ああ、なんて爽やかで気持ちの良い週末だろう。青空が冴えわたり、空気もカラッとしている。陽射しは強いけれど、日傘を差して綿手袋もしているから、ど~んと来い!という気分になる。
今日は8週間ぶり、父の脳神経外科受診。通院付添いの日だ。
予約時間の10分前には到着するように家を出た。母とは予めその時間に待ち合わせていたが、乗り換えも順調で5分ほど早く到着した。エントランスを入ると、これまでで一番混んでいる。沢山ある待合椅子も既に一杯だ。両親の姿は見えない。奥の方まで探し回ったけれど、やはりまだ来ていない。何かあったのだろうかと母の携帯に電話をするが、何十回鳴らしても、かけ直してみても一向に出ない。
イライラしながら出口の辺りを出たり入ったり。約束した時間からかなり遅れて、ようやく母が何食わぬ顔で入ってきた。独りである。父は介護タクシーのドライバーさんにお任せして一足先に来てしまったようだ。数分遅れてドライバーさんに車椅子を押してもらって父が入ってきた。ドライバーさんに御礼を言い、父に「おはようございます」と挨拶するが、返事はなし。きょとんとしているというか視線を合わせないというか。
とりあえず母からIDカードを預かって受付を済ませる。ドライバーさんが車椅子を固定してくださり、何とか席を確保する。
「携帯に連絡したけれど出なかったでしょう?」と訊けば、「ああ、持ってこなかった」と言う。いきなり脱力する。つい「携帯が不携帯では、何のために持っているのか判らないでしょう。外出先でどうやって連絡をとればいいの?」と言うと「いきなり叱られてしまった・・・」と黙り込んでしまう母だ。
いつもはほぼ予約時間に呼んで頂けるのだが、この混み方ではどうだろう、と思った通りなかなか呼ばれない。30分弱遅れてようやく呼ばれたが、診察室から離れた席しか空いていなかったので、辿り着く迄に時間がかかる。
私は荷物を持ち、母に車椅子を押してもらう。何回やってもうまく行かずにモタモタしている。ぐっと堪えて任せる。部屋に入ると、それまでウトウトしていた父が、突然必要以上に大きな声を出して「先生、よろしくお願いします」と挨拶している。この豹変ぶりにまたしても絶句する。
K先生が血圧を測りながら「目の見え方はどうですか」と尋ねると「右は霞みますが、左は良く見えます」としっかり答えている。先生が私の方を向き、「1月の出血前と今と見え方は違っているようですか?」と問われるが、一緒に暮らしているわけでもないし、何とも答えようがない。母は「見えていると思います」と相変わらずハッキリしない応え。
今度は先生が父に「おいくつですか」と質問。「88歳です」と大きな声でハキハキと応える父。いや、まだでしょう、来週が誕生日ですから・・・と黙っていると「それはそれは、米寿のお祝いですか」とカルテ(の生年月日)を見ながら訊かれたので、私は「はい、来週が誕生日で」と応ずる。本人は高らかに「昭和3年5月○日生まれです」と言っている。「今日は何日ですか」にも「平成28年5月13日、金曜日です」と。先生は「いや~、バッチリですね」と笑っておられる。
いや、逢った時のあのボーっとした感じ、無表情で無口な感じはどこへ行ったのだろうと、こちらがドギマギしてしまう。そして極め付けは「先生、先生だけが頼りです。100歳まで生きたいのでどうかよろしくお願いします」と先生の両手を握らんとしている。これには先生と顔を見合わせて苦笑いである。
「そうですね、あと20年頑張ってください」と先生が仰る。こちらはなんとなく下を向いてしまう。もう死にたい、と言われるよりはよほど良いのかもしれないけれど、父は日々何かやりたいこと、これといった趣味があるわけでもなく、デイサービスに渋々行きながら自宅にいる時は庭にさえ出ずにウトウトしているだけの毎日を過ごしている。それでも100歳まで生きたいという意欲を見せられ戸惑ってしまう私。
父があと12年頑張るとなると、とてもではないが、親子の順番は守れないだろう。母だって12年後は94歳、これまたどうなっているか判らない。
「1月の出血はもう回復したということでいいと思いますが、高齢なので血圧が低くてもまた出血がないとも限りません。何か変わったことがあったらすぐ連絡してください。今服用中の認知症の薬の副作用もないようですし、このまま続けましょう」ということで次回8週間後に予約が入った。
お礼を言って診察室から出て、会計を待つ。支払を済ませてから、同じビルの中の薬局に移動。2人にはそのまま待合で待っていてもらい、一人で薬局に出向いた。こちらもいつもとは比較にならないほどの混雑。座る席もないほどで、受付で薬剤師さんから申し訳なさそうに「30分から40分くらいお待ち頂くことになりますが、大丈夫ですか」と訊かれる。20人待ちだったので、自分が薬局で待つことを考えれば何も問題はないだろうと手続きを終えて待ち始める。
すると、母が一人でやってくる。車椅子の父はクリニックの待合に置いてきぼりにして。「どうして一人でこちらに来るの、ちゃんと(父を)観ていないとだめでしょう?30分くらい待つらしいから」と言うと、「(父が)早く家に帰りたいみたい。薬なら介護タクシーのドライバーさんが、空いている薬局に行ってあげると言っているんだけど」と訳の分からないことを言い出す。
詳しく訊くと、介護タクシーのドライバーさんは私達がクリニックにいる間、帰路の送りのために近場で時間潰しをしているらしい。ここで延々と待たされるよりは、別の空いた薬局に行く方が拘束される時間が少なくなるというあちら側の事情もあるようだ。
とはいえ、「既に受付をしてしまっているのだから、いきなり『やっぱり結構です、他の所でお願いしますから』とは言えないでしょう?もしそういうことなら、私が薬局に来る前にハッキリ言ってくれない?」と言うとまた黙り込んでしまう。
結局、30分弱待って薬を受け取って、さてドライバーさんを呼ぼうと電話をしようとクリニックに戻ると、既にドライバーさんが迎えに来て車椅子を押し始めていた。痺れを切らして来てくださったのかどうかは定かではないが、なんだか噛みあわなくてやけに疲れる。
そして、2人が再び介護タクシーで実家に帰るのを見送って、今日の私のお役御免になった。ここで初めて父は手を振って帰って行ったけれど、結局、私とはひとことも会話をしなかった。大人しいといえば大人しいのだけれど、これまたどうしたものか。
外は気持ちの良い五月晴れの金曜日。それなのに心は晴れない。心を静めるためにはまだまだ修行中であるということか。
次回の予約は7月、母の通院と父の通院が同じ週になってしまった。週に2日の介護休暇取得もなかなか辛いものがある。今の予定だと私の通院日とはズレるが、治療薬が変わればそれも判らない。まあ、今から気に病んでも仕方ないので、そうなったら頑張って2人で乗り切ってもらうしかないのだけれど。
今日は8週間ぶり、父の脳神経外科受診。通院付添いの日だ。
予約時間の10分前には到着するように家を出た。母とは予めその時間に待ち合わせていたが、乗り換えも順調で5分ほど早く到着した。エントランスを入ると、これまでで一番混んでいる。沢山ある待合椅子も既に一杯だ。両親の姿は見えない。奥の方まで探し回ったけれど、やはりまだ来ていない。何かあったのだろうかと母の携帯に電話をするが、何十回鳴らしても、かけ直してみても一向に出ない。
イライラしながら出口の辺りを出たり入ったり。約束した時間からかなり遅れて、ようやく母が何食わぬ顔で入ってきた。独りである。父は介護タクシーのドライバーさんにお任せして一足先に来てしまったようだ。数分遅れてドライバーさんに車椅子を押してもらって父が入ってきた。ドライバーさんに御礼を言い、父に「おはようございます」と挨拶するが、返事はなし。きょとんとしているというか視線を合わせないというか。
とりあえず母からIDカードを預かって受付を済ませる。ドライバーさんが車椅子を固定してくださり、何とか席を確保する。
「携帯に連絡したけれど出なかったでしょう?」と訊けば、「ああ、持ってこなかった」と言う。いきなり脱力する。つい「携帯が不携帯では、何のために持っているのか判らないでしょう。外出先でどうやって連絡をとればいいの?」と言うと「いきなり叱られてしまった・・・」と黙り込んでしまう母だ。
いつもはほぼ予約時間に呼んで頂けるのだが、この混み方ではどうだろう、と思った通りなかなか呼ばれない。30分弱遅れてようやく呼ばれたが、診察室から離れた席しか空いていなかったので、辿り着く迄に時間がかかる。
私は荷物を持ち、母に車椅子を押してもらう。何回やってもうまく行かずにモタモタしている。ぐっと堪えて任せる。部屋に入ると、それまでウトウトしていた父が、突然必要以上に大きな声を出して「先生、よろしくお願いします」と挨拶している。この豹変ぶりにまたしても絶句する。
K先生が血圧を測りながら「目の見え方はどうですか」と尋ねると「右は霞みますが、左は良く見えます」としっかり答えている。先生が私の方を向き、「1月の出血前と今と見え方は違っているようですか?」と問われるが、一緒に暮らしているわけでもないし、何とも答えようがない。母は「見えていると思います」と相変わらずハッキリしない応え。
今度は先生が父に「おいくつですか」と質問。「88歳です」と大きな声でハキハキと応える父。いや、まだでしょう、来週が誕生日ですから・・・と黙っていると「それはそれは、米寿のお祝いですか」とカルテ(の生年月日)を見ながら訊かれたので、私は「はい、来週が誕生日で」と応ずる。本人は高らかに「昭和3年5月○日生まれです」と言っている。「今日は何日ですか」にも「平成28年5月13日、金曜日です」と。先生は「いや~、バッチリですね」と笑っておられる。
いや、逢った時のあのボーっとした感じ、無表情で無口な感じはどこへ行ったのだろうと、こちらがドギマギしてしまう。そして極め付けは「先生、先生だけが頼りです。100歳まで生きたいのでどうかよろしくお願いします」と先生の両手を握らんとしている。これには先生と顔を見合わせて苦笑いである。
「そうですね、あと20年頑張ってください」と先生が仰る。こちらはなんとなく下を向いてしまう。もう死にたい、と言われるよりはよほど良いのかもしれないけれど、父は日々何かやりたいこと、これといった趣味があるわけでもなく、デイサービスに渋々行きながら自宅にいる時は庭にさえ出ずにウトウトしているだけの毎日を過ごしている。それでも100歳まで生きたいという意欲を見せられ戸惑ってしまう私。
父があと12年頑張るとなると、とてもではないが、親子の順番は守れないだろう。母だって12年後は94歳、これまたどうなっているか判らない。
「1月の出血はもう回復したということでいいと思いますが、高齢なので血圧が低くてもまた出血がないとも限りません。何か変わったことがあったらすぐ連絡してください。今服用中の認知症の薬の副作用もないようですし、このまま続けましょう」ということで次回8週間後に予約が入った。
お礼を言って診察室から出て、会計を待つ。支払を済ませてから、同じビルの中の薬局に移動。2人にはそのまま待合で待っていてもらい、一人で薬局に出向いた。こちらもいつもとは比較にならないほどの混雑。座る席もないほどで、受付で薬剤師さんから申し訳なさそうに「30分から40分くらいお待ち頂くことになりますが、大丈夫ですか」と訊かれる。20人待ちだったので、自分が薬局で待つことを考えれば何も問題はないだろうと手続きを終えて待ち始める。
すると、母が一人でやってくる。車椅子の父はクリニックの待合に置いてきぼりにして。「どうして一人でこちらに来るの、ちゃんと(父を)観ていないとだめでしょう?30分くらい待つらしいから」と言うと、「(父が)早く家に帰りたいみたい。薬なら介護タクシーのドライバーさんが、空いている薬局に行ってあげると言っているんだけど」と訳の分からないことを言い出す。
詳しく訊くと、介護タクシーのドライバーさんは私達がクリニックにいる間、帰路の送りのために近場で時間潰しをしているらしい。ここで延々と待たされるよりは、別の空いた薬局に行く方が拘束される時間が少なくなるというあちら側の事情もあるようだ。
とはいえ、「既に受付をしてしまっているのだから、いきなり『やっぱり結構です、他の所でお願いしますから』とは言えないでしょう?もしそういうことなら、私が薬局に来る前にハッキリ言ってくれない?」と言うとまた黙り込んでしまう。
結局、30分弱待って薬を受け取って、さてドライバーさんを呼ぼうと電話をしようとクリニックに戻ると、既にドライバーさんが迎えに来て車椅子を押し始めていた。痺れを切らして来てくださったのかどうかは定かではないが、なんだか噛みあわなくてやけに疲れる。
そして、2人が再び介護タクシーで実家に帰るのを見送って、今日の私のお役御免になった。ここで初めて父は手を振って帰って行ったけれど、結局、私とはひとことも会話をしなかった。大人しいといえば大人しいのだけれど、これまたどうしたものか。
外は気持ちの良い五月晴れの金曜日。それなのに心は晴れない。心を静めるためにはまだまだ修行中であるということか。
次回の予約は7月、母の通院と父の通院が同じ週になってしまった。週に2日の介護休暇取得もなかなか辛いものがある。今の予定だと私の通院日とはズレるが、治療薬が変わればそれも判らない。まあ、今から気に病んでも仕方ないので、そうなったら頑張って2人で乗り切ってもらうしかないのだけれど。