ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.6.15 介護する側、される側、双方が納得できる期間とは

2012-06-15 20:30:36 | 日記
 先日、義妹と電話で話した時のこと。
 義母は先月以来、特養施設のショートステイに入っているが、容態はすっかり安定し、とても元気だという。来週明けには、義妹宅近くの施設に転所出来る手筈が整っている。

 義母は、息子(夫)や娘(義妹)の名前が出なくなるなど、残念ながら認知症の程度は2月の介護認定以降更に進行しているようだが、それ以外はどこも悪い所がなく、食事も摂れ、車椅子を押して散歩に出ると「気持ちいい。」と言ったり、夫のお腹を触って「出ている。」等という単語は出てくるそうだ。

 5か月間入院していた病院を退院して、現在の施設に移った当初は、食後何度か吐くことが続き、胃腸障害か、また病院に逆戻りか・・・と案じた経緯がある。(それを思えば)「施設に入れて落ち着いて、本当に良かったですね。」と言うと、義妹は「自分の親だし、(ある程度)良くなってそれは良かったのだけれど、でも、一体あと何年?と思うと・・・複雑。やっぱり、複雑。」と“複雑”という単語を何度か繰り返した。

 確かに施設におられる方たちは、70,80は鼻たれ小僧、90なんてまだまだ若い、100歳以上になってようやく一目おかれる存在になるのだという(先日は、結婚80周年・・・結婚60年はダイヤモンド婚、75年はプラチナ婚というが、80年は一体何というのだろう。・・・のカップルが、施設を訪れた親族一同からお祝いをしてもらったと聞き、本当に恐れ入った。)。
 空調完備で暑さも寒さも感じることなく、栄養管理された食事が3食きちんと提供され、体に悪いことはほぼしないのだから、在宅でケアするよりもよっぽど健康的で恵まれた生活かもしれない。だからこそ、の長寿なのだろう。

 相槌を打つわけにいかないし、全く否定するのも憚られ、なんとコメントしてよいやら、苦笑いをしながら返答に窮した。
 決して他人事ではないのだ。実家の父は先月84歳になった。母も来月79歳になる。今は2人で何とか頑張ってくれているとはいえ、本当にいつ、どちらかがどうにかなったら・・・と思うと、とにかく後生だから無事で頑張ってください・・・と祈るしかない、情けない一人娘の自分がいる。
 もちろん順番だけは守りたいから、看取りはしなければと思っているのだけれど。

 義母に加え、実家の両親のどちらか一人の介護が加わったら、我が家はマンパワー的にも金銭的にもたちまち立ち行かなくなる、と思う。
 義妹には「お互いまだまだ当分仕事を辞められませんね。頑張りましょう。」と電話を切った。

 夫にちょっと聞いてみた。
 「元気だった人が突然倒れてそのまま亡くなるというのでは、家族もすぐには受け容れ難いし、お別れをする時間も、看病する時間もなかった・・・と悔やみそう。でも、今度は何年も回復の見込みがないまま寝たきりの生活を続けるとしたら、どうかしら。いわゆる終末期はどのくらいの長さなら、看病する方もされる方も双方納得できる-やれることはやった-という期間なのかしら」と。
 夫はしばし考えて「1年くらいかな・・・」と言った。

 が、仮に私の病気が末期になりいよいよもう助からないという段階になり、食事も摂れず排泄のコントロールさえも出来なくなって、それなのに自分がそういう状態であるという意識だけはしっかりしている中での1年だとしたら、それは余りに長すぎるような気がする。
 北欧では、不自然な延命治療―家族のための点滴―を施さないことが殆どなので、1日22時間以上の「寝たきり」状態になってから亡くなるまで、せいぜい1か月という。
 かといって、そうそうポックリは逝けないだろうから、少しだけ看病してもらってお別れの時間をとって・・・と、なんだかつまらないことをつらつらと考えてしまう。
 考えてみたところで、答えは出ない問題だということは判ってはいるのだけれど。
コメント (2)
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