ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.6.11 やり切れない命

2012-06-11 21:15:50 | 日記
 早くも6月中旬に入った。朝から小雨が降ったり止んだりの梅雨らしいお天気だ。
 頭が重くなるのもこの気候だと仕方ないかもしれない。気圧が変化しやすく、湿度が高かったり肌寒かったりすると、骨だの関節だの傷口だの、は、どうも痛みがあるように思う。

 今や全くどこも痛くない!という日は殆どないので(もちろん加齢現象もあるのだろうけれど)、逆に今日はどこも痛くない?!と思うと、知らず知らずのうちに笑顔になって幸せを感じる。
 そして何より、気持ち悪くなく食事が摂れることが嬉しい昨今である。

 よほど重い病気を抱えている等ということがなければ、誰しも日々恙無く暮らしていけることが当たり前と思うものだろう。
 だから、昨日大阪で起きた通り魔事件のあまりの理不尽さに、言葉がない。

 大阪府知事は会見で「死にたければ自分で死ね。(人を巻き込まないで)自己完結せよ。」と言ったそうだが、なるほど、突き詰めればそういうことかもしれない。「死のうと思ったけれど、死に切れなかった。死刑にしてほしいから沢山人を殺せばいいと思った。誰でも良かった・・・」と。
 彼にとっては家もなく、仕事もなく・・・という辛い状況にあったのかもしれないが、彼とは全く無関係だというのに、その彼を死刑にするためだけに“誰でも良かった”と殺された方はたまらないではないか。
 このような事件が起こるたびに、どうしてこういう台詞が繰り返されるのだろう。なぜ、自分以外の人が背負っている人生に想いを至らせることが出来なかったのだろう。

 この後、彼がどんな刑罰を受けることになるかはわからないけれど、たとえ極刑になろうとも、理不尽に突然断ち切られた命は決して戻ってこない。残された遺族を想うに、何ともやり切れない。

 生きたくても生きられない人が沢山いる。生きるために辛い治療を続けている人も沢山いる。
 自分がこの世に生まれてきたのは一体どういう意味を持つのか・・・。東日本大震災で、あれだけ数多くの命が突然断ち切られた様を知らない筈はない彼は、あの時、何も感じずに今まで生きてきたのだろうか。

 殺される理由等何らなかった男性犠牲者は、「誰か助けてください。」と叫びながら、繰り返し刺され、その声がどんどん細くなっていったという。そんな状況で彼は2人目の犠牲である女性を刺した後、既に瀕死の重傷を負っている男性を、戻って更に刺し続けたというのだから、絶句する。

 自分の命を大切に出来ないから、こんなふうに他人の命を平気で奪うことが出来るのだろうか。
 こんなことを書かなければいけない事件がまたも起きたことを、何ともやり切れなく思う。
コメント (2)
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