今日も快晴。風もなく、穏やかな五月晴れである。
瞑想ヨーガ指導者養成コースは早くも6日目、今日が終われば前期の折り返し点になる。この間、1日だけお一人が欠席された以外、29名全員皆勤である。その学びの圧倒的な面白さと、参加者の真剣だけれど笑顔が絶えない明るいクラスの雰囲気-これこそSさんのインストラクターとしての魅力や、コースの組み立ての素晴らしさを物語っていると思う。
午前中は“異なる流派のヨーガ1”で、ゲスト講師Aさんが登場された。「ヨーガには様々な流派があるが、それらを体験するために色々なスタジオに通うのはハードルが高い。けれど、是非皆で体験して頂きたいのでお招きしました」とのこと。
クリパルヨーガ、全く初めて耳にする言葉だ。意識のヨガ、慈悲のヨガと言われ、アメリカで発展したという。ボディワークや心理学の影響も大きく、ヨーガのエッセンスのみを万人(人種、体型等)に馴染むようにアレンジし、今も柔軟に変わり続けている流派だそうだ。
最初の2時間は座学。Aさんの穏やかでおっとりしながらも淀みなく圧倒的な情報量の語りに、まずは度肝を抜かれ、あっという間に惹きこまれる。この流派は言葉を大切にするといい、Aさんの言葉にもとても癒される。私がヨガが好きだと思うようになったのは「自分を見つめ、人と比べない、出来る・出来ないでジャッジしない」というコンセプトだったのだけれど、まさにその言葉が度々紡がれて、ああ、これだったのだとご縁を感じた。
ポーズのアライメント(姿勢)を整えてエッジ(肉体的にも心理的にもギリギリの切羽詰まったところや状況)を探究する “BRFWA”(B(呼吸して)、R(リラックスして)、F(感じて)、W(目撃して)、A(受容して委ねる))という一連の具体的なツールも、実践していくのにとても分かり易い。ペアワークでは言葉の違いによる色々な気付きに驚くという体験をした。
最後の一時間はヨガで身体を動かした。Aさんがリードする言葉が凛として、穏やかな講義の語り口とはイメージが違って、本当に素敵な時間を過ごすことが出来た。最後にAさんを囲んで皆で記念写真タイム。和やかなムードで午前の部は無事終了。
そしてお待ちかねのランチタイム。今日は同じチームの4人でいつものお気に入りタイ料理店へ。昨日はネパールカレーだったところ、夫から「今日は夕食にカレーを作りますので、ダブらないように」というLINEが入り、パッ・タイ(タイの焼きそば)をチョイス。他の3人は今日もグリーンカレーに舌鼓を打っていた。皆、午前の講義が本当に面白かった、凄かったとかなり興奮気味。自分の好きなことの為にこんなに楽しい時間を過ごさせて頂くことの出来る私達は、本当に幸せで恵まれているね、という話になった。
午後はヨーガ哲学の2回目。課題図書を読み、ヨーガ・スートラの中から気になった(気に入った)句や言葉を決めてくるというホームワークが出ており、チームごとにシェア。その後、一人ひとりが自分のチョイスをお披露目した。
私は「他の幸福を喜び(慈)、不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)、不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ」というヨーガ・スートラ第1章33番を選んだ。ヨーガの目的は“心を鎮めて本来の純粋な自分に戻る(見つめる)こと”だが、私が選んだくだりは、その心を鎮めるいくつかのやり方の一つだ。
この句は29人のうち3人がダブって選んでおり、冒頭のヨーガの定義と1番人気を分け合った。後から1章のエッセンスという句にピックアップされ、サンスクリット語で発音も教えて頂くことが出来て満足。(帰宅後、サンスクリット語の発音が難しくて頭が飽和状態だとこぼしたら、その歳で新しい語学を始めるのはそれは大変だよ、と夫に言われちょっとシュンとしてしまう。耳も記憶力も大分衰えているのは否めない。)ずっと座っていた所為か、腰も痛くなって、休み時間に均整術師のIさんに腰をほぐして頂いた。
長く本と睨めっこしていため、眼を休めるために、と閉めは15分ほど昨日習ったキールタンを数曲歌ってリラックス。こうして本日も無事終了した。次回は2週間後である。
帰宅すると、予告通り夫が夕食を作って待っていてくれた。実家の母からは贈った蘭の鉢植えが届いたという御礼の電話があったが、我が家の息子は母の日もスルーだから、と彼の代わりに夫が初物のさくらんぼを用意してくれた。有難いことである。
というわけで充実(盛り沢山過ぎてかなり消化不良の部分もあり)の土日が終わって、明日からは連休気分も払拭せねばならない新しい1週間が始まる。手帳を見れば既にあれこれ日程が詰まっている。息切れしないように週末まで乗り切らなくては。
瞑想ヨーガ指導者養成コースは早くも6日目、今日が終われば前期の折り返し点になる。この間、1日だけお一人が欠席された以外、29名全員皆勤である。その学びの圧倒的な面白さと、参加者の真剣だけれど笑顔が絶えない明るいクラスの雰囲気-これこそSさんのインストラクターとしての魅力や、コースの組み立ての素晴らしさを物語っていると思う。
午前中は“異なる流派のヨーガ1”で、ゲスト講師Aさんが登場された。「ヨーガには様々な流派があるが、それらを体験するために色々なスタジオに通うのはハードルが高い。けれど、是非皆で体験して頂きたいのでお招きしました」とのこと。
クリパルヨーガ、全く初めて耳にする言葉だ。意識のヨガ、慈悲のヨガと言われ、アメリカで発展したという。ボディワークや心理学の影響も大きく、ヨーガのエッセンスのみを万人(人種、体型等)に馴染むようにアレンジし、今も柔軟に変わり続けている流派だそうだ。
最初の2時間は座学。Aさんの穏やかでおっとりしながらも淀みなく圧倒的な情報量の語りに、まずは度肝を抜かれ、あっという間に惹きこまれる。この流派は言葉を大切にするといい、Aさんの言葉にもとても癒される。私がヨガが好きだと思うようになったのは「自分を見つめ、人と比べない、出来る・出来ないでジャッジしない」というコンセプトだったのだけれど、まさにその言葉が度々紡がれて、ああ、これだったのだとご縁を感じた。
ポーズのアライメント(姿勢)を整えてエッジ(肉体的にも心理的にもギリギリの切羽詰まったところや状況)を探究する “BRFWA”(B(呼吸して)、R(リラックスして)、F(感じて)、W(目撃して)、A(受容して委ねる))という一連の具体的なツールも、実践していくのにとても分かり易い。ペアワークでは言葉の違いによる色々な気付きに驚くという体験をした。
最後の一時間はヨガで身体を動かした。Aさんがリードする言葉が凛として、穏やかな講義の語り口とはイメージが違って、本当に素敵な時間を過ごすことが出来た。最後にAさんを囲んで皆で記念写真タイム。和やかなムードで午前の部は無事終了。
そしてお待ちかねのランチタイム。今日は同じチームの4人でいつものお気に入りタイ料理店へ。昨日はネパールカレーだったところ、夫から「今日は夕食にカレーを作りますので、ダブらないように」というLINEが入り、パッ・タイ(タイの焼きそば)をチョイス。他の3人は今日もグリーンカレーに舌鼓を打っていた。皆、午前の講義が本当に面白かった、凄かったとかなり興奮気味。自分の好きなことの為にこんなに楽しい時間を過ごさせて頂くことの出来る私達は、本当に幸せで恵まれているね、という話になった。
午後はヨーガ哲学の2回目。課題図書を読み、ヨーガ・スートラの中から気になった(気に入った)句や言葉を決めてくるというホームワークが出ており、チームごとにシェア。その後、一人ひとりが自分のチョイスをお披露目した。
私は「他の幸福を喜び(慈)、不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)、不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ」というヨーガ・スートラ第1章33番を選んだ。ヨーガの目的は“心を鎮めて本来の純粋な自分に戻る(見つめる)こと”だが、私が選んだくだりは、その心を鎮めるいくつかのやり方の一つだ。
この句は29人のうち3人がダブって選んでおり、冒頭のヨーガの定義と1番人気を分け合った。後から1章のエッセンスという句にピックアップされ、サンスクリット語で発音も教えて頂くことが出来て満足。(帰宅後、サンスクリット語の発音が難しくて頭が飽和状態だとこぼしたら、その歳で新しい語学を始めるのはそれは大変だよ、と夫に言われちょっとシュンとしてしまう。耳も記憶力も大分衰えているのは否めない。)ずっと座っていた所為か、腰も痛くなって、休み時間に均整術師のIさんに腰をほぐして頂いた。
長く本と睨めっこしていため、眼を休めるために、と閉めは15分ほど昨日習ったキールタンを数曲歌ってリラックス。こうして本日も無事終了した。次回は2週間後である。
帰宅すると、予告通り夫が夕食を作って待っていてくれた。実家の母からは贈った蘭の鉢植えが届いたという御礼の電話があったが、我が家の息子は母の日もスルーだから、と彼の代わりに夫が初物のさくらんぼを用意してくれた。有難いことである。
というわけで充実(盛り沢山過ぎてかなり消化不良の部分もあり)の土日が終わって、明日からは連休気分も払拭せねばならない新しい1週間が始まる。手帳を見れば既にあれこれ日程が詰まっている。息切れしないように週末まで乗り切らなくては。