ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.4.2 北陸旅行に想い出すこと

2012-04-02 21:01:24 | 日記
 週末、夫と息子が北陸旅行から帰宅した。沢山の写真を見せてもらいつつ、もう30年近く前の学生時代に友人たちと出かけた旅行を懐かしく思い出した。

 30年近く前に旅行の計画を立てるといえば、現在のようにもネット検索等が手軽に出来なかったから、ガイドブックを買いこんで、まだ見ぬいろいろなお店の料理を思い浮かべつつ、時刻表と睨めっこをしながら、というものだった。

 この旅行は、昨年、四半世紀ぶりに四半期ごとの会合が復活した「つぼみの会」のメンバー4人で出かけた旅だった。
 バブル期前の貧乏女子学生の旅行だったから、行きは普通列車「大垣行き」の夜行列車で、ボックスシートに座ったままの夜明かしだったし、宿泊はユースホステル、という切り詰めようだった。夜遅く到着したユースホステルのお風呂のお湯が減り、砂でザラついていたのを見て、驚いた私たちは入浴出来ずじまいだったことも覚えている。
 それにしても、よくあんな蚕棚のような2段ベッドで寝られたものだ。

 それでも、金沢の武家屋敷、忍者屋敷を巡り、兼六園を愛で、名物の治部煮をリーズナブルな食堂で食べたり、お干菓子をお土産に買ったり。東尋坊や永平寺、輪島の朝市にも足を伸ばした。フリー切符を駆使しつつ観光ポイントは外さず、てんこ盛りの旅行だったように思う。
 季節は確か試験休みの春の初め。生まれて初めて訪れた豪雪地帯だったから、雪深さにびっくりしたのを覚えている。

 旅の途中、忘れられない出来事があった。
 永平寺でのこと。凄い雪だった。しんと静まり返った廊下の冷たかったこと。タイツを履いていても足先が痺れるほどの。それでも女子大生、お気楽に皆でポーズをとりながら写真撮影等をしていた。

 さて、帰ろうかと思った頃、一人の若いお坊さんから必死の形相で声をかけられた。
 「手紙を出してもらえませんか」と。
 息を呑んだ。
 「母にどうしても手紙を出したいのですが、修行中は家へ連絡を取ることは禁じられています。この辺りのポストに投函すれば必ず見つかって届かなくなってしまう。だから、どうかここを離れてからポストに入れてほしいのです。」と。
 能天気な女子大生に、そんな大役・・・、と思ったが、あまりの真剣さに受け取りを拒むことが出来なかった私だった。

 そして、そのまま封書をお預かりして、次の宿泊先かその次(だったと思う。)のポストから投函した。
 あの手紙は、無事にお母様の手元に着いたのだろうか。
 あの若いお坊さんは今、どうしておられるのだろう。立派な僧侶になっているのだろうか。
 思えば、あのお坊さんは私たちとそれほど歳が違わなかったのではないか、とも思う。

 ただそれだけのことなのに、今も思い出すとドキドキするほど私の心を打った出来事であった。

 さて、新年度初日。朝から異動してきた職員の挨拶やら何やらで落ち着かない雰囲気。特別何をしているわけでもないのに人疲れで疲労困憊といった感じ。
 陽射しは明るいので、思い切ってスプリングコートを着て出かけたけれど、風はまだ冷たい。桜の蕾も膨らんできているが、まだ花開く感じではない。こちらは都心に比べて気温が低いので、あと10日ほどしたら満開になるだろうか。残念ながら週末に行われる入学式には間に合いそうにない。
コメント (2)
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