメ口のようなものを書くのは、私の美意識に反する。それでも嬉しいコメントを頂けば、相手の方の心もほっこり温かくなるような、自分が頂いたら元気が出て、嬉しいだろうな・・・、と思えるようなコメントをお返ししたいと思う。そして、そのためには細心の努力をして書かなければいけない、と襟を正し、心している。

 お会いしたことがある方や、気心の知れている間柄なら、そしてまさに対面して話をしている状態なら、ちょっとしたまずい表現なり発言があっても「○○さんなら、そんなことを思って書いているわけではない(言っているわけではない)」ということが分かるだろうし、もちろんその場での訂正も可能だけれど、こうして匿名のハンドルネームだけだと、なかなかそうもいかない。
 対面で打ち合わせするのに比べ、電話やメールが怖い、というのも同じことだろう。電話でも頭を下げつつ挨拶をしてしまうような人は、話している声だけでも十分その誠意がわかるし、口先だけで謝っていると思われる電話では、ふんぞり返って受話器を持つ姿が浮かぶ。簡略な事務連絡のメールのやりとりでも不思議なほどその人の“人となり”が出てしまうように思う。

 このブログに訪れて頂く方たちが、離れて行ってしまわないように、丁寧にこれからも続けていければ、と思う。

 今日、明日は残業体制。
 朝のうちに夕食の支度をして出勤し、夫と息子には先に食事を済ませてもらった。
 ようやく明日、息子は学校の年始式。授業があるかどうか、しっかり記憶していないらしい。友人に確認の電話をさせたが、友人もわからないそうだ。今日、塾で同じ学校の卒業生である講師に聞いたら、「年始式の日に授業はない」と言われたらしい。「担任にメールして聞いても良いか。」と聞くと、「どうぞ。」と言う。一番前の席にすわっていながら、そんな不名誉なことをしていいわけないではないか。
 そして、土曜日からの3連休の後はそのまま4日間のスキー教室に参加だ。要するに1月の授業開始は17日から、ということらしい。本当にどこまでものんびりムードだが、スキー教室初日で、実は既に入試まで1ケ月を割っている。本当に大丈夫か・・・、とイライラしつつ、こちらだけやきもきしても仕方がない、と諦観するもう一人の私がいる。

 体調といえば、ステロイド効果のためハイテンションだ。ただ、相変わらず顔の火照りがうっとうしい。熱っぽいのかと思って熱を測ってみてもロキソニンのためか平熱で、なんだか変な感じだ。それでも昨日はそれほど寝つきも悪くなく、早朝の覚醒もなかったのが、救いだ。
コメント (3)
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