ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.3.9 さぁ、地獄の始まりです!? 引っ越し前日あれこれ

2019-03-10 19:53:06 | 日記
 
 昨夜は私の到着に遅れること30分ほどして、同期会(幹事だったそうだ)帰りでほろ酔い気分、ご機嫌の息子がご帰還。その30分後に夫が到着し、暫し3人で卒業おめでとうムードに浸った後、明日からの作業に備えて解散した。
 明日からが本番だというのに、到着する迄で既にぐったり草臥れ果てている。冷静に考えてみれば、投与翌々日はステロイドの効果も切れてきて体調不良の辛さがピークに向かうタイミングである。

金曜の夜ということで新幹線の予約画面はあっという間に空席△が満席×になっていく。1人だというのになかなか席が確保出来ず、乗換駅で小一時間のロスになった。しょんぼり。
夕食は新幹線の中で軽くパンとジュースを頂いたが、気持ち悪さも熱っぽさも相変わらず。3人席の真ん中なので身動きがしづらく、居心地もあまりよろしくない。さらに後ろの席にいた2人の赤ちゃんたちのご機嫌が悪くずっと泣きっぱなし、愚図りっぱなしで辛かった。具合でも悪かったのかもしれない。

 とにかく必死で寮まで辿り着いたといった次第。夫に布団まで敷いてもらい、足を伸ばすことすら出来ない小さなユニットバスで身体を温めたら、日付が変わり、力尽きた。
 2組の布団を敷くと身動きも出来ないほどの小さなゲストルームだから(そもそも2人が宿泊することは想定していない作り)、夫の鼾から逃げ場がない。それでも疲れと不調が勝って4時間半ほど眠った。

 お手洗いに起きた後は、夫の寝相と鼾で結局再び眠りにつくことは出来ずじまい。普段と同じ時間に起き、息子もこちらの部屋に降りて来て、3人揃ってBSで朝の連続テレビ小説を視てから食堂へ向かった。

 1回生で古都・西陣、2・3回生で清水五条、そして4回生から2年間今の寮へ、都合3カ所5年間、こちらの会社の寮にお世話になった。夕食は1回生の6月、母と訪れた時に1度頂いたことがあったが、朝食を頂くのは初めてのこと。寮母さんの指導が徹底しており、皆食堂に入ると、すぐにきちんと手洗いをしている。蛇口からは冷たい水ではなく暖かいお湯が出てきて、その心配りの有り難さにぐっとくる。今の時期、春休みで帰省している寮生が多いということで、食堂は私たち親子の貸し切りとなった。メイン料理は和・洋が選べてそのほかはビュッフェ形式になっている。牛乳飲み放題は1日1リットルあれば幸せ!と大きくなった(身長182㎝)息子にとって実に嬉しいシステムだったようだ。

 寮母さんもご挨拶に来てくださり、卒業を喜んでくださる。今宵1泊したらこの寮生活にも終わりを告げることになる。ちょっとしんみり。今度引っ越すマンションからがいよいよ正真正銘の一人暮らしである。

 ゲストルームに戻って珈琲で一服した後、部屋の様子を見に。覚悟はしていたが、これはタイトルのとおり「さあ地獄の始まりです!?」(息子談)である。足の踏み場がない、というのはこのことである。君は一体どうやって寝ているのだ。とりあえず組み立てたらしき段ボールで部屋の奥が見えない。

 5年前の3月末、半ば唐突に東京から関西入りした時は、衣類と最低限の身の回りの物を宅配便で送り、テレビやパソコン類等を京都駅前の家電量販店で直接配送してもらい、日用品類は到着後に調達したので、引っ越しらしい引っ越しではなかった。
家具は全て備え付けだし、寝具もリース。ワンルームだから荷物もそれほどでないし本人も大丈夫(見込みが甘いのはいつものこと)というので、1回生から2回生となるタイミングでの引っ越しを、可愛い子には旅をさせよ精神で息子1人に任せたのだった。

 果たして1週間後。様子を見に行った折、玄関先にまだ蓋が開いたままのスーツケースが横転していたのを目の当たりにして、夫と「!?」とぶっ飛んだ記憶がある。息子の名誉のためにあまり詳細は書かないけれど、これはダメだ・・・と、2年前の2月末、現在の寮にやってくる時には夫が一人休暇を取って、助っ人に来てくれたのだった。夫はその当時のこと(トラウマ?)もあるので、免疫があるらしいが、2人で口を揃えて「今日は、お母さんは(部屋に来て作業をするのは)絶対にやめた方が良い」というので、素直にその言葉に従うことにした。

 気持ち悪さは昨日よりはやや収まってきているが、そもそも投与後の土日はゆっくり休息に当てるべきもの。日曜日の午後あたりからようやく体調が上向きになってきて、なんとか月曜日から出勤出来る体調に戻る、というのがこれまでの経験則である。朝からなぜか咳と鼻水が顕著である。ハウスダストなのか普段はそれほど感じないアレルギー症状が出ている。埃まみれの息子の部屋にいたらより悪化することは明白なので、私は鍵の受け取りのため不動産屋さんに出向くまでの小一時間を、ゲストルームで休息をさせてもらうことにした。

 1ヶ月以上前に手配した家具や家電店等から今日の配達予定時間について続々と事前連絡がある。本当にこの国のシステムは素晴らしいと改めて思う。この繁忙期、どれだけの人たちの連携プレーに助けられていることか。

 不動産屋さんには、前回新幹線の改札に息子が迎えに来て、それに付いて行っただけ。新居もそこから車で一度行っただけだし、一人で迷わず行けるかちょっと不安だった。
 とにかく、私の今日のミッションは新居の鍵を受け取り、もろもろの荷物を間違いなく納めてもらうこと。
夫と息子は部屋での荷造り作業が一段落したら、夕方新居に来て、組み立てる必要のある家具をある程度は仕上げておく必要があった。

 青空広がる暖かないいお天気である。予定通り2人の見送りを受けつつ一人寮を出て、JRと地下鉄を乗り継いで不動産屋さんへ向かった。乗り換えが順調で迷うこともなく、事前連絡していた予定時間より10分ほど早めに到着してしまった。担当の営業Uさんはちょうどお出かけだった。ほどなくして自転車で戻ってこられて、すぐに鍵の受領書にサイン。既に郵送していた契約書の1通と駐輪場関係の書類等も一緒に渡され、手続きは全て完了。所要時間ものの5分。あっけないほど。お世話になったお礼にお菓子を差し入れて、お店を後にした。

 再び地下鉄で1駅の新居の最寄り駅へ。大きな駅なので反対側の改札口までがやけに遠い。駅前広場はフリーマーケットで賑わっている。さて、どちらへ行くか。地図を見ながら道を確認して、歩き出す。徒歩5分とは言うが、初めての道、歩道橋等もあってちょっとクラクラする。
 無事目印のホテルやコンビニが見えてきて、ほっとしながら歩く。鍵を開けて初めて実際の部屋に入るわけだ。一応管理人さんに挨拶。部屋に入ると、ハウスクリーニング終了通知があり、カウンターの上に各種書類が一式どーんと置かれている。
 窓を開けて空気を入れ換え、ブレーカーを上げてひとまず電気が付くのを確認。水もちゃんと出る。
 時計を見ればあと1時間もしないで第一弾の配送が来るという時間。余裕を持って出てきた筈だが、急ぎ、お昼や2人のおやつなどを買いに徒歩すぐのコンビニまで。

 何しろ最新式のオートロックマンションなので、四半世紀近く今の団地に定住し、引っ越ししたことのない、不慣れな私である。インターフォンにもおろおろしてしまう始末。どこがどこの部屋のスイッチなのかも分からない。入居のしおりやら何やら重さ2キロはあるのではないかと思うほどの大量の書類を読み始めるが、体調は悪いし、頭になかなかすんなり入ってこない。

 ほどなくして家電量販店からの第一弾が到着。冷蔵庫、洗濯機の設置をあっという間に終え、照明器具も他の家電製品同様そのまま置いて帰られそうになったので、設置までお支払いしているので、と押しとどめる。脚立も持参されていない。はて、この高い天井、一体どうするのだと思ったら、一人の男性が四つん這いになって踏み台になり、もう一人の男性が軽業師のようにその上に乗り、あっという間に据え付けて帰った。それにしても凄いことだ。圧倒されながら嵐のように終了。

 2人は駅前まで出てきて昼食中とのこと。私も少しお腹に入れておかねば、と何もない部屋の端っこで体操座り(!)をしてサンドイッチとスムージーを頂く。
 そうこうしているうちに、息子からガス会社が10分ほどで来るという連絡が。慌てて食事を終えて待つ。5分もしないうちにインターフォンが鳴る。メーターを確認してからガス漏れ等の点検。室内で点火確認した後は、室内パネルで床暖房やミストサウナ等の説明も若干受け、サインをして無事終了。

 息をつく間もなく、今度は家具屋さんからの配達が始まる。全て1度に来るのではなく、伝票ごとの配送のようなので、もうひっきりなしにインターフォンが鳴る。
 ソファ、ベッド等大物が入ると、広かった部屋があっという間に埋まっていく。作業員の方たちが設置している間に今度は小物類も到着。座っているところもないし、手持ち無沙汰の間、少しずつ荷ほどきをしようとするが、なかなか思うに任せず。

 それでも合間を見ながらカーテンをつったり、自宅近くのアウトレットモールから配送した調理器具やら食器類等を台所の収納棚にひとまず収めたり・・・。
 無事大物が配置され、それ以外の組み立ての家具が運び入れられて受取りサインをして終了。お昼過ぎの第1弾の到着開始から第何弾だったのかわからないほどの出入りが終わったのは、おやつの時間を少し過ぎた頃だった。
 
 夫からは片付けがなかなか捗らないとの写真付きLINE(泥棒が入った後か!? 息子のキャプション入り)が届いてからほどなくして、これからそちらに向かうと連絡があり、ベッドを整えている間に2人が到着した。

 デスクや、書棚類、ガラステーブルなど2人でどんどん組み立てて行く。組立所要参考時間どおり順調に進捗している。私もコート掛けだけは組み立てて、ちょっと参加。夫は職人だった義父の血を引いているせいか元来器用な人で、こうしたDIYが得意だ。一方、息子は片付けは苦手だけれど、レゴ大好きで育ったせいか、空間把握に長けているし、こういう工作系は好きそう。いつのまにか息子のペースになり、夫が助手になっている。へええ、と頼もしく見ながら「お父さん、息子とこんな共同作業が出来て、幸せなことね」と独りごちる。

 あたりが暗くなってきた頃、かなり調子が悪くなり、ソファで横になってしまった。投与してから大分減っていた筈の咳が止まらない。痛みも治まってコデインのお世話にもならずに済んでいたが、どうしても物を動かしたり持ったりしなければならなかったせいか、痛みもぶり返してきてしまった。

 さて、では帰ろうと言ったときに、リモコンを操作しながらリビングと寝室の照明器具が逆に設置されていることに息子が気づく。私の指示が曖昧だった模様。箱の外装だけでは機能(寝室用にはお目覚め機能がついている)まではわからないし、大きさからも判断出来ない。再設置を依頼するとなるとまた作業料が必要とのこと。諦めて、どうせ必要だろうから、と別途脚立を購入することにした。
 役に立たなくてもせめて足を引っ張ることだけはしたくない・・・、そう思いながら我が身の情けなさに唇を噛む。

 段ボール等ゴミを処分してから部屋を出たかったが、残念ながら時間切れ。唯一レンジ台兼食器棚の組み立ても積み残しになった。
 結局、今日の新居滞在時間は私が9時間以上、2人は4時間強といったところ。部屋を見渡せば、まあ、あの短期間で実際に部屋を見ることもなく、よくここまでとりあえずトータルに揃えられたな、と思う。

 帰路、駅までの道すがら、寮から息子の携帯に「早くしないと食堂が閉まりますよ」の心配の電話が入った。ご迷惑をおかけして申し訳ない。ほぼ滑り込みで食堂に直行した。
 既に特等席に私達3人の食卓が設えてあった。文字通り寮での最後の晩餐。暖かい食事を頂くとほっとする。けれど、泥のように疲れていて、お腹が空いているというよりも早く横になりたいというのが本音のところ。自分で表情がないのが分かる。せっかく用意して頂いたのでドンペリドンを飲んで頑張って口に運ぶが、味がわからない。味覚異常がまだ続いている。夫と息子に手伝ってもらい、ロキソニンを飲んでご馳走様。

 明日は日曜日で食事の提供がないため、食後はコンビニまで明日の朝食、昼食を調達しに出かけた。もうヨレヨレで知らず知らず寡黙になっている。
 最初は部屋に戻ってあと1時間半は作業をしたいと言っていた2人だったが、それより早く休んで明日少しでも早い時間から頑張った方が良いのでは、という私のサジェスチョンが採択され、解散。

 部屋に戻ると、もう正体不明。立ってすらいられず、夫に布団を敷いてもらい、なだれ込む。お風呂を沸かしてもらい、そのままバタンキュー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする