ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.3.22 5年半ぶりかつら生活スタート 片付けに精を出し、無事帰京

2019-03-22 22:44:07 | かつら

 昨夜は記事をアップした後、疲れてお夕寝をしていた夫を起こして夕食に出かけた。今度は私が疲れて人混みのレストラン街まで出向く元気がなく、ホテル近くの定食屋さんで簡単な夕食。コンビニでデザートを買って早々にホテルに戻った。

 一日中頭が痒く、触りたいけれど触ったらどんどん脱毛しそう・・・。手櫛すら耐えてようやく迎えた入浴タイム。シャンプーをすると、もう流しても流しても手で梳くたびにキリがなく抜ける、抜ける。またしても、排水溝が詰まるほど真っ黒のヘアピースが出来た。全くつるつるになるまで、何個分のヘアピースが出来るだろう。ホテルのバスルームだから洗い場もないし、お湯に浸かりながら終始髪の毛がまとわりついてきて気分が落ちる。次に入る夫のために浴槽をシャワーで洗い流しながら、張り付いた細かい毛を取るのだが、いくら取ってもなかなか取り切れず、ずっと下を向いていたら気分が悪くなった。
 ヨレヨレに疲れて首や背中に張り付いた髪の毛を取ってパジャマになった。TVのニュースではまもなくイチロー選手の引退記者会見です、とのこと。ざわついていた。とても見る元気がなく、そのまま就寝。

 2時間半ほど眠っただろうか。腹痛のためお手洗いに起きる。その後は夫の鼾で2時間半ほど眠れず。頭は痒いし、ちょっと触るたびに髪の毛がついてくるし・・・。ベッドで寝がえりを打ち続けて早朝ようやく2時間ほどトロリとしただろうか。昨日に続き、寝不足である。
 朝起きると、ホテルの白い枕やシーツの上、そこかしこに黒い毛玉が。はあ・・・。脱毛時に必携のコロコロクリーナーを持って来ればよかったと思うが、ないものは仕方ない。夫が掃除を手伝ってくれる。かたじけない。

 朝の連続テレビ小説を視てから、5年半ぶりにかつらを装着して、朝食レストランへ。鏡で確認すると、前髪の脱毛が一番進んでいる。生え際がかなり後退しておでこが丸見え。頭頂部も地肌が大分透けて見えている。サイドとバックはまだ十分髪の毛があるが、さすがにこの前髪で人前に出るわけにはいかない。かつらのサイズは丸坊主に合わせて調整しているので、まだ髪の毛が大分残っている状態でネット帽子をかぶってその上にかつらをかぶると、正直きつい。頭を締め付けられるようだ。
 頭が痛くなりませんように、と願う。頭に鬱陶しい感じで載せている・・・という、忘れていたこの違和感に朝から気分が凹む。

 和食セット・洋食セットを夫と1つずつ頂く。レストランはJRの線路に沿っているので、色々な車両が通過するのをゲストのちびっこたちが嬉しそうに見ている。息子の小さかった頃を思い出す。

 今日は、息子が明日開催される合唱全国大会出場のため、昨夜息子の部屋に宿泊した社会人合唱団のお友達とともに福島に向かう。午前中に新幹線で東京へ、再び東北新幹線に乗り継いで目指すとのこと。
 朝食後、お散歩方々外に出る。昨日息子からもらう予定の書類をもらい損ない、今日出発前にホテルに立ち寄って渡してもらうことになっていたので、ちょっと周辺を回ってすぐに戻ってくるつもりだったのだが、結局、大回りして駅構内まで歩いてしまった。2人が駅に到着するのをキャッチアップして、ビールやおつまみなど差し入れてお見送り。

 雨模様ではあったが、もわっと暖かった昨日に比して、今朝はかなり気温が下がっている。スプリングコートを着ないでストールだけ羽織ってちょいと出かけてきたものだから、寒さで知らないうちに肩をいからせていたのか、戻ったら肩がすっかり凝っていた。

 荷物をまとめてチェックアウト。夫と2人、再び息子のマンションの片づけに向かう。引っ越し後の整理も終わらぬうちに2日連続で入れ替わり立ち代わりお友達が宿泊し、部屋はかなり散らかっている筈。今朝になって片付けに行ってあげても良いよ、と申し出たため、さぞかし「あと(のお片付け)はよろしく」状態で出かけてきたのではないか、と推測するに不安は的中。
 
 今日は夕方の新幹線を予約していたが、具体的なプランもなく、私の体調を見みながら前倒しで帰京しようということになっていた。脱毛はかなりのピークを迎えているが、だるさがようやく少しずつ抜けてきている。
 昨日、息子から必要なものやあったらいいものなどリクエストは聞いていた。任せるというので、買い揃えられるものは買い揃えておくことに。

 夫と2人で手分けをしていざ、と取り掛かる。また大洗濯。2人揃って大車輪で片付けると、見違えるほど綺麗になってきた。早くも2時間経過している。
 お昼は近所のお寿司屋さんで握りのランチを頂き、駅ビル内の100均のお世話になる。あれこれ買っても安心のお値段だ。今は100円だけではなく、ちょっといいものも200円、300円と色々。侮れないものばかり。便利な時代になったものである。

 大きな袋を抱え、これからの作業を考えると、やはり2時間は欲しい。ということで帰りの新幹線を1時間遅らせた。一休みするためのお茶とお菓子も買い込んで部屋に戻る。
 買ってきたものをお目当てのポイントに設え、掃除を終え、干した洗濯物の乾いているものを畳み、まだイマイチのものを浴室に取り込み・・・。ビフォーアフターの写真を撮っておきたかったくらいだ。
 息子にはこれはここ、あれはここ、と整備した写真を送っておく。

 また大量に発生したゴミを捨て、自転車置き場も確認して部屋を後にした。滞在時間はお昼を挟んで5時間半。2人で作業時間は4時間×2といったところ。
 ここまでやって次回来た時に酷いことになっていたら、もう知りませんと最後通牒を渡してきた。

 駅に向かい、車内で頂く駅弁を調達して始発の車両に乗り込む。今日は事故もなく定刻通りに発車。夫はビールも買い込み、早くも頂きたい風情だが、さすがにまだ早いとちょっとウトウト。名古屋まで我慢してから2人で頂いた。食後は、このところお腹の調子がイマイチなので我慢していたアイスクリームと珈琲をセットで頂き、少し新書を読んだらもう降車駅。こちらも定刻通り。
 こちらも寒くてあと1枚着てくるのだったと後悔したけれど、途中下車して衣類を調達する元気もなく、JRに乗り換えて家路を急いだ。

 前回より2時間半ほど早い帰宅が叶った。充実した2日間だったと思う。明日明後日がお休みなのが有難い。
 帰宅するや否や、まずはかつらを外してほっと一息。頭が締め付けられていたのでこの解放感と言ったら、ない。ああ、これから当分はこの生活が続くわけである。まあ初日なので特にしんどかったのだけれど、だんだん慣れていくしかないかつら生活、3たび、である。
 

 
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2019.3.21 学生時代もこれでお別れ・・・卒業式列席雑感

2019-03-21 20:23:21 | 日記

 昨夕もほぼ定時に職場を出て、帰宅。生協のお届け品を収納し、洗濯物を片付けたら、もうそれだけで顎が出る。夫が宴会で夕食不要だったので、一人適当に冷凍食品等で夕食を摂り、翌日からの関西行きの荷物を準備。気づけばいつのまにかリビングでうとうと。夫が帰宅するまでそのまま眠ってしまった。とにかく1日働くというごくごく普通の生活をするだけで信じられないくらい疲れてしまう。

 パッキングは夫に任せ、入浴。シャンプーすると昨夜の比でないくらい髪の毛が抜ける。あっという間に小さなヘアピースほどの黒い塊が排水溝に溜まった。何度身体を流しても髪の毛がまとわりついて湯船に髪の毛が浮いてしまう。掬っても掬っても取り切れない。明日はなんとか地毛のまま行きたいのだけれど・・・。

 今朝は普段より1時間以上前に目覚ましをセット。就寝出来たのは日付が変わってからで、予定時間より1時間以上早く目覚めてしまい、その後眠れずじまい。ああ、完全に睡眠不足の僅か3時間睡眠だ。目覚ましが鳴るまでベッドにいたけれど、起きても外はまだ暗い。

 朝食を済ませ、家を出る。卒業式にはあいにくの曇天だが、かろうじて雨は降っていない。
 やはりお腹の調子が悪く、JR乗り換え駅でお手洗いへ。そして、ダッシュはとても出来ないので、息を切らしながら必死に早歩き。なんとか予定の始発に滑り込み、席を確保出来た。

 こんなに朝早い新幹線に乗るのは我が家としては珍しいパターン。夫が宴会で前泊が叶わなかったからだ。夫は朝食を済ませたにもかかわらず、車内でもモーニングセットを頂いている。今日も元気だ、ご飯が旨い、何よりだ。

 私は2時間ほどで「さまよう遺骨 日本の『弔い』が消えていく」(NHK取材班 NHK出版新書)を読み終えた。
 両親は当時としては最先端とも思える合祀墓を準備していたのに、それは娘としてちょっと忍びないから・・・と、父が亡くなってすぐに新しく両親用のお墓を建てた。再発が分かってすぐに自分が入るお墓も建てており、夫の郷里には先祖代々のお墓もある。墓じまいをする人が増えているという世間様に完全に逆行しているな、としみじみ。
 まあ、息子が墓守をしてくれる予定が、生涯関西勤務になってしまって、はてさてこの後は、と想うことしきり。まあ、これも考えてみても仕方がない。生きている人がやりやすいようにやってもらうしかないのだけれど。

 新幹線は定刻通り、息子の新居であるマンションのある、関西の玄関駅に到着。私は駅ナカのカフェで休息させてもらい、夫は今日宿泊するホテルに荷物を預けに。ほどなくして息子とお友達、夫がピックアップしてくれて、在来線で大学に向かった。

 お天気は回復してくるということだけれど、青空ではない。車窓から袴姿の女子学生の姿も見える。
 まずは息子がゼミの先生に挨拶に行くというので、私達夫婦と、合唱団の同期で、昨日別キャンパスで卒業式を終えたお友達と息子の彼女と4人で会場のホールへ向かう。保護者は先に入場出来るということで、中央の4人連続席を確保。息子たちは別途卒業生の入場を誘導されている。

 想えば5年前の3月21日、急遽古都の街で学ぶことになり、大学を初めて下見に来た(東京入試だったため)のがこの卒業式の日だった。バスが渋滞して小一時間もかかり、街の北側にあるキャンパスに着いたら、寒いこと寒いこと。雪が舞っていてびっくりしたものだった。

 あれから5年、新しいキャンパスに学部の本拠地が移って4年の歳月が経った。4回生はもう古都のキャンパスを知らないことになる。
 セレモニーは、定刻通り開式の辞に始まり、息子が所属していた合唱団が校歌斉唱。さすがに何度も聴いたのですっかり歌えるようになった。皆様もご一緒にと言われ、小さな声で歌う。息子のお友達も一緒に歌っていた。歌詞はメインキャンパス時代のものなので、謳われる地名等ちょっと違和感があるが・・・。

 登壇している学長たちは臙脂と黒のガウンに学帽姿。金屏風がバックで松の緑の盆栽と彩りも美しく、なかなか壮観である。卒業証書・学位記授与式が済むと、学長式辞、校友会長祝辞と続く。英語での同時通訳が巨大スクリーンに流れる。卒業生代表、修了生代表の挨拶が終われば1時間弱の式は滞りなく終了である。

 入学式は、入学生だけが体育館で保護者は別のホールで同時上映のビデオを見るカタチだったが、今回は大ホールで、ナマで式に列席出来たのは良かった。夫婦で出席されている方も祖父母や小さなお子さんたち連れの方の姿もあり、春分の日、この門出の日の喜びを実感した。

 息子たち卒業生は別室でそれぞれ学位記を頂くのに小一時間ほどかかるという。正午からの式だったが、朝も早かったので、さすがにかなり空腹だ。ひとまず4人でランチを、とホール内にあるレストランを見ると、考えることは皆同じで、長蛇の列。学食や他のレストランはどうか、と遠征して夫が別棟のレストランで場所を取ってくれた。

 一足先に4人でランチをしていると、学位記を頂いた息子が現れた。5回生以上は少ないので早く終わった、と実にサバサバした感じ。学部長から一人ずつ手渡して頂けたそうだ。
 さすがに今日の卒業式は、夫も私も泣くこともなく、淡々と終えた。ようやく親として一段落。肩の荷を降ろした感じ。5年かかったけれど、何より卒業できて本当にほっとした。息子自身、内定先に提出するための卒業証明書と学位記をもらうまではなんとなく不安だった様子だ。

 食後、既に注文している卒業アルバム用に(入学直後に卒業アルバムも早手回しに予約していた。諸事情のために卒業が遅れた場合にも対応します、ということだったが、本当に1年遅れになってしまうとは・・・)息子の個人写真と家族3人での写真も撮影して頂く(入学アルバムも3人での写真を掲載して頂いた。5年無事に生きられて、こうしてまた夏に手に入る筈の卒業アルバムにも掲載されることに感謝!)。

 その後、就職内定後にジュニアアドバイザーとして使って頂いたりしてお世話になったキャリアセンターに挨拶したり、合唱団の後輩たちと交流したり、生協の脱退手続きをしたり、とあっという間に夕方になった。学生たちはなんとなく名残惜しいような去りがたい様子で、キャンパス内にたむろしている。

 さすがに草臥れてマンションの最寄り駅に戻って、駅ナカで5人でスイーツタイム。合唱団同期のお友達は既に東京勤務が決まっていて、東京での一人暮らしを始めている。これから東京に戻るというので、新幹線改札までお見送りしてお別れ。
 私達はホテルの部屋に入り、荷物を整理して、息子のマンションまで持参したものを持ち込んだ。

 息子はお忙しいことに、明日から合唱の全国大会で福島行きだ。今日は社会人合唱団のお友達が息子の新居に泊まるという。ちょうど到着したというので、駅でご挨拶を済ませ、私達はホテルに戻ってきた。

 今日は長い長い1日だった。
 咳も出るし、胸痛もあるし、脱毛中なので頭は痒いし・・・それでもとにかくこれで、息子に親としてやってやれることはほぼ終了だ。
 明日はゆっくり起きて、体調を見ながらのんびり帰京する予定である。
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2019.3.20 3度目の脱毛、始まる

2019-03-20 21:13:35 | かつら

 昨夜も食後、リビングでビデオを見ながらゴロゴロしていた。とにかく帰宅後、なんとか夕食の支度をして、食事を済ませると、それだけでもうぐったり。すぐに横になりたくなる。かといってあまりに早くベッドに入ったところで眠れない。本を読む元気もなく、結局ダラダラと撮り溜めたビデオを見る、というしょうもない時間の使い方をしている。

 ふと髪の毛をかき上げたら、細くてコシのない髪の毛がはらりと抜けた。
 ああ、いよいよだ、と思う。
 シャンプーしたら、普段よりも大分多くの髪の毛が手のひらにまとわりついてきた。すすいでもなかなかすっきりしない。とはいえまだごっそり束で、という感じでもない。数本ずつ申し訳なさそうな感じで。

 今朝こわごわ起きたけれど、枕が抜けた髪の毛で真っ黒、ということはなかった。
 それでも、もう猶予はないな、と慌てて、数年前に封印したあったかつらグッズ(かつら本体、かつらスタンド、ケア帽子、バンダナ、ガーゼ帽子、ネット帽子等など各種)を取り出した。本体やスタンドは陰干しして、洗濯機で洗えるものは全て洗濯をした。帰宅する頃には乾いているだろう、と。

 今から10年以上前、初回、タキソテールによる脱毛は、好中球減少症で緊急入院中だった。ちょっと触るだけでバサバサ抜け出した。緊急入院だったから、かつらを持参して入ったわけでもなく、帰りは確か帽子をかぶってきたのだと思う。
 帰宅してまじまじと鏡を見て、頭を触った途端、いきなり芝生の苗のように塊で前髪が取れた(抜けたというよりぱりっと取れた感じ)のを見た時は、思わず息を呑み、元通りになるわけがないのに、慌ててその塊を頭に戻そうとしたのを覚えている。「ゾンビみたいだね・・・」と夫に言ったら「そんなことを言ったら頑張って治療している人に失礼だよ。」と哀しい顔をされたことを今でもリアルに覚えている。

 その後、3年経たずして2回目、ECによる脱毛の時もやはり好中球減少症で入院中だった。同じようにかなり残酷に抜けたけれど、さすがに初回のときほどのショックはなかった。

 そして3回目が今回。なるべく脱毛する薬を後回しにしてきたので、6年半ぶりになる。
 何回経験しても嫌だなあと思わないわけではないし、テンションが下がらないといえば嘘になる。
 せっかく定期的に通えていたヨガスタジオにもますます足が遠のきそうだし、このまま何年かつら生活を余儀なくされるのだろう、もはや生涯ずっとなのか・・・と思うと、正直、萎える。

 とはいえ、機械的に色々準備をしている自分を客観的に見ながら、淡々としているなあと思う自分もいる。
 ハラヴェンによる脱毛は、タキサンやECよりも酷くはない、100%必発ではなく6割くらいの人が脱毛する、だんだん薄くなってくる感じで落ち武者どまりのことも、と聞いていた。まあ、家にいれば帽子やバンダナ等でごまかせても、さすがに職場に帽子をかぶっていくわけにもいかない。
 折りしも明日は息子の卒業式で関西行き、休暇を頂く。土日を挟んで今度職場に出てくるのは月曜日だから、その間でかつらにチェンジしてしまうのが一番安全かつ自然だろう。

 ということで、明日からまた関西行き。これでようやく親の務めも一段落である。
 もちろん今後はフォローをしないというわけではないけれど、これからは夫と2人の時間、自分だけの時間ももっともっと大切に出来るようになるだろう。

 自然体で心穏やかに乗り切りたいと思う。
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2019.3.19 先が思いやられる・・・

2019-03-19 20:56:20 | 日記

 早いもので、今年度も10日余りとなった。自宅前の植え込みにある沈丁花の馥郁たる香りが鼻をくすぐる。ソメイヨシノの蕾も少しずつ色づいてきている。
 世の中は明るい日差しと共に春へとまっしぐら、である。

 一方の私。今月からアリミデックスを中止し、投与回数200回を優に超えたハーセプチンに、同じく抗HER2分子標的薬パージェタ、抗がん剤ハラヴェンを上乗せした3剤併用に治療変更した。その後の体調不良、それをおしての息子引越し手伝いで関西遠征、仕事も早退したりしながらなんとか凌いで・・・とあっという間である。

 初回投与から明日で2週間になる。翌週予定されていたハラヴェン2回目は、好中球激減により中止になった。つまり、投与から休薬期間を確実に重ねているというのに、体調が目に見えてよくならない。良くなっているという実感が持てない。

 薄紙を剥がすように少しずつ・・・という感じもあまりなく、とにかく午後からのだるさがとれない。すぐに横になりたくなる。何か強い匂いなどをきっかけに吐き気がやってくる。お腹の調子も緩いまま。痛みはロキソニンだけで抑えられているが、朝、職場まで向かうやや上り坂の道を歩くだけで、すぐに息切れするのは相変わらず。特に朝が顕著だ。

 焦るのは禁物とわかっていても、このだるさが取れないと踏ん張りが全然利かない。
 2クール目からは8割減量といわれているけれど、2回投与したら、0.8とはいえ総量としては1.6になるわけだから一体その後どれだけ体調不良が続くのだろうか・・・そう考えると正直、滅入る。

 まあ、やってみなければわからないことをつらつら考えてみたって全く役に立たないのだけれど。本当に自分に対して人体実験をしながら調整していくのだなあ、と10年以上治療を続けて、充分わかっていることなのに、毎回毎回思う。

 ハラヴェンは2投与1休だから、休薬期間は本来1週間。ハーセプチンとパージェタは3週間分の量をど~んと一括して入れているから、休薬期間はないに等しい。
 3週目の休薬期間も、2週目の副作用でしんどさが続けば、体調がある程度良く、これまでどおり普通に動ける日(仕事や用事が難なく済ませられる日)が殆どなくなってしまうではないか。そして、ようやっと良くなったと思ったら(良くならなければ治療は出来ないから)、すぐに次の治療。これがエンドレス。
 こんなにQOLが下がってしまったら、何のための治療なのかわからない。
 もちろん、痛みという一番厄介な症状が取れてきているんだから、あれほど苦しかった咳だって減っているんだし、とは思う。けれど、その代わりに差し出すものが吐き気、下痢、とてつもないだるさ・・・というとやはりなんかなあ、である。

 まあ病気というものはそういうものか。ひとつクリア出来たらそれを有り難く思わなくては。欲張りすぎてはいけない。生きているだけで丸儲けなのだ・・・と頭では分っているつもりなのだけれど。
 そういえば、食べられないわ、下痢するわ、で落ちた体重はほぼ元に戻りつつある。と同時に体組成計によると、カラダ年齢が2,3歳若返った!(ただ今33,4歳)。そう言ったら、夫からそれって、つまり栄養失調ってことじゃないの、と返された。
 なるほど、代謝カロリーと骨格筋率がほぼそのままで、体脂肪率が減ったので若返ったらしい。これは体内の貯金が減ったということか。うーん。

 今月は月初めの土日に行っただけで、ヨガスタジオにも殆ど行けていない。頭皮がチクチクピリピリ痛痒いので、いつゴソッと抜けるのか、ドキドキしながらブラッシングしているけれど、今のところ抜け毛が増えたということもない。

 明後日の息子の卒業式には、なんとかかつらのお世話にならなくてもすむかしら。
 とはいえ、翌日いきなり・・・ということもなくはないから、やっぱり持参しないとまずいよな、としょうもないことをつらつらと考える3月の夜である。
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2019.3.16-17 本調子・・・とは程遠い2日間

2019-03-17 21:02:29 | 日記

 土曜日。ベッドの中で朝の連続テレビ小説を視てから起きようと思うが、身体が重くてなかなか動かない。少しの間チコちゃんを見て、諦めてのろのろ起き出した。
 今日は3か月ぶりの歯科検診の日。このところ治療後の気持ち悪さのせいで念入りに歯磨きが出来ていない。ちょっと心配である。朝食後フロスや歯間ブラシも駆使してケアしてから歯科医院に向かった。

 予約時間5分前に着いたが、珍しく先着の患者さんが複数いる模様。靴が3足もある。これは待つかなと思うと、飛び込みの方もいたようで、15分ほど待ってその方より早く診察室に呼んで頂けた。
 「変わりはないですか。」と問われ、かくかくしかじか、また抗がん剤治療を始めたせいで、歯磨きがきちんとできない時期もありました、とご報告。それでもほぼよく磨けていますね、とのこと。いつも磨きにくい左右の下の奥歯の生え際のライン、前歯の裏の歯並びの重なり部分だけ指摘され、消毒しておしまい。ものの5分ほどだった。
 次回は3か月後、ちょうど誕生日(58歳になるのだ!)に予約してクリニックを後にした。

 それ以外は、終日ダラダラとビデオを見て、時にウトウトしながら家事もろくにせず、ひたすら休息に努めた。とにかくだるくて眠くて・・・。昼食も夕食も夫にお任せのダメダメ主婦の1日であった。

 日曜日。
 今朝もゆっくり起床。相変わらず明け方腹痛で目が覚める。お手洗いを済ませてから二度寝のパターンだ。
 しっかり眠ったわりにはぐったりと疲れている。だるくてだるくて、長く立っているとふらふらする。今日は月に一度のお楽しみ、Wさんのマッサージの日。ドタキャンでは申し訳ないので、頑張って出かけた。

 今月から始まった薬の副作用等体調を説明し、施術中、急に腹痛でお手洗いに立たねばならないかもしれないこと等をお話しする。手足症候群が落ち着いて、先日久しぶりに足湯に浸かったところだが、今日は1年以上ぶりにゲルマニウム温浴もお願いしていた。たっぷり汗をかいて代謝をアップさせてからマッサージ。痛みやら咳やらであちこちが凝っていたが、息子の引っ越しや無事卒業の話もしながらゆっくり解して頂き、ウトウト。

 一つの予定だけで帰ればよいのだけれど、その後、美容院でシャンプー・カットの予約もしていた。前回予約を入れた時にはまだ薬の変更について具体的に決まっていなかった。けれど、10日前のハラヴェン投与で、あと数日もすれば脱毛も始まるだろう。せっかく整えて頂いても・・・、とは思うが、これまたドタキャンするのも申し訳ないし、ひとまず事情をお話しして挨拶だけはしなければ、ということで、駅ナカで軽食を摂り、駅の反対側のサロンへ向かう。
 すぐに店長のGさんが迎えてくださる。

 席に座ると、いつもは何でもないお隣のパーマ液などの匂いがいきなり鼻を突く。あ、ちょっとダメかも・・・と吐き気がこみ上げる。事情を話すと、すぐに席を替えてくださった。一番奥の席にパーテイションも立てて、隣の席を空けてくださって半ば個室の風情になった。これならかつらやさんの美容室と同じですね、と言うと、Gさん曰くウイッグの試着会等の時に使うのだそう。皆さん、隠すものが何もないと恥ずかしいと仰るが、衝立を立てればどんどん積極的になってあれこれお試しになるそう。まあ、私はお洒落のためのウィッグというわけではなく、仕事に行くためにやむに已まれず・・・ということなのだけれど。

 今日はカット後のシャンプーもアシスタントに任せず、最初から最後まで全く待たされるもことなくGさんが専属。僅か1時間ほどでマッサージ、ブローまで終えてくださった。(脱毛が)いよいよかな、と感じたのはシャンプーした後頭皮がチリチリと痛痒かったことだ。
 Gさんの前に担当してくださっていた歴代の担当者お二人にも挨拶出来た(かれこれ、この美容院にはお腹が大きかった頃も含めて25年近く通っている。)。「また髪が抜けるので2年くらいお休みです。また戻ってくる時までいてくださいね。」と。
 Gさんに「また戻ってきたいけれど、もしこれが最後の美容院のカットだったら嫌だなあ~」と呟くと、「僕は(そういうカットが担当出来て)光栄です。」と。うーん、励ますつもりで言ってくださったのだろうけれど、それはつまり・・・ちょっと微妙です。
 
 今日は次回の予約もせずに美容室を後にした。ちょぴり寂しく思いつつ、夫と合流。先日息子が帰省してきた時に、ひとまずこれで最後と就職記念の家族写真を撮影した。それが出来上がったので受け取りに来たのだ。良く撮れていたものをポストカード版にして、息子には写真立てに入れて卒業式に持参するつもりだ。お祝いをくれた母にも同じ大きさの別カットを用意した。

 それにしても一度気持ち悪くなると、どうにもムカムカが止まらない。夫からお茶でもする?と言われたけれど、フラフラするし気分が優れないので、ひとまず最寄り駅まで戻ることにした。
 駅前で最低限の買い物を済ませ、夫が、薄手のスプリングコートが欲しいというので、急いで調達する。ここでも店員の方の香水が異常に鼻に突き、吐き気がぶり返す。お茶どころではなく、一刻も早く帰宅したい、と踵を返した。

 帰宅後はリビングでダウン。夕食の支度も夫任せ。食欲もあまりないし、とにかく食事をするとほどなくしてお腹がグルグルと痛くなる。
 そんなわけでまだまだ本調子にはほど遠い土日だった。

 明日から3日間働いたら、後半は卒業式のため、関西行き。今回は1泊で戻るけれど、早くも年度末の最終週、2クール目の治療が再開する。なんとか乗り切らなくては。
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