ダニエル・キイスが亡くなって、『アルジャーノンに花束を』がニュースで取り上げられている。
わたしがこれを読んだのは高校生のとき、早川の世界SF全集に収録されている中編でだった。
すごく印象的な作品で、後年、長編が出たときも、長いとエッセンスが薄まるような気がして、
ついに読まなかった。
『まごころを君に』という邦題で映画も公開されたが、当時はまだ長編が翻訳されておらず、
世界SF全集なんて読むのはごく限られた人間だったので、まったく評判にならなかった。
劇場で公開されたものの、何だったか忘れたが、別の映画の併映、つまりおまけだった。
当時、『まごころを君に』は恋愛映画とみなされたらしくて、
2本立てになっていたもう1本はバリバリの恋愛映画だった。
そっちはまったくつまらなくて、初めのほうだけ見たところで出てきてしまった。
あとにも先にも、劇場で映画の途中で出てきたのはこのときだけだ。
ロビーの売り場にいた売り子さんが怪訝な目で見ていたっけ。
「『アルジャーノンに花束を』は、もともと英語で書かれた物語だけど、
世界中の言語で一番、日本語が題材に適している気がする」と娘が書いていた。
わたしもまったく同感だ。書かれている内容の深さのほかに、英単語の綴りや句読点や
文法で筆者である主人公の知性の変化は読み取れるのだが、日本語ではそれに加えて
ひらがなから漢字まじりの文章への変化として、ビジュアル的にも一目瞭然となる。
世界中の言語を知っているわけではないが、ほんとうにこれほどテーマに最適な言語は
ないんじゃないだろうか。
別の見方をすれば、日本語の文章には書いている人の知能程度が如実に出てしまうってことか。