今日からゴールデンウィーク前半の3連休開始。5月2日は治療日だから、後半の体調を考えると、前半に遊ぶしかない!と、夫が何の気なしに予約した行先。あまり遠くなくて、海があって、街歩きも楽しくて・・・と決めた先が、なんと3つ年上の従姉が嫁いで以来ずっと住む街だった。
結婚後、彼女は2人の男の子の子育てに忙しく、私も社会人になって、結婚して、子育てして、とこれまた忙しく、年賀状だけのやりとりでずっと過ごしてきた。
その後、ここ数年の間に、伯母の病や伯父の急逝が続いた。4年前の春、伯父が急逝した時は、折り悪く私の再発・転移が判明した直後で、私の体調を案じた母が知らせて来ずに、葬儀には参列出来なかった、ということを以前「生涯現役」という記事で書いたと記憶している。
私は一人娘だし、今では父方の従兄姉たちとは年賀状すらやりとりがなく、殆ど付き合いがなくなってしまっている。一方、母方の従兄弟を全員集合させてみても、3つ上の従姉、2つ上の従兄、2つ下の従弟と3つ下の従妹の僅か4人である。
そんな数少ない彼らと、なかなか会うことが出来ない、そして今度会う時はもしかすると誰かの葬儀かもしれない・・・、そう思ったら、元気に動き回れるうちにきちんと会っておきたい、という思いに駆られた。
彼女の息子さんたちと我が家の息子が逢うのも初めて。伯父の1周忌、3周忌の法要の際も、息子はいつも出かけていて失礼してきたのだ。息子も一人っ子だし、従兄といえば義妹の息子(かなり年上)たち2人のみ。だから、こうした少し年上のお兄さんたちに逢う機会は限られているし、とても良いことに違いない、と。
そんな大仰なことを言わなくとも、とにかくせっかくそこまで行くのだから、と思い切って、メールをしてみた。「まだ先の話ですが、ゴールデンウィークの予定がまだでしたら、一緒にランチでもできませんか。」と。
従姉からは早速返事が来て、2泊3日殆どフル・アテンドでお付き合いして頂けることになった。
今日はランチと街歩き、明日は従姉の家族4人と我が家3人でクルーズとランチの後、ドライブ。明後日は普通は入ることが出来ないベース内にも知人を介して案内してくれるという、豪華で欲張りなスケジュールを組んでくれて、すっかり甘えてしまうことになった。
離れている・・・とずっと思い込んでいたのだが、実際には電車に乗って2時間弱で行けることが分かり(義母の入院先を往復するよりずっと近い。)、これからのことを思ってなんだかとても心強くなった。
夫と息子より一足先にこちらに到着して、従姉に街を案内してもらいながら、知る人ぞ知るという感じの素敵な隠れ家レストランでランチを済ませた。結婚して以来、従姉とこんなふうに一対一でランチをしたことなど今までなかった。親のこと、子育てのことなど、話は尽きることなく、あっという間に2時間半も経ってしまった。小さい頃から3つ年上でよく遊んでもらった憧れのお姉さんだった従姉と、そんな話が出来るようになったのだ、と思うと何やら不思議な感じだった。
街歩きの後、ホテルにチェックインをした私と、学校が終わった息子を連れてやってきた夫と合流し、息子と従姉は初対面のご挨拶。4人で、ホテルのラウンジで名物のチェリーチーズケーキ等に舌鼓を打った後、軍艦が展示されている公園まで散策した後、従姉と別れた。
それにしてもここは本当に日本なのか、と思うほど沢山の外人さんたちがごくごく普通に歩いている。両替商、アイリッシュ・パブや刺繍入りジャンバー、タトゥーのお店等など、ベースの外人さんたちで溢れる通りをそぞろ歩きながらホテルに戻ってきた。
ホテルでの夕食の間には、遠方の遊園地で上げられていた花火を楽しむことが出来、夜景がとても綺麗だった。
海辺の強い陽射しの中、日傘はさしたものの久しぶりに沢山歩いて足がびっくりしている。普段職場と自宅の往復しか歩いていないことに改めて気づかされる。
今日は早く休んで、また明日一日の楽しい休日に備えよう。
結婚後、彼女は2人の男の子の子育てに忙しく、私も社会人になって、結婚して、子育てして、とこれまた忙しく、年賀状だけのやりとりでずっと過ごしてきた。
その後、ここ数年の間に、伯母の病や伯父の急逝が続いた。4年前の春、伯父が急逝した時は、折り悪く私の再発・転移が判明した直後で、私の体調を案じた母が知らせて来ずに、葬儀には参列出来なかった、ということを以前「生涯現役」という記事で書いたと記憶している。
私は一人娘だし、今では父方の従兄姉たちとは年賀状すらやりとりがなく、殆ど付き合いがなくなってしまっている。一方、母方の従兄弟を全員集合させてみても、3つ上の従姉、2つ上の従兄、2つ下の従弟と3つ下の従妹の僅か4人である。
そんな数少ない彼らと、なかなか会うことが出来ない、そして今度会う時はもしかすると誰かの葬儀かもしれない・・・、そう思ったら、元気に動き回れるうちにきちんと会っておきたい、という思いに駆られた。
彼女の息子さんたちと我が家の息子が逢うのも初めて。伯父の1周忌、3周忌の法要の際も、息子はいつも出かけていて失礼してきたのだ。息子も一人っ子だし、従兄といえば義妹の息子(かなり年上)たち2人のみ。だから、こうした少し年上のお兄さんたちに逢う機会は限られているし、とても良いことに違いない、と。
そんな大仰なことを言わなくとも、とにかくせっかくそこまで行くのだから、と思い切って、メールをしてみた。「まだ先の話ですが、ゴールデンウィークの予定がまだでしたら、一緒にランチでもできませんか。」と。
従姉からは早速返事が来て、2泊3日殆どフル・アテンドでお付き合いして頂けることになった。
今日はランチと街歩き、明日は従姉の家族4人と我が家3人でクルーズとランチの後、ドライブ。明後日は普通は入ることが出来ないベース内にも知人を介して案内してくれるという、豪華で欲張りなスケジュールを組んでくれて、すっかり甘えてしまうことになった。
離れている・・・とずっと思い込んでいたのだが、実際には電車に乗って2時間弱で行けることが分かり(義母の入院先を往復するよりずっと近い。)、これからのことを思ってなんだかとても心強くなった。
夫と息子より一足先にこちらに到着して、従姉に街を案内してもらいながら、知る人ぞ知るという感じの素敵な隠れ家レストランでランチを済ませた。結婚して以来、従姉とこんなふうに一対一でランチをしたことなど今までなかった。親のこと、子育てのことなど、話は尽きることなく、あっという間に2時間半も経ってしまった。小さい頃から3つ年上でよく遊んでもらった憧れのお姉さんだった従姉と、そんな話が出来るようになったのだ、と思うと何やら不思議な感じだった。
街歩きの後、ホテルにチェックインをした私と、学校が終わった息子を連れてやってきた夫と合流し、息子と従姉は初対面のご挨拶。4人で、ホテルのラウンジで名物のチェリーチーズケーキ等に舌鼓を打った後、軍艦が展示されている公園まで散策した後、従姉と別れた。
それにしてもここは本当に日本なのか、と思うほど沢山の外人さんたちがごくごく普通に歩いている。両替商、アイリッシュ・パブや刺繍入りジャンバー、タトゥーのお店等など、ベースの外人さんたちで溢れる通りをそぞろ歩きながらホテルに戻ってきた。
ホテルでの夕食の間には、遠方の遊園地で上げられていた花火を楽しむことが出来、夜景がとても綺麗だった。
海辺の強い陽射しの中、日傘はさしたものの久しぶりに沢山歩いて足がびっくりしている。普段職場と自宅の往復しか歩いていないことに改めて気づかされる。
今日は早く休んで、また明日一日の楽しい休日に備えよう。