ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.3.15 ようやくの金曜日に思うこと

2019-03-15 22:10:03 | 日記

 文字通り青息吐息の1週間だった。
 一昨日好中球の数値を聞いたから・・・というわけではないが、本当に途端に立ちくらみやらだるさの自覚症状が酷くなった。昨日も仕事をしながら何回横になりたい、と思ったことか。

 立ったり座ったりしていると、気が遠くなることもしばしば。そして、食事をする度にすぐにお腹を壊す。食べないわけにいかないので午後からの会議前にランチを摂り、会議直前にお手洗いに行ったにもかかわらず、会議が始まってほどなくして腹痛。粗相をするわけにいかないので、席を立つ。はあ。なんとも情けない。

 強引に定時で失礼して、帰宅。昨夜キャリーケース満杯の洗濯を干したばかり。風があって良く乾いているのでひとまず取り込む。夕食の支度やら何やら一気に片付ける。一旦座ってしまったらもう立ち上がれない感じがして。落ち着いていた胸痛(骨痛)もまたぶり返している。さらに、酷い咳でわき腹の筋を痛めてしまった模様で、咳をするたびに身をよじるほど痛む、というのは先日も書いたとおり。

 夫が帰って来たら、なんだかほっとして気が抜けてしまう。夫は私のにわか均整術が功を奏したようで、肩が大分楽になったという。帰京した日と翌日は本当に辛かったようで、不機嫌そのものだったが、随分人格が変わってほぼいつもどおりになっている。やはり痛みは人を変えるのである。

 結局、洗濯物は取り込んだだけで、畳むのはよろしく~になってしまい、食事の支度も仕上げはお父さん~になってしまった。トホホ。
 夕食を摂っていると、息子からパリパリに羽がついた餃子の写真が送られてきた。ご飯も炊いて(お粥のようになってしまったらしい。)、自炊2日目だそうである。昨夜はパスタを茹でてレトルトのルーをかけたものと、自分で剥いたりんごの写真が送られてきた。彼なりに頑張っている様子である。

 あと半月して出勤するようになったら、最初のうちは行って帰ってくるだけで相当疲れるだろう。自炊を続けるのは難しいかもしれない。とはいえ、これも慣れだから、是非今、出来るうちに頑張って欲しい。

 振り返れば、私にも反省すべき点が多々ある。息子が小学生の時だったか、家庭科の授業等でやった調理実習を家でもやってみたい、と言ったことがあった。けれど、日々の忙しさにかまけて、片づけもかえって大変だし、いいからいいから、また今度ね(そういう時の今度はなかなか来ない。)と台所から追いやったことがある。せっかくの興味の芽を摘んでしまったわけである。あの時にちょっと気長になって、任せてみれば・・・と今になって思うが、とにかく当時は余裕がなかった。家事と仕事を廻していくので精一杯だった。過ぎてみれば、の気付きである。

 何もやらない、ではなくてやらせなかったのだなと反省しきりである。今回の引越しも親がかりで過保護ではないか、と思う向きも多いかもしれない。ついつい先回りして転ばぬ先の杖・・・と、本人からリクエストがある前にあれもこれもと手出ししてきたけれど、これからはぐっと堪えて、晴れて世帯主となった本人がSOSを出してこない限り、任せたいと思う。

 昨日はホワイトデーだった。職場等での義理チョコの類は一切ないものとしているので、2人にあげただけの私だが、例年お返しなどどこ吹く風の息子からボンボンショコラのお返しをもらった(しかも忘れてきて、駅まで届けてもらった。)と書いた。

 夫からも既に早々と春色のアンサンブルを買ってもらっていた。冗談で「当日、またお菓子やチョコレートを頂くのもまったく問題ないけどね~」と言ったところ、可愛らしいベビーピンクのドームに入ったチョコレートとアイスケーキを買ってきてくれた。せっかくだったけれど、食後調子にのって頂いて、またお腹を壊しても切ないので、ちょっと落ち着いてから、ということで飾ってある。

 そして今日、ようやくの金曜日。
 早く休んだ割には夜中に目覚めてしまい、そのまま眠れずじまい。寝不足で頭が痛いし、胸痛もある。ロキソニンを3度3度欠かさず飲んでいるが、またコデインのお世話になるようかな、とちょっとブルーだ。

 今日は仕事でもろもろの懸案事項が片付いた。相変わらずふらつきがあるし、痛みもあるので、思い切って午後2時間早退してきた。夫は宴会で不在なので、夕飯も適当でゴロゴロしている。

 来月からの色々な日程については、土壇場になって大きなご迷惑をおかけしないうちにキャンセルしたり延期したり、と調整をさせて頂いた。

 明日明後日で体力を回復して、少し前向きになりたいものである。
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2019.3.13 採血後腫瘍内科診察、1クール2回目ハラヴェン中止

2019-03-13 21:02:38 | 治療日記

 昨夜は夕食を終えて夫と別れ、JRに乗り換える。ちょうど途中駅あたりで夫からは無事帰宅した、と連絡が入ってほっとする。こちらもホテルにチェックイン後はとても遅くまで起きていられず、早々に入浴して就寝。疲れている。

 5時間近く眠って今朝も腹痛で目覚めた。疲れが取れず、身体が重い。なかなかシャキッと起きられない。TVのニュースをつけてベッドの上でスマホをチェックしたり、とうだうだ。するとどうやら早寝をした夫も普段より早く目覚めてしまったようで、おはようLINEが届いた。朝から洗濯機を回したとのこと。お疲れ様である。

 こちらもまだ時間が早かったので、そうだ、と浴槽足湯をすることにして、お湯を張る。昨年の冬以来ゼローダの手足症候群が酷く、足裏を温めるとますます赤みと痛みが酷くなるため、長いことお休みしていたが、ようやく落ち着いた。1年ちょっとぶりに楽しむことが出来た。ポカポカして汗ばんでくる。
 今朝も新聞片手に、レストランで焼きたてデニッシュや野菜スープの定番の朝食を済ませる。朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウト。今日は風が強いが、最高気温は18度だという。桜の便りが届くまであと1週間ほどではないか。
 
 先週に続き今月2回目の通院である。並ばずにすんなりIDカードを通して、採血受付へ。相変わらず待合い椅子は一杯。今日も10数人待っており待ち時間は11分と出ている。ライナー付きのスプリングコートやストール等一式をエコバッグに詰め、態勢を整えて待っているとほどなくして採血室に入れた。今日は何度もお世話になっている看護師のKさん。マーカー等の測定は月末の予定なので2本だけ。Kさんもお上手で、全く痛まないことが多い。お礼を言って止血したまま採血室を出る。

 売店で暖かい飲み物を調達して、腫瘍内科へ移動。病院に入ってからまだ15分ほどだ。待合椅子はそこそこ混んでいて、定位置を確保することは叶わず。受付の列に若干並ぶ。

 本日のお伴は三浦しをんさんの「本屋さんで待ちあわせ」(だいわ文庫)。
 帯には「この世界に、本と漫画があるかぎり。本は、ここではないどこかへ通じる道である。読書への愛がほとばしる、人気作家の書評とそのほか。思わず書店に走りたくなる情熱的ブックガイド」とある。
 三浦さんの著書なら面白いに違いない、と手に取ったが、大あたり。テンポよく読みやすく、くすっとさせられ、ほろりとさせられ。一緒に古今東西に行ってきた気分。
 こうして色々なジャンルの本の巧みで熱い紹介文に触れると、一体自分がどれだけ沢山読んでいない(一生かかっても読むことできないだろう)本があるのか、とちょっと圧倒される。そして読んでみたい本がどんどん出てきて、茫然とする。

 採血結果が出るまでに1時間はかかる。順調に本を読み進め、切りの良いところで血圧測定。118-72、脈拍は89。ほどなくして中待合へどうぞ、と番号が出る。中廊下で待つこと40分あまり。先生から声がかかった。

 「さあ、どうでしたか?」と訊かれ、「うーん、結構辛くてよれよれでした。」と。ダイアリーを見ながら、投与当日、翌日から今日までの状況を一つ一つご報告。先生も逐一電子カルテに入力されていく。投与当日はステロイドハイで元気だったが、翌日からすぐに味覚異常が出現、お腹がもたもたして吐き気と熱っぽさ、ほてりが酷くなってきて、翌々日からは朝昼晩と毎食ドンペリドンを飲まないと食事が出来なかったこと、生唾が出てずっと気持ち悪かったこと、週末は吐き気が少し収まってきたけれど、引っ越し等の作業もあったので咳や頭痛に悩まされたこと、日曜日の夕方あたりからようやく気持ち悪さが収まってきて食事をしたら、今度はお腹を壊して下痢で大変だったことなどなど。診察室での体温は6度8分。
 先生はPCの採血結果を見ながら、「そうでしたか、やはりいろいろありましたね。採血結果にも出ているんですよ。」と仰る。前回白血球は6,100、好中球も3,500ほどあったのに、なんと今回は3,600の690だそうだ。好中球が1,000に届かなければ抗がん剤治療は中止である。「そうですか・・・そんなに下がっていたのですね。正直コデインを飲むほどの痛みがなくなっていて、ロキソニンだけで済んでいるし、効いている実感があるので、やりたかったのですが・・・無理ですね。」と言うと、「(ハラヴェンだけでなく)パージェタもやっているのだから、そりゃあ効きますよ。ただこれで今日(ハラヴェンを)投与したら、週末大変なことになりますよ。」と言われる。

 そう、好中球減少症による高熱で入院は必至だろう。「次回2週間後から再開しますが、規定量8割に減量します。」とのこと。(発熱に備えて)お守りのクラビット(抗生剤)は持っていてくださいね、と言われる。そう、今日が底値というわけではないので、週末は感染症注意。人混みには出ないのが賢明だ。

 引っ越し作業の疲れもあってこんなにだるいのかと思っていたが、これだけ好中球が下がればだるくて当然だ。納得する。先生が仰るには、血液中のたんぱく質数値も低いとのこと。確かに栄養状態が悪くなっている。水がまずいから水分補給もイマイチだし、食べられるものを少しだけ、引っ越し中はコンビニのサンドイッチのような食事をしていたのだから。食べる量も普段に比べて断然減っている。これで体重が1キロ減で済んだのは幸いである。

 「吐き気止めのドンペリドンを頂きたいのですが、今日は治療なしなら次回で大丈夫です。点滴のデキサート(ステロイドの制吐剤)だけでなく、もう少し遅発性嘔気に対応出来る吐き気止めをお願いするわけにはいきませんか。」と言うと、「問題ないですね。ドンペリドンでもいいけれど、吐き気は個人個人で違いますし、消耗するので次回は点滴の制吐剤を増やしましょう」ということに。

 ということで、治療なし、薬局もなしで先生にご挨拶して診察室を出る。化学療法室でご挨拶に行くと、Okさんがいらしたので、「結構辛かったです。好中球が690ということで今日は中止になりました。2週間後に8割で再開です。」とご報告。「そうでしたか。今日はゆっくりお休みしてくださいね。」と送り出される。

 夫やお友達に報告LINEを打ち、会計に移動。まだ午前中だが、既に長蛇の列である。
 番号が出て支払いを終えるまでに30分ほど。今日は採血と診察のみだったので、前回の初任給越えの支払いが嘘のように1,000円にも満たず、現金支払い。

病院を出ると、確かに風は強いが、青空のいいお天気。暖かい。公園には濃いピンクのおかめ桜や淡いピンクの熱海桜など早咲きの桜が満開である。あまりに綺麗なので、思わず写真を撮って夫やお友達に送る。お散歩中の方たちもスマホを向けている。

 本日の病院滞在時間は僅か2時間半ほど。それでも身体はとても疲れていてふらふらする。駅まで到着すると息切れする。JRは私が乗り換える駅止まりの電車だったし、時間もお昼前なので空いており、余裕で席を確保して本を読みながらのんびり過ごす。

 終点の乗換駅でランチをゆっくり頂く。栄養失調だと言われては大変なので、ゆっくり時間をかけて頑張って完食した。相変わらずお腹は緩く、食事をするとすぐにお手洗いへ。水様便を繰り返すところまではいかないけれど、下痢状態には変わりない。はあ。

 帰路も日差したっぷりで汗ばむほど。明るいうちに帰宅して、生協から配達された食品を運び入れ、一通り収納を済ませる。夫が朝干してくれていた洗濯はまだ十分乾いていなかったので、リビングでちょっと横になる。ビデオをつけたが、いつの間にかウトウト。夕方洗濯を取り込み、夕飯の支度をして夫の帰りを待った。食事の支度も1週間ぶりだ。

 夫はさすがに疲れていたのだろう。今朝は腕時計を忘れ、帰りは職場にスマホを忘れてきたという。そして腰も肩も痛いと仏頂面で食欲もない。食後、またしても均整術師の出番である。
 私も身体が重く、疲れがこびりついていてなかなか取れない。昨日宅配便に出したキャリーケースが届いたので、また洗濯機を回して干す。
 あと2日頑張って出勤したら、土日はゆっくり過ごして体力回復に努めたい。

 新しい治療のペースと薬量がうまく調整出来るようになるまでの間、週末にあれこれ予定を入れて人混みに出かけるのは無謀だろう。自粛しなくては。


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2019.3.12 エンドレスではなかった地獄から帰還して・・・ 引っ越し翌々日あれこれ 

2019-03-12 21:48:37 | 日記

 昨夜は4日ぶりに自分のベッドで就寝。ここはこんなに暖かくてふわふわで居心地が良かったのだ・・・とあらためて幸せに思った。

 6時前、自然に目覚めた。お手洗いに行くと、下痢ではなく、ちょっと緩め程度。良かった。落ち着いた。それでもさすがに疲れているのは否めない。マイペースで朝食の支度をしてから久しぶりに10分ヨガと瞑想で気持ちを整える。今月はスタジオに通えるかどうか。
あと1週間もすれば脱毛も始まるだろう。
 2人は大丈夫?とLINEを入れる。夫はロキソニンのおかげで熱は下がったという。心配している母にも、とにかく無事帰宅しているので心配しないで、と連絡して予定通り出勤。

 勤務する大学では今日が後期2次試験。厳重に入構規制されている。受験生の入構はまだ始まっていない時間だったが、緊張した面持ちで門前に立つ制服姿はいつ見ても、こちらまで胸が苦しくなるほどだ。

 4日ぶりの職場は、4月上旬の最高気温、春らしい一日になるという予報のわりには冷えている。まずは溜まりに溜まったメールを大車輪で処理。
 あっという間にお昼時間になる。急ぎ、お皿を買ったお店へ向かう。事情を説明し、今回割れてしまっていたお皿が単品でも購入できることを確かめて、そのお皿の写真を撮影させて頂く。

 カフェで急いでランチ。
 夫は朝食後、キャリーケースを宅配に出して身軽になってチェックアウトし、予定通り息子の部屋に行き、色々作業をしている模様。無理しないで、としつこく伝えたが、本当に大丈夫だろうか。途中で元気だという証のつもりなのか、おどけた写真が送られてくる。昼過ぎにはソファの下に昨日買い求めた床暖房用のラグが敷かれ、ソファベッドに寝転がっている息子の写真が添付されていた。ということは、つまり新調した馬力のある掃除機で、床の掃除まで出来たということ、一段落したということか。
 
 近所のスーパーでまな板等の調理器具、調味料一式や食材等も買い込むという。そんなに料理をする気満々なのか。頑張りや~である。
 お昼を済ませたら、夕方早目の新幹線で帰宅予定とのことだった。

 今夜は私が病院最寄り駅近くの定宿に前泊するので、当初、駅で落ち合って一緒に夕食を摂る約束をしていた。無理なら直帰してと頼んだが、予定通りで大丈夫とのこと。

 定時まで仕事をして早々に引き上げ、自宅に戻って宿泊準備をし、宅配業者さんにファックスを送って家を出た。
 夫にはなるべく近くまで戻ってきてもらった方が帰りが楽だろうから、JR乗換駅の駅ビルのレストランで落ち合うことに。夕食を済ませて別れ、私は昨日降りたばかりの新幹線の停車駅に向かった。
 うんと疲れている筈だけれど、ひとまず無事に帰ってこられて本当に良かった。

 それにしても、こんな状況で明日の治療、そして治療後のダメージは本当に大丈夫なのかしら・・・と思うが、心配したところで仕方がない。それでも治療後はコデインを飲むほどの痛みはない。ロキソニンで凌げているのだから、絶対効いている筈だ。
 とにかく早めに眠って明日以降に備える。これこそ今の私に課せられたミッションである。

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2019.3.11 地獄は続くよ、どこまでも・・・引っ越し翌日あれこれ

2019-03-12 20:07:50 | 日記

 昨夜、夕食を終えて部屋に戻ってから、もうひと踏ん張り、と食器棚兼レンジ台の組み立てを始めた2人だったが、それがかなり大変な作業の連続で、90分の予想時間よりも大幅オーバー。疲労困憊して顎が出た夫と息子の部屋を後にしたのは日付が変わってから・・・。既に引越し準備と当日作業で疲れ切った身体に鞭打つ、とんでもないハードな事態(文字通り地獄は続くよ、どこまでも・・・)になった。
 マンションから徒歩2分のホテルにチェックインしておいて本当に助かった。

 急ぎ夫は温泉大浴場へ、私は部屋で記事をアップし(我ながら馬鹿だ。無理してやらなくていいのに記録のために自分で自分の首を絞めている。)、ユニットバスに浸かりベッドに潜り込んだのは1時を大幅に周っていた。

 夫は「おやすみ」と言った1分後には寝息を立て、それが鼾に変わるまでには殆ど時間がかからなかった。当然疲れ切っているので、そんな逆境でもなんとか眠りに落ちた。
 4時間近く眠ったか。腹痛で目覚め、お手洗いに直行。緩めだが、下痢ではない。そのまま眠れず。
 息子には朝食を終えたら9時半には部屋に行く、と約束しており、まだまだ時間は充分ある。朝昨日入れずじまいだった温泉に入ろうかとチラと思ったけれど、眼は覚めていても身体が重くて、断念。

 そのまま夫の鼾を聞きながらベッドでうだうだした。
 夫が目覚め、BSで朝の連続テレビ小説を視てからレストランへ降りる。和洋折衷のビュッフェだ。
 ようやく気持ち悪さが殆どなくなってきた。こうなると今まで食べられなかった分、余計目が卑しくなってあれもこれも食べたい状態になる。ちょっとずつ色々頂くといきなり胃腸が動き出す気配。かたや夫は疲れ過ぎているのか、私ほどは食が進まない様子だった。

 身支度を整え息子の部屋へ向かった。
 ダンボールが積み上がったままとはいえ、新しい我が城のお風呂に入り、新しいベッドで眠った息子はまだぼーっとしているが、眠れた。寝やすかった、とのことでほっとする。

 ようやく体調が回復してきて、今日からは戦力になりそう。まずは衣類や食器類中心に荷解きを始める。クローゼットやチェストにどんどん収納。ダンボールが片付いていくと、なんとなく“私もやっている”感がある。
 洗ってあるのか汚れているのか定かでないものを拾い集め、ピカピカの真新しい洗濯機を廻す。音が静か過ぎて、動いているのか、つい耳をそばだててしまう。
 今度の部屋のベランダは奥行きもあり、かなり広い。11階で前面に建物がないから見晴らしもとても見事で、洗濯を干すのも気持ちが良い。

 洗濯を干し終え、地元のお店から配送していた食器の箱を開けて食器棚に納めていると、なんとセットの中の一枚のお皿が割れていた。とほほ・・・ひとまず宅配便業者さんに相談の電話をすると、折り返し連絡があって午後一番で現状確認に伺います、とのこと。

 皆で黙々と作業をしていると、ほどなくしてインターネット業者さんが契約手続きのため訪問。足の踏み場もない部屋で隙間を見つけて息子とあれこれ打合せ。なんのお構いも出来ない状態で申し訳ない限り。

 夫も着々と荷解きをしているが、なんだかやけに寡黙で元気がない。部屋が乾燥していて私でもびっくりするほど喉が渇く。それなのに、いつもは水分補給に余念がないというか水タンクのごとく水を飲む人なのに、勧めてみてもあまり飲まない。持病の腰痛が出たようで、イタタタと顔をしかめつつ、もう動けない、と言ったかと思うと、ついに何も敷いていない床に寝込んでしまった。

 は?!これは困った。びっくりだ。私は今晩帰京するが、夫はもう1泊して片付けを手伝う予定。こんな状況ではとてもではないが作業をするどころか無事に帰ってこられるかすらわからない。お昼も要らないから二人で食べてきてよい、自分はこうしている、とまで言い出す始末。
 その時、あ、そういえば私は均整術師であった・・・と思い出し、夫の背面を急いで施術。さすがにコリコリである。
 夫は体調イマイチの私にこんなことをさせて申し訳ないと言うが、大分気持ち良かったようで、20分ほど解すと、楽になったと起き上がろうとする。予定の訪問客が来て一段落するまでしばらく横になっていてもらう。

 約束どおりの時間に宅配業者の方が現状確認にみえる。割れたお皿の写真を撮って、今後のことを相談。購入時のレシート等必要なものを帰京してからファックスで送ることになった。

 お腹もすいたし、疲れたし、買い足さなければならない小物もあるというので、ひとまず息子と2人で隣の駅まで買い物に出ようとすると、夫は、自分も元気になったから一緒に行くとのこと。
 ずっとダンボールから中身を出す作業を続けてダンボールが視野に入らなくなったものの、まだ収納先がハッキリしないものにまみれたカオス状態。そんな部屋の中に一人でいるより気分転換もしたいというのも頷ける。ダンボールをごみ置き場に捨てながら3人で外の空気を吸いに出る。

 若干冗談なども言えるようになり、楽になった、という夫だけれど、後ろ姿は腰を庇っているのか、なんだか歩き方がイマイチ斜めになっているように見える。

 まずは駅中レストラン街でランチ。私はようやくお腹が空いてきて、カレーが食べたい!と思う。ちょっと洒落た感じの老舗の洋食屋さんに入る。デキャンタでお水が2本出てきて、3人であっという間にほぼ飲み干してしまう。やはりとても乾燥している。
 サラダ、カレーに息子のオムライスも味見して、お茶とデザートのケーキまでフルセットで頂く。とはいえ、さすがにいきなり1人分完食は無理で、息子に助けてもらう。何はともあれ笑顔で美味しく食事が頂けるってなんて幸せだろう。

 ちょうどお茶を飲み終わった頃に14時46分を迎え、実家の母から贈られた就職祝いの時計をはめてきた息子がカウントダウン。3人でその場で黙祷する。
 ところが、朝も含めて久しぶりに食事らしい食事を続けたお腹はびっくりである。いきなり腹痛になってお手洗いへ駆け込んだ。

 夫も私も体調イマイチだから早く終えて早く帰ろう、と地下鉄に乗って移動したが、行く先々でお手洗いに籠もるハメに。さすがにもう大丈夫だろうと思っても、なかなかお手洗いの個室から出られない。お腹はあっという間に空っぽ。
 キッチン用品、お風呂用品や収納の小さなものなど量販店を3箇所回って買い物を終える。お手洗いに行く度、その間、2人にも余計に待たせてしまう。夫は座って待っていても、その姿はがっくりとうな垂れている。大分調子が悪いようだ。

 息子が予め当たりをつけていたので、ほぼ決めたものをこちらは追認して買い物籠に入れるだけ。当初の予想より早めに終わって、JRで最寄り駅まで戻ってくる。
 徒歩5分のマンションなのに夫がタクシーで帰ろうと言う。荷物はガサばるものもそれなりにあったけれど、重いものではない。相当具合が悪いのだろうと心配になる。熱はないようだけれど・・・。
 ついていないことにタクシーの運転手さんが、息子の言った番地の東西を聞き間違えて別方向に向かってしまう。一通が多く、グルグル周って、とんでもなく時間がかかってぐったり。ああ。何のために乗ったのか・・・。

 私は明後日、水曜日にまた通院(ハラヴェン点滴予定)なので、明日はどうしても出勤しなければならない。当初は2人と一緒に夕飯を摂ってから新幹線に乗る予定だったが、食べればすぐにお腹を壊すような状態で新幹線に乗って、またお手洗いに籠もりっぱなしではどうしようもない。食事はやめてそのまま帰らせてもらうことにした。

 帰宅したら寝るだけにしたかったので、ホテルに戻って温泉でお腹を温めてから新幹線に乗ることに。帰宅希望時間から逆算すると息子の部屋での残された作業時間は小一時間。大車輪で動く。

 いかにも具合の悪そうな夫は、もうじっとしてくれていればよいのに、イタタタ・・・、と言いつつ狭い部屋で動くので、期せずしてぶつかったり、手が交差してしまったり。強引にベッドの上をあけて横になってもらう。
 ひとまず私が開けたものについてはあらかた片付け、息子に代わって預かっていた不動産屋さんや家電、家具、ライフライン関係の書類類の説明を終えて、一人ホテルに戻る。息子の趣味のものなどについては、置き場所についてとても手を出せない。ご自分で気の済むまでどうぞ、といったところ。

 夕飯前の早い時間なので、温泉浴場は貸し切り状態。3日間連続ユニットバスでちんまり入浴しただけだったので、大きなお風呂で手足を伸ばして身体を温められると、疲れて硬くなっていた気持ちが解れていく。お昼以降壊しまくったお腹はぺったんこである。体重は1キロほど減っている。喉がとても渇いているが、冷たいものを飲んだらまたお腹を壊しそうでこわごわ常温の紅茶で水分補給。

 部屋に戻って、荷物整理。来た時同様、最低限のものだけ持って出発できるタイミングで息子に連絡。夫は眠っているという。
 息子は来週末の合唱全国大会行きの切符を買いたいので、ホテルで私をピックアップして駅まで見送りに行くという。折角頂いていたホワイトデーのボンボンショコラも置いてきてしまっており、届けてくれた。ボケボケで申し訳ない。

 果たして駅に到着して、さあ帰りの指定席を予約しようとすると、思いのほか混んでいる。すぐに始発を選んで乗るつもりだったが、この時間始発の本数が少なく最短でも1時間近く後。諦めて息子のアドバイスに従って、30分後の広島発のものに。それが、山陽新幹線線路内障害物撤去の関係で最大40分遅れているとの情報が。ああ、ついていない。一刻も早く帰りたいという時に限って・・・。

 息子は予定通りの切符を買うことが出来たが、私が予約した列車は25分遅れということで、遅くなるから、とやめた筈の始発よりも出発が遅くなってしまった。当初22時過ぎには帰宅したいと思っていたのに、来た時と同様1時間ほどロスしてしまう。しょんぼり。
 幸いお腹は落ち着いていたが、待合室も溢れていて、立っているのが段々苦痛になってくる。いまだに時折咳き込むが、脇腹が響いて痛くて、咳をする度に身が捩れるほど。
 ようやく発車したのは30分遅れて20時のこと。ホームまで息子に見送ってもらい、コンビニで買ったサンドイッチで夕飯を済ませる。

 一方、息子は部屋に戻り、ヨレヨレの夫をピックアップしてホテルまで連れて行き、途中で夕食を摂るという。私がお願いしたとおり、とにかく水分を摂って安静にするしかないから、と冷えピタとアイソトニック飲料を渡してくれるという。私が余分に持ってきていたロキソニンも4錠託した。

 今回2人で2泊予約していた。温泉浴場もあるし、当初は今晩私の代わりに息子に泊まってもらってもいいと考えていた。それに、体調が悪い夫が心配なので、息子に一緒に泊まって付いていてほしいと頼んで別れた。

 夫から迷惑かけて申し訳ない、というLINEとともに、熱を測ったら8度あるというコメントが。また別のインフルエンザにでもかかったのか。ああ。

 結局、息子はホテルの温泉浴だけ頂いて帰ったとの事。夫が(息子に風邪を)感染させたら大変だから同じ部屋で泊まるのはダメ、とストップしたらしい。
 それにしても、息子にも可哀相なことをした。
 雁首揃えて助っ人に遠征したというのに、前半は母が治療後の体調不良で殆ど役に立たず。さて帰る頃にようやく元気になってきたと思ったら、今度はそれまで2人分頑張っていた頼みの夫がダウン。
 結局3泊(夫は4泊)したのに3人揃って食事がきちんとできたのはたった1日だけだった。最終日は一人でラーメン屋さんに行ったという。

 その後、乗車した新幹線は10分ほど遅れを取り戻したが、当初より20分近く遅れて降車駅に到着した。幸い、往路と違って2人席の隣には誰も座ってこなかったので、靴を脱いで足を上げて休むことが出来た。車内はわりと空いていて、どの乗客も疲れて舟を漕いでいたり、足を伸ばして過ごしている。文庫も持ってはいたけれど、読む元気など全くなく、ひたすら休養に勤めた。お腹も落ち着いてくれて、こわごわ頂いたサンドイッチの夕食の後もお手洗いに籠もることなく、ほっとした。

 帰りの在来線と私鉄は順調で、最寄り駅に降りてすぐにタクシーに飛び乗り、23時ちょっと過ぎには帰宅できた。2人にLINEで連絡して、息子から頼まれていた案件を確認してLINE連絡。とにかく明日、夫が無事に帰宅出来ますように、と祈る。

 到着すると、今月から第2第4月曜日にお届けに変更になった今月初めてのお花が届いていた。
 ゼンマイ2本、真紅のバラ5本、マーガレット1本とレザーファン。花言葉はそれぞれ「夢想」「愛らしい」「真実の愛」だという。
 最低限の片づけを済ませ、花を活けて、久しぶりに自分のベッドに入ったのはやはり日付が変わってから。長い長い一日だった。
 地獄からの単身帰還・・・あっという間に眠りに落ちた。
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2019.3.10 地獄は続くよ、どこまでも・・・!? 引っ越し当日あれこれ 

2019-03-11 00:52:08 | 日記

 昨夜はあっという間に眠りに落ち、夫の鼾も寝相も気にならず。早朝、頭痛と腹痛で目が覚める。5時半。6時間以上たっぷり眠った模様だ。

 何らたいそうなことが出来ているわけでもないのに、信じられないほど疲れて消耗している。身体が地面にめり込んで深みに落ちていく感じ。これこそ抗がん剤治療の副作用、手強い倦怠感といったところか。やる気というか精気が軒並み持って行かれている。
 こんな大切な時に役に立てないもどかしさよ。治療を始めればこういう状況になることは分かっていた。けれど、あの体調の悪さのまま治療をこれ以上先送りするのはあまりにリスキーだった。また、更に1週間前倒しで開始して先週2回目のハラヴェン投与を済ませていたとしたら、今度は白血球も下がる一方で感染症の心配も出てくるし、今よりもっと具合が悪かった筈だ。

 その時その時で出来るベストの選択をしているわけだし、常に精一杯やるのがモットーの私が動けないのはよほど具合が悪いわけで、決してサボっているわけではないことは、夫はもとより、息子も分かってくれている。
 それでも、この身の置き所の無さ。情けなくてやりきれなくて申し訳なくて、お布団の中でいつの間にか涙が滲んでくる。

 夫が目覚め、筋肉痛のローションを塗りながらチャッチャと身支度を始めるが、私は申し訳ないことになかなか動き出せない。結局、今朝の布団の上げ下ろしも全てさせてしまった。重い身体を引きずってのろのろと着替え、顔を洗って歯磨きを済ませると、少しだけシャンとした。
 息子の部屋に電話をして起こし、3人で朝食。食欲はないが、ドンペリドンを飲んで暫し様子を見ながら大好きなグレープフルーツジュースと暖かい紅茶を頂き、パンを少しお腹に入れる。食後はロキソニンとタケプロン。便秘は解消され、お腹はすっかり快調に戻った。

 朝食を済ますと、2人は引っ越し業者が来るまで残すところ5時間!とラストスパートのために息子の部屋に移動した。
 私は一人ゲストルームで夫と2人分の荷物をキャリーケースにパッキングし終え、2人がたまにこちらに気分転換に来るのを待ちながら記事を記録した。

 何かの拍子に咳き込むと、涙が滲み、吐きそうになるまで咳が止まらない。この状況で息子の埃まみれな部屋に行ってもただの邪魔。足手まといになるだけだ。時間に追われて作業をしている二人だって、私が具合悪そうに咳をしているところなど見たくもないだろう。割り切って今回は梱包作業からは手を引いている。気がかりなことは多々あるけれど、出来ないことをしようと思っても、ストレスが溜まるだけ。自分だって相当疲れている筈なのに、体調不良の私の心配をしながら、息子を叱咤激励しつつ黙々と作業を続けてくれる夫には足を向けて眠れない。

 昨日の暖かな晴天とは打って変わって今朝は曇天で、午後からはあいにく雨の予報である。大安吉日で喜んでいたけれど、雨の引っ越しになるとは。ちょっとついていないとは思うが、致し方ない。

 昼過ぎ、大分先が見えてきたよ、と息子が報告に来た。行ってみると、部屋の前の廊下には段ボールが20個ほど積み上がり、その他諸々大分片付いている。
 夫が腕まくりをし、ズボンを膝までたくし上げて浴室の掃除中。居室には昨日までは全く見えなかったフローリングが顔を出している。けれど、いざ部屋に一歩踏み入れればいきなり咳き込む。これはちょっと無理、と進捗状況の写真だけ撮り、踵を返して部屋に戻った。
予定ではその2時間後から5時間後の間に引っ越し業者が来る予定になっていたけれど、予報通り雨降りになってしまったので、到着は少し遅れるかもしれないねと言い合う。

 あと30分もやれば寮長さんに部屋の退室チェックをして頂くまで到達しそう、と目処が立ったところでランチタイム。4畳半の畳の和室に3人で小さなテーブルを囲み、カップ麺やらおにぎりやらのコンビニご飯を頂きながら、ふといまだ避難所生活を余儀なくされている方たちのことを想う。

 その後ほどなくして無事退室チェックが終わる。引っ越し業者からもあと30分くらいで到着の連絡が入った。思っていたより大分早く、有り難い。
 寮長さん、寮母さんに2年間大変お世話になりました、とご挨拶をして、私は新居へ先着することに。
 今日はJRの移動のみ。雨が降っているけれどまだそれほど酷い降りではない。タイミングよく快速が滑り込んで来て、ノンストップで到着。昨日は迷った道も今日は自信を持って歩く。まだ時間の余裕もあるので、今夜からお世話になるホテルのチェックインも済ませた。

 部屋に入り、昨日中途半端に終わった書類の整理や、私が出来る片付けをちまちまと。ガス会社に口座引き継ぎ等の連絡も済ませられた。息子の方は順調に積み荷が進み、作業完了してそちらに向かうとの連絡がある。
 窓の外は雨風がだんだん強くなっている。車が渋滞しているようで、2人が到着してから30分近く遅れてトラックが到着した。雨の中の作業、本当に申し訳ないことだ。

 それにしてもさすがにプロ。目を見張るスピードで養生を済ませ、私達の出る幕は全くない。ひたすら邪魔にならないように努める。引っ越し元のワンルームと違って今度は曲がりなりにも1LDKなので荷物を積み上げてもまだ3人でいる場所があるのが救いだ。

 全く問題なく、順調に丁寧に作業が終了。退去の時にトラブルになりやすいフローリングをカバーするパネルを薦めて頂き、なるほど、とその場で追加設置もお願い出来て安心した。最後にはおまけの10分サービスで、昨日付け替えミスのあった照明器具の設置まで笑顔で対応してくださった。かたじけない。

 開始から完了まで所要3時間半。実作業は2時間ほどだったろうか。3月の繁忙期、心が折れそうになるほどの忙しさだというが、終始明るく冗談を交えながら作業をしてくださったKさんと若い助手さんに感謝である。流石老舗の業者さんだけのことはある、と家族一同感心しきり。心配しているであろう実家の母にも無事引っ越し終了の報告の電話を入れ、あらためて胸をなで下ろした。

 こうして時間に追われる作業が一旦終了。大分体調が戻ってきて、動けるようになってきたのが嬉しい。気づけばもう8時を廻っている。お腹が空いて当然である、と。駅のレストラン街へ夕食を摂りに繰り出した。
 卒業が決まってこうして外できちんとした食事をするのは初めて。2人は大好きなすき焼きに生ビールで乾杯。私も和食膳を少しずつ頂く。まだドンペリドンは飲んでいるけれど、数日ぶりに食事が美味しいと感じることが出来た。

 再び部屋に戻って、最後の組み立て家具に挑戦。頑張れ、2人である。

 いずれにせよ、こうして夫婦ともども遠征して、親子揃って大きな共同作業をするのは今回が最後になるのではないだろうか。次回の引っ越しは息子の結婚のタイミングになるのか、当分このマンションに独身で住み続けることになるのか、わからない。
 次の息子の引っ越しまで、運良く治療が奏功して命を繋げているかは神のみぞ知る、だけれど、ここまで密度濃く関わることは出来ないだろうし、もはやそれほど親が出る幕もないだろう。

 何より、5年かかった息子の卒業式にも立ち会うことが叶いそうだし、就職という大きな節目、新たな旅立ちも、目の黒いうちに見ることが出来そうである。
 高校卒業まで生きることは出来ないかもしれない、我が身に残された時間はあと5年ほど、と覚悟した再発・転移が判明した時のことを思い返せば、今ここにあることは僥倖以外の何物でもない。

 折しも明日は東日本大震災から8年目の追悼の日。ニュースでは追悼番組が続いている。
改めて喪われた数多くの命の重みを偲び、私達の今日という(亡くなった方たちにとっての)明日を過ごすことが叶わなかった沢山の方たちに思いを馳せつつ、なんであれ生かされている私の今というこの瞬間(とき)を尊くも有り難く思う夜である。
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