今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

年度初めの千住の「老舗居酒屋」のハシゴ

2017年04月06日 | 居酒屋

 年度始めの顧客の挨拶回り、横浜から1時間半余かけて東京ラインで茨城へ。帰り道は東武線スカイツリーライン経由で東京へ向うこととした。東武線「幸手」駅まで仲間の車に送ってもらう。しかし,国道四号線(日光街道)は権現堂の花見見物の大渋滞にはまり込む。

 しからば、時間も三時をとうに回る。駐車場にはなんとか入れそうなので花見見物とする。平日でも人出は多く、土手には屋台が所狭しと競い合う。桜は6分咲きだが、菜の花は満開。黄色の絨毯の向こうに土手の桜と青空が一幅の絵を作り出す。寄って良かった、家族にも見せてあげたいが、歩くには遠く、車は休日の混雑は半端でないことが予想される。

 幸手からスカイツリーラインで乗り換えなしで北千住へ。久しぶりの北千住、まずは3年ぶりに「金宮」ルーツの「千住で二番、大橋」の暖簾をくぐるがタッチの差で既に満席。しからば、千住揚げの「永見」へ向かい一階のテーブル席に無事着席。

 どちらも、女性同士の客が多く、かつてのナッパ服のオジサン達がチビチビと飲んでいる面影は微塵もない。いいことなのか、女酒場放浪記などのテレビの影響か。入りづらくなったが良いことではないかとは思う。

 「永見」ではビールとバイス、にんにく入りの千住揚げなどを注文。早い時間帯の女性陣も除々に引き、仕事帰りのオジサン連中に交代する二時間あまり過ごした後「永見」とお別れ。

 最初に寄った「大橋」へ再チャレンジ。一組のカップルの後で暫し待つうちにカウンターの付け出しでよければとの薦めにカウンター中に椅子をセットしてもらい着席。早速、店の定番「金宮」の梅サワーと煮込みを注文。梅のジュースと炭酸、そして金宮の500mlのボトルがテーブルに置かれる。二軒目なのでボトルは空けられそうに無いが一ヶ月のキープがある。飲みやすい梅サワーと豆腐煮込みの組み合わせが絶妙である。落ち着いた頃テーブルが空いたとの事、付け出しの位置から移動した。テーブルに地元起業の二人連れの若い衆が相席となるが、見ず知らずだが直ぐに盛り上がる。下町の飲み屋にはこれがある。 北千住の老舗居酒屋は健在なり。


錦糸町JRA裏で馬肉、平井で江戸前ラーメン!!

2017年02月26日 | 居酒屋

 地元のガキ友との遅い新年会、錦糸町のJRA(中央競馬会)の裏通り馬肉居酒屋「かち馬」に集まる。「かち馬」は、虎ノ門の職場の帰り道に時折寄る西新橋の三重料理居酒屋「三幸丸」の姉妹店。30~40人も入れば一杯のこじんまりした店である。

 まだ中央競馬会といっていた時代、JRAなどと洒落た名前になる遥か昔、大学の授業の合い間を盗んで水道橋の馬券売り場の往復。卒業後も暫くは水道橋通いであったが、今は年に1~2回のダービーか有馬記念ぐらいで参加することに意義があるくらいか。ちなみに昨年末の有馬記念は配当安めの3連複ではあったが頂いた。北島三郎キタサンブラックがコケればウハウハであったのにのう。・・残念!!

 土曜の5時前に店に着き、早速にビールで乾杯。コースのメインは馬肉刺身。タテガミやなどの馬肉の刺身をつまみながらメイメイにサワー、日本酒を頼む。馬肉は旨いし栄養素も抜群なので、70歳近くの爺さんグループには寿命を延ばす効果がありそうだ。

 馬肉の効果とは、高タンパク質で牛肉の3/1の低カロリー。鉄分も豊富、ほうれん草やひじきよりも豊富で牛肉や豚肉の3~4倍。馬肉のタンパク質には体の保温と毒消しに効果のあるペプチドやエネルギー源のグリコーゲンも豊富であるという。年寄りの飲み会には最高の肴であることは請合う。

 馬レバテキ、店の差し入れの馬肉のから揚げなど普段食せない馬肉にした舌鼓。病気と老後の話が一段落した後、春の恒例の秘湯を何処にするかの話で弾みつき始めた頃、飲み放題の時間も二時間近くになった。

 店を出た親父の集団。帰りたくなさそうな顔に錦糸町から平井のラーメン屋へ総武線各駅停車で二駅の平井へ移動。平井の駅前ロータリー近くの「やなか草」ラーメンは、オジンの大好きな江戸前の極細麺の醤油系あっさりラーメン。最近、やたら「魚介ダシのきいたラーメン」や、「こってり系のラーメン」、「焼き豚など乗せもの系」などが流行っている。地方のご当地では許せるが東京ではまったく外道と思うオジンである。飲み会の後の〆には、「あっさり系ラーメン」か「もり蕎麦」を肴にヌル燗かビールがメチャ合っている。

 ラーメンが出来るまで焼き豚を肴にビールで二度目の乾杯。穴の開いた大自然の雰囲気満点のケヤキ?の大テーブルがよい。江戸前王道ラーメンとデザートの小粒のあっさりプリン(有料)に脱帽する。


浅草・大衆演劇「木馬館」と「もんじゃ」

2017年02月05日 | 東京名所 居酒屋

  大衆演劇とはテレビ以外は関係ない思ってはいたが、地元の集まりで初めての浅草「木馬館」での観劇。席は満席、おばちゃん達が舞台の袖に。演し物はチャンバラだと思ってはいたが、予想は外れ終戦時のお涙物である。大衆演劇の濃厚な演技と無理なストーリーに一寸疲れた。

  後半に入り、狭い舞台での踊りが始まる。袖のおばちゃんのおヒネリ合戦1万、3万、5万円と着物の襟にこれぞとクリップで留められる。負けじと舞台の反対の袖に陣取るオバンからも。老婆心ながらお金の出どころが気になる。一人1600円の入場料、約200名の定員を凌駕するオヒネリに溜息・・・

 3時間半の狭くて硬い席に疲れたが、それなりに面白い。帰りの「木馬館」前、煌びやかな衣装の子役のチビタマ君など役者勢揃いの出待ちに思わず握手。春節の中国人や中東の観光客が不思議そうに写真を撮っていた。

  二次会は浅草のもんじゃ屋「七五三」。国際通りの「今半」の角を上野方面に入った左側のある。「もんじゃ」や「お好み焼き」を焼くのは全て店員さんがやってくれる。失敗がなく手間がないのが嬉しい。カレーもんじゃ三元豚トンテキも美味しい。ビールハイボール、久しぶりのバイスも旨い。店は満席で賑わっているが、我々が一番に騒さかったのではと反省。

 

 

 

 


東京タワーと芝「豆腐や・うかい」

2017年01月12日 | 東京名所 居酒屋

  東京タワー直下の豆腐懐石の「豆腐や うかい」で、昨年に引き続き2017年の昼食兼ねた会社の新年会。芝の「うかい」は、昔、芝ゴルフがあった広大な跡地に庭を造り、古民家や酒蔵の解体木材などをふんだんに使い、料亭をオープンさせた。

  玄関の長屋門をくぐると、緑に囲まれた庭の先には雲ひとつない青空に屹立する東京タワー。中庭を抜けて数奇屋造りの建物の中を通り、漸くに茶室造りの個室に到着。

 昼のコースは、うかいの名物の「揚げ田楽」、「豆水とうふ」をメインに七品。新年会なのでビールで乾杯した後、メニューから一寸贅沢に「出羽錦 飛白 純米大吟醸」の四合瓶を注文。数奇屋造りの銘木がふんだんに使われている部屋で呑む旨い酒に旨い肴。

 帰りは土産処で「揚げ田楽」と「田楽味噌」、「くみ豆腐」を買い、家で「純米 五橋」であらためて余韻に浸ったところである。


「猪肉パーティ」 と ウリ坊(猪の子)発見

2016年12月31日 | 日本の森と酒

 毎年の御用納め当日に、アキバの飲み屋でいつもの仲間と恒例の「一年ご苦労さん会

 今回は、昨年末に「イノシシ鍋」メイン。群馬の山の知り合いから頂いた肉3kgを約10人で平らげる。獣肉の調理師資格を持っている知人の捌いた肉は、相変わらず臭みもなく、煮込んでも柔らかく実に旨いのである。

 猪鍋に合わせるのは、オジンの選ぶ拘りの日本酒。山口の「純米 貴」、同じく「純米 あらばし 五橋」、和歌山の「純米吟醸 黒牛」で揃えた。銘酒を揃えている台東の酒屋で定価で購入したものだ。何れも知る人ぞ知る酒飲みにはたまらない酒である。

 さて、山に猪の肉を貰った時に、庭にウリ坊がうずくまっていた。その朝、前日に捕った「猪」の肉を捌いたと言っていた。多分、その猪の子供だろう。母猪の匂いに誘われのだろう。しかし、感傷は不要だ。山は猪、鹿、熊、猿で危機的状況である。晴れて公にジビエ料理として普通に食せる時が待ち遠しい。

 


森の旅・「岐阜・京都・奈良」、初めての樫原神宮

2016年11月24日 | 日本の森と酒

 森と木を視察に関西へ。「森」は、ブランド材の代表「吉野杉」の山へ。「木」は、一般的な建築用材ではなく、テーブルや床柱、天井板などを取り扱う銘木市場の視察。そして最新の林業機械を見ることだ。

    第一日目。岐阜羽島でレンタカーを借りて全国から集まった銘木をセリにかける銘木市場を視察。全国でも最大級の市場で集まっている木材は数百万円もする材から一般材まで揃っている。目の保養をさせてもらって一泊目は大阪へ。宿泊地は中心街でのビジネスは見つからず十三のホテルへ。

 着くなり梅田へ皆で出陣。梅田のお初天神通りで呼び込みのお姐さんの案内で地下の「おりじん」へ落ち着く。全員で乾杯。それなりの店であった。その後、一杯気分で近くの縁結びの神さんの「お初天神」へと。お参りのカップルにエールを送り十三へ帰る。

   第二日目。大阪梅田から阪神高速に乗り、吹田JCから名神高速、大山崎JCから京都縦貫自動車道。京丹波みずほICで高速を降り県道を福知山の林業機械展示場まで。林業機械展の会場は前日までの雨で泥の道。おっかなびっくりで歩きながらのブース見学。今年の機械は派手な機械はなく地味にシンポしている感がある。

 二泊目の泊まりは樫原神宮。翌日の吉野の山に入るための宿泊地である。福知山から一番早く到達できるとナビに従い、来た道と同じにみずほICから高速に乗る。福知山から大阪郊外を抜け、樫原神宮までの走行距離は優に2百キロは超えただろう。夜も暗くなってからの到着となった。樫原で夜食兼用の飲み屋を探して街を放浪。8名だとどこも一杯。ホテルから約15分国道沿いを歩き、漸く見つけた中華「民民」に入る。中華料理食べ放題、飲み放題でコスパも雰囲気もかなりよし満点である。

  第三日目。早朝、吉野の山の視察に行く前に樫原神宮にお参りする。朝の冷気と荘厳な雰囲気に圧倒されつつ「一の鳥居」から延々と続く参道を進み。漸く本殿前に到着。

  敷き砂利掃く神官と本殿前で舞を練習する巫女さん達を眺めながら二礼二拍手一礼する。

   ホテルに戻り吉野の山へ一直線、 町役場で地元の山主さんと落ち合い、車を乗り換え一路山へと入る。吉野の山は急勾配、路網も丁寧に整備され、百年を超える杉林は丁寧に枝打ちがされ、真直な木が急斜面に林立し歴史の重さにただ感動。山主さんの林の説明を受ける職員の目は真剣そのもの。自社林の未来の山の姿を思い浮かべていることだろう。


今年最後の「酉の市」速報

2016年11月23日 | 下町

 今年は「二の酉」で、酉の市は11月で仕舞いとなる。夕方近くに自宅の温水洗浄便座の修理も終わり、気が付くと本日の歩行数は未だ200歩。ここ数日は一万歩以下が続き、これはいけないと既に夕暮れ時ではあるがアキバから浅草に向ってウォーキング開始。

 秋葉原と浅草橋の間の左衛門橋通りをまっつぐに。途中、殆どの店が休日で店を閉じているカッパ橋道具街を通り抜け、鳳神社に近い金竜小学校前へ。ここまで30分、ほぼ6000歩で以外と少ない。

 いつものとおり、延々と並ぶ参拝の列である。今でも1~2時間待ちだろう列を横目に直接に熊手と見物人で賑わうエリアに突入。毎年この雰囲気を見なければ年が越せないと改めて実感。例年の通り参道沿いの石原慎太郎一族の熊手を横から見物。

 鳳神社本殿脇に横から到達、警備の警官の注意を横目に長蛇の列の先頭の横から賽銭を投げて敬虔に二礼二拍手一礼。社務所で神社の「カッコメ」を購入し、隣の妙見様(日蓮宗のお寺)もお参りする。

 今年のお勤めを終えたら、人で一杯の裏通りを抜けさっさと退散する。浅草ROXの前を通り我が家の宗派である東本願寺(浄土真宗のお寺)の裏の小さな居酒屋「うる間」で一杯のつもりでいたが生憎の休み。今日は休日「勤労感謝の日」、休みは当たり前かと反省。

 田原町から日本最古の地下鉄「銀座線」に乗り、「末広町」で降りて自宅で地酒でも飲もうかと秋葉原ガード下の地方名産品の「ちゃばら」へ。「ちゃばら」では広島の地酒を販売していた。過日朝ドラで有名になったニッカウィスキーの生みの親「まっさん」の生家の酒蔵から「純米 竹鶴」が売られていたので即購入した。アテは何かと店をブラブラして千葉の「ピリ辛いわし」と決定。家のおかずと合わせて肴はこれでOK。

 自宅に到着。12000歩を超えた。一休みして先ずは食事の前に「竹鶴」を常温でいただく。あっさりとした口当たり、酒の色は若干茶色、旨みの多そうな呑ベイの好きな色だ。次は燗酒にした。より飲み易いと感じた。トランプショックはありそうだが、来年も商売繁盛といきたいものだ。

 

 


2008年9月に期待した「豪栄道」は

2016年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 平成20年9月に朝青龍に引導を渡した当時新進気鋭の「豪栄道」。それから期待して早八年(2009年9月ブログ参照)、漸く漸く優勝した。白鵬が欠場とあっても全勝は立派である。大関になってからも不甲斐ない場所が多かったが、やや遅いようだがニッポンの力士として一気に綱取りを狙ってほしいものだ。

 全勝優勝で次の場所で優勝すれば文句無く「横綱」、12勝以上の準優勝でも可能性は大である。遅い横綱だが大いに期待したいところだか既に3敗、残りは横綱、大関など上位陣との対戦。好調な鶴龍などかなり難しい。

 それでも、久しぶりの国技たる日本人横綱誕生のためにも頑張ってもらいたいものだ。昔からポピュリズムには組しないので強い外国人横綱も勿論許容する。


神田練塀町の小さな居酒屋の休業

2016年10月01日 | 居酒屋

 秋葉原のヨドバシカメラの先の神田練塀町に小さな居酒屋がある。もとえ、あったと言おう。木造の10坪にも満たない小さな小さな居酒屋である。店名は「あさちゃん」と言う。秋葉原駅前が青果市場で賑わっていた頃からの老舗である。従って客層は農業関係者を中心とした常連さんのほか、付近の昔から秋葉原にある大手企業の中堅サラリーマンやそのOB諸氏が多く集っていた。カウンター中心の常連が多く、ママのEチャンを中心に会社関係なく親しく語り合っていた。 

 ところが、このエリアに数年前から再開発の話が持ち上がる。超大手S不動産(一説によると秋葉原界隈はS不動産が仕切り、アキバでは他の不動産は手を出さないのが業界の約束事)が主体で実施する再開発。いつの間にか千代田区道も二本廃止することになっている。完成までの二年以上かかる大型開発、そのため休業することとなった。再開発では資産価値は上がるとS不動産は言うが、こじんまりとした家賃のいらないリーズナブルな価格と一人でも会話が楽しめる常連客でいつも満席に近い店だけに二年半のブランクは取り返しがつくか否か?

 秋葉原駅近での代替店舗の手配も出来なかったとS不動産は言うが本気で探したかどうか。夜の説明会や会合に出られないことを知ってのことか再開発の経緯や区道廃止の手続きも、区もグルになりEチャンママの知らないところで水面下ですすめていたと言われてもいたし方ないだろう。店一軒を残して立ち退いた周りの建物を工事用の塀で囲い、工事騒音と孤立感を際ただせるよくある手法だ。約二年半の建築期間中の代替え店舗もなく完成工期最優先で放り出された格好だ。築地の決着優先でオリンピック道路延期もやむなしの東京都知事の決断もあるなか、S不動産さん、2年半後も「あさちゃん」のフォローたのんまっせ!!

 後記カウンター越しに語り合える店を探してあさちゃん難民」が秋葉原界隈を夜な夜な徘徊していると聞く。秋葉原界隈、今時の居酒屋スタイルあるわけ無いでしょ。二年半後の再開を期待しつつ待つしかないか・・・


迎賓館と四谷の飲み屋

2016年09月11日 | 東京名所 居酒屋

 元職場OB会では毎年の東京歴史探訪を実施している。下見に幹事数人と千駄ヶ谷で待ち合わせる。今回は、今話題のオリンピックスタジアム建設地から迎賓館への散策ルートと打ち上げ会場の探索が目的である。

 千駄ヶ谷駅で待ち合わせ、まずはオリンピックスタジアム建設予定地へと向かい、千駄ヶ谷プールの二階テラスから眺める。敷地は思った以上に広大である。工事現場で動いている建設機械は意外と少ない。小池のオバサンの動向を見ているようだ。以前から税金を食い物にする東京オリンピック招致には反対だ。しかし、全国世論はいつの間にかリオの金メダルラッシュで、やたら国威発揚と大政翼賛的に政治的利用と利権的な本質を忘れて去っている。

 決まってしまった以上、スタジアムの建設や築地を通る環状2号線が遅れても、今一度きちんと経緯を説明し公正で低廉な費用の支出をすべきである。せめて、次世代へ環境保護と地域の活性化に向けて、オリンピックとは関係なくスタジアム建設には国産材をふんだんに使った施設作りを推進すべきである。

 略称「絵画館」といえば信濃町のアレかと思っているでしょうが、正式名称は「聖徳記念絵画館」という。絵画館は、明治天皇の崩御を契機に作られた施設で、単なる絵画中心の美術館ではなく明治天皇崩御後の大正時代に明治天皇の歴史を残すために作られた施設である。中身は天皇継嗣として明治天皇が皇太子に任命されて後の明治天皇の歴史を中心に、明治維新期の時代から絵画で年代を追って日本画と洋画(油絵)で展示している。維新の元勲の子孫の寄進や財閥の寄進などによるものが殆どで、寄進者の父などを絵にも登場させている。建物は、2011年に国の重要文化財に指定された。表参道のイチョウ並木の突き当たりにあり神宮外苑のシンボル的な建物である。

 絵画館前では、なんと神宮球場での「乃木坂46のライブ」のファンの波波。夜に嵐が来ると言うのにご苦労様なこって。外気温度はゆうに30度越えだが、絵画館の中には今時冷房がないのはいただけない。自分で起動させる扇風機があるだけ。暑い絵画館から漸く出て、台風もめげずに押し寄せる「乃木坂46ライブ」のファンの整理員の制止を無視し、絵画館駐車場前にある日露戦争での戦利である樺太分割の「樺太領土境界標」のレプリカを確認。日露領土問題の原点はここにもあることを確認。

 信濃町から四谷に向けて歩くと東宮御所の近くに明治記念館がある。明治記念館は昭和22年に憲法記念館を「明治記念館」として開館。元は赤坂御所の別殿で、ここで「大日本帝国憲法」と今話題の「皇室典範」の草案審議が行われている。その後、伊藤博文に下賜され大井の伊藤邸内に移築された後、彼の死後、明治神宮外苑に再移築されたという。

 正面ゲートの真ん中には警備員が立ち、入りずらい雰囲気。建物の正面玄関でも御用を聞かれる。昼飯の下見だと告げても正面玄関から入らずに、誰もいない横手の日本家屋の玄関の引き戸を開けて入る。中に入ると廊下には、由緒あると思われる日本画や骨董類の陳列品がお出迎い。重厚な雰囲気に圧倒されつつ奥に進み、緑の絨毯を敷き詰めたような奥庭と松の絶妙な景色の眺められる食堂を覗き見る。

 明治記念館を出て、皇太子、秋篠宮の一家が住んでいる東宮御所を右手に迎賓館に向って歩く。東宮御所は、周りを高い樹木に囲まれ周辺の市井の眺めが見られないように作られている。皇宮警察が各門を厳重に警護し、中に住んでいる皆さんもはさぞ窮屈で不便なことだろう。イギリスの皇室を見習ったらよさそうなものだ。ついでに言わせてもらうと「人間天皇の原点」に戻り、皇室典範を改正し男女差別を撤廃すべし。生きちゃいないと思うが「愛子ちゃん天皇」もいいことだ。

 ようやく国民に開放された「迎賓館」は、国賓の来訪か生憎の見学不可。来月も一ヶ月近く見学不可とのこと。何処の高貴なお方がいらっしゃるのか知らないが、国民を上げての歓迎が大事と思ったら誰が来るのかくらいは公表すべき。四谷駅方面からの正面玄関からの迎賓館は、広い芝生の奥に荘厳な白亜の宮殿が素晴らしい。見物としては一流だが使われ方次第である。

 玄関正面の通りの両側に植えられた「ユリノ木」の並木、年数は未だ若いが調和が取れていて全体構成から優れている。

 さて、本日のもうひとつの難題、5時前からやっている30名くらい入れる飲み屋探しである。心当たりはないが四谷駅前からの新宿通り沿いに歩く。すると直ぐに「のぶさん」の看板。暑く脱水症状気味のオジサン連中、すかさず店に入り店員さんに五時前OKと開店時間と人数を確認。飲み放題の値段を聞くと予想外に安く候補予定にとりあえずキープし飲み会開始。ビールが喉にしみ渡る。白州や角のハイボールが180円と安く嬉しい値段だ。

 「のぶさん」を出て、四ッ谷駅に向かって歩く。新宿通りからほんの少し入ったところに酒屋の看板、隣の併設店である老舗立ち飲み「鈴傳」に入る。狭いL字通路に20人ほどしか入れない店である。カウンターケースには「ポテサラ」などの定番のつまみ。キャッシュ・オン・デリバリー形式は変わらない。「獺祭」の3割9歩を代表に緑川各地の銘酒が手ごろな価格で吞める店だ。以前に千葉の地酒「腰古井」を酒屋の前に樽を展示して飲ましていた頃を思い出す。

 


レッカー車&湯沢の花火と混浴露天風呂(その2)

2016年08月21日 | 秘湯、露天風呂

  愛車を大宮のディーラーに預け、車のオーナーの仲間を自宅まで送り、大宮から川越ICに入りドライブ再開。新車でノンストップの快適走行だが、予定外のトラブルで一日目予定の水上町の「奥平温泉 遊神館」と「猿ヶ京温泉 湖城閣」はパスし、越後湯沢のナスパへ5時過ぎに到着する。部屋に落ち着いた後、夕食がてら一杯やりに街まで降りる。へぎ蕎麦で人気の「中野屋」に入って、まずは生ビールで波乱万丈の到着を祝し乾杯。へぎ蕎麦と天麩羅を肴に、日本酒は越後魚沼の「八海山」、「鶴齢」。端麗タイプの大好きな酒で一日の疲れを飛ばす。

 翌朝、オリンピック卓球で深夜・早朝放送に寝不足な目を擦りつつ、ナスパに併設のニューオータニのホールでバイキング形式の。お盆価格か朝食にしてはチトお高い2500円の朝食を摂る。子供が多くせわしい朝飯である。

  二日目の予定は近場の温泉と決めていた。10時過ぎにナスパを出て、今回は参加していない仲間の夫婦が前々日まで宿泊していたとの写真入りのメールが届いた「五十沢温泉へと向う。なんの変哲も無い平野の真ん中の温泉旅館。湯量豊富な掛け流しの天然温泉と混浴の大露天風呂が有名だ。硫黄の匂いがほのかな優しい泉質の露天風呂。相棒と風呂の縁に腰を掛け30分近く話込む。早い時間だったためか我々以外の客はいない。外の駐車場の音からボチボチと立ち寄り客は到着したようだ。入れ替わりにカップルとすれ違った。後ろ髪が引かれたが・・・

 五十沢温泉を出て後、初めての魚沼スカイラインへと向う。八箇峠から清津峡入口までの尾根道。峠から登り始めて直ぐに小雨がパラつき始める。晴れていれば八海山や津南・野沢方面の絶景が楽しめそうだ。道幅も狭くスカイラインというと言うより尾根道の林道に舗装した感じである。

 尾根道にビルマ戦死者の大きな慰霊塔が有る。地元の連隊がビルマに派遣されたのだろうか、壮絶な戦いの中多くの戦死者が出たという。遺族の思いが伝わる施設だ。すれ違う車は殆ど無い中、小雨降る魚沼スカイラインを走破。麓に降りると雨は止む。花火は見れそうだ。さて、湯沢のスーパーに立ち寄り、花火見物の酒と肴の仕込みだ。

 買い出しが終わりナスパに車を置いた後、夕飯兼晩酌に歩いて湯沢の町へ。駅前通りの飲み屋「どん呑」に入る。湯沢に泊まる際には必ず寄っている店である。東京の下町から来たキップのいい若夫婦で営業していたが、店に入ると店主と女将がチト違う。店の女性に聞いてみると経営を交替したそうだ。くだんの女性が若女将で聞くと地元塩沢の出身だそうだ。経営者は変わったがメニューは引き続いているのが嬉しい。ふき味噌と馬刺し等店の定番を頼んで生ビールの後に冷酒で「鶴齢」を注文。その後「麒麟山」とお店の秘蔵酒を「銘柄忘れた・・」を呑むうちにソロソロ花火の開演が近いので店を後にする。

 花火会場はマンション前の駐車場。缶ビールや缶焼酎の無料配布。子供にはお菓子、日本酒もある。マンション組合有志の皆さんのご芳志とのことで有難い。花火は隅田川や長岡とは比較にはならないが向かいの山肌で打ち上げる。小規模でも纏まり、東京では中々見れないので目の前で見るだけに圧巻であった。

 三日目はお盆休みの最終日でもあり、早めの出発。越後湯沢駅前に車を止めて構内で土産と軽い朝食を摂る。高速に乗らずに三国峠を越えて水上町の「たくみの里」へ。「たくみの里」は工芸関係などの店や体験ができるエリアだ。今度ゆっくり来てみようと思う。早い昼食を取り月夜野ICへは午後1時頃。渋滞も無く順調に川越ICへ到着し、高速から離脱して大宮へ一般道を走る。大宮で直前で突然の雨の洗礼を受ける。まずは仲間を大宮で下して、オジン一人で車を返却に友人宅へ。土砂降りの雨の中、大宮で皆と待ち合わせる。東京・上野ラインは乗ったことが無いというので、京浜東北線をでなく、東京上野ラインのボックス席で上野まで。 それにしても三芳のGSの整備士さんと大宮の仲間には頭が上がらない。

 後日、車を引き取りに大宮へ。ATミッション取替えも覚悟していたが、ATミッションのセンサー二個の取替えで済んだのは有難たかった。

 どこに行くにせよ、次回は、絶対に電車じゃ ! ! !」

 


お盆レッカー移動の顛末と越後湯沢の花火(その1)

2016年08月17日 | 出来事、温泉

 越後湯沢の花火大会が15日に開催される。。14日(日)出発で16日(火)までの三日間、盆休みに気のおけない仲間4人でマンションから谷川の眺め絶景の越後湯沢のナスパへと向う。

 今回は我が愛車の低床ミニバンで出発。10数年でも未だ走行距離5万キロ弱。バックモニター、スライド自動ドア、二回ソフト更新の純正ナビ、見やすい前面モニターパネル、大容量のバッテリー搭載で明るいハロゲンランプ。オジン世代には欠かせない機能付きで大変気に入っての10数年。しかし、今は週一から二回、千代田区の敬老入浴券「岩本町」か「内神田」の風呂屋の行き帰りと月2、3回の奥様のお買い物のアッシー君。ここ暫くは長距離走行は無いが、まだまだ現役。

 久しぶりの長距離高速道路となれば、前日にガソリンスタンドで空気圧などの足回りをチェック。すると前輪に釘刺さりパンクを発見。何時からか見当が付かないが、それにしても高速利用の旅行前でホットする。

 近所の仲間を次々拾い、いよいよドライブ開始。運転は手馴れたオジン。まずはアキバのスーパーで飲み物と氷などを買い込み、クーラーなどを積み込む。飯田橋入り口から首都高へ入って外環を抜け関越自動車道へ。ここまで渋滞もなくアクセル全開、関越に入り110km/h超えで好調なスタートを切る。

 暫く走ると何故か踏み込んでも力が出ない。スピードが徐々に落ちはじめる。路肩に寄せタイヤやモニターのインジケーターを確認するが異常なし。走行再開、エンジンは全開だが加速は続かない。そのうち力が抜けるように減速する。「これはやばい!!」と思った矢先、目の前に「三芳SA」の表示が見えた。路側をゆっくり走りSAに入場し、混雑する駐車場を横目にガソリンスタンドに直行。GSの整備士さんに見てくれと頼むと給油で忙しいにもかかわらず快諾。早速ATミッションにセンサーを取り付けて検査したところ異常を検出する。即座に車での旅行断念を決断し、加入している自動車保険のアクサダイレクトに電話してレッカー手配を依頼する。

 さて、仲間3人には大宮から新幹線に乗り「越後湯沢」まで先行してもらい、おじんは大宮から後から追いかけると提案。まずは仲間にGSでタクシーを手配して貰い、SAの従業員出入り口からたっぷりと買い込んだ飲み物や食い物の大荷物を持ち、タクシーで川越まで。川越からは川越線で大宮まで30分とのこと。

 オジンはと言えば、以外に早く20分近くでレッカー車がGSに到着。修理工場はこちらで手配することのが決まりとのこと。近くに知り合いの工場はまったく思い当たらない。三芳、川越は、後日引き取りに遠いので大宮駅に近いN系ディーラーの自動車整備工場をiPadで検索し、連絡し引き取りを了解してもらう。無償で世話になったGSの皆さんにお礼を言い、レッカー車のお兄さんに行き先を指示して空き始めた高速車線へ。レッカー車では助手席でお兄さんと世間話するうち約一時間弱で大宮到着。陸送距離(30数km以下はただ)が少ないためアクサへの支払いが一切無かったのは有難たい。

 大宮到着直前、今回参加できなかった大宮の仲間をフト思い出す。早速「車を三日間貸してチョーだい」と電話すると快諾!(^^)!。オジンの待つN系ディーラーの店舗まで走行距離3千KMに満たないT系新車でのお迎え。感謝、感謝!! 早速、新幹線で移動予定の仲間に電話すると、川越、大宮間の電車のトラブルで遅れてチケット購入直前とのこと。ギリギリセーフで大宮駅で晴れて合流、重たいクーラーボックスも晴れて車のトランクへ。 

 仲間を乗せ関越自動車道へ向け県道をひた走り。結構遠いいんだとの実感だが。、無事、関越道へ復帰した。


熊肉は美味である!!

2016年08月13日 | 森林

 某日、森の仕事で地元猟友会の関係者のお宅を訪問。鹿や熊の出没情報を聞いた帰りに熊と鹿の手作りジャーキーをいただく。森の事務所に戻り冷凍熊ジャーキーの半分と鹿の1本物の骨付きジャーキーを事務所の冷蔵庫に。後日、打ち合わせの時に皆で食うことにする。熊の半分は自宅に持ち帰る。

  それにしても、熊、鹿、猪、猿の被害は甚大である。熊は相当、里に近いところの森にまで入り込み、十分育ち価値の高い杉やヒノキの皮を剥ぎ樹液を啜り、木を根本から腐らせてしまう。鹿は角が育つ過程で痒いのか角を木に擦り付け樹皮を傷つける。植栽したばかりの木の芽を食い尽くす。猿は収穫真近の野菜や果物に狙いを付け、数十頭の集団で食い散らかす。あっという間に一反歩くらいの畑は全滅である。事務所の目の前のキャベツ畑で30頭くらいの猿がモグモグムシャムシャやっているのを目撃。声で脅したら一斉に逃げ出した。野菜農家はたまらない。過度な鳥獣保護のツケが農林業を脅かしている。何とかならないものか。

 さて、熊ジャーキー半分を持ち帰り、アキバの「しずか」に寄る。昨年末に猪肉を5kgばかりつついた店である。熊肉ジャーキーを軽く炙ってもらいマヨネーズをつけて食らう。旨い!!見た目よりも脂があり、パサパサ感がなくほのかな脂に旨みと若干の甘みを感じる。その昔、湯西川の温泉宿で食べた脂身ばかりの熊鍋の熊肉と比べると断然違う。新しい食感だ。酒は何でも合いそうだ。

 「右手前が熊肉。左骨付きが鹿肉」

  後日、山の事務所の打ち合わせの時に冷蔵庫の熊と鹿のジャーキーを出す。鹿は骨付きなので肉をばらす。鹿はやはりパサパサ感があるが塩味が聞いていてビールに合いそうだ。これもいける。全員が車で来ているの手酒は飲めないので残念である。

 それにしても、熊、鹿、猪のジビエ料理店でもやろうか、奴らを根こそぎ食ってやりたいものだ!!

 

 


日本橋大伝馬町で「小伝馬」

2016年06月26日 | ウォーキング


 歩け、歩け、ひたすら一万歩。糖尿病に近い高脂血症と言われてギリギリ留まって久しいオジン。旨い酒を飲みつつ次の人間ドッグまで持ちこたえるためにはひたすら歩くに然り。平日は丸の内の会社まで30分、往復しても8000歩。昼食に八重洲地下街のラーメン横丁など話題の店に出向いて漸く一万歩。

 土日は浅草方面や御茶ノ水方面、目的地まで自治体の循環バスやJRや地下鉄で行き、先を歩いて一万歩に挑戦。先日の土曜の一万歩挑戦は霞ヶ関と虎ノ門まで往復したが若干足りない。家に戻り夕食後、仲間を誘い日本橋大伝馬町の居酒屋「小伝馬」へ足りない分の補充。

 「小伝馬」は、数ヶ月前に吉田類「酒場放浪記」で放映。数年前に小伝馬町から大伝馬町に移転したが名前は「小伝馬」のままに拘る。最寄駅はJR「馬喰横山」、東京駅に近くて廉価なビジネスホテルがある。友人や出張の仲間が宿泊の折、案内する近くの飲み屋を探してしていた。下見を兼ねての訪問。

 土曜は三時時から開店するという。5時過ぎには何時も予約で満席の表示で入れない。今回は八時過ぎ、予約満席表示だったが店を覗くと空きがあり、お店の女将に聞くと閉店は九時と言われたが快くOK。

 三時からの予約グループが帰った後、ご近所の子供連れのグループなどファミリーな雰囲気。既に晩酌してきたが、先ずはビールで乾杯。お薦めの刺身を肴とお新香を注文。この店の日本酒は「道灌」オンリー。ラインナップの内「純米 道灌」を注文。 「道灌」は滋賀の草津の酒蔵、祖先の大田道灌由来の銘柄。しっかりとした旨みのある酒である。

 店の雰囲気もよく肴も豊富だ。事前に店に問い合わせれば空いてる時間帯を教えてくれそうだ。


ウォーキングがてらの門前仲町「大阪屋」

2016年06月11日 | 居酒屋

 本日は梅雨の晴れ間のウォーキング。八丁堀をスタートに移転真近かの築地から月島、門前仲町へと一万歩ウオーキング。

 まずは八丁堀から新大橋通り伝いに築地の西本願寺へ。洋風建築の本堂で阿弥陀如来様と親鸞上人様に深く頭を垂れ、本堂の椅子席でお説教を聞きつつ一休み。その後、波除稲荷神社の祭礼の半纏姿と一般客で賑わう築地場外へ。場内と場外を隔てる波除通りをまっすぐ進むと波除神社。

  何かと問題の多い築地市場の移転も近い、土曜休場のためか寂しい。晴海通りから神社までの露天にも客が少なく祭礼もイマイチ活気が無い。築地を訪れる一般客には波除様の祭礼はご存知ないらしい。築地は移転しても波除様は変わらないとのこと。

  勝鬨橋を月島へわたり、古い路地と新しいマンションが混在する月島の街並みを抜け、相生橋でまた佃島から門前仲町へ。100名近くの4時開店の「魚三」の待ち行列を横目に、富岡八幡で相撲取りの手形と勝負。オジンの手も相当大きいほうだが全く敵わない。

 白河清澄まで歩くつもりではいたが、門仲での煮込みの名店「大阪屋」の前を通る。丁度4時、匂いにつられて久しぶりに暖簾を上げる。15人も入れば一杯の小さな店。開店直後だが既に店にはお客で一杯、店の一番隅のカウンターに辛うじて一席確保。座るなり瓶ビールと大阪屋の売りの「串煮込み」、煮込み汁と半熟玉子の「玉子スープ」を注文。時折寄るがいつもは満席で入れない。久しぶりに変わらない味に感動。壁を見渡すと吉田類、なぎら健一等々の色紙が目立つ。

 ここまで約一万歩、門仲でビールで喉を潤してお散歩再開。閻魔堂で日頃の罪業のお許し願い、紀伊国屋文左衛門の清澄庭園のある清澄白河から地下鉄に乗り目標ウォーキング終了。

 夜遅く、鳥越神社の縁日を見がてら近くの銭湯に。客はオジン一人、熱いお湯と強い

噴流のジャグジーに浸かっていると、神輿を担ぎ終わり一杯やってきた立派な刺青の兄さんが仲間とやってくる。仲間と熱い熱いと湯船に入れずアチコチとウロウロ。「立派な刺青が泣いてるぜお兄さん。水を埋めていいよ!」と声をかけてやる。「有難うございます。」と結構礼儀正しい。

 銭湯から自宅に帰り歩数を見ると16500歩。久しぶりに大台突破だ。ぐっすり寝られる・・と思う。