散日拾遺

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正教会訪問

2014-03-09 18:14:55 | 日記
2014年3月9日(日)

 事情があって所属教会に今日は行けないが、都心での用事まで微妙に時間があり、どうしようかと考えて。
 ニコライ堂へ行ってみることにした。
 エキュメニズムを観念的に語りながら、東方教会について知るところはほとんどなく、本から得た知識ばかり。先日来、M長老の御下問あって関心が刺激されている折から、こういう時は足を向けてみるに限るので。

 休日の都心は人が少なく、気持ちの良いものである。
 聖橋口から迷いもせず、敷地に足を踏み入れた瞬間に頭上で鐘が鳴った。
 突拍子もない巨大な音である。6~7年前、神戸から乗ったフェリーボートが今治沖で濃霧に突っ込み、船が汽笛を鳴らした。長男と二人、ちょうど甲板にいて文字通り飛び上がった。あれ以来の驚愕反応だ。
 さらに遡って今から30年あまり前、日曜日に予備校の模試を受けていてこの鐘の音を聞いた覚えがある。ニコライ堂というものの存在を知ったのは、たぶんあの時だ。

 正しくは「東京復活大聖堂」というのである。
 スーツに名札を付けた男性たちが、ドアを開けて迎えてくれる。プロテスタントの信徒ですが礼拝にあずかりたく・・・とゴチャゴチャ言うのは、予想通り何の感興ももたらさなかったようで、百円の「ロウソク献金」と引き替えに長い蝋燭を一本とブロシャー1部を渡され、「白い太い柱より前には入らないように、それ以外は自由」と甚だ簡明な指示を与えられて中へ通された。
 ビザンチン様式の高い天井の下、薄暗い堂内に既に人が集まっている。壁面には多数のイコン(『天国の窓』)、文字はほとんどすべてギリシャ・アルファベットで、これは慣れていて良かった。
 多数の白人は、ロシア人はじめ東欧系の人々であろう。女性の大半がショールで髪を覆っている。日本人ではスーツに名札の年配男性たちが多数あり、どうやらそれぞれに役割を負っているらしい。女性は着物姿が多いようだ。ネットの注意書きでも、写真撮影を禁じる当然の注意と並んで、服装や皮膚の露出度に関する注意が比較的詳しかった。「白い柱」は一目で分かる巨大なもので、その手前というとスペースはわずかしかない。外来者を想定しない構造である。
 横にいる人の真似をして、黄色い蝋燭に火を移して燭台に立てた。来る人々が同様にするので、暗い堂内に無数の灯火がゆらめき、既に神々しい空気が漂っている。

 10時、礼拝が始まった。「公祈祷」というらしい。
 まずは会堂の入り口あたりで何かが行われているようだが、堂内に入ってしまったのでかえって様子が見えない。白や紫の豪奢な衣装に身を包んだ人々が、立ち並んでそちらを見守っているのをこちらは見つめるという図である。
 やがて行列が動いて入ってきた。堂宇中央に赤絨毯を敷いた二段ほどの高さの正方形の壇がある、そこに置かれた椅子に行列中心の人物が太い腰をおろした。堂内の横手に陣取った聖歌隊が、何時からか詠唱を始めているが、これが実に終わりのないもので、よく続くものだと感心する。
 ふと、今の時間は何をしているのかと考えた。巨大な柱に遮られて見えないのだが、どうやら椅子に座った貴い人物が、複雑な手順を追って衣装をまとっているらしい。衣装に付けられた鈴がチリンチリンと音を立てる。その間も聖歌隊は歌い続け、ギリシア語と日本語が混じっているのか、ときどき聞こえる「わが魂よ、主をほめたたえよ」「心貧しき者は幸いなり」といったフレーズが、この人々と僕らをつなぐ絆を思い起こさせる。ただ、誇り高き正教徒たちは、プロテスタントはもとよりカトリックも認めてはいないのだ。

 意味を理解せぬままむやみに書きとめて、何か失礼を犯してもいけないので、後はいくつかの箇条書きに留めておこう。

 あれは正しくは何と呼ぶのかな、長い鎖のついた香炉に香を焚きしめたものを、紫と白の衣装をまとった人々(侍者?白人も日本人もそろって長身!)が手にしており、これが大事な役割を果たしていたようだ。独特の仕草で香炉を振り向けると、香の煙が相手にかかる。この仕草をイコンに対して行って十字を切ることが丁寧にくり返され、やがて同じことが信徒に対して行われた。これだけは正教徒と否との別がないようで、侍者は白い柱の外まで出て堂宇を隈なく巡り、そこに居合わせた全ての人々に ~ 僕にも ~ もれなく煙りをかけてくれた。祝福を意味する芳香の煙ならんか。
 人々は実に頻繁に十字を切る。左から右へ切るカトリックと対照的に、右から左へ切る正教式の十字で、十字を切った後は頭を下げ、人によっては右手を垂らして地面に触れる仕草をする。この所作を実に頻繁に行っている。
 公祈祷は10時に始まって12時30分までとあり、これは相当に長い。それを行うのは聖職者の仕事であるらしく、信徒は聖歌隊や会堂係として非本質的な役割を担うものの、基本的には傍観者である。これはプロテスタントの礼拝とは相当に違うし、カトリックのミサと比べても際だった違いに思われる。
 時間が長いことと、式の傍観者であることとは、一般信徒にある種の自由度を与えることになる。実際、柱の前にいる人々の挙動はさまざまで、むろん声高に談笑する者はないけれど、相談事やら挨拶やらを交わす声がよく漏れてくる。一度、僕の近くにいた白人女性が、ふと立って聖人のイコンのひとつに近づき、これに頭をつけ、口づけして、何度もくり返し十字を切った。
 広い堂宇、長い時間の中で、それぞれがそれぞれのやり方で聖霊と交感する、そんなあり方を見たように思った。

 時間の制約があり、僕はちょうど一時間で聖堂を出た。
 ショールをつけた白人女性が、敷地を出る前に堂宇の方へ向き直り、丁寧に頭を下げた。
 頭を下げるという動作を、僕らは欧米人と対比して日本人固有と思っているところがある。しかしこの場合の欧米人とは西方教会系/西欧系の人々で、東方教会系/東欧系の人々のことは眼中にさらにない。「東京復活大聖堂」に集う白い人々は、実に頻繁かつ丁寧に頭を下げていた。お互いの挨拶でどうかは知らないが、神に対して頭を低くする習慣は、この人々の身に深く根づくものと見て間違いない。

 光と闇、香の煙、十字を切り頭を下げる人々、東京は御茶ノ水の小異文化体験である。