患者会が毎月開催してくれていた講演会に参加しなくなって、気付けば早いもので1年になる。
昨年5月末の講演会に参加したのが最後だ。それまで毎月、会の開催等のマネジメントを一手に引き受けておられた事務局の方が逝かれて、もうすぐ1年。やはりそのダメージはとても大きく、その後、再びコンスタントな開催まで軌道に乗せるのがいかに大変だったかについては想像するに余りある。
患者会を運営する事務局の方たちは、その病気の体験者だから、どんなに元気に見えても、皆、サバイバーである。初発後何年も何十年も経って、とりあえず治療が終了している段階になっても、再発の不安が全くないという方はいないだろう。いわんや再発治療中の身であれば、精神的にも肉体的にもその重圧たるや大変なものだろう。ボランティアとはいえ片手間ではとても出来ない大変な仕事であり、本当に頭が下がることだ。
さて、私たち再発患者にとって、患者会の集まりに出席することはどんな意味があるのだろう、と改めて考えてみた。私は、再発治療が一段落してから入会した。
初発の時はもとより、再発後エンドレスに続くことになった治療をともに励まし合って頑張っていける友人は一人もいなかった。だから、とにかくこれから少しでも長く病気と共存していくために、そういう人との出逢いを強烈に求めていた。ターゲットは同年代で同じような治療をしている人、だ。
病院に通っても、単発の様々な講演会に行ってみてもいつも感じることだが、乳がん患者はがん患者の中では現役世代の若い年代が多い。とはいえ、やはり30代、40代というのは少数派。だから自分と同年代の人を探すのは結構大変だった。どこに行っても50代、60代、それ以上と思しき方が目立っていたから。
患者会のワークショップ等に参加して、初発と再発の患者は求めることが全く違うし、一緒には出来ないことを強く感じた。そして再発患者同士でも、世代やライフスタイルが全く異なる人たちとその後もずっと連絡を取り合うということもなかなかないだろうな、とも思った。それは翻ってごく普通のお友達作りと同様のごく当たり前のことなのだけれど。
再発患者の集まりに出かけて、何よりフラストレーションがたまったのは、沢山の方たちが自己紹介をすることだけで時間切れになってしまうこと。毎回毎回、自己紹介とちょっとした治療履歴を話し、一巡するとお開きの時間になる。あの方のお話をもっと聞きたいとか、こちらの話をもっと聞いてほしい、ということはその場では無理だった。ある程度まとまって意味のある話をしようと思ったら、一つのテーブルで8人を超えたら難しいだろう。
メンバーがだぶっていても、毎回毎回その自己紹介から始まって、新しい方をお迎えしてそれで終わり。如何ともしがたいことなのだろうけれど。だから、当然その後は時間が許せばプライベートにお茶をして帰る、ということになる(その時間の方が長くなることだってあるだろう。患者は皆、語りたいのだ。)。けれど、例えば日曜日に往復の時間をかけてその会場まで出向き、数時間の話し合い+お茶の時間、というのは、私にとっては厳しかった。翌日以降に備えて体調管理をしなければならないし、当然家事もある。だから一旦自分にとっての良い仲間が見つかれば、その後もさらに新しい友を求めてお話会に参加し続けることは難しいだろうとも思った。
もちろん、最初に私がそうだったように、新しく一人で参加する方は不安と心細さで一杯だろうし、先を歩いてくれる先輩や、ともに歩いてくれる仲間を求めて参加されるわけだから、そういう場で既に仲良くなった仲間だけでまとまって、排他的な雰囲気を醸し出してはならない、というマナーも十分理解出来る。
時間には限りがあるし、身体は一つだし、沢山の人と深く濃く付き合うことは現実問題として難しい。新しい治療の情報についてはいつもアンテナを張り巡らしておきたいとは思うけれど、今、自分の治療については主治医とも納得いくまで話し合うことが出来ているし、既に親しくさせて頂いている患者仲間との情報交換で十分満ち足りている。もちろんこれからのことに全く不安がないといえば嘘になるが、それはさらに新しい出逢いを強く求めるほどのものではない。
私の土日は限りがある。患者会以外の友人や家族との予定等もあり、体調管理にも使いたい。だから患者会の集まりとそれ以外の日程がバッティングしてしまった時、何を優先しても患者会に行くのか、というとそうではなくなっている自分がいる。もちろん不安でたまらなければ、何を置いても患者会の集まりに足を運ぶだろうから、そう考えれば今の精神状態はとても安定し幸せなのだろう、と思う。
今、私に出来ることは、こうしてブログを細く長く続け、同じような治療をされるかもしれない方たちに、少しでも多くの情報を発信すること、だと思っている。
さて、今日から6月。
息子の修学旅行の間は、ちょうどナベルビンの副作用で辛い期間にあたるから、休息が出来ると思っていたところ、急遽ナベルビンが中止となり、昨朝からホルモン治療に切り替わるという嬉しい(?)変更があった。そんなわけで体調が良く、嬉しい週末。ついつい無理をしてしまいそうだが、その辺はしっかりセーブしながら鋭気を養って、これからに備えたい。
昨年5月末の講演会に参加したのが最後だ。それまで毎月、会の開催等のマネジメントを一手に引き受けておられた事務局の方が逝かれて、もうすぐ1年。やはりそのダメージはとても大きく、その後、再びコンスタントな開催まで軌道に乗せるのがいかに大変だったかについては想像するに余りある。
患者会を運営する事務局の方たちは、その病気の体験者だから、どんなに元気に見えても、皆、サバイバーである。初発後何年も何十年も経って、とりあえず治療が終了している段階になっても、再発の不安が全くないという方はいないだろう。いわんや再発治療中の身であれば、精神的にも肉体的にもその重圧たるや大変なものだろう。ボランティアとはいえ片手間ではとても出来ない大変な仕事であり、本当に頭が下がることだ。
さて、私たち再発患者にとって、患者会の集まりに出席することはどんな意味があるのだろう、と改めて考えてみた。私は、再発治療が一段落してから入会した。
初発の時はもとより、再発後エンドレスに続くことになった治療をともに励まし合って頑張っていける友人は一人もいなかった。だから、とにかくこれから少しでも長く病気と共存していくために、そういう人との出逢いを強烈に求めていた。ターゲットは同年代で同じような治療をしている人、だ。
病院に通っても、単発の様々な講演会に行ってみてもいつも感じることだが、乳がん患者はがん患者の中では現役世代の若い年代が多い。とはいえ、やはり30代、40代というのは少数派。だから自分と同年代の人を探すのは結構大変だった。どこに行っても50代、60代、それ以上と思しき方が目立っていたから。
患者会のワークショップ等に参加して、初発と再発の患者は求めることが全く違うし、一緒には出来ないことを強く感じた。そして再発患者同士でも、世代やライフスタイルが全く異なる人たちとその後もずっと連絡を取り合うということもなかなかないだろうな、とも思った。それは翻ってごく普通のお友達作りと同様のごく当たり前のことなのだけれど。
再発患者の集まりに出かけて、何よりフラストレーションがたまったのは、沢山の方たちが自己紹介をすることだけで時間切れになってしまうこと。毎回毎回、自己紹介とちょっとした治療履歴を話し、一巡するとお開きの時間になる。あの方のお話をもっと聞きたいとか、こちらの話をもっと聞いてほしい、ということはその場では無理だった。ある程度まとまって意味のある話をしようと思ったら、一つのテーブルで8人を超えたら難しいだろう。
メンバーがだぶっていても、毎回毎回その自己紹介から始まって、新しい方をお迎えしてそれで終わり。如何ともしがたいことなのだろうけれど。だから、当然その後は時間が許せばプライベートにお茶をして帰る、ということになる(その時間の方が長くなることだってあるだろう。患者は皆、語りたいのだ。)。けれど、例えば日曜日に往復の時間をかけてその会場まで出向き、数時間の話し合い+お茶の時間、というのは、私にとっては厳しかった。翌日以降に備えて体調管理をしなければならないし、当然家事もある。だから一旦自分にとっての良い仲間が見つかれば、その後もさらに新しい友を求めてお話会に参加し続けることは難しいだろうとも思った。
もちろん、最初に私がそうだったように、新しく一人で参加する方は不安と心細さで一杯だろうし、先を歩いてくれる先輩や、ともに歩いてくれる仲間を求めて参加されるわけだから、そういう場で既に仲良くなった仲間だけでまとまって、排他的な雰囲気を醸し出してはならない、というマナーも十分理解出来る。
時間には限りがあるし、身体は一つだし、沢山の人と深く濃く付き合うことは現実問題として難しい。新しい治療の情報についてはいつもアンテナを張り巡らしておきたいとは思うけれど、今、自分の治療については主治医とも納得いくまで話し合うことが出来ているし、既に親しくさせて頂いている患者仲間との情報交換で十分満ち足りている。もちろんこれからのことに全く不安がないといえば嘘になるが、それはさらに新しい出逢いを強く求めるほどのものではない。
私の土日は限りがある。患者会以外の友人や家族との予定等もあり、体調管理にも使いたい。だから患者会の集まりとそれ以外の日程がバッティングしてしまった時、何を優先しても患者会に行くのか、というとそうではなくなっている自分がいる。もちろん不安でたまらなければ、何を置いても患者会の集まりに足を運ぶだろうから、そう考えれば今の精神状態はとても安定し幸せなのだろう、と思う。
今、私に出来ることは、こうしてブログを細く長く続け、同じような治療をされるかもしれない方たちに、少しでも多くの情報を発信すること、だと思っている。
さて、今日から6月。
息子の修学旅行の間は、ちょうどナベルビンの副作用で辛い期間にあたるから、休息が出来ると思っていたところ、急遽ナベルビンが中止となり、昨朝からホルモン治療に切り替わるという嬉しい(?)変更があった。そんなわけで体調が良く、嬉しい週末。ついつい無理をしてしまいそうだが、その辺はしっかりセーブしながら鋭気を養って、これからに備えたい。