ここのところの廃棄カツ騒動がとんでもないことになっている。本当に安いモノを買おうと思って廃棄物品を買っているのでは、泣くに泣けない。
夫が長く食品関係の仕事をしているので、これについては一家言あるのだろうけれど、凡人の私もこれは、と思う書評を見つけた。
朝日新聞の書評サイトである。以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
BOOK asahi.com
激安食品の落とし穴 [著]山本謙治([文]土屋敦 [掲載]2016年01月12日)
ありがちな書名だが、著者が人気ブロガー「やまけん」としても知られる農産物流通コンサルタント・山本謙治氏であるゆえ、凡百の類書と一線を画すのは当然だろう。徒に不安を煽ったり、エビデンスのない情報を流布したりすることなく、具体的、実践的かつ論理的に、われわれが執拗に安い食品を求めることが、結局われわれ自身の不利益になることを、強い説得力をもって示した本だ。
例えば納豆について。10年前は3個パック128円程度だったのが、今は78円ほどに値下がりしているが、「安くなる理由はひとつもない」という。大豆の価格は高止まり、容器や包装フィルムも値上がりしているのだ。
値下げを牽引したのは大手スーパーのプライベートブランド。製造業者に利益が出ないほど安い納豆を作らせ、その代わり、利益の出る商品もスーパーの棚に置かせてやる。そして取引量を増やして業者を自分たちに依存させると、儲けの出ない格安商品の割合を増やす。そのころには、そのスーパーとの取引を切られたら会社が立ち行かなくなるほどになっていて、断れなくなるという図式だ。
商品の値段を適正値より低くする方法の具体例として、著者は「人をいじめる」ことや「ウソをつく」ことを挙げているが、納豆はその典型的な例のひとつだろう。
その他、本書では、弁当、たまご、ハム・ソーセージ、惣菜、調味料などの現状を明らかにし、その適正ではない価格と、低価格を支えるからくりを解説していくが、問題点ばかりを指摘しているわけではない。著者が実際に取材した良心的な食品の作り手とその実にまっとうな製造現場の様子を紹介し、それらの製品を「佳い食」と位置づけるのだ。
適正価格で買わないことは、社会悪となる、という著者の言葉が重く響く。食品は自然に由来し、激安食品ばかりを選択していくことは、確実に自然と人類の持続可能性を損なうだろう。そのことを痛感し、著者の言う「佳い食」こそを選択的に買おうと強く思った次第だ。
(転載終了)※ ※ ※
プライベートブランドなどといえば聞こえがいいけれど、この書評どおりであるならば殆ど業者いじめで成り立つ、禍々しいものに思えてくる。
息子が納豆が大好きで(かくいう私は納豆が苦手なので、鼻をつまみながら息子がリクエストする納豆炒飯などを作っていたのも今は昔である。)、保育園児だった頃から高校時代まで、いつも3個パックの納豆を冷蔵庫に切らしたことはなかった。
そして確かに上の書評のとおりなのである。
10数年前に3個100円だと「わあ、お買い得!」だったのにいつの間にか100円を割るのが当然になった。そして78円やら68円やらがゴロゴロしている。
今は、スーパーやドラッグストアで見かけても殆ど籠に入れることはないけれど、100円を超えるものは少数派のようだ。
そして78円がどーんと幅をとって並んでいる。そうなると、敢えて100円以上のものを手に取ったりはしない、主婦の悲しい性(さが)である。3週おきに点滴1本に15万円の大枚をはたいているというのに、ことスーパーに行くと1円単位に目の色を変える。トホホである。
夫はよく「安いものには理由がある。」とのたまう。私が安くて嬉しいと喜んでいる時に限って言うので、「あぁ、またなんか言っているわ~。」と、ついついいい加減に聞いてしまうのだが、ここはしっかり受け止め、「わあ、安くて嬉しい!」ではなく、「むむ、ちょっと待てよ」と思わなければなるまい。
口に入る何かを安全に安心に作るためには、必ずそのための人件費から材料費といったそれ相応の経費がかかる。それがあまりに安いということは、消費者は喜ぶよりも疑わなくてはいけないのだ。
某ハンバーガーショップが100円ハンバーガーを期間限定で売りまくったおかげで、正規値段に戻した途端に売れなくなったというのも、なんだかなぁの顛末で、企業は自分で自分の首を絞めているし、消費者である私たちも、結局のところ私たち自身の首を絞めることになっているのではないだろうか。
値段には意味がある、その当然のことを忘れているのではないだろうか。
もちろん“安くて良いモノが欲しい!それこそお値打ち品だ”というのは誰しも思うことで、頷けるけれど、そんなに安くて良いモノがあちこちに転がっているわけがない。
そこをもう一度肝に銘じなければならないのだろう。
高くて良いものは当たり前、ではなくて高いものはそれなりに意味がある。佳いものには適正な値段がついてしかるべきで、値段は嘘をつかないということだろう。
特に口に入るもの、私たちの身体を作るもの、がそうそういい加減であっていい筈はない。
安易にちょっとでも安いものを迷わず手にする前に、一呼吸してその背景も考えなくては、と反省するとともに、この本を買ってみようかと思う私である。
夫が長く食品関係の仕事をしているので、これについては一家言あるのだろうけれど、凡人の私もこれは、と思う書評を見つけた。
朝日新聞の書評サイトである。以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
BOOK asahi.com
激安食品の落とし穴 [著]山本謙治([文]土屋敦 [掲載]2016年01月12日)
ありがちな書名だが、著者が人気ブロガー「やまけん」としても知られる農産物流通コンサルタント・山本謙治氏であるゆえ、凡百の類書と一線を画すのは当然だろう。徒に不安を煽ったり、エビデンスのない情報を流布したりすることなく、具体的、実践的かつ論理的に、われわれが執拗に安い食品を求めることが、結局われわれ自身の不利益になることを、強い説得力をもって示した本だ。
例えば納豆について。10年前は3個パック128円程度だったのが、今は78円ほどに値下がりしているが、「安くなる理由はひとつもない」という。大豆の価格は高止まり、容器や包装フィルムも値上がりしているのだ。
値下げを牽引したのは大手スーパーのプライベートブランド。製造業者に利益が出ないほど安い納豆を作らせ、その代わり、利益の出る商品もスーパーの棚に置かせてやる。そして取引量を増やして業者を自分たちに依存させると、儲けの出ない格安商品の割合を増やす。そのころには、そのスーパーとの取引を切られたら会社が立ち行かなくなるほどになっていて、断れなくなるという図式だ。
商品の値段を適正値より低くする方法の具体例として、著者は「人をいじめる」ことや「ウソをつく」ことを挙げているが、納豆はその典型的な例のひとつだろう。
その他、本書では、弁当、たまご、ハム・ソーセージ、惣菜、調味料などの現状を明らかにし、その適正ではない価格と、低価格を支えるからくりを解説していくが、問題点ばかりを指摘しているわけではない。著者が実際に取材した良心的な食品の作り手とその実にまっとうな製造現場の様子を紹介し、それらの製品を「佳い食」と位置づけるのだ。
適正価格で買わないことは、社会悪となる、という著者の言葉が重く響く。食品は自然に由来し、激安食品ばかりを選択していくことは、確実に自然と人類の持続可能性を損なうだろう。そのことを痛感し、著者の言う「佳い食」こそを選択的に買おうと強く思った次第だ。
(転載終了)※ ※ ※
プライベートブランドなどといえば聞こえがいいけれど、この書評どおりであるならば殆ど業者いじめで成り立つ、禍々しいものに思えてくる。
息子が納豆が大好きで(かくいう私は納豆が苦手なので、鼻をつまみながら息子がリクエストする納豆炒飯などを作っていたのも今は昔である。)、保育園児だった頃から高校時代まで、いつも3個パックの納豆を冷蔵庫に切らしたことはなかった。
そして確かに上の書評のとおりなのである。
10数年前に3個100円だと「わあ、お買い得!」だったのにいつの間にか100円を割るのが当然になった。そして78円やら68円やらがゴロゴロしている。
今は、スーパーやドラッグストアで見かけても殆ど籠に入れることはないけれど、100円を超えるものは少数派のようだ。
そして78円がどーんと幅をとって並んでいる。そうなると、敢えて100円以上のものを手に取ったりはしない、主婦の悲しい性(さが)である。3週おきに点滴1本に15万円の大枚をはたいているというのに、ことスーパーに行くと1円単位に目の色を変える。トホホである。
夫はよく「安いものには理由がある。」とのたまう。私が安くて嬉しいと喜んでいる時に限って言うので、「あぁ、またなんか言っているわ~。」と、ついついいい加減に聞いてしまうのだが、ここはしっかり受け止め、「わあ、安くて嬉しい!」ではなく、「むむ、ちょっと待てよ」と思わなければなるまい。
口に入る何かを安全に安心に作るためには、必ずそのための人件費から材料費といったそれ相応の経費がかかる。それがあまりに安いということは、消費者は喜ぶよりも疑わなくてはいけないのだ。
某ハンバーガーショップが100円ハンバーガーを期間限定で売りまくったおかげで、正規値段に戻した途端に売れなくなったというのも、なんだかなぁの顛末で、企業は自分で自分の首を絞めているし、消費者である私たちも、結局のところ私たち自身の首を絞めることになっているのではないだろうか。
値段には意味がある、その当然のことを忘れているのではないだろうか。
もちろん“安くて良いモノが欲しい!それこそお値打ち品だ”というのは誰しも思うことで、頷けるけれど、そんなに安くて良いモノがあちこちに転がっているわけがない。
そこをもう一度肝に銘じなければならないのだろう。
高くて良いものは当たり前、ではなくて高いものはそれなりに意味がある。佳いものには適正な値段がついてしかるべきで、値段は嘘をつかないということだろう。
特に口に入るもの、私たちの身体を作るもの、がそうそういい加減であっていい筈はない。
安易にちょっとでも安いものを迷わず手にする前に、一呼吸してその背景も考えなくては、と反省するとともに、この本を買ってみようかと思う私である。