旅行2日目。今日は蘇州と無錫の観光。
昨夜は日付が変わってからベッドに入り、あっという間に寝息を立てる夫を横目になかなか寝付けず、明け方にお手洗いに起きる。腹痛のため、5時45分のモーニングコールに先駆けて目覚める。大変なことに部屋のお手洗いが詰まっている。やむなくロビーのお手洗いと部屋を往復。そんなわけで浴槽足湯の時間もなくなり、6時半のレストランオープンとともにこわごわ朝食を済ませる。フロントでお手洗いトラブルの修理をお願いし、ガイドさんにも念押しして頂き、アタフタと出発。
バスに揺られることおよそ1時間半、東洋のヴェネツィアとも呼ばれる水と緑の豊かな街、蘇州へ。呉越同舟や臥薪嘗胆の舞台であることを改めて知る。
蘇州の蘇の字は草冠が桑、魚が美味しく、肥沃な土地でコメが美味しいという裕福な土地を意味するという。ライトアップされた運河の美しさで知られるが、今回は早朝の訪問。
まずは世界遺産・耦園へ。蘇州園林のなかの一つで、1876年に造られ、持ち主は清代の蔵書家・沈秉成。耦とは蓮の根、レンコンの意味で、彼が蓮の花を愛したことでこの名がついたのだそうだ。最愛の妻とともに過ごす私邸として造られたため、数ある蘇州の庭園の中でも隠れ家的で、最もロマンチックなデザインという。建築物や、屋内に飾られた書画など専門家の評価も高いけれど、観光客が少なく運河沿いの路地裏に佇む古典園林を静かに散策できるのも魅力だそうだ。
3月末からが花の季節でとても美しいそうだが、蝋梅や椿が花開き、木蓮も花開く準備を進めていた。
中国大陸の東西を繋ぐ京杭大運河は、北京から杭州までを結び、途中、揚子江と黄河を横断する、全長1794㎞に及ぶ大運河。2014年世界文化遺産に認定されている。園を出て遊歩道を歩くとそこには滔々と流れる水面。よくも当時、こんな運河を作ったものだと遠い昔に想いを馳せる。
そして、宋代詩人が「蘇州に来たからには、虎丘に行かんでどーする!」(蘇東坡による 「蘇州に遊びて虎丘に遊ばずは遺憾なり」 という一句)と絶賛した場所、“東洋のピサの斜塔”虎丘を車窓から眺める。ところが、ちょうどベストショットが撮れるあたりで、隣にバスが平行してしまい、がっくり。『史記』 の記載によると、2400年前の春秋時代、越王との戦いに敗れた呉王の闔閭 (こうりょ) がこの地に埋葬されてから3日後、その墓に白い虎が現れたことから 「虎丘」 となったという伝説があるそうだ。出来ることなら実際に訪れてみたかった。
再びバスに揺られ、1時間余り、無錫へ到着する。11時というのにいきなり早お昼である。とはいえ、朝が早かったし、お腹が怖かったのでこわごわちょっぴり頂いただけだったのでお腹は空いている。
スペアリブ付きの無錫料理。太湖で獲れた白魚入りの卵料理が美味ということだったが、なんと私が口に入れたものは大当たり。ビニール紐が入っていて、夫がお店の人に伝えると、ガイドのRさんが飛んできて、新しく一皿作り直してくれることに。
バスに戻ると、現地のガイドOさんが乗り込んでくる。地元の雇用創出のための策だそうだ。
江蘇省と浙江省にまたがる湖・太湖は、琵琶湖の3.5倍の面積を有する巨大湖。蘇州側の湖畔よりも観光地が集中しているのが無錫側太湖の特徴で、テーマパークや史跡も湖沿いにあるそうな。有名な観光スポットは鼋頭渚。遊覧船や山の上から広大な風景を眺めることが出来、無錫きっての桜の名所でもあるという。まあ、残念ながら今回は真冬。2艘の舟が並走して20分ほど遊覧。Oさんの無錫旅情の歌も拝聴する。
下船した後は、淡水真珠店でお買い物タイム。淡水パールというと小さく様々な形のカジュアルなネックレスを想像したが、ここで売られているものの中には、直径15mmにも及ぶ真ん丸な大粒のものも。日本のあこや貝では一粒しか抱かない真珠をこちらのカラス貝は2,30個も持っていて、さらには人件費も安いので、大粒のものがかなりお手頃なお値段で買えるようだ。店長直々に出てきて色々講釈があり、別室に通された私たち御一行に真珠クリームの即売会。とはいえ、真珠婚式は2年後だし、今回は特に気に入ったものもなく、目の保養と休養に留める。そして朝から雲が厚かった空からとうとう雨が降り出してくる。
こうして午後の観光を終え、上海に戻る。渋滞もあり、2時間半はかかるという。当初は戻ってから上海散策という日程だったが、とても無理なので明日の日程と入れ替えますとのこと、1時間ほどバスに揺られて、頭をゴツンゴツンぶつけながら爆睡。途中お土産の試食などもしながら、シルク店へ立ち寄る。
かつて“あぁ、野麦峠”でも知られた日本の養蚕業はすっかり鳴りを潜め、今では日本のデパートもほぼこちらの江南シルクを輸入しているという。呉服という言葉の由来は呉の国の娘が絹の糸で作った衣服というところから来ていると知り、びっくり。雄雌二匹の蚕が作った繭で真綿布団が出来る過程を実演中。4人の職人さんが四方から引っ張って何枚にも重ねていく。私たちもやらせてもらったけれど、これは面白かった。
ここでも寝具をお薦めされたけれど、羽毛布団で間に合っている。年配の男性一人が奥様にお買い求めになっただけ。ガイドさんやお店の人たちにとっては連れないお客様ご一行といったところ。
そして、最後のディナーは四川料理である。口の中が火事になるほど辛かったけれど、とても美味で、満足だった。皆でさらりと甘みのある本場の紹興酒を頂戴する。食事が始まると、中国の伝統芸能の変面ショーを楽しめるようになっていた。
そして、今日の締めくくりは上海ナイトクルーズ。あいにく雨がしっかりと降っており、煙って見えないのではという危惧もあったけれど、果たして行ってみればノープロブレム。
フランス租界だった外灘(バンド)地区のクラシックでレトロな街並みと、対岸のモダンで近未来的な高層ビルの対比が実に面白い。旅もあっという間に最後の夜である。寒さと振り込む雨風に耐えながら摩天楼の夜景を堪能した。
明日はさらに今日より30分早い出発だ。月曜日は週初めで大変な渋滞になることを見込んで、とのこと。そのため、今晩中にほぼパッキングを終えてから休むことになる。そして午後の便で日本に戻る。2泊3日、緩いどころか強行軍の旅である。
今日でゼローダ11日間内服完了。前回は10日で音を上げたが、今回は、それはクリア出来た。なんとか14日間飲み続けられますように。
一方、夫は朝から何やら風邪気味だといい、私が持ってきた葛根湯を飲んで凌いでいる。無事帰国出来ますように。
昨夜は日付が変わってからベッドに入り、あっという間に寝息を立てる夫を横目になかなか寝付けず、明け方にお手洗いに起きる。腹痛のため、5時45分のモーニングコールに先駆けて目覚める。大変なことに部屋のお手洗いが詰まっている。やむなくロビーのお手洗いと部屋を往復。そんなわけで浴槽足湯の時間もなくなり、6時半のレストランオープンとともにこわごわ朝食を済ませる。フロントでお手洗いトラブルの修理をお願いし、ガイドさんにも念押しして頂き、アタフタと出発。
バスに揺られることおよそ1時間半、東洋のヴェネツィアとも呼ばれる水と緑の豊かな街、蘇州へ。呉越同舟や臥薪嘗胆の舞台であることを改めて知る。
蘇州の蘇の字は草冠が桑、魚が美味しく、肥沃な土地でコメが美味しいという裕福な土地を意味するという。ライトアップされた運河の美しさで知られるが、今回は早朝の訪問。
まずは世界遺産・耦園へ。蘇州園林のなかの一つで、1876年に造られ、持ち主は清代の蔵書家・沈秉成。耦とは蓮の根、レンコンの意味で、彼が蓮の花を愛したことでこの名がついたのだそうだ。最愛の妻とともに過ごす私邸として造られたため、数ある蘇州の庭園の中でも隠れ家的で、最もロマンチックなデザインという。建築物や、屋内に飾られた書画など専門家の評価も高いけれど、観光客が少なく運河沿いの路地裏に佇む古典園林を静かに散策できるのも魅力だそうだ。
3月末からが花の季節でとても美しいそうだが、蝋梅や椿が花開き、木蓮も花開く準備を進めていた。
中国大陸の東西を繋ぐ京杭大運河は、北京から杭州までを結び、途中、揚子江と黄河を横断する、全長1794㎞に及ぶ大運河。2014年世界文化遺産に認定されている。園を出て遊歩道を歩くとそこには滔々と流れる水面。よくも当時、こんな運河を作ったものだと遠い昔に想いを馳せる。
そして、宋代詩人が「蘇州に来たからには、虎丘に行かんでどーする!」(蘇東坡による 「蘇州に遊びて虎丘に遊ばずは遺憾なり」 という一句)と絶賛した場所、“東洋のピサの斜塔”虎丘を車窓から眺める。ところが、ちょうどベストショットが撮れるあたりで、隣にバスが平行してしまい、がっくり。『史記』 の記載によると、2400年前の春秋時代、越王との戦いに敗れた呉王の闔閭 (こうりょ) がこの地に埋葬されてから3日後、その墓に白い虎が現れたことから 「虎丘」 となったという伝説があるそうだ。出来ることなら実際に訪れてみたかった。
再びバスに揺られ、1時間余り、無錫へ到着する。11時というのにいきなり早お昼である。とはいえ、朝が早かったし、お腹が怖かったのでこわごわちょっぴり頂いただけだったのでお腹は空いている。
スペアリブ付きの無錫料理。太湖で獲れた白魚入りの卵料理が美味ということだったが、なんと私が口に入れたものは大当たり。ビニール紐が入っていて、夫がお店の人に伝えると、ガイドのRさんが飛んできて、新しく一皿作り直してくれることに。
バスに戻ると、現地のガイドOさんが乗り込んでくる。地元の雇用創出のための策だそうだ。
江蘇省と浙江省にまたがる湖・太湖は、琵琶湖の3.5倍の面積を有する巨大湖。蘇州側の湖畔よりも観光地が集中しているのが無錫側太湖の特徴で、テーマパークや史跡も湖沿いにあるそうな。有名な観光スポットは鼋頭渚。遊覧船や山の上から広大な風景を眺めることが出来、無錫きっての桜の名所でもあるという。まあ、残念ながら今回は真冬。2艘の舟が並走して20分ほど遊覧。Oさんの無錫旅情の歌も拝聴する。
下船した後は、淡水真珠店でお買い物タイム。淡水パールというと小さく様々な形のカジュアルなネックレスを想像したが、ここで売られているものの中には、直径15mmにも及ぶ真ん丸な大粒のものも。日本のあこや貝では一粒しか抱かない真珠をこちらのカラス貝は2,30個も持っていて、さらには人件費も安いので、大粒のものがかなりお手頃なお値段で買えるようだ。店長直々に出てきて色々講釈があり、別室に通された私たち御一行に真珠クリームの即売会。とはいえ、真珠婚式は2年後だし、今回は特に気に入ったものもなく、目の保養と休養に留める。そして朝から雲が厚かった空からとうとう雨が降り出してくる。
こうして午後の観光を終え、上海に戻る。渋滞もあり、2時間半はかかるという。当初は戻ってから上海散策という日程だったが、とても無理なので明日の日程と入れ替えますとのこと、1時間ほどバスに揺られて、頭をゴツンゴツンぶつけながら爆睡。途中お土産の試食などもしながら、シルク店へ立ち寄る。
かつて“あぁ、野麦峠”でも知られた日本の養蚕業はすっかり鳴りを潜め、今では日本のデパートもほぼこちらの江南シルクを輸入しているという。呉服という言葉の由来は呉の国の娘が絹の糸で作った衣服というところから来ていると知り、びっくり。雄雌二匹の蚕が作った繭で真綿布団が出来る過程を実演中。4人の職人さんが四方から引っ張って何枚にも重ねていく。私たちもやらせてもらったけれど、これは面白かった。
ここでも寝具をお薦めされたけれど、羽毛布団で間に合っている。年配の男性一人が奥様にお買い求めになっただけ。ガイドさんやお店の人たちにとっては連れないお客様ご一行といったところ。
そして、最後のディナーは四川料理である。口の中が火事になるほど辛かったけれど、とても美味で、満足だった。皆でさらりと甘みのある本場の紹興酒を頂戴する。食事が始まると、中国の伝統芸能の変面ショーを楽しめるようになっていた。
そして、今日の締めくくりは上海ナイトクルーズ。あいにく雨がしっかりと降っており、煙って見えないのではという危惧もあったけれど、果たして行ってみればノープロブレム。
フランス租界だった外灘(バンド)地区のクラシックでレトロな街並みと、対岸のモダンで近未来的な高層ビルの対比が実に面白い。旅もあっという間に最後の夜である。寒さと振り込む雨風に耐えながら摩天楼の夜景を堪能した。
明日はさらに今日より30分早い出発だ。月曜日は週初めで大変な渋滞になることを見込んで、とのこと。そのため、今晩中にほぼパッキングを終えてから休むことになる。そして午後の便で日本に戻る。2泊3日、緩いどころか強行軍の旅である。
今日でゼローダ11日間内服完了。前回は10日で音を上げたが、今回は、それはクリア出来た。なんとか14日間飲み続けられますように。
一方、夫は朝から何やら風邪気味だといい、私が持ってきた葛根湯を飲んで凌いでいる。無事帰国出来ますように。