ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.1.26 値段には意味がある

2016-01-26 22:10:03 | 日記
 ここのところの廃棄カツ騒動がとんでもないことになっている。本当に安いモノを買おうと思って廃棄物品を買っているのでは、泣くに泣けない。
 夫が長く食品関係の仕事をしているので、これについては一家言あるのだろうけれど、凡人の私もこれは、と思う書評を見つけた。
 朝日新聞の書評サイトである。以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

BOOK asahi.com
激安食品の落とし穴 [著]山本謙治([文]土屋敦  [掲載]2016年01月12日)

 ありがちな書名だが、著者が人気ブロガー「やまけん」としても知られる農産物流通コンサルタント・山本謙治氏であるゆえ、凡百の類書と一線を画すのは当然だろう。徒に不安を煽ったり、エビデンスのない情報を流布したりすることなく、具体的、実践的かつ論理的に、われわれが執拗に安い食品を求めることが、結局われわれ自身の不利益になることを、強い説得力をもって示した本だ。
 例えば納豆について。10年前は3個パック128円程度だったのが、今は78円ほどに値下がりしているが、「安くなる理由はひとつもない」という。大豆の価格は高止まり、容器や包装フィルムも値上がりしているのだ。
 値下げを牽引したのは大手スーパーのプライベートブランド。製造業者に利益が出ないほど安い納豆を作らせ、その代わり、利益の出る商品もスーパーの棚に置かせてやる。そして取引量を増やして業者を自分たちに依存させると、儲けの出ない格安商品の割合を増やす。そのころには、そのスーパーとの取引を切られたら会社が立ち行かなくなるほどになっていて、断れなくなるという図式だ。
 商品の値段を適正値より低くする方法の具体例として、著者は「人をいじめる」ことや「ウソをつく」ことを挙げているが、納豆はその典型的な例のひとつだろう。
 その他、本書では、弁当、たまご、ハム・ソーセージ、惣菜、調味料などの現状を明らかにし、その適正ではない価格と、低価格を支えるからくりを解説していくが、問題点ばかりを指摘しているわけではない。著者が実際に取材した良心的な食品の作り手とその実にまっとうな製造現場の様子を紹介し、それらの製品を「佳い食」と位置づけるのだ。
 適正価格で買わないことは、社会悪となる、という著者の言葉が重く響く。食品は自然に由来し、激安食品ばかりを選択していくことは、確実に自然と人類の持続可能性を損なうだろう。そのことを痛感し、著者の言う「佳い食」こそを選択的に買おうと強く思った次第だ。

(転載終了)※   ※   ※

 プライベートブランドなどといえば聞こえがいいけれど、この書評どおりであるならば殆ど業者いじめで成り立つ、禍々しいものに思えてくる。
 息子が納豆が大好きで(かくいう私は納豆が苦手なので、鼻をつまみながら息子がリクエストする納豆炒飯などを作っていたのも今は昔である。)、保育園児だった頃から高校時代まで、いつも3個パックの納豆を冷蔵庫に切らしたことはなかった。
 そして確かに上の書評のとおりなのである。
 10数年前に3個100円だと「わあ、お買い得!」だったのにいつの間にか100円を割るのが当然になった。そして78円やら68円やらがゴロゴロしている。
 今は、スーパーやドラッグストアで見かけても殆ど籠に入れることはないけれど、100円を超えるものは少数派のようだ。
 そして78円がどーんと幅をとって並んでいる。そうなると、敢えて100円以上のものを手に取ったりはしない、主婦の悲しい性(さが)である。3週おきに点滴1本に15万円の大枚をはたいているというのに、ことスーパーに行くと1円単位に目の色を変える。トホホである。

 夫はよく「安いものには理由がある。」とのたまう。私が安くて嬉しいと喜んでいる時に限って言うので、「あぁ、またなんか言っているわ~。」と、ついついいい加減に聞いてしまうのだが、ここはしっかり受け止め、「わあ、安くて嬉しい!」ではなく、「むむ、ちょっと待てよ」と思わなければなるまい。

 口に入る何かを安全に安心に作るためには、必ずそのための人件費から材料費といったそれ相応の経費がかかる。それがあまりに安いということは、消費者は喜ぶよりも疑わなくてはいけないのだ。
 某ハンバーガーショップが100円ハンバーガーを期間限定で売りまくったおかげで、正規値段に戻した途端に売れなくなったというのも、なんだかなぁの顛末で、企業は自分で自分の首を絞めているし、消費者である私たちも、結局のところ私たち自身の首を絞めることになっているのではないだろうか。
 値段には意味がある、その当然のことを忘れているのではないだろうか。

 もちろん“安くて良いモノが欲しい!それこそお値打ち品だ”というのは誰しも思うことで、頷けるけれど、そんなに安くて良いモノがあちこちに転がっているわけがない。
 そこをもう一度肝に銘じなければならないのだろう。
 高くて良いものは当たり前、ではなくて高いものはそれなりに意味がある。佳いものには適正な値段がついてしかるべきで、値段は嘘をつかないということだろう。

 特に口に入るもの、私たちの身体を作るもの、がそうそういい加減であっていい筈はない。
 安易にちょっとでも安いものを迷わず手にする前に、一呼吸してその背景も考えなくては、と反省するとともに、この本を買ってみようかと思う私である。


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2016.1.25 まっすぐな言葉は心に響く

2016-01-25 20:52:40 | 日記
 朝日新聞の医療サイト「アピタル」に連載中のコラム、徳永進先生の「野の花あったか話」最新号に涙腺を激しく刺激された。
 先生は野の花診療所のドクターであり、以前「野の花ホスピスだより」(新潮文庫)も興味深く拝読した。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

間に合った愛のリング(2016年1月23日08時05分)

 医療は進歩する。40年前なら、進行胃がんは開腹手術ができたらヤレヤレ。余命は持って1年。今は長くなった。症例によっては腹腔(ふくくう)鏡を使った手術で侵襲を抑え、内服抗がん剤ががんを縮小させることもある。
 三郎さんは77歳。4年前に進行胃がんの手術を受けた。今年再発し、腸閉塞(へいそく)。切除は不能で、腸と腸をつなぐバイパス手術で切り抜けた。さらに腸の別の部位が通過障害を生じ、腸管を広げるステントを挿入。そのステントが閉塞し、さらに2本目のステントを挿入。そして限界を迎えた。三郎さん、病気のことは全部知っている。退院して家で過ごすことを決意した。病気の、山と谷をよくぞくぐり抜けられた。人間の、病気に立ち向かう姿には、いつものことながら、敬服する。
 さっそく往診に出かけた。家は郊外にあった。昔は、周囲全部が田んぼ。三郎さん、米作りをして、合間に森林の伐採、道路工事、大工仕事、何でもする兼業農家だった。
 「このごろ食欲がなくなりました。足の力がのうなって、トイレがやっとです」。がんの末期の何とも言えぬしんどさを訴えた。「やせましたし」と奥さん。診察を終えて帰ろうとすると、玄関先で奥さんに呼び止められた。「私の大切な人です。一日でも長う頼みます」。言葉が真っすぐ心に届く。力にならねばと思う。
 次の往診日、奥さんが言う。「明日、指輪が届くそうです。結婚した時、時代が時代で何もしてやれんかったって、主人、言ってくれて」。三郎さん、照れた。「わしゃ酒飲みで、苦労ばっかりさせましたから」。三郎さん、やるぅー。
 翌日、指輪が届いた。55年遅れのきれいな結婚指輪が、2人の指にはまっていた。「間に合いましたわ」と三郎さん、また照れた。

(転載終了)※   ※   ※

 本当に夫婦の形はさまざまだ。55年遅れの綺麗な結婚指輪を飾るお二人の齢を重ねた指。なんて素敵だろう。77歳の三郎さん、照れながらもこんなプレゼントを用意されるとは、なんて素敵だろう。55年のエメラルド婚式を迎えるほど長年連れ添った奥様はどれだけ嬉しかったことか。奥様の「私の大切な人です。一日でも長う頼みます」の言葉に胸が熱く揺すぶられる。

 ご主人の大変な闘病生活を一番傍で見てきて、それでも一日も長く、と医師にお願いする奥様。そして、先生の「力にならねばと思う」の言葉。こんなにまっすぐな言葉が響きあう関係、なんて素敵だろう。
 まっすぐな言葉は心に響いて共鳴し、暖かな空気で優しく心を包み込む。

 ああ、私も一日も長く、と大切な人に言ってもらえるように生きていきたい。私の大切な人たちを大切にしながら、一日一日を愛おしく思いつつ過ごしていきたいものだ、と改めて思うのである。

 不調だった土日を過ぎ、今日から月末の1週間が始まった。昨日の市長選には投票に行くことが出来ず、ダメな選挙民である。極寒の朝、今週はほどほどに身体の声を聴きながら・・・と、ともすればまた性懲りもなくトップギアで走り続けそうな自分に言い聞かせつつ無事出勤した。

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2016.1.23-24 ギアチェンジも必要だ

2016-01-24 21:15:59 | 日記
 土曜日。
 ここのところ、朝のテレビ小説をベッドで視た後、二度寝するパターンが続いている。どうにもすんなり起きられない。平日の夜更しやら疲れが溜まっているらしい。
 ブランチの支度が夫にお任せになっている。寒さの所為か胸痛が続いており、気付けば珍しく3度3度ロキソニンを飲んでいる。

 先ずは、ついつい後回しになってしまう掃除を済ませる。そして、痛み止めの薬が効いた頃を見計らってヨガスタジオへ出かけた。深呼吸をして身体を延ばすと気持ち良いのでついつい頑張って通ってしまうのがいけないのか。

 夕食も夫が準備してくれた。感謝しつつ頂いた後、封切りのレイトショーを観に行った。初日だからなのか、主役の俳優が人気があるからなのか、びっくりするほど混雑していたけれど、出来は今一つ。途中からダラけて、酸欠なのか欠伸連発。隣の夫もそんな感じ。寒い中、痛み止めのロキソニンを飲んでまでわざわざ出かけて行って、本当にお馬鹿さんだ。
 途中から頭痛も併発。就寝前に再度ロキソニンを飲むというトホホの土曜日になった。

 日曜日。
 ロキソニンを飲んで寝たものの、頭痛で眠れない。ようやく眠ったかと思うと、痛みで頭が割れそう。気持ちも悪くなって目が覚めてしまう。かといって起き出す元気もなく、トロトロするのを繰り返しながら朝になった。

 今日は月1回、楽しみにしていたリフレクソロジーの日。なんとか行きたいとギリギリまで粘ってロキソニンが効いてくるのを待ったが、全然軽減せず。泣く泣くドタキャンで本当に申し訳ありませんとメールをする。
 サロンの最寄駅まで車で送迎して頂いているので、万一行き違いになったら迷惑なことこの上ない。すぐに「どうぞお大事になさってください」と返信が入り、次回の予約を入れる。

 せっかく早起きしたので、とりあえず大洗濯を済ませた後、リビングに簡易ベッドを設えて、横になる。撮り溜めたビデオを視ながらダラダラウトウト。午後は予約していたヨガもキャンセル。夫に、昼食もおやつも用意させてしまった。
 夫からは「いつもトップギアで走ってばかりいて、具合が悪くならないと休まないのだから。」と苦言を呈される。おっしゃるとおり。言葉もない。ついつい調子が良いからと図に乗っていたのは否めない。

 その夫、夕方から職場関係の方のお通夜に出かけた。会場は、昔懐かし私が一人暮らしをしていた近辺の斎場。なんと私が住んでいたアパートがしっかり残っていて(当時は一応新築だった)、LINEで写真が送られてきた。いやはやもう30年近く前のことである。

 そんなわけで胸部の鈍痛と圧痛に加え、いつになく酷い頭痛に悩まされた休日だった。このままこの頭痛が治まらなかったら、もしかしたら・・・とまた不安が首をもたげてきた。

 とりあえず落ち着いてきたのだけれど、早くも明日からまた1週間。数十年ぶりという寒気が日本列島を襲い、奄美大島ではなんと115年ぶりの降雪だという。“寒い→痛い”の構図を肝に銘じて、ギアチェンジをしながら乗り切っていかなくては・・・。

 大雪に見舞われた地方の皆様、大丈夫でしょうか。どうぞ暖かくしてお過ごしくださいますよう。
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2016.1.22 今年も1年幸せであるために

2016-01-22 22:31:10 | 日記
 少し時間が経ってしまったが、ハフポストの記事をご紹介したい。長文なので、かいつまんで、と思ったのだけれど、変に切ってしまうと繋がらなくなりそうなので、以下、全文転載させて頂く。

※   ※   ※ (転載開始)

幸せな人たちが毎日欠かさない11の習慣(2016年01月17日 21時53分)

 私たちはみな、人生で目指すことも違うし、価値観や信条、経験なども全く違うだろう。そのなかで、ひとつ共通することがあるとすれば、幸せになりたいと願う気持ちではないだろうか。しかし多くの場合、幸せは、実現しうる現実というより、妙にリアルな夢のようなものではないだろうか。
 私たちが考えたり、言ったり、行動したりすることのすべては、幸せになるためといっても過言ではない。新しい仕事に就くのは、もっと幸せになれると思うから。新しい車を買うのも、きっとそこに(新しい)幸せがあると思うからだ。結婚し、子どもを産み、遠いどこかに旅行するのは、私たちの追い求める幸せがきっとそこにあると思うからだ。
 でもなぜか、どんなことをしても、幸せに手が届かないと思えることがある。素晴らしい高揚感は一時のもので、長くは続かないようだ。たったいままで手の中にあったのに、次の瞬間にはなくなってしまう。やっと手に入れたと思った次の瞬間には、幸せは手の届かないどこかに失われてしまうのだ。
 では、いつも幸せそうな人たちは、どうしてあんな風に幸せそうでいられるのだろう? 私たちが知らない秘訣があるのだろうか。もしかしたら、大きな秘密を解明したのだろうか。それとも、変な薬でも発見したのではないだろうか。
 私たちが、幸せというかたちのないものを果てしなく追い求める続ける一方で、あの人たちはどんなことがあっても幸せだ。一体どのしたらいいのだろうか。もしかしたら、もう少し視野を広げてみると答えは意外に単純明快かもしれない。最高に幸せな人たちには、ある毎日の習慣があったのだ。
 彼らには、毎日欠かさない習慣がある。
 実際に、幸せな人たちは、自分自身を幸せな状態に保つために、とても大切な11の習慣を毎日行っている。この11の習慣は一夜で作られるものではない。長く続けてこそ意味があるのだ。だから、幸せになりたいなら、その習慣を取り入れてみるのはどうだろう。
 これらの習慣を90〜180日ほど続けることができたら、自然と幸せを感じられるようになる。手が届かないと思っていたものを、手に入れることができるのだ。

1.笑顔でいる 幸せな人は、理由がなくてもいつも笑顔だ。笑顔は心の状態を表すもののひとつだが、それ以上の意味を持つ。身に付いた意識なのだ。大切なのことは、物理的に変わるだけで、心まで変わることだ。
 笑顔でいることは幸せな心の状態を育み、幸せな心の状態は笑顔でいたいという欲求を育む。これは、2002年に発表された研究の中で、鉛筆を口にくわえて口角を上げて、笑顔の状態にしたままアニメ番組を観る実験によって証明されている。
 笑顔を作っていた人たちは、そうでない人たちと比べ、アニメの面白い場面やユーモアたっぷりの場面をより愉快に感じ、悪い場面でもあまりネガティブな気持ちにならないことがわかった。これは物理的に、ある表情をしているとき、その表情を浮かべるときに、心の中で(その表情と)最も似た感情を呼び起こすことが確かになったということだ。

2.関係性を築き、育む 幸せな人たちは、一方的で、自分たちにとって利益になるものばかりでなくても、まわりの人との関係性を大切する。お互いにとって実りの多い関係性を築くために努力を惜しまず、今ある人との関係性を深めるだけでなく、新しい人たちとの関係性も築こうとする。
 幸せな人たちは、心から幸せになるために、自分のことを考えるだけではだめなことをわかっている。相手のことを考えなければ幸せにはなれない。お互いのことを認め合い、分かち合うことはそういうこと。自分の意識が自分からまわりの人に移ることで、心は満たされない状態から、豊かでおおらかな状態へと変化する。
 これは潜在意識において、生きるのに足りるものに恵まれていると、まわりの人をできる限り助けたいと思うからだ。これによって、心は幸せな状態になり、与える姿勢を持つ人生の基盤ができていくのだ。

3.価値を創る 幸せな人たちは、長期的なものの見方をする。今与えられた仕事を通して、価値を創りだそうとする。近道をするのではなく、必要が無いと思われるようなところでも手を抜かない。給料をもらっている以上の価値を創りだそうと努力を惜しまないのだ。
 これは雇う側にも、雇われる側にも当てはまる。幸せな労働者は努力を惜しまず、全力でまっとうする。与えられた時間で、それ以上の価値を生み出すのだ。雇う側は、人々のニーズを満たし、課題解決につながる、よりよい商品やサービスを提供することにより価値を提供する。

4.健康的な食生活 当たり前のことだが、私たちの身体は食べたものでできている。これは、全くもって真理だ。その日食べたものによって、だるく疲れたように感じると、1日を活き活きと過ごすことは難しい。
 対照的に、幸せな人たちはエネルギー豊富で、新鮮で、栄養価の高い食べ物を食べる。胃を加工食品やファストフードで満たすのではなく、より自然でオーガニックな食品を選ぶのだ。

5.今を生きる 過去に起こったことや、まだ見ぬ未来への不安ばかりを考えて、1日を過ごしていたら幸せにはなれない。幸せな人たちは、今を生きる。今、ここに存在しているのだ。それは、過去に起こったことや未来を一切忘れてしまうということではない。でも、今という時間を大切にすることが、心穏やかでいられることにつながっていると彼らはわかっているのだ。
 うまくいかないことは、きっと常にある。実際、うまくいかないことがあるということは、生きているということでもある。でも、今という時を生きることは、どんな問題よりも大切だ。公園を散歩したり、瞑想をしたりして、本当に見て聞いて嗅いでみることで、もっと長期的な幸せを感じられる心や感性を養うことができるはず。

6.目標を立てる 幸せな人たちは、今を生きる一方で、将来に向けて目標を立てる。目標があることで、どの方向に向かっていけばいいかわかるようになるからだ。そうすることで、人生で成し遂げたいことを、希望と大志をもって夢中になることができる。目を背けず、前に進むことができるのだ。
 でも、長期的過ぎる目標は立てない。1日1日の目標を立て、ひとつずつ着実にこなすことで、一歩ずつ心の充足を得ることができる。そうすれば、毎日、その日の成功を噛みしめることができるから。

7.責任を持つ 幸せな人たちは責任を持つ。自分の行動に責任を持っているから、正しいことをしようとする。ズルをして勝とうなんて思わない。努力をするし、もしも失敗してしまっても、きちんと理由と一緒にまわりに伝えようとする。
 行動に一貫性があるから、隠すための嘘をついたり、それがバレたりしないか心配したりするストレスが無い。他の人を裏切ったり貶めたりする際のストレスは、幸せになれる可能性を蝕んでしまう。

8.笑う 笑うことは、魂を満たす。幸せな人たちは、自分の行動に責任は持つけれど、いつも生真面目なわけではない。人生の辛い時でさえも、きっといいことがまたやってくると知っている。
 でも笑うことは、感情以上の意味を持っている。身体や心の健康に大きな影響を及ぼすのだ。笑うと、ドーパミンやセロトニンなどの幸せホルモンが分泌され、ストレスが軽減される。これにより、消化や再生機能などが活性化されることがわかっている。

9.冒険する 幸せな人たちは冒険をしたがるものだ。自分にとって居心地の良い場所を離れ、未知に飛び込んでいくときこそ、素晴らしい体験ができると知っているからだ。それは旅行に限ったことではなく、新しい人に出会ったり、異なる文化の目を通して人生を体験してみたりして、新しいことを探求し、発見することだ。
 それは、豪華でおしゃれな旅行にたくさんお金をかけることとは違う。人生のスリルを、様々なかたちで味わうことだ。いつもとは違う晩ごはんを楽しんだり、仕事からの帰り道に、いつもと違うところを通ってみたりすることだ。自分を枠に押し込めて生きるのではなく、新しい冒険をしてみたいという姿勢が大切なのだ。

10.ポジティブに考える 人生は、自分が考えていることばかり写しだしてしまう。そういう意味では、カメラのレンズに似ているかもしれない。うまくいかないことばかりを考えると、うまくいかないことがもっと見え始める。そんな考えはどんどん膨らみ、心を支配してしまう。
 でも、ポジティブに考えると、うまくいかないことやネガティブなことでさえも乗り越えることができる。今、ここで起きていることをちゃんと理解できるようになる。実際、ポジティブであることは、幸せになるために必要な基礎であり、それ以上に、今を生きるために大切なことなのだ。

11.変化を受け入れる 変化を好まない人もいる。これまで人生で築いてきたものを変えたくない人たちがいるが、幸せな人たちは、変化を受け入れることの価値を知っている。
 確かなものを受け入れるだけでなく、不確かなものも受け入れること。人生の大きな変化を前に怖気づいたりしない。変化を受け入れることで、幸せな人たちは人生の素晴らしさも同時に受け入れる。
 すべてのことは時間とともに変わっていくことを知っているから、変化を受け入れることを怖がらない。それは新しい仕事を探したり、別の町に引っ越したり、結婚したり、子どもを産んだりすることかもしれない。幸せな人たちは、どんな変化でも受け入れるんだ。(R.L.アダムス ライター、ブロガー、起業家、エンジニア、作家)

(転載終了)※    ※    ※

 というわけで、1番から自分に引き付けて考えてみたい。
 なるほど何か始めた時に、3ヶ月続けることが出来れば習慣になると思う。そして、ここに紹介されている11の項目はひとつひとつを見ればそれほどハードルが高すぎるというわけでもない。ただ、これを毎日全て実践出来るか、となるとぐっと難しくなるのかもしれない。いずれにせよ、意識しているかどうかで随分異なると思う。
 意識的に始めて、無意識に出来るようになればもう自分のものではないだろうか。

1.笑顔でいる 最も幸せへの近道だと思う。笑っているのに自分は不幸だとは思えないし、人の笑顔を見ていて不機嫌になる人がいたら、それは相当天邪鬼だろう。笑顔は笑顔を呼ぶ。だからいつも笑顔でいよう。

2.関係性を築き、育む 人として社会に生きている限り、全く関係性なく生きてはいけない。だからこそ自分の周りの人たちと関係性を築き、それを大切に育みたい。周りの人を助けたいという思いが実を結ぶと、なるほど自分も満ち足りて幸せになれると思う。自分さえ幸せならそれでよい、はちょっと悲しい。

3.価値を創る 気持ちに余裕がないとどうしても近視眼的になりがちだ。だからこそ、出来る限り長期的にものを見るように心がけたい。そして何か価値のあるものを生み出せたら素敵だ。

4.健康的な食生活 3と同じで、余裕がないとどうしても加工食品やファストフードに頼りがちになる。ヨガリトリートの時に摂った食事には本当に癒された。日々働いていると調理にそれほど時間をかけることは出来ないけれど、心してオーガニックの食材を選ぶなど食事を大切にしたい。

5.今を生きる これはがん患者としては鉄則だ。今という時間を大切にすることが、心穏やかでいられることに繋がっているのは日々実感している。1月から学び始めたヒーリングの勉強も続けながら、長期的な幸せを感じられる心や感性を養っていきたい。

6.目標を立てる 今を生きる一方で、将来とまではいかないけれど、今年はこういうことを始めたい、と目標を立てた。当然、あまり長期的過ぎる目標は立てられない。ひとつずつ着実にこなして、小さな心の充足を噛みしめていきたい。

7.責任を持つ 自分の行動に責任を持ちたい。旅立って行った複数の患者仲間たちに恥ずかしくない生き方をしたい。自分が出来る範囲でこれからも努力を続けたい。

8.笑う 1番目の笑顔でいる、と同じだけれど、笑うことは、身体や心の健康に大きな影響を及ぼすのは色々な実験結果からも明らかだ。幸せホルモンセロトニンが分泌できるように笑っていたい。

9.冒険する 新しい人に出会うことは素敵なことだ。ちょっとした新しいことで十分その醍醐味は味わえる。ワクワクドキドキしたいという姿勢を忘れないでいたい。

10.ポジティブに考える まさにヨガやヒーリングで学んだとおり。うまくいかないことばかりを考えると、それが現実になってしまう。だから出来るだけポジティブに考え、心に決めたことを現実にしていきたい。

11.変化を受け入れる 確かに変化なくずっと同じ場所に佇んでいるのは安心かもしれない。けれど、人生の大きな変化を前に必要以上に怖気づいたりしないで、なるべく上手に受け入れていきたい。

 こうしてみると、総じて今の私は幸せであることは間違いなさそうだ。もっと、もっと幸せに、と欲張るのではなく、自然体で幸せを引き寄せられたら素晴らしいな、と思う。
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2016.1.20 次回は3カ月後に安堵

2016-01-20 20:29:31 | 日記
 今日は休暇を頂いて、母の術後経過観察のための通院に同行した。
 日陰はまだまだ雪が残っていて足元が悪いし、朝の予約時間が早かったので、昨夜は、出産後1か月ほど世話になって以来、実に20年ぶりに実家に泊まらせてもらうことにした。まあ、これほど実家に寄りつかない娘がいるのか、と驚かれそうだが、何せ改築しているとはいえ基は築50年の木造平屋建てである。

 なんといっても冬は半端でなく寒い。隙間風があちこちから入ってきて、足の下から深々と冷えてくる。暖房を入れてもなお寒い。どうして高齢の両親が風邪を引かずに済んでいるのかと思うけれど、ひとえに慣れによるものなのだろう。ああ、もっと元気があるうちに鍵1つで出かけられるマンションに引っ越しておけばよかったのに・・・と思うが、当時は取り合ってもらえなかったし、今に至ってはもうそんな気力も体力もないだろう。

 というわけで、早朝、両親が目覚ましにしているラジオの大きな音に起こされる。自宅のようにパジャマのままでうろうろするのはやめにして、しっかり着替えて身支度を整え、万全の態勢でまだ温まっていない台所に臨む。
 昨日買っていったパンを両親とモソモソと食し、洗濯物を干し、タクシーを呼んで病院に向かった。父は1時間ほど留守番して、デイサービスのお迎えの車を待つという。

 病院に入ると、もの凄い混雑だった。ああ、これはまた何時になるかわからない・・・と覚悟を決める。どうも市内高齢者の健康診断の日とぶつかったようで、採血や採尿コップを持った方たちで溢れている。それでも30分ほどすると母の名前が呼ばれ、検査を終えて2階の外科に向かった。

 待つこと1時間弱。前回から約2か月ぶりの診察だ。若々しいT先生に「今年もどうぞよろしくお願いいたします」とご挨拶をする。本人が薬の助けを借りることなく自力で排便が出来るようになり、大分楽になったということで、先生は「気落ちされていたので、どうされているかと・・・」と優しく食事や睡眠等の様子を訊いてくださる。

 採血の結果がプリントされているのを見ると、ヘモグロビンが8だったりとL(基準値より低い)の数字はそれなりにあったので、貧血の心配はないかと確認したところ、「術前も貧血だったけれど術後輸血をしているわけでも鉄剤を飲んでいるわけでもないので、このくらいなら徐々に改善するでしょう、バランスよく食事を摂ってくださいね。」とのこと。
 母の様子からそれなりに食欲もあり、眠ることが出来、気力が出てきたのを受け取ってくださったようだ。体重は相変わらず退院時と同じ33kgで3kg減のままだそうだけれど。

 さすがにずっと引き籠っている生活に飽きが来たのか、「そろそろ体を動かしてもいいでしょうか。」と母が訊くと、「もうどんどん動いてください。」とお墨付きが出た。母の顔はパアッと明るくなり、「では体操教室や、歌の教室も(大丈夫でしょうか)?」と言っている。
 先生は「まあ、今日のような日に外に出て滑って転ばないようにすれば」との冗談までおっしゃる。現金というか単純というか、母は本当に嬉しそうで、自信がついた模様。隣で聞いていた私もほっと安堵する。
 次回は術後半年経過のため、4月に造影CTと採血、1週間後に結果説明で診察の予約が入った。

 とりあえず、昨年9月以来の直腸がん騒ぎはこれにて一段落といったところである。後は5年間再発さえしなければ、立派なサバイバーに仲間入りだ。

 会計を済ませ、薬局に移動して処方された睡眠剤を頂く。病院と薬局を合わせての滞在時間は2時間半弱。思いのほか早く、ほっとする。昨日から、寒さの所為か胸痛が再燃してちょっとしかめっ面だったのだけれど、少しだけ緊張がほどけた。

 風は強かったけれど、雲一つない青空。残雪が反射して眩しく、陽だまりの中はとても暖かい。少し早いけれど朝がいい加減だったし、と近くの洒落たカフェに入ってみる。
 ストーブが暖かく燃えるサンルームに座り、ポカポカとまるで温室にいるようなテラス席で、食事とケーキとお茶をゆっくり愉しんだ。こんなふうに母と平日にランチが出来るというのも病気のお蔭と思うと、ちょっと皮肉なことだけれど、これもまた神様の贈り物と思うことにしよう。

 お腹一杯になったところで夫へのお土産にケーキを買い、お腹ごなしに散歩しながらゆっくり実家に戻った。
帰宅すると洗濯物が乾いており、片付けを終え、頼まれた書類を書いたりしてお役御免。電車を乗り継いで無事、帰宅した。

 自宅には今年初めてのお花が届いていた。
 濃淡のピンクと白のスイートピーがそれぞれ3本ずつ、スイートピーとのベストコンビであるかすみ草が1本と紫色の星のようなリューココリーネが3本、春の香りを運んでくれる菜の花が2本。花瓶に投げ入れたら、すっかり気持ちが春らしく華やいだ。
 花言葉はそれぞれ「青春の喜び」、「清い心」、「温かい心」、「快活」だという。
 

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