ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.12.26  一日休息、とはいかず

2010-12-26 20:43:25 | 日記
 今日は朝寝坊をして疲労回復日、といきたかったが、一応受験生の息子は冬期講習期間中。朝一番の9時から塾で英数2コマが入っていたため、何とか起きる。そして私は、年末にさっぱりしてお正月を迎えようと思って予約していた美容院。昨夜帰宅すると確認の留守電が入っていた。これまた朝一番の10時半ということで、キャンセルも出来ず、洗濯機を回してから出かけた。ただ、その後ネットで予約していたリンパヨガはキャンセル。

 3日間、バスや飛行機に乗り続けていたため、ただでさえ普段から肩こり、首凝りに悩まされている身、当たり前のことながら、体がバキバキしている。今日はシャンプー中に「頭皮まで硬いですね~」と言われてしまった。今日シャンプーしてくれたのは、前回、息子をシャンプーしたという美容師さん。息子もかれこれ10年ほど通っているので家族揃って顔なじみ。スタッフの入替えが結構烈しいが、彼女は5年目で、お店で二番目の古株とのこと。(一番長いのは息子の担当の男性美容師さんだそうだ。)オプションでマッサージを10分延長にして首・肩・背中をケアしてもらったけれど、やはりなかなか疲れが取れない。それでも旅行中帽子やフードを被りっぱなしですっかりぺチャンとなった頭をふんわりブローしてもらえて嬉しい。

 最寄り駅まで戻って夫と息子と合流。お昼を食べた後、食料品の買出し。息子は先に家に戻り、私は夫を外に待たせたまま、年末年始用に読むための本を図書館で10冊借りて帰宅した。
 旅行中たまった新聞をざっと読みながら(久しぶりに飛行機に乗って本当にびっくりしたのだが、機内での新聞や雑誌のサービスもソフトドリンクのサービスもすっかりなくなっていた。日本茶だけ無料。いつからこんなにシンプルになり、いろいろなサービスが有料になったのだろう。)、疲れがとれていないことを実感する。
 夫と息子は年賀状作り。私は、今年は珍しく旅行に出かけた23日の朝に投函することが出来たので、留守にしていた間に届いていたスウェーデンからのクリスマスカードのお返事を準備した。

 体が重くてなんだか元気が出ない。ちょっと横になりつつ本を読み出すと眠ってしまいそうだ。が、そうも言っていられず夕食の支度。作ってしまえば「やっぱりうちご飯が美味しいよね。」という話になる。そして同じく旅行から帰れば「やっぱりうちのベッドで寝るのが一番だよね。」と。
 「うちがいいね。」と言い合える小さな幸せを感じつつ、明日からの勤務に備えて今晩は早寝をしよう。

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2010.12.25 北一硝子でクリスマス

2010-12-25 23:02:27 | 
 旅行3日目。
 どなたも昨夜の夜遊びが祟ったのか、当初予定にあった朝の市内散策希望者がいなかったため、小一時間ほど遅い出発となった。ホテルの朝のバイキングは、中国客パワーで圧倒された。同じテーブルには日本人は私たち家族だけだったようだ。

 すっかり雪もやんで朝の気温はマイナス4度ほど。道路には雪がない部分も沢山あり、少し青空も見えてきた。17階の部屋からは大倉山シャンツェがとても美しく見渡せた。

 チェックアウトして、まずは札幌中央卸売場外市場へ。沢山の海産物で目の保養をしつつ、ウニやイクラが大好物の息子は試食しながら目を輝かせていた。

 その後高速に乗って一路ロマン薫る港街小樽へ。小樽運河で集合写真の撮影後、たっぷり2時間半、自由散策の時間があった。
 小樽は3度目の来訪だ。最初は結婚してまもなくの冬、義母たちと札幌雪祭りに出かけたときに足を伸ばした。2度目は息子が保育園年長組の夏、1週間、義母の妹たち宅に泊めて頂きつつ、最後に3人で札幌と小樽に1泊ずつした。
 その時に泊まったホテルを覗いたり、オルゴール店や古い時計店等のウインドーショッピングをしながら夫と散策したが、息子はさっさと電車を撮影するため一人で小樽駅へ行ってしまった。(駅からの帰り道、坂道で派手にすってんころりんしたらしい。ここで厄払いをして受験本番では滑らないようにしてほしいものだ。)
 お昼前に合流し、これまでいつも満席で入れなかった北一硝子の北一ホールで早めのお昼をとった。おりしも今日はクリスマス。ホール内にはイルミネーションツリーが飾られ、167個の石油ランプがゆらめく幻想的でロマンチックなムード満点。食事は小樽の郷土料理で和の雰囲気。
 せっかくのクリスマス、クリスタル硝子で雪の結晶を形どったペンダントを自分用のお土産に買って、その場でつけてみる。外に出ると雪が舞いだした。それでも風もなく、最初の日の霙と違いサラサラなパウダースノー、歩くとキュッキュッと音が鳴った。

 小樽に別れを告げ、新千歳空港へ。
 ガイドさんたちは本来なら今日私たちを見送った後は、明日、空のバスで稚内まで戻るだけの予定だったのに、今日羽田発の私たちと同じツアーの稚内行き便が羽田に引き返し、その後新千歳まで飛び直して、今夕北海道入りすることになったとのことで、急遽その一行をお迎えし、逆のコースでツアーを実施することになったそうだ。働くということは本当に厳しいことだ、としみじみ思う。
 それにしても、こんな冬の厳しい季節、私たちは本当に順調に全ての予定をこなすことが出来、とても幸運だった。

 搭乗券を頂いて添乗員さんとはお別れ。あとは飛行機の離陸を待つのみだったが、乗る予定の飛行機の到着が若干遅れたため、出発は10分遅れ、さらに羽田で混雑のため、旋回し、到着が20分ほど遅れた。
 帰りもお弁当を買い込んでリムジンバスで最寄り駅まで。あいにく往路と違って渋滞したが、なんとか9時には帰宅できた。
 最低限の片付けをし、1回だけ洗濯機を回して干したところ。今日はもう休まなくては。

 急遽訪れた冬の道北は、感動的だった。去年のクリスマスはもちろん、一昨年のクリスマスにはまさか2年後にこんな旅行をしているとはゆめゆめ思わなかった。
 途中副作用が出ることもなく、体力的に自信はついたけれど、調子に乗り過ぎないように、白血球が下がっていく中、これからも体調を整えつつ過ごしたいと思う。

 
 
 
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2010.12.24  クリスマスイブのディナーはラーメンで

2010-12-24 23:13:43 | 
 今年最後の虎の子の年休を使い、今日は旅行2日目。
 朝食後、夫と息子の2人は予定通り稚内駅まで「さいほくかにめし」弁当を受け取りに。昨日と違い風もそれほどなく薄日が差していた。

 8時半に宿泊したホテルを後にし、“日本のてっぺん”から北海道の中心地札幌を目指し、400キロのバス移動開始。駅ビルが再開発中で、映画館ができるという。これまでは、子供たちにアニメを見せるために親は旭川、札幌まで行かなければならなかったというのだから、本当に大変だ。

 まずは抜海港で、ゴマフアザラシ観察地点を見学した。多いときは1000頭が見られるという場所であるそうだが、今日は波があったため、少な目。それでも海面から丸い頭を出すのをしっかり確認できた。テトラポットでまったりしている数頭も見た。そして何と利尻・礼文も見ることができた。

 次にノシャップ岬へ。ここでは青少年科学館でプラネタリウムを鑑賞。南極の昭和基地から見える満点の星空を満喫した。そして博物館にはタロ・ジロの南極物語を思い出させる展示が沢山あった。宗谷、しらせなどの南極観測船の模型など、好きな人にはたまらないだろう。隣接した南極昭和基地一次隊の建物で「オオナゴのつみれ汁」を試食。トドのはく製や犬ぞり等の展示とツーショットをしてきた。海はかなり時化ていたが、利尻からのフェリーがなんとか到着していたようだ。ここで稚内の観光は終了。
 この後はひたすら日本海を見ながら南下を続けた。

 昼食をとる時間も場所もないということで、今日のお昼はバスの中で、昨日注文したオプションのお弁当。豊富、天塩、遠別を経て、オロロン鳥のまち羽幌、日本最大級の風車群のある苫前を過ぎ、小平(おびら)では鰊番屋で休憩。昔ながらの建物(日本最北端の重要文化財)がそのまま売店や食堂になっていた。途中、急に吹雪いて来たり、ということはあったが、休憩ごとに外に出るときには小止みになっており、助かった。ひたすら雪景色と波立つ日本海を見ながら稚内から180キロを走ったところでようやく留萌へ。
 この後、高速に乗って上砂川ハイウェイオアシスで休憩。ガイドさんおすすめのスイーツ類を買い込んでおやつタイムを。4時前にはすっかり日が暮れた。

 ようやく札幌市内に入ったのは5時半を回ったところ。大通公園で下車し、ホワイトイルミネーションを楽しんだ。途中、雪がちらついて文字通りのホワイトクリスマス。今年でこの催しは30周年ということだが、テレビ塔がクリスマスカラーのグリーンにライトアップされ、色とりどりの沢山のクリスマスツリーが本当に美しかった。友好都市のミュンヘンからのクリスマス市も出ており、素敵だった。小一時間散策ののち、お約束の集合写真を撮影してから、ようやくホテルチェックイン。すでに7時を回っていた。

 荷物を簡単に整理して、すすきのラーメン横丁で夕食。韓国の観光客であふれていたが、入ったお店はとても当りで夫も息子もスープまで飲み干していた。

 その後息子のリクエストで地下鉄に乗り、札幌駅まで。夫と私がお茶をしている間に、息子はホームに入場してもろもろの電車を撮影してきた。再び地下鉄に乗ってホテルに戻ってきたらもう10時過ぎ。さすがにグロッキーではあるが、この後、ホテル内の温泉露天風呂で手足を伸ばしてから就寝の予定だ。

 それにしても今日は実に長い一日だった。いつのまにか自分でも病気であることをすっかり忘れてはしゃいでいた。10年ぶり近くの北海道。この大自然に触れて自分はいかにちっぽけな存在であるかを痛感する。

 明日は最終日。何とか体調を崩さずに旅行を終えられますように。

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2010.12.23 日本最北端、国境の街より

2010-12-23 21:22:23 | 
 何と突然、今日は稚内のホテルで更新している。

 最寄駅からリムジンバスで10日前に下見した羽田空港第2ターミナルへ。その時、旅立つ人たちを目の当たりにし、いきなり“旅行に行きたい”モード全開となり、急きょ2泊3日の北海道パック旅行に申し込んだ酔狂な一家である。空気を乗せて飛ぶより良い、というくらいの激安ツアーで申し訳ないほどである。

 集合は10時20分だったが、渋滞もなくスムーズに30分前に到着。が、空港の発着案内板の稚内行テロップを見ると、「一時搭乗手続き中止」とあった。先に出る予定の釧路行は欠航になっていた。とりあえず稚内行の人は列を外れるように、と言われ、このままツアーキャンセルになるのでは・・・と気をもんだが、30分ほどして手続き開始。ただし、場合によっては新千歳か旭川に着陸することもある、という条件付きの出発だった。とりあえず搭乗券を手にし、手荷物を預け、空弁(そらべん)をゲットし、搭乗口へ。若干遅れての離陸、少し揺れはしたが、ほぼ定刻に無事稚内空港に着陸した。到着するとオホーツク紋別行も欠航だったとのこと。ラッキーだった。

 稚内の気温は1度、天候は雪とあったが、ほとんど吹雪だった。すぐにツアーバスに乗り込んだが、外は一面の雪景色。日本海は鉛色。こんなに雪を見たのはどのくらいぶりだろうか。夫と息子の2人は去年の夏にこの地を訪れているが、全く違った印象だったようだ。私は飛行機に乗るような旅行をするのは2年半近くぶりのこと。昨日のナベルビン投与をものともせず、ロキソニンを飲んでのツアー参加である。

 まず、天然ホタテの水揚げが日本一だという猿払へ。ここのホタテは横浜崎陽軒の焼売に使われているので有名だそうだ。試食をしつつ、お土産を購入。お店の外に出て海の方向へ歩き出した2人を追うが、ものすごい風と霙にめげて、さっさとバスへ戻る。強風で帽子が飛ばされそう、あっという間にびしょ濡れだ。

 次に日本最北端の地、北緯45度31分、宗谷岬へ。強風で有名で、どんなにヘアスタイルを整えて写真撮影に臨んでもオールバックにしか写らないところだそうだ。帽子を飛ばされないように、とガイドさんからの注意があったが、半端ではない風。霙が顔を打ち付けてきて痛いこと痛いこと。飛ばされそうでまっすぐ前へ歩けない。息子も夫も、帽子とネックウォーマーで、ほとんど銀行強盗のような様相だ。ヨロヨロしながら間宮林蔵の立像とツーショット、さらに添乗員さんに日本最北端の地の碑の前で3人一緒の写真撮影をお願いする。お土産屋さんでは「日本最北端の地到着証明書」を手に入れられるということだったが、日本で一番日の入りが早いというこの地。すでに日没の4時に近く、お客さんも来ないということでクローズだった。現地のガイドさんが今日はひどい天気だ、と言うほど強風(20m)と打ち付ける霙で早々にバスに戻った。生まれて初めて冬のオホーツク海を目にしたが、波が荒く、日本海との境界を感じた。

 その後稚内市内へ入り、副港市場で海産物などのウインドーショッピング。まだ新しい施設だということだが、氷雪の門や豊富中学校、稚内港等の古い町並みが再現され、博物館のようになっており、楽しめた。

 ホテルにチェックイン後、息子が前回JR稚内駅で限定5食の駅弁を買い損ねたため、どうしてもリベンジしたいと言うので、「明朝受け取りに来ます」と、キヨスクに予約しに出かけた。少し風が収まったように思ったが、傘など何の役にも立たない。あっという間に“おちょこ”になってしまい、あきらめて帽子だけで歩き出す。風が強く体感温度はいったいどのくらいか。駅は改修工事中で、最北端の線路も見えなくなっていた。前回2人が食事をした食堂「ひとしの店」の前で写真をとり、北防波堤ドームまで足を延ばそうかと歩き出したが、あまりの風と寒さにめげてホテルに戻った。

 再び夕食のためバスに乗り込み、三大カニとたこしゃぶの夕食で実に満腹になった。それにしてもカニを食べるとみんな無口・・・、最後にはぐったり疲れてしまった。

 明日は1日かけてバスでひたすらシーサイドラインを南下、札幌でホワイトイルミネーションのクリスマスイブを迎える予定である。治療中にこんなハードな旅行に来られるとはとても思わなかったけれど、体調管理をしつつ思い切って来て良かった、と思う。
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2010.12.22 ハーセプチン122回目、ゾメタ46回目、ナベルビン6クール1回目

2010-12-22 22:15:19 | 治療日記
 冬至とは思えないほど暖かな朝。気温も日中は11月中旬頃の陽気になるとの天気予報だったけれど、帰りが遅くなるから・・・と、厚めのハーフコートにショールをして出かけたら、やはり汗ばむほどだった。

 年末最後の診療で混雑を覚悟して、いつもよりさらに1台早い電車で出かけた。電車は立ちっぱなしだったけれど、遅延はせず、順調に病院に到着、採血の受付もスムーズだった。
 20人ほどの待ち人数で、30分かからずに内科受付が出来た。今日は白血球だけのチェックだったので1本の採取だったが、いつになく痛かった。看護師さんも「血管が硬くなっていますね、入るときに抵抗がありました。」と。確かにずっと右手の同じ部分を刺し続けているし、どの看護師さんも刺しやすい血管は同じだろうから、そうなのだろうな、と納得。

 採血結果が出て「中待合へどうぞ」の受付番号ランプがつくまで小一時間。それから30分ほど待って診察室へ。この2週間のご報告。ロキソニンをしっかり飲んだおかげで、翌日、翌々日は火照り、お腹の気持ち悪さ等はあったが、手持ちのナウゼリンでしのげ、土日もしっかり出かけられたことをお話する。「今回もロキソニンで行きましょう。」ということになる。白血球は3100、好中球も半分弱ということで問題なくナベルビン投与。
 次回は1月5日に予約が入った。年末のご挨拶をして診察室を出、処置室を覗くと廊下で待つようにとの指示。
 30分ほど待って、今はベッドだけしか空いていないので、途中から椅子に移りましょう、とのこと。今日は点滴6本のフルコースなので、終了時間が遅くなるのは必至のこと、さっさと売店でお昼を買って入った。

 相変わらず針刺が痛い。使用する針を変える検討をしているそうだ。私が特に痛がりというわけでもなく9割以上の患者さんが痛い、と訴えるとのことだ。また、今回の副作用であるお腹の気持ち悪さについて、ナウゼリンで治るようなら良いが、また酷くなるようであればステロイドと違って5日間くらい長期に効く吐き気止めのお薬の使用についても相談しましょう、とのこと。
 お昼前に点滴開始。終了したのは3時過ぎ。午後から点滴開始の患者さんが多くてんてこ舞いだったようで、なかなか針が抜いてもらえなかった。
 来年もよろしくお願いします、とご挨拶をして会計へ。本日の病院滞在時間は7時間。やはりぐったり疲れる。

 今日は3冊読んだ。
 1冊目は末安民生さんの「大切な人の『こころの病』に気づく」(朝日新書)。帯には「メンタルケアのプロが監修。あれっ?と思ったら。」とある。社団法人日本精神科看護技術協会と看護師である著者の書。今すぐできる問診表付、ということで手に取った。「こころの病」は今や特別な病気でもなければ他人事ではない。本当に誰もがギリギリのところでバランスを取っている毎日だ、と改めて思う。

 2冊目は重松清さんの「季節風 春」(文春文庫)。過日このシリーズの「冬」を読み、「春」が出るのを待っていた。泣かされるのが判っているのに・・・。今回は娘の端くれとして「めぐりびな」、同じく働く母の末席として「ツバメ記念日」が特に印象深く、鼻をぐずぐずさせっぱなしだった。

 3冊目は雨宮処凛さんの「生きさせろ! 難民化する若者たち」(ちくま文庫)。姜尚中さんは解説で「これほどリアルで、これほど彼らの内側に分け入ったルポをわたしは他に知らない」と書いておられるが、本当に胸が痛み、何度も深呼吸した。特に派遣社員の過労自殺で取り上げられていた享年23歳の上段勇士さんは、今、私が勤めている大学の前身の大学に高専から編入学した方だった。4年生で退学し、留学し、派遣社員となった後の過労自殺。もしかしたら学内ですれ違っていた学生だったかもしれない、と思うとあまりに苦しく、お母様のインタビューにも胸が締め付けられた。
 著者は3年前のこのルポで「フリーター層の一斉ホームレス化」を危惧していたが、最悪の予想は的中した。そのことは3年後の最終章(文庫版あとがき)にある通り。一昨年の暮れ、リーマンショック後の派遣切りが、それだ。「年越し派遣村」のニュースを見たのは、ちょうど私が休職中のことだった。タキソテールの副作用で一歩も外に出られない年末だった。そして、自分は真っ先に切られる職員なのかもしれない、と背筋が冷たくなったことをはっきりと覚えている。

 今日で今年の通院も無事終了。今年の通院日数は50日、入院も2日。そして我が家の2010年の医療費総額は150万円弱。うち私の医療費の占める割合は94%。相変わらず高い命だなあ、とため息が出る。

 夫は今日も忘年会。そして今日は息子の終業式。午後から成績配布の保護者会だったのだが、私が通院日なので夫に代理で出席してもらった。保護者会の後、そのまま職場に直行したので、私はまだ成績表等は見ていない。
 実は昨夜もひと悶着あったので、険悪な雰囲気にならないと良いのだけれど。そのことについては長くなるのでまた後日。
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