学内の銀杏並木の黄色が美しい季節になった。気づけば立冬である。
朝夕の冷え込みはぐっと強くなったが、それでも太陽が顔を出せば日中は暖かい小春日和になる。日がうんと短くなるのを除けば、過ごしやすく目も楽しめる良い季節である。
日々恙なく暮らしていることを改めて有難く思う。
一日が終わり、ベッドに入って灯りを落とし、マントラCDを聴く。最後まで聞けないうちに眠りに落ちる。夜中に1度はお手洗いに起きることはあっても、目覚まし時計が鳴れば自然に起きられる。
朝日を浴びながらルーティンの朝ヨガと瞑想を済ませる。食事の度に副作用止めや痛み止めの薬を飲むにせよ、そうした自覚症状のせいで寝込むわけでもなく、普段通りに朝食を摂って、当然のように仕事に出かけられる。
お腹は緩くて壊しやすい日が多くても、整腸剤等の助けを借りれば、昼休みを挟み定時迄穴を開けることなく穏やかに仕事が続けられている。
1日の仕事が終わり、疲れていないといえば嘘になる。それでも、夫が宴会で夕食不要となれば、体調と相談しながらヨガスタジオに直行することもある。数年前までは一旦帰宅し、食事の支度・夕食・片付けを終えてから、夜最後のクラスに出向くことも出来たが、さすがに最近はここまでは頑張れなくなった。“無理はしない”が今の暮らしを継続していくための肝である。
手足の痺れや痛みは予想通りかなりしぶといもので、相変わらず軽快していない。針仕事は以前から苦手かつ嫌いだったけれど、もはや不可能。ネックレスをつけるなどといった細かい作業もやりづらくなった。硬い野菜に包丁を入れることも難しい。重いフライパンや圧力鍋も持てない。ペットボトルの蓋も自力で開けられなくなって久しい。出来ないこと、苦手なことを上げればキリがないけれど、一時の体調の悪さー酷い咳や息切れ等ーを思えば、上出来すぎるくらいの体調がキープされている。
これからも長く治療を続けていくために、今の生活を守るために、バランスの良い食事と適度の運動は欠かせない。何より痛みを我慢しないことも大切である。空腹で痛み止めは飲めない。体力や筋肉を落としては抗がん剤が効きづらくなる。ひいては治療が出来なくなるわけだ。食べられない、動かないという生活は可能な限り避けなければならない。
これから寒くなればどうしても肩に力が入り、身体が縮こまって、痛みを感じやすくなる。これは長年の経験から織り込み済みだ。意識的に身体を動かして血の巡りを良くして温める。代謝を落とさないようにする。そうして日々の生活とうまく折り合いをつけて地道に治療を続けていきたいと思う立冬の夜である。
さて、母のこと。昨日1か月半ぶりにデイサービス通いを再開したそうだ。疲れたけれど、同じグループのメンバーたちから歓迎され、スタッフの皆様からも「早く戻ってこられて本当に良かったですね。」と喜んでもらえて嬉しかったそうな。有難いことである。
今日も「午後からお友達に誘われて近くのホールまで映画に行ってくる。」と弾んだ声に安心した。不肖娘はなかなか相手が出来ないけれど、こうして一日一日と元気を取り戻して地域に戻っていってくれているようで、何よりである。