愛読しているがん治療医・SHO先生(押川勝太郎先生)のブログ“がん治療の虚実”で、心しておきたいと思う記事があったので、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がん患者の幸福学とは?(2019.11.10)
がん治療は発展しているのに、人々がその分幸福になるとは限らない理由はどこにあるのでしょうか?
ものすごくコストがかかった最良の標準治療があるのに、イカサマがん治療に引っかかるのは、その情報にアクセスすることにコストがかかる(つまり簡単にはその情報にたどり着けない)ため、一見良さそうで身近にあふれているフェイク情報を鵜呑みにしてしまう、「合理的に不合理を選ぶ」という説明ができます。
しかし、発展しているはずのがん治療も、がん治癒、がん縮小だけに焦点を絞りすぎてしまった感があります。
がんは治ったけど、経済的に家族を巻き添えにした「長生きのリスク」はどうするのか?
がんと共存はできるようになったけど、元の未来は戻ってこないという絶望はどうするのか?
いずれも腫瘍学の管轄外です。
行動経済学的に説明すると、そういった「損失が確定」してしまう苦痛を人間はより強く感じるために、怪しいながら夢のようながん治療詐欺に心を奪われるわけです。
そういう不合理になんとか対処するためには、以前からがん患者の幸福学なるものが必要だと考えていました。
つまり「がん治療」を、もっと大きな視点、「がん患者幸福学」という戦略的な立場から組み立てていく必要があると常々考えていました。
今回、その皮切りのセミナー動画を作成してみました。
今後、がん治療のどの場面に幸福学を応用できるかなどのアイデアを披露してきます。
(転載終了)※ ※ ※
先日ご紹介した緩和ケア医・大津秀一先生同様、SHO先生も動画に注力されている。実際の動画はYou Tubeをご覧頂くとして、この記事を読んで私が思うことを書いておきたい。
人間は(私は?)欲深い動物だと思う。一つのことがクリアできれば、もっともっと、となる。
具合が悪い。もう治癒は望めない病気であることがわかった。辛い症状が出た。それでも副作用はあっても薬が効いて症状が落ち着いた。となると、もっといい薬はないか、これなら完治するのでは・・・・と、リクエストは尽きることがない。
いつのまにか、治療に対する感謝の念を忘れる。
それはいけないこと、と分かっていながら、いつだったか主治医の前で、「どんどん新しい薬が出来てくることを考えると、病気になるのは遅ければ遅い方が良いですよね。」と口にしたことがある。分子標的治療薬ハーセプチンという抗HER2薬がなかったから、自分がそれまで生きていた保障はないにもかかわらず、である。
その時、主治医から「でも、○○さんより前に(病気になった)人はハーセプチンもなかったですからね・・・」と言われたと記憶している。つくづく傲慢な発言であると反省した。
二者択一を追いかけすぎる。完治こそ勝利で治癒しなければ敗北、のような分かりやすい図式である。引き分けでは満足できないのである。
さればいつまで治療を続けたとしても幸福にはなれない。
動画では、完治することだけを追い求めていた患者さんの治療が奏功し、奇跡的に完治した時、あろうことか“がんを治す”という目的そのものを失って自殺してしまった、という不幸なケースがあると聞いた。絶句である。そんな悲しいことがあるとは。
がんは治ったけど、経済的に家族を巻き添えにした「長生きのリスク」はどうするのか?
~あいにく私は治ってはいないけれど、実際に、手を変え品を変えながら色々な薬がそれなりに奏功して、期せずして12年近く再発治療が続けられている。
そんな私が思うことは、家族を巻き添えにした経済的なリスクである。家族どころか掛け金を35年納めているとはいいつつも、組合の支出額を思うと本当に申し訳ない限りだ。どんどん命の値段が吊り上がっている。
再発・転移が確定した時、サードオピニオンを受けに行った病院で、「(ハーセプチンは)効けば(治療が)長くなるけれど、お金がかかるよね」という言葉を頂戴した。当時その言葉にとても傷ついてその病院を選べなかった自分がいた。自分の支払い額はさることながら、それ以上に社会全体に対する支出負担が長期間に渡るとしたら、私にそんなにお金をかけてもらっていいのか、と自問自答をせざるを得なかったからである。今もなお、自分にはこんなに長いこと治療を続け、生かして頂いる価値があるのか、と思うことがある。
とは言いながら、奏功するかもしれない治療があり、その治療を自分の身体が受けて入れてくれる状態にあるなら、体調管理を続けながらもう少し粘りたい、と思う欲深な自分がいる。我ながら支離滅裂なのだけれど・・・。
がんと共存はできるようになったけど、元の未来は戻ってこないという絶望はどうするのか?
~結果的に15年近くがんと共存しているわけだが、43歳での罹患がなく58歳の今まで健康だったとしたら出来ていたかもしれないこと、望めたかもしれないこと、そして描けていたかもしれない未来を思えば、諦めたことは数知れず、である。当時考えていた未来と今考えられる未来は当然ながら全く違うものになっている。
もちろん、今治療を続けながらこうして普通の生活が送れていることに感謝しているし、現状に絶望してはいない。失ったものの代わりに得られたものも数多い。“レバタラ”を言っていては決して幸せになれない。今の自分を受け入れて、その中で折り合いをつけていく。その時その時精一杯出来ることをする。その後のジャッジは自分が下すわけではなく、世界に委ねる。そうすることで私を取り巻く世界は間違いなく彩り豊かなものになっていると信じている。
イカサマがん療法にも引っかかることなく、仕事や家庭を失うこともなく、沢山の新しい出会いを得、もろもろ考え合わせれば、私はおかげさまで総じて幸福ながん患者であると思う。
帰り路はもう真っ暗だったけれど、雨上がりで空気がしっとり優しく、空を見上げると、金色に優しく光るお月さまがとても綺麗で、幸せな気持ちになった。午後からお腹の調子が悪く気持ちが悪く、なんとなく気分が滅入っていたのが少し払拭された。
帰宅すると今月1回目のお花が届いていた。ピンクのアルストロノメリアが4本、イチゴ草に似た可愛らしいセンニチコウが2本、ドラセナに似た茎の太いコーディラインが1本、紫が美しいヤマジノギクが1本。花言葉はそれぞれ「持続」、「色褪せぬ愛」、「幸福な交際」、「思い出」だという。ちょうど2週間前に届いた薔薇たちも元気がなくなっていたので、思い切って玄関の特等席から退場頂き、新しい可憐な投げ入れにバトンタッチしてもらった。