ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.2.8 副作用―どこまで情報提供してほしいか

2013-02-08 21:33:16 | 日記
 このブログで既に何回かご紹介している朝日新聞静岡版の渡辺亨先生の連載「がん内科医の独り言」(2013年2月8日)。なるほど、と思ったので以下にご紹介したい。

※  ※  ※(転載開始)

 副作用と情報
■説明は必要に応じて
 抗がん剤治療には副作用はつきものですが、副作用を上回るだけの効果が得られるからこそ、患者には、一時期の副作用を乗り越えて治療を受けてもらうわけです。
 抗がん剤は100種類以上あり、副作用は薬によって異なります。すべての副作用が一人の患者に表れるわけではありません。
 アドリアマイシンは、乳がん、リンパ腫、膀胱(ぼうこう)がんなどの治療に使われる代表的な抗がん剤です。添付文書には、心筋障害、白血球の好中球減少、吐き気など32の副作用が記されています。なかには、死亡に至るかもしれない副作用として、劇症肝炎なども記されています。
 私たち医師は、様々な副作用が起きる可能性を心得た上で、治療薬として選択しますが、必ずしも、すべての副作用について患者に説明しません。
 まず説明するのは、脱毛のことです。必ず脱毛し、点滴後15日目頃にごっそりと抜け、ほとんどの髪の毛が抜けること、治療終了後、3か月ぐらいから生え始め、1年も経てばほぼ元通りに戻ること、などを詳しく説明します。
 その理由は、脱毛は女性患者を深く悲しませるので、心の準備をしてもらいたいからです。かつら、帽子、スカーフなども準備して欲しいからです。他の副作用は、まれだし、出た時に説明し、きちんと対応すれば十分と考えています。
 よく批判されることは、もし重篤な副作用で患者が死亡したら、誰が責任をとるのか、ということです。
 でも、起こりうる副作用をすべて説明すれば責任を果たせると言えるでしょうか。私には逆に責任逃れのように感じます。
 事前に起こりうる副作用について細かく説明した場合と、説明しなかった場合とで患者の不安を比べた研究では、圧倒的に説明しない方が、不安が少なく患者の満足度も高かったという結果が得られています。
 大切なことは一応説明しておくことではなく、できることは誠意を持って取り組むことだと思います。(浜松オンコロジーセンター・渡辺亨)

(転載終了)※  ※  ※

 先生は、数年前にお姉様を再発乳がんで亡くされている。その直後に患者会の講演会でお話を伺う機会があった。普通、先生方は抗がん剤治療の患者と日々対峙されてはいても、診察室での患者は、誰でもお化粧をしてかつらや帽子等を被ってきちんと見なりを整えているから、自宅で素顔・素頭で居る時にどれほどの状態なのか、実際にご覧になることはない(入院中は別として)。だから、頭では判ってはいても、治療中のお姉様の姿(素顔・素頭)を目の当たりにするのは辛かったとおっしゃっていたのを思い出す。

 この病気の頻発年齢が40代から50代ということを考えると、ただでさえ加齢に伴う容色低下が進む中、それに追い打ちをかけられるような脱毛は本当にキツい。前向きになろうと思っても、初めての脱毛の時には鏡を見るたびに落ち込んだ。今も胸が痛むほどリアルに覚えている。

 また生えてくるからといったって、当然すぐに元通りになるわけではない。ベリーショートでもなければ、1年どころではなく1年半から2年かかる(前回私はかつらを取るまでにほぼ2年を要した。)。2回目の今回は大分開き直れたけれど、このまま死ぬまでずっとかつらは辛いな~と思う。だからこそ、自毛のうちに遺影を撮ってしまったということもあるのだけれど。

 だから、抗がん剤の副作用で脱毛のことを一番に説明してくださる、というのは女性患者にとっては本当に大切なことだと思う。けれど、ただでさえ“脱毛する”ということで落ち込んでいる時に、いきなり「生えてはきますけれど、まあ2年は我慢ですね。」と言われるのと、本当のところどちらが良いだろうか。そんなに長く・・・、もしかしたらその頭のまま死んでしまうのですか、とまた気持ちが萎えてしまうかもしれない。難しいところだ。

 そして、書かれている通り、全ての副作用を事細かに説明することは現実的に考えれば無理な話ではないだろうか。患者が100人いれば100通りの副作用の出方があるだろうから、1%とかごく稀に出る・・・という副作用まで全て説明していたらとてもではないだろう。実際にやってみなければわからない、というのが正直なところだろう。出現するかどうかわからないものまで説明して不安を煽る必要はない。知らずに済んでしまえばそれほどラッキーなこともないからだ。かくいう私は単純なのか薬の感受性が高いのか、低確率で出現する、という副作用までも全て出てしまうことが何度もあった。
 
 その都度ネット等で調べてみたり、先生に訴えると、これも副作用なのだ、ということが判った。どんな薬にも作用があれば副作用がある。作用がきちんとある-奏功する-ならば、ある程度の副作用は我慢しなければ、ということも理解出来る。要はそのバランスだから、作用が副作用を上回っている(病気が良くなっており、副作用をコントロール出来る)限りは受け入れなければいけないのだろう。

 抗がん剤だけでなく、造影CT等の検査を受ける時や、ポートの設置をする時にも、1000人に一人の確率で出現する副作用を説明されることがある。どれも自分に起こったらかなり大変な話だ。説明責任を果たしているということなのだが、これが渡邉先生が書かれている“責任逃れ-ちゃんと説明して事前に承諾書にサインをもらっている、だからこうなる可能性がゼロではないことを判っていた筈、仕方ないよね-”になりうるということはもっともだ。

 結局のところ、どんなことが起こっても、主治医と患者の信頼関係によってその反応はいくらでも変わりうるのだな、と思う。どこまで情報提供してほしいか、は自分が主治医をどこまで信頼しているのか、主治医がどれほど誠意をもって接してくださっているかで変わってくるように思う。

 さて、ようやく週末。今日は冷たい北風が吹く寒い一日だった。明日からは3連休。お楽しみとメンテナンスの日程が控えている。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.7 読んでから見る・・・「夜行観覧車」

2013-02-07 21:09:18 | 読書
 湊かなえさんの「夜行観覧車」(双葉文庫)を読んだ。
 1月から放映されているテレビドラマの原作小説だ。単行本が出版された時から文庫化を楽しみにしていた。ドラマ化されたのもさもありなんという面白さだ。とりあえず、今回はドラマが始まる前に読み終わって良かった。
 裏表紙には「父親が被害者で、母親が加害者―。高級住宅地に住むエリート一家で起きたセンセーショナルな事件。遺されたこどもたちはどのように生きていくのか。その家族と、向かいに住む家族の観点から、事件の動機と真相が明らかになる。」とある。

 湊さんお得意の手法である複眼的な視点で物語は進む。三つの家族がそれぞれ事件をどう捉えていくのか、何を考えていたのか、別の章立てで書かれていく。読み出したら止まらない。ノンストップで急き立てられるようにラストまで読み進んだのは、これまで彼女の小説を読む時と同じだ。
 ドラマの脚本家である奥寺佐渡子さんが解説を書いている。湊さんの出世作である小説「告白」の映画化にも言及されているが、この映画が小説の世界に忠実に作ってあったということもさることながら、映像があまりに圧倒的なリアルさで迫ってきて、救いがないように感じたのが記憶に残っている。次の作品である「贖罪」もドラマ化されたというが、これは本を読んだだけでドラマは見ていない。
 今回、「夜行観覧車」の読後感がこれまでほど重くはなかったというのは、ラストで各々の家族のこれからに救いの光が見えたことだろうか。一人っ子でなくて助け合える兄弟がいるといいものだな、と自分や息子のことをちょっと切なく思ってしまった。

 ドラマの筋立ては小説とはちょっと違っているらしい。けれど、これは脚本家が、作者が練りあげた登場人物のプロフィールのうち行間に埋もれていたものを掬い上げた結果であり、全てこの小説の中から生まれている、ということのようだ。

 読んでから見るか、見てから読むか、いつも悩ましいのだけれど、毎週録画しているドラマを数回見たところ、原作には出てこなかったエピソードが散りばめられている。
 さて、この先どんなふうに登場人物が料理されていくのか・・・今から楽しみである。

 今日は午前・午後とも都心で会議だった。会議の時間よりも電車の移動時間の方が断然長い。テレビ会議が出来ればよいのだけれど、案件によってはそれも難しいものだ。
 いつもより遅い開始時間だったので、前泊なし。朝起きたらあまりに洗濯物が一杯だったので、急きょ思い立って洗濯機を回して干し始めたら、「朝の忙しいときにドタバタ動き回られて、食事も落ち着いて摂とれやしない。」と夫から顰蹙を買った。
 ついていないことに、行きの電車ではお客様対応による遅延の影響をもろに受けてしまった。30分の余裕をもって出かけたので何とか間に合ったのだけれど・・・。

 とにかく明日一日頑張れば三連休が待っている。もうひと頑張り、である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.6 雪の水曜日、フェソロデックス2回目その後

2013-02-06 19:37:12 | 日記
 明け方、お天気が心配で目覚ましが鳴る前に起きたが、それほどの降雪ではなくほっとした。テレビをつけると電車はほぼ通常通り運行されているようだったが、夫と息子が家を出る頃には本降りになってきた。
 先月の大雪で、臨時休校に味を占めた息子は、学校から(臨時休校の)メールを今か々々と待っている感じで、出がけ直前まで落ち着かない様子。が、とりあえずブツブツ言いつつ防水防滑靴を履いて出かけた。
 私も足元が心配でロングのレインブーツを履き、いつもより早目に家を出て慎重にゆっくり歩いて出勤した。

 昨夜遅くから降り出して今日の昼前には止む、という予報が半日ずれた格好だ。午前中はしんしんと降り積もり、止む気配がなかった。職場では、午前中にネットとメールが断続的に繋がらなくなるトラブルがあり、なかなか仕事が捗らなかった。電線に雪の重みがかかって・・・、ということでもなさそうだけれど。
 そうこうするうちに、ようやく昼過ぎには霙交じりに変わった。
 足元はいかに、と確認がてらお昼休みに外に出てみたが、暖かかったこの数日とは打って変わって、冷たい雨と風で体が縮こまる感じ。

 さて、フェソロデックス2回目から1週間経って、一言。
 痛みは前回同様、翌日の夜くらいまで少し残った程度。今回は火照りも気になるほど出ずじまい。
 が、昨夜入浴時、右臀部の針を刺した部分の止血テープ跡が赤紫色に変色しているのに気付いた。痒みもあった。思わず掻いてしまいそうだったが、傷をつけてしまうと大変なので、我慢してそっとしていたら今朝には収まって安堵した。
 いずれにせよ、そんなことも忘れてしまいそうなほどで、敢えて言えばインフルエンザの予防注射のような副作用だろうか。本当に有難いことである。あとはしっかり奏功を祈るのみ、である。
 
 帰宅すると今月のお花が届いていた。早速、水切りして花瓶に投げ入れた。淡いピンクとアイボリーのラナンキュラスが2本ずつ、白い水仙が5本、かすみ草が2本。花言葉はそれぞれ「輝く魅力」「尊敬」「清い心」だそうだ。

 明日は終日都心会議の日。今日の雪が溶けて朝は路面凍結していないだろうか。遠出するのに足元が悪いのが心配だ。余裕を持って早目に出なければ・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.5 今年も花粉シーズン到来

2013-02-05 20:56:38 | 日記
 今年は、昨夏の酷暑のせいで、昨年に比べて花粉の総飛散量が6~7倍だと聞き、戦々恐々としている。
 夫と私は今のところ無事だけれど、息子は17歳にして既に花粉症歴12年以上である。せっかく春の日差しが明るくなってきているのに、まもなく息子の洗濯ものは一切外干しが出来なくなる。
 一旦症状が出てからでは間に合わないので、今年も1月のうちから耳鼻咽喉科に行って内服薬を飲み始めている。 そろそろ服薬開始から1週間になる。このところ急に暖かい日が続いたので、間に合わなかったら・・・とヒヤヒヤしていたが、とりあえず滑り込みセーフ。

 テレビのニュースでは、立春の日に、東京、埼玉、栃木、群馬で花粉症に敏感な人に症状が出始める花粉飛散量を観測し、「花粉シーズン」に入ったと報道されていた。
 そんなわけで、息子は昨日迄の入試休暇(自宅学習期間!)が終わって5日ぶりの登校になるが、今日からマスクをして出かけた。来年の今頃、花粉が飛び始めるであろう時期は入試真っ盛りのシーズン。何とかうまく薬でコントロール出来ないと辛いだろうな、と思う。

 一方、私の話。
 昨年、一昨年はナベルビンの副作用なのか、とにかく涙と鼻水が年がら年中瞼や鼻の周辺を濡らしてしまい、常に赤く爛れてお化粧もろくに出来ず、冴えない毎日を送らなければならなかった。主治医からは「それは花粉症でしょう」と言われたけれど、検査結果はマイナス。ナベルビンを中止し、ECに変えた後はそれほどこうした粘膜系の異常は出ていない。

 それよりも、タキソテール投与終了から既に4年も経つというのに、いまだにまつ毛も鼻毛もうんと少ないまま。涙も目ヤニも鼻水も止めてもらうことが出来なくなった。朝起きて、目ヤニが固まって、短く少ないまつ毛に貼り付いているのを剥がそうと思うと、ただでさえ少ないまつ毛が力なく抜けてしまい、溜息だ。
 一体、いつになったら元通りになるのかしら・・・と思っていたけれど、昨年秋からのECでまたも脱毛があったからか相変わらずトホホの状態。ただ、涙も鼻水も今のところそれほどではないので、とりあえず助かっている。ただ下を向くだけで、鼻腔から鼻毛で防御してもらえることなくノンストップに落下する鼻水が、書類等を汚す・・・というのは、見ていてあまりに切なかったので。

 と、花粉が飛び始めたというのに今夜遅くからは積雪の予報だ。先月中旬の大雪に懲りてちょっと大げさに準備が必要とのことかもしれないけれど、備えあれば憂いなし、だろう。
 こうして何度か三寒四温が繰り返し、待ち遠しい春がやって来る。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.4 立春・・・8年生存率100%!

2013-02-04 21:29:33 | 読書
 今日は曇りのち雨という予報だったが、思いのほか穏やかでよいお天気。陽射しも立春らしい柔らかなものだった。
 8年前の今日が初発の手術の日だった。2月2日の入院の前日までずっと残業続きで、新しいパジャマを買うことすら出来ないまま、2月2日、朝一番で病院入り。必要な入院グッズは夫に頼んで買ってきてもらった記憶がある。
 あれから8年。5年生存率に至る前に再発転移はしたけれど、その再発後5年を何とか生き延びることが出来た。

 そして、明日からは乳がん9年生ライフが始まる。もちろん、ごく普通の日常を淡々とそして大切に過ごしていくまでだ。この後、何年生まで行けるかわからないけれど、少しでも細く長く共存していければ、と思う。

 さて、今日の本の紹介は、美濃吉10代目主人・佐竹力総さんの「三百年企業 美濃吉と京都商法の教え」((株)・商業界)。
 「老舗の多い京都を、大いに企業継続のための参考にしていただきたい。そのヒントを京料理の当代がつまびらかにしてくれました」という日本フードサービス協会顧問・奥住正道さんの推薦文が帯にある。
 インタビューに答える形で、話し言葉で綴られているので読みやすく、あっという間に読破した。
 「美濃吉」はよく行く百貨店のレストラン街にもあり、何度か食事をしたことがあるが、ここが東京での第一号店だったとは全く知らなかった。

 著者の佐竹さんは江戸時代享保元年(1716年)創業「美濃吉」の10代目である。まえがきにあるとおり、老舗といわれる目安は「百年三代」だというが、その3倍にあたる年数を京都の地で続けてきたというのだから、恐れ入る。
 が、その歴史を読み進むにつれて、伝統は決して安穏として平坦なものではない、と痛感させられた。特に著者の祖父が戦後の混沌の中、料理屋として復活させ、その後、父が官庁を退職し、民間企業に就職しつつその傍ら「美濃吉」の経営を見始めたところから「美濃吉」の近代化はパワーアップしている。外食産業を目指した事業展開により、ファミリーレストラン調の店舗を展開していたことは知らなかったが、新宿の高層ビル内に高級京懐石のお店があった(今もある。)のは記憶している。

 京料理は「有職料理」(王朝の新嘗祭に代表される大饗料理)、「本膳料理」(武家社会の正式の饗応料理)、「精進料理」、「懐石料理」という4つの料理系統を総称したものだそうだ。これが料理屋(料亭)の料理で、これに加えて昨今「おばんさい」として供される京都の家庭料理(おぞよ)があるという。私の“京料理”の捉え方といえば、なんとなく4つめの懐石料理のイメージが強かったけれど。
 この齢になっても、料亭などとはとんと縁遠い庶民派の私だけれど、京都では料亭のことを「料理屋」というそうだ。「割烹」と「料亭」は根本的に異なる。料亭は食に特化したスペースではなく、座敷、庭などのハード面が充実しており、日本文化が凝縮された空間、文化を楽しむ食空間を提供できる場所であり、主人は経営者である。一方、割烹は主人が料理をするオーナーシェフ型で、カウンターだけでも営業出来るものだという説明で、すっきり頭に入った気がする。

 何年か前、朝の連続テレビ小説で、芸妓さんのお茶屋を舞台にしたお話があったが、この本を先に読んでいればそうしたシステムもすんなり理解出来たのだろうなと思う。そしてお客様に合わせてあらゆるサービスを提供する料亭が「一見さんお断り」とするのもやむなしなのだな、と思った。

 そもそも、この本はある方から頂いたものだ。「基本、ビジネス書なのでそのテイストが入っていますが、京都独自の文化とか、料理屋の歴史とか、老舗とはどんなものかというあたりをパラパラ見て頂ければ、そのあたりに関してはそれなりにおもしろいかと・・・」というお便りを頂いた。
 その通り、写真もふんだんで、ビジネス書というよりも読みやすい歴史書という印象だった。
 300年の歴史を守るには保守路線だけでは決してやっていけない、常に時代の先を読む経営力が必要なのだ、と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする