今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

岩手は「鉛温泉」、「大沢温泉」新緑・深緑織り成す名湯行脚

2016年05月17日 | 秘湯、露天風呂

  ゴールデン連休明けの五月半ば、いつもの仲間七人と岩手・花巻の温泉郷へ二泊三日の旅。馴染みのビューの企画旅行「地温泉シリーズ」、今回は地温泉31湯の内の2湯、「鉛温泉」と「大沢温泉」を連泊旅行。東京から北上までの新幹線利用、北上から東北本線で花巻へ。当然のごとく、列車の旅では東京駅から早速の酒盛り開始となる。

 花巻に正午過ぎ到着。新花巻温泉郷行きの市バスは二時間後となれば昼食は市役所近くの「やぶ屋」までブーラリ、ブラリと腹ごなし。やぶ屋では「わんこ蕎麦」を初体験するぞとの気合はあるが、参加者二人以上とのこと仲間を募るが皆は尻込み、已む無く「三色蕎麦定食」に変更。食後、かつては賑わっただろう閑散とした通りをブラブラと歩きながら駅前に戻り、駅前の「酒屋」で旅館での部屋酒の買出しに入る。

 花巻駅前のロータリーのバス停ベンチで地元の女性とあれこれ話で時間を潰して岩手交通バスに乗る。途中、賑やかに小学生が乗り込む、乗り遅れた子供を次のバス停で待つ風景は田舎ならではの暖かさを感じる。終点一つ前の「鉛温泉」でバスを降りる。新緑と深緑のコントラストが初夏の訪れを眩しく彩っているこの時期は格別の感がある。湯治部と旅館部の別れ道の案内に従い旅館部に。

 一泊目の「鉛温泉・藤三旅館」は、日本一深く立ちながら入る風呂「白猿の湯」で有名。天然の岩風呂で源泉掛け流しで底の岩盤から温泉が湧き出している。歴史を感じる天井の高い木造の湯屋の雰囲気は他の温泉では到底味わえない。混浴だが女性の時間帯は設けられている。宿には様々な風呂があり、全風呂制覇は無理のようだ。

 内風呂と川のせせらぎを間近にする野趣溢れた露天風呂の「桂の湯」。白糸の滝を目の前にした展望半露天風呂の「白糸の湯」など。何れも水量豊富な豊沢川の流れのせせらぎと新緑を見ながら温泉は体に嬉しい。長期の湯治客用の湯治部があり入り口は別だが本館とは中で繋がっている。食料から雑貨まで売っている店も館内に有る。

 夕食時には宿の地酒「南部関」が付いてきたが、花巻駅前で買った地酒の四合瓶「南部美人」を持ち込む。南部杜氏の発祥の地、酒も通好みの南部の肴に合う、旨みのある酒である。部屋でも「南部関」を呑む。

 この旅館、綾瀬はるか、広瀬すず、夏帆と「ウッジョ Wood Job!!」の長澤まさみが出演する「海街dairy」のロケ地であることが判明。宿泊したそうだ。昨年の日本アカデミー賞にエントリーされた作品ということ、是非、DVDを見なければ・・ 

 翌朝、二泊目の大沢温泉に向うが、その前には途中の「山ノ神温泉」へ立ち寄る。シャトルバスに乗り約10分、山ノ神温泉に到着し1500円で昼食付き入浴券を購入。ヒノキの柱、梁を使った大浴室と日差しが眩しい露天風呂にゆったりと浸る。PHが9.2と高く相当にヌルヌルとした泉質は嬉しい。昼食は館内のお洒落なレストランで蕎麦定食を肴にビールや日本酒で軽くやる。鉛温泉や大沢温泉と比較すると各室ともベッドルームが多いようで明らかにホテルである。

  大沢温泉へはシャトルバスを使わずに歩いて行くことにした。日差しの眩しい山間の道を歩き暫くすると大沢温泉までの真ん中近くに「昭和の学校」が現れる。既に廃校になった前田小学校を利用し、「校長先生」が昭和の店や文化を約5万点の展示物で自力で蒐集したそうだ。「三丁目の夕日」で出ていたミゼットも展示されている。洋服屋、理髪店、カメラ屋、文房具、ブロマイド、映画館、洋服屋など等、昭和の匂いが満載な学校である。昭和真っ盛りに育った我々爺さんには懐かしいものばかり。当初の懐疑的な思いは見事裏切られ、立ち寄って良かったとの感想。寄贈できる昭和レトロで家に何か無いものかと考えた。

   炎天下の中、歩くこと約30分、いよいよ当初の目的「大沢温泉 山水閣」にやってきた。温泉入り口近くの酒屋で同じくビール、ハイボール、地酒などを仕込む。老舗温泉旅館なのだが、エントランスは近代的なホテルそのものだ。部屋に案内される。渓流沿いの広い窓は、窓の全面が新緑と深緑のカンバス。空も山も見えないが、渓流の水音のバックグラウンドで素晴らしい絵を見ているようだ。この時期ならではのご馳走である。廊下続きの湯治屋は、長逗留のお客のために藤三旅館と同じく、質素で旧い歴史を感じる木の宿である。勿論、自炊できる厨房と何でも売っている売り場もある。

 大沢温泉を代表する風呂は、湯治館のはずれの渓流沿いにある「大沢の湯」である。広々とした露天で渓流の景色が満喫できるという。混浴ではあるが女性タイムが設けられているので、翌朝6時から解禁後のお楽しみとする。まずは、湯治屋から川を渡ったところの大沢温泉系列の菊水館の「南部の湯」に入ることとした。渓流に面した二階の角部屋にあり木をふんだんに使った落ち着いたられた半露天風呂だ。山水館の「豊沢の湯」は、半露天風呂で渓流に面し対岸の素晴らしい緑を楽しむ美しい湯である。PHが9以上の肌がすべすべとする泉質で落ち着いて入れる温泉である。そのほかにも湯はあるが、前日の鉛温泉でも温泉三昧、飲酒と湯あたりに気をつけて翌朝に回すこととする。夜の食事は個室で魅力的な仲居さんとの会話が弾み、ついつい持ち込み酒も脇に忘れて宿のお薦めの地酒をお銚子とボトルで注文する。

 翌朝、新鉛温泉初のシャトルバスで沿線の温泉旅館を巡り新幹線の新花巻へ。駅レンタカーでボックスワゴンに乗り換え、北上ICをパスし中尊寺近くの厳美渓へと高速を走る。花巻空港ICから一関ICまで約40分、一関ICから約15分で厳美渓に着く。国の名勝天然記念物に指定されているという。ミニチュア版との印象だが、渓谷の造形美のエッセンスを集めた風景はなかなか他には見られない。周遊道は30分弱、吊橋からの眺めもいい。腹ごなしの周遊後、駐車場近くの蕎麦屋「まるきや」に入る。「冷やしにしん蕎麦」を注文、汁はやや濃い目だが蕎麦はしっかりして旨い。皆のビールを横目に、運転しているのでノンアルコールビールを飲む。場所やシチュエーションとは関係なく相変わらず旨くない。

 食後、厳美渓からほぼ一直線に走り約10分、道路の全面の岩窟に掘られた赤い寺「達谷西光寺」が現れる。1200年前の東征の征夷大将軍の坂上田村麻呂の創建と伝えらる窟毘沙門堂である。岩壁に掘られた大仏(大日如来)、本州最北の磨崖仏だという。

 北上でレンタカーを乗り捨て、北上駅から新幹線に乗車。車内販売のお姐さんに散々と世話になりながら、ビールや日本酒でチビチビと。気がつくと大宮。いよいよ好天気に恵まれた今年の旅行も終盤。さて、秋の旅行は何処へと思うと・・・・ 


ケヤキの街、中央前橋駅前のスペイン料理

2016年04月29日 | 日本の森と酒

 群馬・前橋市はケヤキの街、前橋市で「森の木と家を繋ぐプロジェクト」の会議も一年経過、具体的な取り組みも幾つか進んできた。メンバーで初めての飲み会をやろうということになった。前日は千葉の五井で遅くまで日本酒一升瓶、朝早く群馬入りで寝不足の極みである。寝不足もドリンク剤と飲み会の掛け声一つで覚醒するのはサガか?

 会議の後、地元以外の面子は上毛電鉄「中央前橋駅前」のホテルにチェックイン。顔を洗い寝不足顔をシャキットさせる。メンバーの待つ駅前のスペイン料理エルビエントへ。調度品や新橋の老舗錠前屋の堀商店から取り寄せた金具類など細やかな拘りあるお洒落な店である。

 まずはシェリーの食前酒で一年目に乾杯。まずはパンにオリーブオイルを付け空きっ腹を落ち着ける。店お薦めのハウスワインで順番に「飛魚の酢漬け」、「バイ貝り塩茹でシェリー風」、「丸ごとトマトのシェリービネガーマリネ」、「イベリコ豚のサラミ」など日本酒にもぴったりな肴が順番に出てくる。幹事さんが店にキープしてある日本酒も有る。松竹梅の「純米生酛 白壁蔵」である。灘の酒で生酛だけにしっかりした男酒だ。スペイン料理にも不思議に合うのでワインから日本酒に移行。〆はパエリアで腹ごしらえ。

 既に予約済みの二次会は、幹事さんの設計したという近くのカウンターBARへと向う。まだ若いオーナーは著名なバーテンさんに修行したらしくBARの棚の品揃えは多く、落ち着いた雰囲気の店だ。三年前の銀座の四丁目のピアノバー以来、カウンターバーにはご無沙汰している。懐かしい思いがあるが頼む飲み物に迷う。とどのつまりスコッチのハイボールを注文する。二杯目はこれまた考えるのが面倒と懐かしいバーボンのオンザロックと定番。お隣のお仲間の教授は、躊躇することなく開口一番で「マティーニ」とこなれていらっしゃる。下町居酒屋放浪の親父は、カクテルを普通に注文したいが引き出しがないのを痛感。まだまだ勉強すべきか歳と相談だ。

 翌朝はユックリ寝て朝風呂に入る。チェックアウトでホテルからビニール傘を戴き、中央前橋からJR前橋駅へ、小雨に煙るケヤキ並木に見せられブラブラと歩く。花燃ゆの「香取素彦」以来、かつての生糸の生産拠点で日本の生糸輸出を担ってきた県庁所在地だが、高崎市に商業の中心は移行した感が否めない。駅前でレンタカーを借り、「水造り」の仕事で県内に「いざ出発!!」。「歳を吹っ飛ばせ!!」である。

 

 

 


「傘寿の仙人」と新橋「烏森」はしご酒

2016年04月17日 | 日本の森と酒

 新年度も始まり、今年度も相変わらずの丸の内と新橋の掛け持ちのお仕事。赤坂での森の仕事の会議も終わり喉が渇いた。久しぶりに青山の仙人と「一杯飲もうか?」てな訳で連絡。新橋駅の汽車ぽっぽ広場で待ち合わせる。

 金曜日ともあって駅前広場は賑わっている。行くあてもない烏森、飛び込みの居酒屋で思い当たる節といえば、まずは、三~四年前と一年前に立ち寄った新橋二丁目ヤマダ電機裏の「野焼本店」。二年前には吉田類の酒場放浪記」で紹介された。いつものオジンの吞みスタイルの行き当たりばったり、まずは覗いてみる。

 「野焼」は狭い路地に面してなかなか判りにくい場所にある。一次会がハネルにはまだ早いためか運よく店に突入。通りに面して屋台のような立ち飲みと焼き場の裏は立ち飲みの4倍くらい収容できるテーブル席がある。年寄りの二人組み、立ち吞みは御免とテーブル席を所望すると、入り口の職人風の二人連れが席を空けてくれた。

 同じテーブルには向かいの席には若い女子の二人組みが賑やかに梅エキスの焼酎割り「やかん」を吞んでいる。「やかん」とはコップ喫水線いっぱいに生の焼酎を注ぎ、自らが梅エキスをコップに割る分のスペースをすすり、空いた分だけエキスを入れてもらうってやつだ。多く割りたければ多く焼酎を啜ることになる。従ってなみなみのコップいっぱいの焼酎の総量は変わらないので後で効く。

 最初はいつもの生ビールからスタート。すぐに「やかん」に切り替える。結構効くので二~三杯が限度だ。肴は一本110円からの鳥とモツの串と、本日お勧めの「マグロ刺し」。入れ替わりが激しく女子二人組みに声掛けるまもなくカップルと入れ替わり。横のテーブルも女子を含むサラリーマングループへと入れ替わる。昔は女子の入れる雰囲気ではなかったが「吉田類氏」の力が偉大なのか、吞ん兵女子が多くなったのか店のムードが気持ち華やかになっている。入り口近くで落ち着かないので、「やかん」にやられないうちに次の河岸へと向かう。

 さて次はと、烏森神社の参道を抜けサラリーマンで賑わう烏森の飲み屋街を抜け、新橋四丁目の桜田公園の近く土佐料理の浪漫亭の手前の「三蔵 別館」に入る。野焼でキツクやっていたので、ここはホッピーブラックでクールダウン。名物の分厚いハムカツと春キャベツメンチカツ、そして串物を注文。初めての店だが一度寄ってみたいと思っていた。都内に数店展開するチェーン店だが雰囲気は大衆酒場で親父向き、一人でも入れる雰囲気てなとこか。どちらかと言う「三蔵」のほうがレパートリーが豊富で安い。「まこちゃん」に似た雰囲気もいただける。

 10時近くになり青山の仙人と新橋駅頭でお別れ、それにしても青山の仙人は偉大である。そろそろ傘寿も近いためか飲み量は多少減ったようだが衰えを知らない。心臓バイパス手術を受けてなおオジンに付き合ってくれるのは頭が下がる。

 半年前に吉田類が地元(アキバ)の飲み屋を紹介していた。まだ客足が落ちていないので落ちついた頃に仙人に紹介したいものだと思いつつアキバへ。ヨドバシアキバの前を抜け、提灯の火が消えている行き付けの「小さな小さな赤提灯」の戸を開ける。ママさんに「一杯だけ、お願い!!」と手を合わせて芋焼酎のお湯割りで〆る。

  


藤岡温泉と世界遺産「富岡製糸所」と「ろうばいの郷」

2016年01月26日 | 

 一月の半ばの金曜日、家族四人で群馬県の藤岡の温泉へと向かう。ネットでは泉質のPHが9.8と紹介され、奥方や娘には喜ばれるかと予約した。渋滞せずに案外すんなりと藤岡JCに到着。まずは土日は大混雑と聞いているので平日の世界遺産「富岡製糸場」へと向う。富岡製糸場は近代製糸工場の先駆けとしてつとに知れている。「女工哀史」などで歪められて伝えられているが、その当時の女工は地方の良家の子女が地元に技術を伝えるべく集められた女子で結構な高給を貰っていたとも聞く。

 富岡製糸場へは、五年前と世界遺産登録の一年前と二回訪れ、誘致運動真っ盛りの時に地元青年部の方とオデンをゴチになりながら語りあったこともあった。富岡ICで降りたが、当初覚悟していた混雑は無く、駐車場はガラガラ、場内では見学者が少なく案内もゆっくりと聞けた。案内の女性からは、土日は芋洗い状態で写真も満足に撮れない混雑状態であると聞くにつけ、金曜に訪れたことの判断に過ちは無かったようだ。土日の駐車場は、駐車待ちと出車待ちで両方30分は覚悟とのこと。クワバラクワバラ・・

 宿は藤岡温泉ホテルリゾート。藤岡ICから約30分、平野部を抜け渓流沿いの道を山に入って暫く走る。やけにいろいろなゴルフ場の看板が目に付く。宿泊ホテルはゴルフ場の併設ホテルであったようだが、現在では一年前にゴルフ場は閉鎖、いい湯が出るとのことで宿泊ホテル専用となっている。残念ながら掛け流しではないが、宿の泉質表ではPHが9.5前後と表示、ヌルヌルの肌触りが美人の湯と評判とのこと。金曜の夜は宿泊客は少なく、我々とあと2~3組のようだ。新館の大浴場に行くのに暖房が効いていなくて寒い。

 

 翌朝、愛車のフロントガラスに霜が一面にこびり付いていた。ここ数年で久しぶりのことだ。ここでは当たり前のことだが。二日目の予定は、下仁田ICから高崎の倉渕に抜ける地蔵峠沿いの安中の「ろうばいの郷」へと向う。12月から1月にかけてが花が見頃とのことだが香りは既に飛んで少なかった。正月から1月の初旬が花、香りとも最高のようだ。それでも青い空と小ぶりな黄色の花びらが山を背景に美しい。匂い立つ一月初旬に訪れたいものだ。

 「ろうばいの郷」見物から、下仁田から碓氷峠に向かい下道を旧中仙道を走り、妙義IC前を通り抜け「妙義神社」へと辿り着く。妙義神社前の道の駅で藤岡から高崎に広がる遠くの町並みを眺める。青い空に岩礁そそり立つ妙義山はいつ見ても威厳がある。

 昼食を摂るため旧中仙道沿いの、横川の釜飯で有名な「おぎのや」へ。途中気がつかない内に「碓氷バイパス」に入ってしまったようだ。「碓氷バイパスでの20人近くの若者の命を奪ったスキーバス事故」は三日前、慌てて引き返し途中から中仙道へと入る。バス事故は、現在のバス業界の過当競争と労働市場では起こるべくして生起した感がある。

 「おぎのや」の駐車場が観光バスで一杯だたため、昼食前に旧横川宿を通り抜け、レンガ積の鉄道橋のめがね橋を見物。橋の下に駐車し、鉄道橋の上まで上るが人がいない。二回ばかり来てはいるが休日では考えられない静かさだ。人がいないので暗い鉄道トンネルに入るのは遠慮する。

 横川から松井田、安中にいたる地域は、江戸時代は安中藩の所領である。、「碓井の関所」は東海道の「箱根の関所」と並び江戸時代の重要な関所があった。「皇女和宮」が数千人のお供を連れ家茂に輿入れした際、横川の宿場の街道沿いの家は殆んど立て替えたそうだ。信州と上州を行き来していた「国定忠治」もこの関所で捕縛されたとのこと。また、最近読んだ浅田次郎のテレビドラマにもなった「一路」では、安中藩が日本マラソン発祥の地であることを知った。

 相当昔のことではあるが、夜行列車に乗り野沢温泉にスキーにいくため、真夜中にアブト式機関車で急峻な碓井峠を越え信州に入ったこを思い出す。今では北陸新幹線でしか信州に入れない。トンネルが殆どであり車窓の景色には旅の風情は感じられない。

 二泊目は土曜日、ホテルは客も多く団体も入り賑やかになった。静かなのもいいが、やはり賑やかなほうが性に合っている。翌日は藤岡IC近くの「ららん藤岡」に立ち寄り、新鮮で安い野菜と白菜の漬物ダルなど愛車のワゴン車の後部ドアが閉まらなくなるほど買い込む。暫くは野菜には不自由しなかった。

 


アキバおじんの新春下町速歩14km

2016年01月02日 | まち歩き

 正月二日、元旦は殆ど歩いていない、遅い朝食の後にウォーキングを決意。ルートは気まぐれ足任せであるが、本日は「アキバおじん」の生年月日による、日盤、月盤による気学九星の大吉方方位、西方へと秋葉原から浅草橋方面へ、いざスタート。

 浅草橋西口近く、八幡太郎源義家公が植えた由来の「銀杏岡八幡神社」でお参りし、稲穂の着いた「かっこめ」をいただく。神田川に係留する屋形船を横目に柳橋を渡り、両国橋の上から隅田川の川面に映るスカイツリーを見ながら両国側(墨田区)に渡る。   照国、霧島のチャンコ相撲部屋の前を通りJR両国駅前へ。正月場所間近の国技館横を東京江戸博物館入り口へ。レオナルド・ダ・ヴンチ展を開催中なら立ち寄るつもりでいた。しかし、1月16日からとのことで、博物館の中を斜めに通り抜け北斎通り側(錦糸町方面)に出る。50年前の思い出の母校の横に出る。後はひたすら北斎通りを錦糸町へと、ひたすら西へと歩く。途中、部活(テニス部)で毎日練習していたテニスコート脇を通る。当時、高いフェンスにフンドシを吹流しのように掛け干していた「いすゞ部屋」は、今はなく再開発のビルの建設中である。フンドシに何発ホームランを打ちつけたことか。

 錦糸町駅に近く公園脇の「津軽八幡神社」にお参りする。向島の桜土手傍にある「牛島神社」の分社である。牛島神社のお札をいただく。そろそろ休憩、錦糸町駅前のエクセルシオールでコーヒータイムと持参のノートP/Cで4日からの仕事のスケジュール調整。一時間ほど休んでいると店内大混雑のアナウンス。休みすぎると歩くのが辛くなるため席を空ける。

 大吉方の終点は、江東楽天地の宝くじ売り場で初夢を買う。西方から北方に方向転換することとした。錦糸町駅からスカイツリーに一直線に整備された「タワービュー通り」、スカイツリーをまっつぐに見つめながら歩く道である。電柱もなく両側に歩道が整備され、建物も比較的新しい家も多く、お洒落な店は未だないが下町らしくない雰囲気である。いまは、歩行者は少なく静かな道だが駅からツリーまで約15分~20分、知名度が上がれば駅からスカイツリーへと向う人が多くなることが十分予想される。

 スカイツリーに突き当たり、手前の川沿いをツリーを仰ぎ見ながら写真を撮りつつ浅草方面へと向う。這いつくばって写真を撮っている姿が滑稽である。大通りに出てみると浅草方面からツリーに向う人が多い。押上の飲み屋に浅草との「はしご」をしていた往時を知るものとしては驚きだ。雷門通りを隅田川手前の金色に輝く誰でも下町では普通に呼んでいる「う〇こビル」の横を通り抜け隅田川に架かる吾妻橋を渡る。

   流石に浅草、正月の賑わいは凄まじい。雷門通りの歩行者天国も人々人である。「おじん」のいつもの立ち寄りどころの雷門前の観光案内所の8階、仲見世の賑わいを見ながら一休み。いつもながら日本人よりも中国人が多いのはいたし方ない。上から見た仲見世の浅草寺に参詣する人の波の動きは極端に鈍い。お参りするには相当時間がかかるので後日に回す。ここまでほぼ10km、足裏に応え始めたがアキバまでひと踏ん張りとするか。

 上野に向う道すがら、西浅草の「東本願寺」に寄る。「浄土真宗」の東京での本山である。大晦日にお参りしたところではあるが、我が家の宗旨への初詣となる。広い本堂の椅子に座り、厳かに阿弥陀如来に手を合わせる。二日の夕刻近くともなると参拝者も少ない。落ち着いてお詣りできた。

  上野への途中、「下谷神社」に立ち寄り、ほどなく夕暮れ時の上野駅前デッキに到着。デッキ上からみるアメ横と上野駅を連絡する横断歩道は人の波。まともにアメ横に突入せずにガード下の正月休みの「大統領」の前から横切り中央通りに出る。それでも中は歩くに儘ならない賑わいである。ようやく中央通りに出てく御徒町の松坂屋方面に歩き、途中アメ横脇にある二木の菓子の売り場の上に立つ「魔利支天」にお参りする。魔利支天様には浄行菩薩が祀ってありタワシで病で病んでいるところを洗うといいと聞く。頭と目、肩と肘、腰と膝タワシでこする。よく考えると菩薩さんから欲張りすぎるとお叱りを受けるかも。

 中央通りを銀座方面へ、秋葉原の電気街に入ると人種が代わる。名実ともに人種が入り乱れている。歩行者天国でないため歩道に人が多く、すれ違い、並び歩く人の声は中国語、韓国語、英語、スペイン語等々、異国の地とも見まごう。ただし、秋葉原中央口駅前のAKB48cafeガンダムカフェの前には、明らかに日本人と見られるオタクっぽい若者が多い。不思議にホットする。

 あっち寄り、こっち寄りの全行程14.5km、久しぶり2万歩達成である。それにしても、まだまだ歩けそうだ。自宅での夕食後には、毎日曜の日課である神田か浅草橋の銭湯に行き、浄行菩薩様になり替わりジャグジーで筋肉に施しを与えたい。だが待てよ!!正月の三ヶ日は朝風呂だけだったような気がする・・・

 

 

 


アキバで猪肉をタラフク

2015年12月31日 | 日本の森と酒

 あっという間の2015年。ついに師走の御用納めの28日、恒例の飲み会を秋葉原の「しずか」で開催。暮に群馬の山から仕入れた猪肉を肴に飲み会開催。今年は、現職には申し訳ないが、こじんまりとリタイヤ組と再就職中の10人での集まりである。

 猪は群馬で仕留められた後、川の清水に半日さらされ血抜きした後、直ちに解体され部位ごとに冷凍保存されたものである。獣肉の下処理のプロの手により猪肉特有の臭みは殆ど無い。群馬で4kgほど肉を分けて頂いた後、クール宅急便で飲み会の「しずか」に直接送る。都合よいことに、午前中には下仁田での打ち合わせがあり、「下仁田道の駅」で下仁田ネギを入手。早速、LLサイズ一箱を宅急便で自宅へ送る。猪肉に下仁田ネギ、抜群の組み合わせが楽しみだ。

  次は日本酒の入手に台東区の酒屋に行き、山口の五橋の珍しい銘柄「生純米五橋Z」、同じく以前新幹線新山口駅近くの日本酒バーで勧められた山口の地酒「純米吟醸 貴」、珍しい「八海山 純米生原酒」を一升づつ購入する。猪肉を肴に盛り上がり、結局は足らずに店の「浦霞」と「緑川」それぞれ一升追加となった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、確実に量はは少なくなっているが、またしても、しっかりと呑んでしまった。来年また「しずか」で元気に再会できることを祈って「皆さん、よいお年を!!」

 


wood job 今年も一等賞

2015年12月06日 | 日本の森と酒

 年末恒例の群馬で開かれた杉やヒノキの素材の展示会で今年も最優秀賞。ここ数年林業に携っていたためか、多少は木を見る目が養われたと思う。今年は我社から100年前後の杉を出品した。採点は素材の質である色、太さ、年輪の詰まり具合や真っ直ぐな材であるか、真円に近いかなど。また、切り株の美しさ、木の表皮の剥がれが少ないかなど切り出す時の技量などで競う。出品木の出来の品質は他を圧倒していると感じた。只々、先人の杣人(そまびと)の弛まぬ管理には頭が下がると共に、現場の連中の努力と技量の研讃には感謝する。

  丹精に育てられ100年の年輪を重ねた木は、美しくもあり神々しくもある。切り出されて初めてその価値が認められる。しかし、いくら良い木でも切り出し売るとなると大きな赤字となる。作業道を整備し切り出し市場まで運搬する経費や、市場の手数料などが木の価格とつりあわないためだ。木材価格の下落で林業での採算は遠く及ばない。放置された森林や里山が日本国中溢れかえっているのが現状である。大規模経営以外、林業経営に魅力のない世界である。

 山の木は自然の朽ちるに任せ自然の更新が最良との考えがある。この考えは山を荒れるが儘にしろと言うに等しい。計画的な間伐や木の更新は元気な木を生み出し、土砂崩れや洪水を防ぐ効果があり適正に管理された森林は緑のダムと言われている。 神戸の土砂災害然り、集中豪雨が多くの山里や山際まで開発された住宅地を土砂が襲い、主要河川すらも平野部を水が襲っている。堤防工事や都市化への対応不足などと矮小化され気ずかされていない。しかし、大本では山林の荒廃の現実の姿でもある。

 堂々とした如何に素晴らしい木ではあっても山にあれば、飢えた熊や増殖しすぎた鹿の皮剥ぎの被害にあい腐り売り物とならなくなる。その前に、世に送り出し、後の100年を人様に愛で役に立ってもらう事が木を生かす道だと思う。最近ようやく、木の価値を見つめ直す機運が出てきた。計画的に伐採と植林されている森は、CO2対策と土砂、洪水、渇水対策、そして多様な生態系を育むことが知られている。

 最近では違法伐採の少ない国産材で建築物や土木資材を供給する事の大事さに気付き、漸く、「水循環法」成立もあり、国も動き始めたようだ。木質バイオマスを活用した発電や水素エネルギーの創出、また、途上国での歯止めの効かないマングローブなど広大な森林破壊の抑制など、案外と知られていない世界有数の森林大国日本、その役割は大きい。再コンテストの末、決定したオリンピックスタジアムには多くの木材が使用されると聞く。木材を見直す機運が生まれることを祈り大歓迎である。

 

 


高知帯屋町で地酒「船中八策」

2015年11月22日 | 日本の森と酒

 山の仕事で高知入り。最近稼働した木質バイオマイス発電所製材所を視察のため、昼に集合場所の高知空港に到着。発電所で詳しい説明と質疑応答の後、四時過ぎにホテルへチェックイン。海側に面した高層階。曇天の夕方、高知の市街の通勤ラッシュが始まったようだ。

  ホテルの室で暫しの休息の後、視察メンバーと会食のため市内若松町の焼肉店「ジュージュ亭」へ。店主は高知で初めてオーストラリアの食肉公社から選ばれた「食肉コンサルタント」とのこと。こじんまりとした店内ではあるが賑やかな会食が始まる。一口大にカッティングされたカルビやハラミなどをレアでいただく。次から次へと上等な肉が運ばれ大満足。酒はビール、焼酎、ソフトドリンクなど真ん中のテーブルで自前で用意。日本酒は「一本〆」、博多の酒のようだ。飲み口がすっきりして焼肉に良く合う。9時近く、後ろ髪を引かれる思いで2次会に向う皆と別れる。前日での群馬の懸案を翌朝までに会社にメールしなければならない。翌日の高知の夜に思いを馳せ、ジュージュ亭のマスターの運転する車で送られ一人ホテルへ。

 翌日、製材所視察のため小雨の高速で向う。山間部に入るにつれ高速の車窓に流れる山肌のもう少しの紅葉であっても雨模様の中に鮮やかになってくる。小雨降りしきる中、木材の集積場やシステマチックに流れる工場を見学。発電所、製材所共に森林組合が経営に関与している。それでも軌道に乗るのは数年後とのこと。

  製材所を後にし、これからの木造建築の木材ダークホースといわれているCLTの工事現場を視察。なお、CLTとは日本語では直交集成材と言う。一枚の板でなく数枚の板を接着剤で直角に組み合わせて張り付けてある板のこと。強度があると言うが接着剤の問題が懸念される。

  空港で視察チームの解散後、二日目の宿泊先のはりやま橋近くのホテルまで送ってもらう。

  さて、一日の視察で帰るにはもったいないと事前に別なホテルに延泊予約。七年ぶりの高知入り。水道関係団体の仕事で寄った前回は、月曜朝の役所訪問でもあり日曜日に独り前のり。日曜夜は、ご多分にもれず帯屋町もひっそりとしていた。ブラブラと飲み匂いに誘われ大通りを渡り路地の飲み屋街で一軒の赤提灯「四万十」に入る。暫くして常連さんの一団と遅くまで大盛り上がり、焼酎をご馳走になった記憶がある。

 金曜の夜は、前回と比べても帯屋町は賑やかであり「ひろめ広場」も面白そうだが、先ずは「四万十に入る。七年前と変わらない。店主の釣った魚、ドライにしカウンターの上に吊るしてある。前と変わらない。店のお酒は土佐の地酒「桂月」。燗酒でいただく。辛口でもなく若干酸味があり、お薦めの魚によく合う。ビール大瓶と燗酒3合いただく。常連さん中心のお店の雰囲気に不思議に安心する。

   さて、「四万十」を後にし、まずは燗酒ランキング第二位の「船中八策」を飲ませる店を探す。なかなか見つからない中、帯屋町通りの「長宗我部」の看板に「船中八策」とある。早速、突入、賑わっている店内、カウンター奥に席を確保。メニューには嬉しいことに「うつぼのたたき」、「どろめ」もあり、早速注文。酒は勿論「純米 生酛 船中八策」を注文。だがしかし、お姐さん曰く燗酒はできないという。なんたること、純米生酛を燗酒で賞味できないとは。仕方なく常温でいただくが、これまた十分に旨い。

   翌朝、前回(約7年前)は忙しく訪問できなかった名城「高知城」。今回はユックリと見学させてもらう。雨でレンタカー会社までズブ濡れになりながら辿りつき、駐車場探しに苦労しつつなんとか高知城大手門に辿り着く。野面積みの石垣と重厚な門構えは圧倒的な迫力がある。我家のルーツは幕末近くに江戸城の門を修復した棟梁だと親父から伝えられている。いつものことながらお城の門を見ると血が騒ぐ。 門を潜ると聳える高知城に威圧感を覚える。長い登りの石階段を歩くに付け城の姿が代わる。不落の城はこうあるべきだろうと実感する。城の内部は他の城と然程違いがない。天守閣からの景色は、高知平野を睥睨し城主の圧倒的な権威を作り出す。どんよりと垂れ込めた低い雲が山の中腹にたなびき、重畳する山並みのシルエットを鮮やかに表し360度が一連一服の絵となっている。

 高知城を後にして、南国市の天然温泉「ながおか温泉」で昼食と航空便の時間調整をすることとした。「ながおか温泉」の泉質はPHは7.5前後、つるつるとして肌触りがよく、肌や神経痛、筋肉痛に効くという。なるほど、ほどよい心地よさがある。叩きつけるような打たせ湯やスーパージャグジーなど痛気持ちよい。なお、プールやフィットネスもあるが雨模様のせいか空いている。ゆっくりと温泉に浸かり、レンタカーを空港に乗り捨て30分前には空港に到着。出発便の遅れがあったが約二時間半後にはアキバに到着。人気土産の塩ケンピをツマミに角ハイで落ち着く。


2015燗酒ランキング第一位のお味は

2015年11月03日 | お酒

  先々週末に、恒例の日経新聞「燗酒ランキング」が発表された。今年の第一位は、姫路の「特別純米 龍力 生酛仕込」。第二位は高知の佐川の「船中八策 純米長辛口」。第三位は数年前の第一位で毎回上位の「大七 純米生酛」。第四位も常連の「神亀 純米酒」。第五位は福井市の「常山 純米超辛」と発表。

 以下、六位は「飛良泉 山廃純米 囲炉裏酒」、七位は「一ノ蔵 山廃特別純米 円熟」、同率七位に「澤乃井 純米本地酒」、九位はオジンのいつもの酒「真澄 純米 奥伝寒造り」、十位は「男山 生酛純米」。昔から何れ劣らぬ甲乙付けがたい銘酒揃いだ。オジンの拘りを言わせて貰えば、購入は「大七生酛」、行き付けでは「真澄 純米奥伝」が慣れ親しんでいるせいか旨いと感ずる。

 今回のランキングでは「龍力」、「船中八策」が一、二位となり西の酒が並んだ。あまり飲む機会がない。早速、秋葉原東口の銘酒をそろえる酒屋「地酒蔵」に飛び込み、くだんのランキング酒「特別純米 龍力 生酛仕込み」を購入。先週末に山の仕事帰りに群馬倉渕の「道の駅 小栗の里」で仕入れた自慢の「ジャンボ生椎茸」を肴に龍力の燗酒を楽しむ。山田錦の甘みと旨みを酸が包み込む濃厚で飲むにつれ優しい口当たりと、生酛造りの芳醇な口あたりが沸き立つ。確かに旨い酒である。数日はたっているが肉厚の焼き椎茸は、この酒に最高に合う。日本人に生まれて幸せと感じる瞬間である。

 オジンの自説、「日本酒の真髄は純米酒」と普段から述べている。純米酒は冷でよし常温でよし、燗酒でまた良し。オールマイティな飲み方が可能な酒だ。肴も何でも合う。なかんずくリーズナブルと普段から親しめる大衆酒である。吟醸はアル添のせいか香りが勝ちすぎ弄くりすぎている感がある。本来の日本酒の良さが損なわれている。醸造アルコールの多い本醸造未満の酒では沢山飲んだとき悪酔いの恐れがある。

 年末恒例の日本経済新聞の企画には頭が下がる。酒を評価する評論家もいるが新聞社の中にも「いい呑ん兵」がいて、酒をこよなく愛する上司がいるから、この記事が書けるのだろう。羨ましい。

 さて、オジンは来週の木・金は、山の仕事で高知市に出張予定だ。第二位「船中八策」の土地である。数年前のこのブログでも紹介した店もあるが、「船中八策 純米超辛口」が飲める店を探してみよう。仕事が終わり時間にゆとりがあれば司牡丹の酒蔵にも行きたいものだ。


魚沼 太古の塩水温泉 「松之山温泉」とサイクリング

2015年11月01日 | 温泉

 例によって50年来の仲間との秋の旅行、アキバ中央口ロータリーからスタート。今回はH君のアルファードリース満了となるため最後のお役目となる。越後は魚沼の「松之山温泉」までは結構な距離。恒例の初日での立寄り温泉は難しい。

  昼食は、3~4年前の「駒の湯温泉」で寄った五日町の八海山酒造経営の蕎麦屋「長森」に寄る。古民家を一部移築し太い柱、梁の再用で趣ある佇まい。 低いくぐり戸に頭をぶつけながら抜けると昔ながらの土間。 黒光りした太い梁が風格を放つ高い天井は、日本の旧家の重厚さと開放感を感じさせる。蕎麦は、めいめいに「もりそば」と「田舎そば」。汁は江戸前と田舎風の両方を頼む。蕎麦がくるまではビールで喉を潤し、ツマミは卵焼きとにしんの山椒漬け。これも中々の美味。いよいよ蕎麦を食す。我々やはり元神田っ子の爺さんグループ。江戸前の濃い口が合う。蕎麦はコシが強く、シャキとした歯ざわりは蕎麦の旨さを引き立てる。日本酒は八海山だが、皆さん運転担当に遠慮してビール。

 「長森」を後にして五日町から松代を抜け松之山まで山を抜ける。以前、群発地震で記憶に残る松代はホクホク線発祥の地と記念碑にある。松代のスーパーで部屋呑みの酒と肴の買出しで大きなレジ袋で二つ分を買い込む。

 いよいよ松之山に到着。街中を抜け松之山温泉に向け走ると、松之山の見どころの一つ「美人林」の案内が目に付く。美人とくれば目の無い相棒達、誘われるように美人林に到着。落ち葉に敷き詰められた中、林齢の若い楚々としたぶな林が静謐さを醸し出す。

 いよいよ「雛の宿 ちとせ」に到着。アキバを8時半に出発し外環前後で若干の渋滞にあったが、五日町に寄り道し4時近くに旅館に到着。250キロは走ったか?「松之山温泉」の泉質は、太古の海が日本列島の隆起に伴い内陸に海水が封印されたため塩分濃度が極めて高い泉質である。「草津温泉」、「有馬温泉」と並んで日本三大薬湯の一つといわれ、美肌にいいといわれる「メタ珪酸」、眼病や傷にいい「ホウ酸」、PHが人体に近い「7.5」と浸透圧が高い「高張性」の温泉で効用が高いのが分かっている。「ちとせ」は地元でも代表的な老舗旅館の一つである。部屋に落ち着き評判の風呂に入る。塩分濃度が高いためか体が浮く感じである。

     食事は別室での部屋食、予めテーブル席を予約していたため足が楽である。床柱や欄間など和室の贅を感じさせる。地元の食材をふんだんに使ったコース料理と相性のよい地酒「鄙の雪蔵」、「純米吟醸 越の初梅」、「大吟醸 伊乎乃」とのセットコース。別途にメニューから「特別純米 松の井」四合瓶を注文し料理と共に楽しむ。いずれも料理との相性はよい。

   翌朝は大厳寺高原で登りの「ハイキング」と下りの「サイクリング」に向う。7人の内日和見の3人を高原に残し、参加者に高原の案内所でガイドさんと一緒にハイキングに出発。やや紅葉が終わりかけた頃、ブナの色づいた枯葉を踏みしめながら緩やかな山道は気持ちがいい。途中、初めて小さなブナの実を食べ、越冬前の熊の気持ちに浸る。山頂に到着するとガイドさんの入れたくけた紅茶をすすり景色を堪能する。 

 山頂から少し下ると車の入れる道路に出る。そこでヘルメットを支給されブレーキなどのサイクリング車の取り扱い注意などの後、いよいよサイクリング開始。紅葉の下りの坂道、ペダルを踏むこともなくスピードを抑えながら一挙に案内所まで走る。残留組は、前日の夜更かしで車の中で夢の中であったとのこと。

  大厳寺高原を後にして、一路、昨年も世話になった越後湯沢のH君のマンションに直行。夜は、昨年も世話になった湯沢の街の「どんどん」で「鶴齢」を飲みながらの食事。二晩目も翌目の苗場の紅葉を期待して楽しい飲み会を持った。マンションでも地酒、「純米大吟醸 湊屋藤助」、「純米 越乃影虎」を楽しんだことはいうまでもない。

   翌日、朝九時過ぎに湯沢を出発。田代ロープウェイに着くが、ほんらい苗場のドラゴンドラの駐車場にいるはずの観光バスが10台近く止っている。なにかオカシイと思いきやドラゴンドラは強風のため運転中止とのこと。観光バスは田代ロープウェイに回ってきたためである。約1時間半近く寒風の中に並ぶ。ただ、頂上駅に着いたら、ドラゴンドラが運転再開していることを祈る。祈りは通じ頂上に着いたとたん、運転再開を伝えられる。レストハウスの薪の暖かさとお汁粉に救われる。ドラゴンドラでは紅葉は頂上付近では終わり中腹まで降りてはいるが、昨年よりやや旬を過ぎた感がある。それでも、ダイナミックな変化と素晴らしい唐松のは黄葉と杉や桧の緑とのコントラストはそれだけでも見ものである。

  ドラゴンドラを降りた時刻は丁度昼時、冷えた体を温めるのと、昼食を取りがてらに苗場の立ち寄り温泉「雪笹の湯」に。黄色のかかったやや塩分の高い湯は体によさいとのこと。ユックリと浸かり食事後、三国街道を一路アキバへの帰路へと向う。


極選銘酒の揃い踏み

2015年09月20日 | お酒

 土曜の昼すぎ、仕事仲間が居酒屋で購入したという岩国の銘酒「獺祭50」の飲み会と仲間の自宅を訪問。するとテーブルにズラリと嬉しくも驚きの光景が。東京青梅は小澤酒造の「2000年古酒 純米吟醸 熟成 蔵守」、そして、焼酎は「森伊蔵」、泡盛は「琉球泡盛 特選古酒 VIP 菊露」そして沖縄帰りの機内でスッチーの売り込みで買ったという「琉球泡盛 久米泉 樽熟成12年古酒 42度」。ブランデーは「アルマニアック シャボーナポレオン」、スコッチウイスキーの「ダンヒルオールドマスター」。何れ劣らぬ東西・南北銘酒のそろい踏み。更に持ち込みは、静岡焼津のおじさんから「磯自慢」一升瓶。

  

  これらの銘酒を5人+仲間の奥方と半日掛かりで飲むこととなる。既にテーブルには酒の肴にと「刺身の盛り合わせ」や「唐揚げの盛り合わせ」、オードブルなど賑やかなおもてなし。気分も既に臨戦態勢、ビールで乾杯で戦闘に突入する。先ずは「獺祭」の柔らかでふくよかな旨みを堪能。

  

 琥珀色の泡盛古酒「菊露」。日本酒2000年古酒の「熟成 蔵守」も負けず劣らずの琥珀色で柔らかな感触。年季の入った酒とは、味が近寄ってくるものと実感する。

   

 昼過ぎから始まった宴会、午後六時も過ぎまで銘酒数種を複数のコップに注ぎ利き酒風に飲み続ける。そのうち何を吞んでいるのかわからなくなる。旨い酒は東西、南北何れも旨いので何でもよろしい。

 河岸を変えようと駅前のカラオケに千鳥足で繰り出す。相方のリュックには飲みかけの4号瓶が三本入っている。当然持ち込み用である。部屋に入り、店のサワーを一杯づつ注文し、二次会のスタート。九時近くまでの歌と銘酒の饗宴で多いに盛り上がる。

 とうとう「磯自慢」までは辿り着かなかったの巻。


長野の国宝「三重の塔」巡りと田沢温泉

2015年08月30日 | 温泉

  例年より格段に暑い夏、8月始めの長野市での仕事の帰り。翌日、猫が玄関で大の字にうだっている別所温泉の蕎麦屋で食事後、上田のお客へ訪問。その後の予定は無く新幹線の時間もフリー。そこで、別所温泉近くの史跡めぐり。国宝の「三重の塔」があることは知っていたが訪れたことはなかったので別所温泉の「案楽寺」、青木村の「大法寺」に参拝決定。

  美しい大法寺三重の塔、見返りの塔と呼ばれるのも頷ける。シンプルな作りは奇をてらわない鎌倉時代の質素な作りが国宝たる所以と見える。現代にも質素さが麗しい。

  ここで青木村「大法寺」の三重塔の文献を引用すると、 「天台宗寺院。開基(創立者)は藤原鎌足の子・定恵と伝える。本尊釈迦如来。国宝の三重塔があることで知られる。」「この塔は正慶二年(1333年)鎌倉時代から南北朝時代に造営された。第二層の木組みの裏側に書かれた墨書から、この塔は大阪の天王寺と関係の深い技術者たちの手によって造られたと考えられいる。塔は初重が特に大きいのが特徴で、これがこの塔の最も大きな特色で二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としている。初重だけは、少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっていて、形に変化がつきおちついた感じになっています。このようなやり方はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しい。」

「三重塔の規模」高さ 礎石上端から宝珠上端まで六一尺二寸七分(18.56m)。建坪 初重 四坪0六・二重 二坪三五・三重 一坪七五。

  別所温泉の「案楽寺」、少し商売っ気が目立つ寺だが、これまた趣のある三重の塔だ。またまた引用をお許しあれ。

 「安楽寺は鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つ。天正十六年(1588)ころ、高山順京が曹洞宗に改めました。 その安楽寺にある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定された。ふつうの塔は四角、この塔は「八角形」である全国にこの塔一つだけしかない。頂上には相輪〔そうりん〕(九つの輪のついた柱)が天高く聳〔そびえ〕えている。 各層の屋根の下には、華やかな「木組〔きぐ〕み」がぎっしりとまっている。それらが、この塔に何ともいえない上品さと華やかさを与えている。安定感と崇高美と華麗さを兼ねそなえた塔、天下の名塔といわれているのも決して理由のないことではない。 鎌倉時代、この別所温泉のある塩田平は、当時の政治の中心れんしょ地鎌倉と深い関係があった。とくに、鎌倉幕府の連署(副総理)をやっていた北条義政などは、塩田の地、前山に館〔やかた〕を構え、その子孫は三代にわたって鎌倉幕府の重臣として活躍した。そんなことから鎌倉からの文化がたくさん移入され、その影響をうけた文化財が多く残っているため信州の鎌倉などとも言われた。」

 境内内の塔への道すがらの森、多くの桧の木が地肌を赤くむき出しになっている。桧の皮で桧皮葺の屋根材に使うのだろう。いい桧が境内にあるという証拠だ。多分、この寺の何処かで伝統的な手法で改修をしていることを物語る。

 ついでに薀蓄をひとつ披露すると、檜の皮向きは薄皮一枚分を残して皮を剝がさないと木が腐ってしまい、再生が不可能になってしまう。熊や鹿の皮剥ぎは根こそぎ剥ぎ取るため、どんなに立派な檜や杉でも放っておくと木材としての価値は半減する。それほどに神経を使う作業なのだ。

 

      大法寺に近いところに田沢温泉がある。その昔は一揆や義民が多く反骨の土地として名を馳せたようだ。従って現在でも多くの文化人の別荘もあるという。有形文化財の「ますや旅館」に一風呂浴びに入る、島崎藤村もたびたび訪れたと聞く。まるで博物館を思わせるフロント。現代的な旅館とは正反対の古い木造三階建てが思いっきり時代を遡らせる。30分ばかりのつかの間の立ち寄り湯、柔らかく温度も適度。中庭の露天には木漏れ日と緑が美しく、も少し長いがしたいと思う。次はゆっくりと来よう。


新歌舞伎座裏の大人の居酒屋

2015年06月28日 | 居酒屋

 昨年、友人の息子さんが銀座で始めた居酒屋があると言う。土曜の夕方、久々に地元アキバの仲間と二人で一杯しようと空いてるか問い合わせる。店の名前は「わのわ」に二人分のカウンター席を確保し早速に出向く。

 場所は晴海通りから新歌舞伎 正面脇を入り、歌舞伎座ビルの終わったあたりの右手向かいのビルの二階。歌舞伎座脇の銀座四丁目と聞けば、お洒落な感じを想定していたが意外にも親父居酒屋風。入るとこじんまりとしたカウンター数席、テーブル席が3~4席、追い込み的な4人づつの掘りごたつ座敷が二つ。20~30人も入れば一杯だが、酒に拘った店長(息子さん)の客とのやり取りが丁度よい広さのようだ。

 カウンターに座り、まずは生ビールで喉を潤しながら肴を注文。大山地鶏やなめろうが店のお勧めとのこと。なめろうは味噌と新鮮な魚が良く叩かれで滑らかで秀逸な味を醸し出している。店長、流石に千葉の出身だけに拘りを感じる。さて、日本酒は佐渡の日本酒「真野鶴」のラインナップに懐かしさを感じた。地酒ブームの走りの時代に、佐渡の「北雪」の脇で地元で地味に訴えていた酒である。店では「純米大吟醸」、「吟醸」、「純米」は燗や冷でも用意してあるという。そのほかにも「真澄」、「八海山」、グレードの高いところでは「だっ祭」などが用意されている。焼酎も充実し女性も飲みやすいスパークリング日本酒もある。

 お通しの四品の珍味でも十分楽しみつつ、日本酒は「純米吟醸 真野鶴」から注文、吟醸のフルーティな香りと辛口の切れのある酒である。真野鶴シリーズで次は「辛口純米 真野鶴」を注文。肴は店のなめろうの他、店の売りの茶碗蒸し、朝ひき大山地鶏の手羽先など店のお勧めに舌鼓。店長からは八海山の発泡酒のサービス。スパークリングも三年前の「すず音」以来で、久しぶりに新しい日本酒の潮流に納得する。

 旨い肴と飲みながらの日本酒談義で気持ちよく酔ってしまった。ロケーションも日比谷線の歌舞伎座の改札口を出て3~4分もかからない。旨い銘酒の割りに手頃な会計、早速に近いうちに仲間との暑気払いに寄らせてもらうと約束する。 


群馬の名湯「四万温泉」

2015年06月19日 | 温泉

 「四万温泉」、群馬の草津の手前の中之条町から奥地へ30分くらいのところである。古来、草津よりも早くその温泉が見出され、政治家、文豪の常宿となり日本で始めての国民保養地にも指定された。戦後、軽井沢や草津温泉に避暑地としての地位を奪われてて以来、その名もかすんではいるが、本当の温泉好きの連中の中では、草津以上に国内の名湯としての位置は高い。

 四万への仕事で寄った際に、時間があれば共数少ない同浴場に立ち寄った際に、その泉質の素晴らしさに魅了される。ゆっくりと味わいたいと宿泊を決意して、今回はゴールデンウィークの最中に四万への二泊の旅を決断する。正月、お盆、ゴーデンウィークに旅行することは、交通混雑、通常時期の二倍の宿泊費などサラリーマンにとっては清水の舞台ではあるが、ネットで空いていた「四万グランドホテル」を予約する。

 四万温泉に到着したがまだチト早いので上流の四万ダムへ足を伸ばす。風光明媚、山奥の重力式ダムの綺麗なフォルムと水面も青さが鮮烈で美しい。

 到着後すぐに、ホテルの数あるホテルの浴場に入る。適温な上、泉質はあくまでも柔らかく、抜群の湯上がり感で人気の秘訣は直ぐに実感する。ホテルの浴場は露天や大浴場など趣向も凝らしはいるが、展望風呂はハローキテイの湯、オジサン独りでは寂しいものがある。下の露天風呂の眺めは良くないが泉質の良さは十分に満喫できる。

 翌日、共同経営の姉妹旅館の「たむら」の入浴券を購入して、浴衣姿で急坂を田村に向う。途中にある「積善館」は、現存する日本最古の重要文化財の木造湯宿建築。宿の玄関前の赤い橋とあいまって、「千と千尋」の世界へと誘う。3週間前にも仲間との旅行ついでに「積善館」の重要文化財の風呂に浸かってきたところでもある。

 「たむら」は四万温泉の老舗旅館一つで格式も高い。多くの特徴ある風呂が売りで、旅館内での風呂めぐりでも十分に堪能できる。ほぼ全ての風呂を早足で走破する。

     次は、四万の共同浴場の制覇を目指す。「御夢想の湯」は朝いちに、「上の湯」、「河原の湯」は3時過ぎから4時までの間に入る。何れも独り風呂で堪能する。内湯と比較すると若干熱いが四万の独り占めは贅沢すぎる。川原の「山口の湯」はいまは足湯である。勿論、疲れた足にもご馳走の湯をさしあげる。

 温泉の近場に「四万の甌穴」がある。四万川の水流が岩を長い間に抉り取り、川底に大きな穴が開いている天然記念物である。水の色が青く谷底のヒンヤリとしてた空気がすがすがしい。駐車場のオープンカフェでコーヒーと通り抜ける風を満喫する。

 ホテルはバイキングでちと落ち着かないが、湯三昧の四万温泉に満足のたびであった。

 


平井の老舗居酒屋「豊田屋」と極細ラーメン「やなか草」

2015年05月05日 | 居酒屋
  1.  四月の半ば頃、職場の相棒と千葉への出張帰りに総武線平井駅を降り、蔵前橋通りわたった信号機の向かいが豊田屋に行く。14~15年前に初めて訪れて以来、四回目くらい来たが、いつも並んでいて中々入れない人気店である。店はおせいじにも綺麗とは言えないが豊富なメニューとビックリする安さが売りである。狭いカウンターだがは卓上コンロが置かれ、客の殆んどが鍋物を注文する。

 今回は入ったときはあんこう鍋、白子鍋の終わりに近い時期のようで、張り紙には数日前までと書いてあったが頼んだらオーケーとのこと。出てきた鍋の具の多さにビックリする。鍋からはみ出ている。鍋の煮込みの按配とひっくり返すのはマスターがやってくれる。ビールを飲んだ後は店の日本酒「浅草無双」を注文。「浅草無双」はどこの産だがわからないが、250円だったか?財布に優しい。

 自宅が平井で新宿勤務の仲間にガラケーで何時もの予告なしの呼び出し。案外まじめに自宅帰りの電車に乗っているとのこと、しばらくして嬉しそうに合流。

 豊田屋のテレビはスカパーで競艇の実況中継。ファンか同好会かマスター交えて一喜一憂の盛り上がり。六時頃になるとカップルの姿もチラホラ、段々と満席に近くなってきた。平井のオッサン、東北出身でホヤには目がない、入荷したてのホヤを注文、旨そうに食する。オジンに盛んに薦めるが昔のトラウマにいまいち手が出ない。新鮮なホヤは臭みがないとの店の主人の薦めもあり、久しぶりのホヤ体験。案外に旨いものである。あの臭みもあることはあるが気にならない。むしろ、新幹線のツマミの乾燥ホヤと較べるとズット旨い。鮮度が命のようだ。

 ネギマ鍋も注文し、てんこ盛りの鍋をマスター仕切りでゴーサイン。人気店の所以も頷ける。日本酒と店のオリジナル酎ハイを数杯飲んで、後のお客さんに席を空けることにする。

 腹は鍋で結構一杯だが吞ん兵のサガ、ラーメンが食いたくなった。駅前方面に戻りすぐのラーメン店「やなか草」へ。極細麺で「ちばき屋系」のあっさりタイプで好きなラーメンである。店は自然木の厚板テーブルで全体的に木質感が嬉しい。席に座って、日本酒とメンマ、チャーシューで二次会である。日本酒二合ばかり飲んだ後で、お目当てのラーメンを注文。あっさり系のため飲んだ後にも結構入る。いつもながら、美味しいラーメンである。