散日拾遺

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孔懷兄弟 同氣連枝 ~ 千字文 045/連理の松/ダニエル記

2014-03-16 06:53:22 | 日記
2014年3月16日(日)

○ 孔懷兄弟 同氣連枝
 孔(ハナハ)だ懷(ムツマジ)きは兄弟(ケイテイ)
 氣を同じくし、枝を連ねたればなり

 たいそう懐かしく思うのは兄弟、同じ気(根元)から生まれ、同じ木から枝が連なって出るようなものである。

 同じ気(木)から出る連枝、か。
 対して、もともと違う木から出た枝が連なるのが「連理の枝」(長恨歌)だ。このたとえの対照は、意味ありげで面白いだろう。
 島根県益田市に、これを絵に描いたような「連理の松」があり、観光名所になっていた。松江時代に両親に連れられて見物し、その後の修学旅行でも再訪した記憶がある。いま調べたら、惜しいかな病害虫のために枯死し、1997年に一方が、2003年には他方も伐採されたとある。(「高津連理のマツ」wikipedia)
 「バラの記憶によれば、庭師の死んだのを見たことがない」とはフランスの言い回しかな、ルソーで読んだような気がするが、人の記憶で大樹の死ぬことは珍しい・・・と書いてみて、実は松の木の死ぬのを何度も見てきたことに気づいた。
 前世紀終わり近くの西日本のマツクイムシ禍では、北条沖の鹿島が丸坊主になった。東日本大震災では東北沿岸の松原が根こそぎ奪われた。家内の実家で、あたり一帯の目印になっていた高い松の木が、先年枯死した。
 木にも寿命がある。あたりまえだけれど。
 連理の松、Wiki から写真を拝借して載せておく。
 

***

 兄弟に戻って、下記。

【都に上る歌。ダビデの詩。】

 見よ、兄弟が共に座っている。
     なんという恵み、なんという喜び。
 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り
     衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
 ヘルモンにおく露のように
     シオンの山々に滴り落ちる。
 シオンで、主は布告された
     祝福と、とこしえの命を。
 (詩編133)

 教会もまた、諸教会や信徒を「枝」と呼ぶ。樹木は生命の象徴である。
 朝はJCでダニエル記の話をする。(続く)